「俺は、コイツに笑って欲しくて、ここへ連れて来たんだよ」
ラセンの少年をしっかりと胸に抱え直し、焔はこの遺跡へ来た理由(わけ)を告げた。
「コイツは名無しだから、名前があれば、空っぽじゃなくなるんじゃねぇかって。名前は一族の長しかつけらんねぇから、最近砂漠に埋まってた遺跡が地上に出てきたって聞いて、砂漠の遺跡がラセン絡みのモンだってのは、俺らの一族じゃ当たり前の話だったし、遺跡が出てきたんなら長がなんかしたんだろうって、会えなくても居場所がわかる何かは手に入るかもって……」
思いつくまま言葉を並べて一息に語った焔は、すがるような眼差しでサキを見つめ、言葉を続けた。
「……したら、名持ちの『礎』がいた。空の器のはずなのに、喋って、怒って、笑って……」
名前があれば、少年の空の器も満たされるのではないのかと、焔の瞳は問いかけていた。
「あ……、そ、れは……」
サキは迷った。
焔は少年を『礎』だと言ったが、サキは自分以外の『礎』のことなど何も知らないのだ。
自分が名持ちの理由なら言える。だがそれを今、口にしていいものなのかがわからない。
サキの躊躇いを察したのか、コウがおもむろに口を開いた。
「サキは、役目につく直前に名を貰ってる。意思を持って生まれた『礎』だという理由でな」
「コウ!」
「事実だろ」
「そうだけど……けどっ!」
「落ち着けよ。お前の方が特殊なんだ、参考にはならん。……すまんな焔」
期待に応えられない事を詫びるコウに、焔はふっと軽く笑って首を振った。
「気にすんなって! コイツ、喋れねーけど声は出せるし、練習させりゃ、意味なんてわかんなくても、『ほ・む・ら』くらいは言えるようになるんじゃねーかなーとか思ってるし。でもそんときゃやっぱ、俺もコイツの名前、呼んでやりてぇじゃん? んでもってニッコリ笑ってくれたらサイコーだけど、笑顔はなんかハードル高そうだし、まずはお互い名前からってな!」
自分の命が尽きるまでに、言えるようになってくれたらいいなと焔は笑う。
一般的な魔族の寿命はおおよそ500年。成人しているとはいえ、この先300年は優にある。
焔はどうやら、残りの人生すべての時間を、少年と共に生きると決めているらしい。
呼ぶべき名前を手に入れたなら、朝な夕なに、呼びかけるのだろう。
どんな表情(かお)をして、どんな声で、焔は少年の名を口にするのか。
その瞬間を見てみたいと思ったコウは、一つの可能性を提示した。
「……名前だけでいいんなら……なんとかなるかもしれないぞ」
「え! マジ!? 」
名前だけならと言っているのに、すべての望みが叶うかのような期待に満ちた視線が痛い。
「俺達と来れば、嫌でもラセンの長とご対面だろうから……なぁ?」
自分から言い出しておきながら、ついつい投げやりな口調になってゆく。
「ああああああ……そっか、そうだよね。俺なんて名指しでお招ばれしてるし……」
話を振られたサキもまた、現実味を帯びてきた再会の瞬間を思い浮かべてがくりと項垂れた。
「お招ばれ? じゃ、さっき話に出てたサクヤってのがラセンの長なワケ?」
「うん。でも、名付けのセンスは期待しないほうがいいと思うよ」
自分が名を与えられた時を思い出し、過度な期待を抱かぬようにと釘を刺す。
「そーか? けどお前のだってその長がつけたんだろ? サキって名前、似合ってんじゃん」
「そう? あ、ありがとう」
長の名と、対である男の名を一文字ずつとっただけだとは言えずに、サキは笑って誤魔化した。
(あれって絶対、その場の思いつきだったもんなぁ……)
焔の懐で子猫のように眠る少年を眺め、サキはまともな名前が貰えるようにと密かに祈った。
「んー? でもそれだと敵としてご対面? 名前くださいとかお願いしてる場合じゃなくね?」
「敵、ねぇ……。今のところ、こちらの行動を邪魔する気はないようだしな。ま、大丈夫だろ」
何のかんのと言いつつ状況を的確に把握しているらしく、一抹の不安を口にした焔に、安請け合いし過ぎだろうかと思いつつ、他に言いようも無いコウは苦笑を浮かべるだけだった。
「微妙な関係?」
「至極。で、どうする? 一緒に来るか?」
「頼む!」
二つ返事で頭を下げる焔の勢いに押され、コウは成り行きを傍観していたセキエイに顔を向けた。
「……博士、そういうことで構いませんか?」
「うん、いいよ」
子守や交渉材料は多い方がいいだろうという言葉に首を傾げる焔に、セキエイは言葉を続けた。
「だからね、彼がその子の名付けを渋るようなら、僕らを差し出してお願いすればいいよって事」
目的達成のために手段を選ぶ必要は無い、与えられた手駒は最大限に活かすものだと言われ、焔は眉をしかめ、声のトーンを落として言った。
「それって、俺らもアンタの手駒に成り得るってコトか?」
「何事もギブアンドテイクの精神は大事だからね」
にこやかに微笑みながらドライな発言をするセキエイに、焔の片眉がひくりと上がる。
「……食えねぇ奴」
「お互い様だろう? 君だってここまで一緒に来たお仲間を、その子の餌にしたくせに」
奴らを仲間と思ったことも無ければ、始めから餌にするつもりで同行していたわけでもなかったが、ギブアンドテイクと言うのなら、こちらの事情を事細かに説明する必要もないだろう。
「まぁな」
「気楽に行こうじゃないか。利害関係の一致ほど、心強い絆はないからね」
人好きのする笑顔の裏に潜む素顔は、なかなかに黒いモノを持っているらしい。
一抹の不安はあれど、この選択が、願いを叶える最短ルートだという確信がある。
「りょーかい、ボス」
焔は若干頬を引き攣らせつつ、精一杯の愛想笑いを浮かべて見せた。
◆◆◆
「ねぇ、焔さん」
とりあえずの小休止となったところで、サキが焔ににじり寄る。
「どした? 質問か?」
膝の上にラセンの少年を寝かせたままで、焔は手荷物の中から水を取り出しながら振り向いた。
「あ、と。質問っていうか、ちょっと、話、してみたいかなぁと」
荒っぽい印象に似合わぬ柔らかな笑顔に、サキはしどろもどろになって答えた。
「もしかして、自分以外の純血種に会うのは初めてとか?」
「あ、うん。だから、えと……」
近くに寄って、もっと良く見てみたかったとは言えずに、サキは言葉を探して視線を泳がせた。
そんなサキの本音が判ったのか、焔はサキの目の前に掌を差し出し、小さな炎を出して見せた。
「俺の一族は、熱や炎を操る能力を持ってんだ。見てな」
小さな炎を宿したままの掌を、一旦閉じて、また開く。
「うっわ、可愛いっ!」
焔の掌の上には、狐のような姿の動物が、ちょこんと座って尻尾を振っていた。
「これって生きてるの?」
「いんや。姿をかたどってるだけで、ただの炎」
「でも尻尾振ってるよ?」
「空気の揺らぎでそう見えてるだけなんだな、これが」
「へ〜〜〜」
目の前の、生き物のように動く炎の姿に魅せられたのか、サキの膝が無意識のうちに焔の傍らへとにじり寄る。すっかり警戒を解き、寄り添うように掌を覗き込むサキに、焔の頬がだらしなく緩んだ。
きらきらと輝く翡翠色の瞳は好奇心に満ち、滑らかそうな頬がほんのりと桜色に染まる。
「ねね、ほかのも作れる?」
「犬でも猫でも仰せのままに?」
「わーい! 見せて見せて!」
身近な小動物から物語の中の架空の生き物まで、焔はサキの求めるままに、次から次へと炎のオブジェを創り出す。
変装用のターバンとカラーコンタクトを外して正体を明かされた瞬間は、サキの姿に畏敬の念すら感じた焔であったが、今こうして隣で笑う無邪気な姿に、あの時の畏怖はない。代わりにやたらと構い倒したい衝動が湧き上がり、どうしたものかと苦笑が漏れた。
膝の上で眠る少年も、いつかこんな風に笑ってくれたらいいなと思う。
この遺跡でサキたちと出会ったことで、少年の中の何かが変わったような気がするのだ。
彼らが少年に対して抱く感情には負の欲望が無い。
少年にとって好意的な感情を向けられると言うのは、焔を除けば、おそらく初めての事。
彼らと行動を共にすることで名前だけでなく、もしかしたら、感情の欠片のようなものも得られるかもしれない。
片手で炎を操りながら、もう片方の掌で、焔はそっと少年の髪を撫でていた。
つづく
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