お終いの街3


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「さて、と……」

 シグを残し『盟約の間』に戻ったサカキは足元の機械に一瞥をくれると、部屋の中央に顔を向けた。
 機械の後ろに回ると不快な音は耳には届かない。

 この部屋に侵入してきた何者かが携えていたはずの単一指向のスピーカーは、今は、穴からの侵入者を阻むように置かれていた。

 侵入者は遠目に見る限り、武器を構える様子もない。

 置き去りにされたままのエアマットにゆったりと腰を下ろし、拾い上げた緑の石を、手持ちのライトにかざし眺める細身のシルエットに、サカキの眉間のシワが深くなる。

「ラスボス登場には、ちと早過ぎねぇか?」

 揶揄するようなサカキの言葉に、金色を携えた翡翠色の瞳がゆるりと振り返る。
 サクヤは口元に不敵な笑みを浮かべると、手にした石をサカキに向かって指先で弾いた。

「誰にとってのラスボスですか?」
「そりゃ、下にいる考古学者様ご一行にとっての、だろ?」

 顔面目掛けて飛んできた石を掌で受け止めたサカキは、石をズボンのポケットに押し込み、胡乱な視線をサクヤに向けた。

 サカキの回答が気に入ったのか、口元だけだったサクヤの笑みが顔全体に広がった。

「貴方にとっては?」
「何でアンタがここに居る?」

 問いに問いで返したサカキは、サクヤの正面にずんと立ち、腕組みをして見下ろした。
 上司に対する敬意のカケラも無いその態度に、サクヤの頬がますます緩む。

「お返しした記憶は、すっかり定着したようですね」
「俺に、何をしろって?」

 まともな返答など期待してはいないとばかりに、サカキは用件を切り出した。
 サクヤが何の見返りもなく、記憶を戻すはずなど無い。
 すべてを承知でやらせたい何かがあるのだろう。

「……話が早いのは助かりますが、いくらなんでも端折りすぎでしょう」
「俺の理解の範疇を超えた話なら、聞いても無駄だからな」

 取り付く島もないようなサカキの突き放した物言いに、サクヤの言葉から剣が取れた。

「それほど荒唐無稽な話ではないですよ」
「ならどうやってここまできた? いつから自由に外出できる身分になったんだ?」
「正規の手続きをとって、軍の車で」
「一人でか」
「まさか。監視権護衛の方々には、今はちょっと他を見回っていただいてます」
「何しに来た?」
「人探しです」

 一歩下がって床を見下ろすサカキの視線の先には、焔に焼かれた男の死体が転がっていた。
 死体とサクヤの顔を交互に眺めたサカキの目顔が、コイツかと訊いていた。

「誰ですか? それ」
「捜索願の出ていた軍関係者だ。砂漠の基地で馬鹿やらかして死んだ男の甥だか弟だ。多分な」

 心底嫌そうに顔をゆがめるサカキにつられ、サクヤの顔にも苦笑が浮かぶ。

「記憶、戻さない方が良かったんでしょうか」

 死体の男に用はないらしい。
 くすくすと小さく笑う表情に、ふとサキの笑顔が重なって見えた。
 種族共通の特徴を差し引いても、醸し出す雰囲気や佇まいに似たような印象を受ける。
 単なる同族同士というよりも、もっと近しい間柄なのかもしれない。

 ふいに胸ポケットに入れた写真の存在を思い出す。
 サクヤはこの事実を知っているのだろうか。

「戻さないと手駒にならんのだろ? ところでアンタ、この写真に心当たりはあるか?」
「はい?」

 裏を向けて差し出された写真を手に取り表に返す。
 わざわざライトで照らさずとも、サキの白い肢体が視界に飛び込み、サクヤの動きを止めた。

「え? ……サ……キ……?」

 驚愕に見開かれた両目は瞬きも忘れ、写真の中のサキを食い入るように見つめていた。
 が、後に続いた呟きに、サカキの両目も見開かれて固まった。

「こんな……。生身で……何の力も使わずにヒトの欲望を受け入れたりしたら……」
「そこなのか……? 生身でとか、力を使ってないとか。……そうじゃねぇだろう!?」
「なにがです? サキはもともとSEXを介して負の感情を鎮める『礎』ですよ?」

 問題なのは行為そのものではなく、その能力を使っていない事にあるのだとサクヤは眉をひそめた。

「こんなことを繰り返していては、自我が崩壊してしまいます。あの子の元へ行かせたサキが何故」
「あの子?」
「コウですよ。私の力では封印石でヒトの姿に戻すのが精一杯でしたから」
「魔人に戻って暴れないように? SEXで鎮めさせるために?」
「ええ。コウが魔人化した時、『礎』であったサキに反応していたので相性はいいはずですから」

 コウがいながら、何故こんな事をさせていたのかと訝しがる姿に、陵辱を受けているサキを気遣う様子は見られない。

「だったらなんで今更二人を引き離すような真似をするんだ? 魔人が暴れたら困るんだろう?」
「そろそろ石の効き目が切れるんですよ」
「だから?」
「効き目が切れて完全な魔人になったコウがサキを抱けば、コウの存在はそこで消滅します」
「だからアイツの始末はどうでもいいと言ったのか? この任務が終わる頃には消えてるから?」
「後に残るのは、私が嵌めた石くらいだと思いますよ」
「サキと一緒に回収しろと言ってた石ってのは、アイツの残骸かよっ……」

 サカキは腹の底にどす黒い感情がわだかまってゆくのを感じて黙り込んだ。
 ふつふつと湧き上がるそれは不快感。
 ふざけるなと叫んで殴り倒したい衝動を堪え、サカキは拳を握り締めた。

「アンタ、そんなにアイツの事が憎いのか?」
「憎い? 私はあの子が可愛いから、安らかな最期をと思ってサキを行かせたんですよ?」
「なんだ、そりゃ……」

 気遣いのベクトルがまるで違う方向へ向いている。
 しかもこの口ぶりでは、同族であるサキよりもむしろ、コウへの関心の方が高いらしい。
 これではコウに安らかな最期を与えて用済みになったサキを、持って帰れと言われているようだ。

「おかしいですか?」
「おかしいもなにも……無理がありすぎる」
「何故?」
「会えばわかるさ」

 任務を請け負った時に、サクヤに言われたセリフをそのまま返し、サカキは会話を打ち切った。

 サクヤの予想通り、石の効き目とやらは失せている。
 だが効力を無くした石はコウの身体を離れただけで、コウには何の影響も与えなかったのだ。

 コウの身体は暴走する事もなく魔人と同化し、サキと抱き合う事で逆に調子を上げていた。
 サキにしてもその肌の色艶を見る限り、消耗している様子は無い。
 日毎遠慮の無くなるいちゃつきぶりは、いっそこのまま砂漠に捨てて帰りたいと思う程だ。

 コウとサキが、これほど強く結びつくようになるとはサクヤは考えなかったようだが、今の二人を引き離しサキだけを連れ帰るなど、命がいくつあっても成し遂げられるものではない。
 記憶が戻り、コウの人となりを思い出した今、サカキにコウと敵対する意思は無い。
 サキを連れ出す時は、コウにも同行を願い出るつもりだった。
 士官学校卒のエリート候補生であるはずのコウがなぜ、あんな辺鄙な基地にやってきたのか、彼の体液の特性を知る今なら判る。どんな想いで任務を遂行したのかも。

 サカキの視線に憤りが宿っていた。
 己の取らされた役回りに腹が立つ。

 コウの安らかな最期とやらのために、起爆剤にされたのだ。
 コウを慕い、コウに抱かれて至福の表情のまま砂になったであろう、かの『レプリカ』と瓜二つのシグを引き合わせることで、コウが、至福のままに果てる自分の最期を思い描くように、と。

 実際それは、最初のうちは思惑通りに運んでいたと思う。

 ナギの店で、砂になってゆく『レプリカ』の少年を見つめるコウの眼差しの奥には、羨望のような表情が見え隠れしていたのだから。

 ここに来るまでの間にも、右目を押さえ、サキにもたれかかるコウの姿を何度も目にしてもいた。
 サキはともかく、コウには終わりが近いという自覚があったのは確かだろう。

 少しでも多くの時間を共にという願いより、いつその瞬間が来てもいいようにという覚悟の方が、勝っていたように思う。でなければ、苦痛に顔をゆがめる己の姿を、惚れた相手に晒すような男ではない。

 それを、サキが覆した。

 サキは自分の力を、サクヤの思惑通りに導かれたコウの、暗い願いを撥ね退けるために使ったのだ。
 それはおそらくサキにとって、賭けのようなものだったろう。
 惚れた相手の恨みを買う覚悟で願いを突っぱねたサキを、天晴れと思う。

 ばつの悪そうな顔で羽を広げて見せたコウの、それでもどこかふっきれたような様子を思い出したサカキは、道化にならずに済んだ自分に安堵しながら、胸の奥でざまぁみやがれと呟いていた。


(本当にわかりやすい御仁ですね)


 サクヤでなくとも、その太い眉が上下する様を見ているだけで、サカキの感情の起伏がわかる。
 眉間のシワは、のらりくらりと質問をはぐらかし話を逸らすサクヤへの、不信と猜疑の表れだろう。

 それでいい、とサクヤは内心ほくそ笑んだ。
 そうでなければ、あの二人の元へ行かせた意味が無い。

 何かに憤慨している様子を見せたサカキの表情が、不敵なものへと変わっていた。
 こちらの思惑通りには、事は運んでいないということらしい。

「報告は、これだけですか?」

 手にした写真をかざして見せれば、サカキの顔が微妙に惑う。
 図星を指されてうろたえるようでは、スパイの任など務まりはしない。
 コウの記した人物評価を思い出し、そのあまりの正確さに、思わず笑みが込み上げた。

「なにが可笑しい……」
「いえいえ。言いたくないなら構いません。……サキは、元気ですか?」
「……ああ」
「そうですか」

 手元の写真に視線を落とす。
 陵辱を受けている魔族の少年は、間違いなくサキであった。
 一度手にした『礎』を、コウが、というよりも魔人の性が、他者に渡すはずがない。
 街角でコウを待ち伏せ、すぐに後を追わせたはずなのに、一体何が起きたのか。

 サキが『礎』となるより前に二人が出会っていた事を知らぬサクヤに、事の真相が判るはずもない。
 真実を確かめる術のないまま、サクヤは写真をサカキに返した。

「サキが何故このような事態に陥ったのか、理由は判りませんが、時期の見当はつきます」

 片眉を吊り上げ続きを促すサカキに、サクヤは私のミスなのでしょうと淡々と告げた。

「私がサキを連れ、コウを直接訪ねていれば、避けられた事態のように思います」
「何故そうしなかったんだ?」
「……」
「サクヤ?」
「……会いたくなかったんです」
「それは……」
「お聞きになりたいですか?」

 どこか頼り無げな、眉の下がった情けない表情で、サクヤは苦笑を浮かべて尋ねてきた。

 知っても構わない内容だからこその問いかけなのだと思いはするが、ごくごくプライベートな部分に立ち入る話になりそうで、サカキはどうにも躊躇った。

「あー……聞いて欲しいのか? つうか、今後のために聞いておいたほうがいい話なのか?」
「今後のため、とは?」
「人探しに付きあわせたいんだろ? そのための予備知識として必要だってんなら聞かせろ」
「そうでないのなら?」
「他人の内輪な過去話に興味はねぇ」

 サカキは両手を腰に当て、鼻息も荒く断言した。

「そうですか……ではこの話はいずれまた、ということで」

 男気溢れるサカキの態度に、サクヤは愁眉を解いた柔かな笑みを浮かべた。

「いいのか?」
「はい。貴方になら聞いていただきたい気もしてますが、今はあまり時間がありませんので」

 ふん、と鼻を鳴らしたサカキはぐるりと首を回すと、ついでのように言葉を継いだ。

「俺は、酒はあまり強くねぇ」
「は?」
「だから、聞くだけ聞いて忘れて欲しい話なら、酒瓶担いで訪ねて来い」
「……ありがとうございます。では特製のツマミも持参しましょうか」
「お! いいねぇ」
「コレを出すと、皆さん涙を流して浴びるようにお酒を飲まれるんですよ」
「そりゃすげ……え?」

 それはつまり、泣くほど不味くて、酒で流し込むしかないような味と言う事ではないのだろうか。

「そろそろ見回りに行った者たちが戻ってくる頃ですね。……? なにか?」
「いやいやいや。で、俺は何をすればいい?」

 サカキはできればツマミの話は忘れて欲しいと願い、即座に目の前の現実に意識を向けた。

「出来れば貴方の肩書きで、彼らを穏便に追い返していただきたいのですが」
「こっから先は大佐の俺が付いてくから、お前らペーペーはとっとと帰れって?」
「平たく言えば、まぁ、そういうことです」
「そいつらだって、上からの命令でここまで来てんだろ? あんた抜きで帰れるわけがねぇ」
「ですが、ここから先について来てもらいたくはないのです」
「わぁってるって。外で待たせる。それでいいだろ?」
「外で? ここ、砂漠の真ん中なんですが……」
「それがどうした?」

 軍人ならばそれ相応の装備で来ているはずだと言い切るサカキに、サクヤは諦めたように頷いた。

「お任せします」
「おう」

 だが、渋る兵士を半ば脅すように追い払ったサカキが意気揚々と盟約の間に戻った時には、サクヤの姿は忽然と消えていた。

「あんの野郎〜〜〜っっ!!」

 サカキの雄叫びにも似た声は、薄暗い廊下に虚しく響いただけだった。







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