お終いの街3


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「魔人に喰われて『礎』辞めた、ラセンのサキです。どうぞよろしく?」

 あんぐり開けた口を閉じることも忘れ、焔はサキに、正確にはサキの瞳の輝きに見惚れていた。
 虹彩に金色を携えた翡翠色の瞳が、真っ直ぐに焔を見据え煌いていた。

 蒼にも見える黒い髪、砂漠の太陽に晒されても白いままの肌、形良く尖った耳と、翡翠色の瞳。
 長身とまでは行かないがすらりとした細身の体躯は、噂に聞いたラセンの姿そのものであった。

「焔……さん? 話、聞いてる?」
「はっ!?」
「……もういっぺん、自己紹介しようか?」
「あ、や、聞いてた! 大丈夫! ラセンのサキだろ? 魔人に喰われたって……え?」

 焔はまじまじと無遠慮な視線をサキの全身に走らせた。

「足、ついてんじゃん」
「ばーか。誰が頭っからぼりぼり喰ったっつった。意味が違うと言っただろう」

 所有権を主張するように、コウの腕がサキを攫う。

「は? 別の意味で喰うって……あっ!」

 サキの首筋に残る赤い痕に気付いた焔が、髪の色に負けないほどに頬を染めてうろたえた。
 コウとサキを交互に見ながら、ぱくぱくと口を動かしているが、驚きすぎたのか声にならない。

「そこまで驚くこと?」
「……聞いてた話と違いすぎだろ?」

 バツが悪そうに鼻の頭をかきながら、焔は改めてサキへと視線を向けた。
 柔らかな微笑を浮かべるその姿に、思わずごくりと喉がなる。

「マジで、ラセン……」

 食い入るような眼差しを向けながらにじり寄ってくる焔に、サキの表情に困惑が混じる。

「え……と、焔さん?」
「なぁ、触ってイイ?」
「はぁ!? やだよッ!」
「おー、やっぱちゃんと喋ってる! 嫌だって顔してるー」
「当たり前だろっ! ちょっ!」

 サキの拒絶をスルーし、焔の両手がするりと腰に伸ばされた。

「腰、細ッ! ラセンの一族はスレンダーな美人ぞろいっつー話だけは本当だったんだなぁ」
「なんだよそれ! コウッ!」

 腰から尻へと下りてきそうな焔の手から逃れるように、サキは身を捩りコウにしがみつく。

「おい」
「いーじゃん、減るもんじゃなし」
「ヤダッ! 絶対何かが減る気がするっ!」
「何かって何よ?」
「いい加減にしろ。お前のラセンは後ろに居るだろうが」
「え〜〜。別に俺のってわけじゃ……のわッ!?」

 背中へ受けた突然の衝撃に焔があわてて振り返ると、すっくと立ち上がったラセンの少年の小さな頭が、これが止めと言わんばかりに天を仰いだ瞬間であった。

「ちょっ、待っ」


――― ゴッ ―――


「〜〜〜〜〜ッ!!」

 鈍いくぐもった音が響き、焔は両手で頭を抱えてうずくまってしまった。

「あ〜あ。あんなこと言うから……」
「自業自得だな」

 痛みを噛み締めるようにうずくまったままの焔の脇で、ラセンの少年は会心の一撃の反動が残っているのか、ゆらゆらと身体を揺らしながら立っていた。

 細い身体がバランスを崩し、ぐらりと傾いだのを見たサキが、支えようと手を伸ばす。
 その手が触れようとした瞬間、少年の瞳がサキを捉えた。

「えっ……」

 明確な拒絶の意思を顕わにした少年は、傾ぐ身体を建て直しもせずに、そのままぺたりと座り込み、焔の背中に再び頭突きを繰り出した。言葉を発することもなく、ただひたすらに己の額を打ち付ける姿は、何かを堪えているようにも見えた。

 少年の冷えた眼差しに一瞬怯んだサキであったが、そのあまりに痛々しい様子を見かねて再び手を伸ばそうとした。

「待て」
「けど!」
「いいから」

 有無を言わせずサキの動きを両腕で封じたコウが、焔たちの背後を見ろと顎で示す。

「?」

 視線を向けた先では、グリンとシグが二人揃って左右に首を振っていた。

「どうやらスルー推奨らしいぞ」
「は? え?」

状況が飲み込めないまま事態を見守っていると、焔の腕が少年をさらい、膝の上へと抱きこんだ。

「ったくもう、まぶたに銀河が煌いたぞ?」

 胡坐をかいた脚の間に、横抱きですっぽり収めて座らせた少年の、前髪をそっとかき上げる。

「あーあーあー、デコ赤くなってんじゃねーか……」

 少年の額のわずかな赤味を、心配そうに指先で撫でさする仕草はいかにも手馴れた風情で、このようなやりとりが日常茶飯事であることをうかがわせた。

「えーと。これは、あれなの? いわゆるひとつの『お約束』みたいな?」
「らしいな。見ろ」
「うわ、でこちゅー……」

 頭突きの連打で乱れた髪を丁寧に梳いてやりながら、焔の唇が少年の額にふわりと触れていた。
 壊れ物でも扱っているような繊細で柔らかい仕草は、見ているほうが面映い。

「……俺のじゃないとか言ってたくせに……」
「だから、ああなんだろう」
「何ソレ。わかんないんだけど」
「お前はわからんでいい」
「そんなの横暴……って、うわっ?」
「いいから、もう座れ。話が進まねぇ」

 再び腰を下ろしたコウに腕を引かれ、少年が焔にされたように、コウの膝へと招かれた。

「ちょっ! なんで俺まで膝抱っこなの!?」

 さすがに横抱きにされることはなかったが、胡坐をかいた脚の間にすっぽりと座らされ、背中から抱えられるというのは、二人きりなら大歓迎だがこの状況下では、サキにとってはかなり恥ずかしい姿であった。

「座椅子とでも思っとけ」
「む、無理だってば!」

 何とか逃れようと腰を浮かすサキを、コウの腕が珍しく強引に引き止める。

「頼むから。アイツら見てると、昔をほじくり返されてるようで、正直、結構キツイ……」
「昔って……俺を拾った頃の?」
「……ああ」
「そっか……。わかった。俺、ここに居るから」

 ふっとサキの身体から力が抜けた。
 預けられた背中の温もりに、コウの腕の力も抜けた。

「ありがとう。助かる」
「どーいたしまして」

 ありがとうの言葉がくすぐったくて、サキはおどけた口調で言葉を返した。
 すまないと言われるよりも、ありがとうと言われるほうが何倍も嬉しい。
 自分の想いが真っ直ぐ届き、それをそのまま受け取ってもらえたような気持ちになれるから。

 腰に回されたコウの腕に、サキは自分の両手をそっと重ねて微笑んだ。

「「いいなぁ」」

 ほのぼのと落ち着きかけた空気を羨むような、呟きの二重奏がふいに流れた。

「博士、僕も抱っこでお話したいです」
「いいけど……今の装備じゃ、座り心地の保障はできかねるよ?」
「博士になら痛くされてもうれしいからいいでーすっ」
「……グリン、その発言は……ま、いいか。おいで」
「はーいっ♪」

 誰もが(いいのか……)と内心で突っ込みを入れている間に、グリンはいそいそとセキエイの膝に収まり満面の笑みを周囲に振りまいていた。

「シグ」
「はい?」
「いいよなぁ、あれ」
「大佐……」

 二重奏の低音部を担っていたサカキにつんつんと肩をつつかれ、シグはしぶしぶサカキの脚の間に腰を下ろし背中を預けてため息をついた。

「下半身に不都合をきたしそうで気が進まないんですけど……」
「か、考えすぎだろ」
「声、上ずってます。心拍数も」
「みんなでやれば、こわくな……」
「何をする気なんですかっ?」

 ヒートアップしそうな下ネタ漫才を遮ったのは、焔の朗らかな笑い声だった。

「あーっはっは! あんたら面白過ぎ!」

 すっかり警戒を解いたのか、今は眠りについている少年を抱きかかえたまま、尻でいざって前に出ると、二カッと笑って周囲を見回した。

「なんかもう、正体ばれてるっぽいけど、俺は焔(ほむら)。純血種の魔族だ。でもって膝の上でぐーすか寝てるのが、ラセンの『礎』。そっちのラセンと違って名無しなんでアレだけどな」

 名前のみの自己紹介にとどめた焔の視線が、居並ぶ男たちへと誰何を問う。
 最初に視線を向けられたのは、この場で初めて顔をあわせたセキエイであった。

「あんたがこの群れのリーダーで、グリンの大好きなご主人様ってので正解?」
「ロン・セキエイ。考古学の研究を生業としています。今回この遺跡を調査するに当たり、僕が彼らに同行を依頼しました。群れという表現はいかがなものかと思いますが、まぁ正解です」

 普段よりいささか固めの口調で自己紹介に応じたセキエイは、言葉を選びながら自分たちがこの場に居る理由を簡潔に述べた。

「グリンは? あんたの可愛いペットちゃんなんだろ?」
「可愛いというのは大正解ですが、この子はペットではなく、僕の優秀なパートナーですよ」
「へー。 『レプリカ』でもそういうのってアリなんだ?」

 焔の言いようが気に障ったのか、セキエイの眼鏡の奥の瞳がにわかに剣呑な光を帯びた。

「どういう意味ですか?」
「や、なんかそういうのっていいなぁと思ってさ」

 言葉の棘を気にする風でもなく、焔はセキエイの視線をへらりと笑ってあっさりかわした。

「そっちのデカイおっさんは軍人だろ? 大佐ってすっげぇエリートなんじゃねぇの?」
「俺は榊大吾(さかきだいご)。上が勝手に付けた肩書きだ。好きで背負ってるわけじゃねぇ」

 エリートと言われたことが気に入らないのか、サカキは無愛想にふんと鼻を鳴らして答えた。

「ふーん? 現場大好き、先陣希望なタイプ?」
「あ、それかなりあってます」
「おい、シグ」
「でもってシグに尻に敷かれてるっぽい、と」
「なっ!」

 実は密かに気にしていたことを指摘され、サカキは馬鹿正直に赤面しながら絶句した。
 くすくす、くくくと、両隣から忍び笑いが漏れ聞こえ、ますます言葉が出てこない。

「いい読みだな、焔。俺はコウ・ヒジリ。正体は知っての通り。こいつはサキ。こいつを手に入れるために、こいつの守っていた村を俺が滅ぼした。だから今は、俺の、俺だけの『礎』だ」

 途切れた会話の繋ぎをとって、コウが自ら名乗り出た。
 さりげなく、サキの所有を匂わせることも忘れずに。

「言うねぇ。けどそう思ってるのはアンタだけ……ってわけでもないのか。なんか喜んでるし」
「うんっ♪ 俺はコウのものだし、コウは俺のものだよ」

 堂々と言い切ったサキの花が綻ぶような満面の笑みに、さすがの焔も言葉を失った。
 しばしの間サキの笑顔に見惚れてた後で零れた言葉は、どこか切実な響きを持っていた。

「なぁ……お前みたいな笑顔ってのは、どうやったら教えてやれるんだ?」




つづく


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