醒めない夢


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士官学校を卒業したばかりだと聞いていたが、コウには新米士官にありがちな浮ついた雰囲気は微塵も感じられなかった。その落ち着きぶりと、ふてぶてしいとさえ思えた着任の挨拶は、金で雇われた一匹狼の流れ者の傭兵のような風情であった。

  ――『話は通ってるんだろ? 俺がコウ・ヒジリだ』――

敬意もろくに表さず言い放ったコウに、普段は威張り散らしている長官が、微かな不快感をこめかみの痙攣で表わしただけで済ませたというのも、シグにとっては驚きであった。
さらには、コウが差し出した辞令を一瞥した後の救われたような表情は一体何だったのか。

シグの抱いた疑問は翌朝のミーティングで明らかになった。


午前8時。
各セクションの責任者たちが朝食後の食堂に集まっていた。
長官直々の招集であったにもかかわらず、当の長官の姿は見えない。
5分が過ぎたところで周囲にざわめきが広がった。

秒単位の遅刻にさえペナルティを課すような長官が、時間を過ぎても現れない。
中止の通達を忘れたか、もしや長官自身の身に何かが起こったか。
集まった者たちの中に後者を気遣う気配は無かった。

後5分待って何の沙汰も無ければ解散しようという意見が大勢を占めたとき、扉が開いた。

少尉の階級章をつけた正規の軍服姿のコウであった。

「遅れてすまない。文句はそこの所長とやらに言ってくれ」


この基地には大きく分けて二つの指揮系統が存在する。
魔族に関する生態の調査・研究に携わる研究所と、基地の防衛及び魔族の捕獲に携わる軍部。 基地全体のトップは軍が担っているが、研究セクションにおいては所長が全権を担う。

基地のトップである長官が不在であれば、所長がその任を代行する事になっていた。

コウに促され食堂に入ってきた所長は、決してコウと目を合わせようとはしなかった。
手にした資料と思しき紙束を両腕で抱きしめ、少しでもコウの視界から外れようと壁に張り付くように立つその姿は、周囲の者にコウの立場を知らしめるのに充分であった。

「本日付でこの基地の責任者になったコウ・ヒジリだ。朝早くからすまないが、本部からの通達事項がある。各自指示に従って行動してくれ」

絶妙のタイミングだった。
周囲の視線が自分に集まり一瞬訪れた静寂をのがさず、簡潔な自己紹介のみで、コウは話の本題に移った。長官に対して見せた不遜な態度とはうってかわり、その表情も立ち居振る舞いも、有能な指揮官のそれであった。

研究所としての色合いが強く、配属されている軍属の者たちの階級は軍曹どまりの基地ではあったが、かつては魔族の討伐部隊として最前線に立っていた猛者たちも多い。
戦場ならともかく、どちらかといえば暇を持て余している基地内で、上官とはいえ、卒業したての若造相手にそうそう敬意など払えるものではない。

にもかかわらず、コウがすべての通達を終え、セクションごとの指示書を配布するまで、野次の一つも飛ぶ事は無かった。


「以上だ。何か質問は?」
「ひとつ、いいか」

コウよりは頭一つ抜け出ているであろう、がっしりとした筋肉質の男が手を上げた。

「あんたが、今日からここの親玉になったってのは判った。だが、前の長官はどうした? 
クビか?」
「残念ながら、今頃は新しい基地で新品の『レプリカ』を支給されてご満悦だろうな」

男の言葉遣いの悪さを指摘するでもなく、自身も砕けた口調で答えるコウの態度に同類の気配を察した男は、にやりと唇の端を上げた。
その様子に周囲の言葉にならなかった反目の空気が和らぐ。
どうやらこの男がこの基地の真の統治者という事らしい。
強固な意志と情の深さを感じさせるこの男を、コウは内心で要注意人物としてピックアップした。

表向きは基地の撤収作業の監督として新人研修を兼ねての配属となっている自分である。
表の作業をスケジュール通りに進めるにはこの手の男は重宝するが、裏の任務の妨げになるようであれば排除しなければならない。

「俺たちの処遇は? 書類を見た限りじゃ現状と同じセクションに配属となっちゃあいるが、新しい基地とやらのセッティングはどうするんだ?」

「それに関しては今日の午前中に各セクションの端末に向こうのオペレーターから通信が入る。 お前らが向こうに行くまでは、そいつらがお前らの指示で作業を進めるはずだ」

すでに新しい基地に人員が配置されていると知り動揺が広がる。

「で? 向こうに着いたらそいつらは?」
「向こうにいるのは全員『レプリカ』だ。お前ら一人に一体ずつ支給されるとさ。豪儀なこった」

コウの言葉ににわかに歓声があがる。
朝まで一人で楽しめるだの順番待ちをしなくてすむだのといった言葉が飛び交う中で、この基地で唯一の『レプリカ』であるシグは一人俯いていた。

コウの声が解散を告げ、各自が持ち場へと帰っていっても、シグは誰に声を掛けられることも無く そこに居残っていた。

「ったく現金なもんだ」

蜘蛛の子を散らすように出て行った「部下」達を呆れ顔で見送ったコウが、シグの横に立った。

「長官、あの」
「よせよ。仕官学校出たての少尉じゃ、いいトコ小隊長だぞ?」
「でも、責任者って……」
「撤収部隊の隊長さんってのが、俺の役どころだからな。責任者といってもその程度だ」

要は新しい基地でふんぞり返ってる長官殿のパシリだと笑うコウに、シグもつられて小さく笑った。

「で、お前の扱いだが、撤収作業が完了するまでの3ヶ月間は、俺付きって事になってる」
「! ……は、はいっ! よろしくお願いします!」

背筋を伸ばし敬礼で答えるシグに、コウはその先の処遇を伝える事はしなかった。
新しい基地に、シグの行くべき場所は無い。もちろんコウ自身にも。

この基地で作られたシグは、存在そのもがトップシークレットとして扱われていた。
この基地に配属された者は皆、他所への転属が決まると同時に、健康診断という名目で本人も知らないうちに医師の手によりシグに関する記憶を消されていた。


『レプリカ』とは、本来不老長寿の研究のために培養槽の中だけで誕生と消滅を繰り返していた存在を、出生率の低下による労働力の不足を補うという名目で、意思を持った個体として誕生させた人工生命体の総称である。

多くは軍事利用目的であったが、容姿や人格もオーダー可能という触れ込みに、性玩具としての流用を求める声も聞こえ始めていた。

すでにどこの基地や研究所でもヒトではない『レプリカ』は、似たような扱いを受ける事が多かったが、実際に「商品」として売り出すためには、それなりの規格の統一や各種の制御が必要になってくる。軍の持つ情報網だけでは、SEX産業における最新のデータを収集するというのは、畑違いということもあり、効率が悪かった。


シグは元々は砂漠地帯における夜間の索敵や、厳しい気象条件下でも活動可能な情報収集要員として作り出されたが、この基地の所長が民間の企業と通じており、性欲処理の人形としてのデータを取る為に極秘で改造されていた。

上層部は渡りに船とそれを見て見ぬ振りをしてデータが揃うのを待ち、民間企業の性風俗に関するノウハウを手に入れたところですべてを取り上げ、技術と利益を独占しようと考えたのであった。

新しい基地にはシグのデータを元に、個別のオーダーに対応する為の試作品がすでに配備されていた。

コウの真の任務である『後片付け』とは、すでに用済みとなった欲に溺れて軍の機密を民間に横流ししようとした張本人の抹殺と、流出したデータの回収及びサンプルの消去であった。





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