「ん……」
窓から差し込む白い光がまどろむシグの裸体を照らした。
カーテンを開け、月の光を誘ったのはコウであった。
シャワーを浴びたばかりなのだろう。
バスタオルを腰に巻いただけのコウの姿に小さく笑ったシグは、コウが脱ぎ捨てたシャツを素肌に羽織り、手近にあったタオルを手にベッドから起きだした。
「髪……濡れてますよ?」
「ん」
差し出されたタオルに向かって、コウは無言で自分の頭を差し出した。
一瞬驚きに目を見開いたシグであったが、すぐに手にしたタオルを広げコウの髪を拭った。
両腕の動きに羽織っただけのシャツの前がはだけ、白い素肌が月明かりに露わになる。
メンテナンスという名の陵辱の痕跡の癒えた肌は、陶器のように滑らかであった。
胸も、腹も、今は俯き、淡い繁みにつつましやかに身を潜めているそれも、朝日が昇りきる頃には砂塵と化しているであろう。
シグが正気を取り戻してから、今夜が3度目の夜であった。
触れ合うだけの穏やかな愛撫に包まれその時を待つか、激情のまま昇りつめて散るか。
コウは、自分の身体のことも、任務の事もすべてを伝え、シグに委ねた。
今日までシグは触れ合う事を望み、時折コウの手のひらに精を吐き出しては、コウの胸に顔を埋め眠りについた。
昼も夜も関わり無く、一日の大半を、狭いベッドの上で二人寄り添って過ごした。
他愛もない話の中で、シグは宝物だと、コウに小さな貝殻と古びた海の写真を見せた。
この基地で作られ海を知らないシグに、海辺の街の出身の軍曹がくれたと言う。
休暇が取れたら一緒に行こうと誘われていたのだと、懐かしそうに笑って言った。
有り得ない約束だった。シグに外出許可など下りるはずがない。
それでも本気で連れ出すつもりでいたのなら、いっそ攫って行けば良かったものをと思う。
薬で自我の崩壊しているシグを見て、くってかかってきた軍曹の顔を思い出したコウは、苦虫を噛み潰したような顔で写真に視線を落とした。
白く続く砂浜、青い海、波打ち際ではしゃぐ子供たち……。
基地の移転で休暇は流れ、軍曹の記憶の中のシグも消えた。
シグが写真の子供たちのように波と戯れる日はやってこない。永遠に。
『レプリカ』に入れ込みすぎるなと、辞令を渡された時に散々言われていた。
判っていたはずだった。しょせんは作り物の、単なる道具でしかないと。
けれど、胸の奥にしまいこんでいた面影をシグの黒髪と笑顔の中に見つけてしまった。
ふとした瞬間の仕草や、はにかむような表情の中に、あの少年と似た雰囲気があった。
シグの髪や頬に触れるたび、あの少年もこうだろうかと想いを馳せていた。
想い人に似ていると告げたコウに、シグは光栄ですと笑って答えた。
少しでも長く身代わりになれればと言って、命の期限ぎりぎりまで触れ合う事を望んだ。
ヒトに抗う事を知らぬ従順な『レプリカ』らしい思考とはいえ、コウは胸が痛んだ。
初めて、シグ自身を愛しいと思った。
「今夜は、満月だったんですね」
コウの髪を拭う手を止めたシグが、窓の外に目を向けていた。
タオルを載せたまま頭を上げたコウは、シグの肩を抱き寄せ窓辺に誘った。
その目に焼き付けておこうとするかのように窓から身を乗り出し、瞬きもせずに月を見つめるシグの横顔は、儚く、そして美しかった。
月明かりを受け白く光るシグの頬に触れるだけのキスを落とす。
そっと仰のき差し出された唇に、コウは自分の指先を這わせた。
この唇を思う存分吸い上げ蹂躙したい。
胸に腹に舌を這わせ、最奥を貫きたい。
冷水のシャワーで鎮めたばかりの身体が疼いた。
もたれるようにコウに身体を預けたシグは、唇を這う指先を口内に捕らえ舌を絡めた。
同時にそっと手を伸ばし、バスタオル越しにコウの股間を撫で上げる。
「ッ! よせっ!」
シグの口から指を引き抜き、両肩を掴んで引き離そうとするが、シグの動きが勝った。
両腕でしっかりとコウの胴に抱きつき鎖骨の窪みに舌を這わせてきた。
「ば……か。俺は……いい…からっ」
ぞくぞくとした感覚が背筋から腰へと下りてゆく。
逃れようと後退りした背中が窓枠に阻まれ逃げ場を失った。
「身代わりになんて、嘘です。僕が貴方を少しでも長く独占したかったんです」
シグはコウの肩口に頬を摺り寄せ、指先でコウの乳首を弄びながら呟くように語った。
「ずっと……貴方に抱かれたいと思ってました」
手のひらで乳首ごと胸板を捏ね上げる。
「でも貴方はそんな素振りはちっとも見せてくれなくて……僕は貴方の趣味じゃないんだと……」
太ももをそっとコウの脚の間に滑り込ませる。
コウの腰がびくりと震え、わずかに後ろへ引かれた。
かわりに上体がシグに覆いかぶさるようになる。
「だからそれは……」
「ええ。それを聞いて、僕、嬉しかったんです」
うっとりとした表情を浮かべたシグは、勃ちあがり始めたコウのペニスをバスタオル越しにぐっと掴んだ。
「シグ!」
「こんなになってるのに、まだ、僕を気遣ってくれる。……もうすぐ死ぬと判ってるのに」
「ッ!」
突き離そうと構えた腕が、シグの言葉で宙に浮き、やがて力なく落ちた。
言葉をなくし拳を握り締めるコウに、シグは睦言のように囁き続けた。
「御自分を責めないで下さい。貴方の毒で死ねるなんて、僕は幸せです」
所長に薬を打たれた時、そのまま終わるのだと思った。
意識が戻った時は、『レプリカ』でも天国に来られるのかと思ったほどだった。
「知ってますか? 所長に薬を打たれてから目が覚めるまで、僕の意識の中では、僕を抱き続けていたのは貴方だったんですよ?」
「そのまま逝かせた方が……良かったか?」
「いいえ」
『レプリカ』の自分には、死の恐怖も生への執着も与えられてはいない。
だからといってすぐに死にたいかと問われれば答えは否であった。
出来うるならば少しでも長く役に立ちたい。良くやったと褒められたい。
道具として作られたとはいえ、ある程度の感情はあるのだ。
優しくされれば嬉しいし、嫌われるよりは、好かれたい。
薬漬けにされて訳もわからぬうちに命を終えるよりも、言葉を交わし、自分は役目を全うしたのだと自覚して最期を迎えられるのなら、そのほうがいい。
「でも、幸せな夢でした。ずっとずっと続けばいいと思ったのは本当です」
「シグ……」
「だって、現実の貴方に抱かれる事は無いと、諦めていましたから」
コウの体液に侵されると身体が崩れて砂になって終わると言う。
極微量とはいえ、すでにそれはシグの体内に取り込まれている。
ヒトであるコウに対等の口をきいて恐れを抱かない自分は、もうどこかが崩れ始めているのかもしれない。
「だから……コウ……」
自分の股間をコウの太ももに擦りつけながら、シグはそっとコウの名を呼んだ。
階級も敬称も何もつけずにただ、その名のみを。
「もう一度……今度は本物の貴方が、醒めない夢を……僕にください」
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