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「焔さんって純血種だったんですね。僕もお話したかったなぁ」
周囲の様子を窺いながら、ライトで室内を照らしたシグがぽつりと呟いた。
這い出てきた穴を振り返る名残惜しそうな様子に、サカキの眉間にシワが寄った。
「こんなえげつない事やらかして、へらへら笑ってるようなヤツだぞ?」
仏頂面のサカキの足元には、身体の内部だけを焼かれた男の死体が転がっていた。
「こちらに危害を加えるわけでないのなら、特に気になりませんけど?」
「そういうもんか?」
「だって、味方になってくれたら心強いじゃないですか」
「味方……ねぇ」
グリンが相手をしている隙に焔のくり抜いた穴からガレキをつたい、盟約の間へと侵入した二人は、目の前の光景を形容する言葉が見つけられずに、当たり障りの無い会話で平常心を保とうとしていた。
部屋の中央に置かれたエアマットの上に残る、おびただしい量の精液が放つ独特の臭気だけでも、うんざりだというのに、儀式で使用されたのであろう香の残り香に加え、人肉の燻された臭いまでもが入り混じり、息をするにも一苦労だった。
「大佐、口と鼻、覆っておいた方がいいと思います」
すでに鼻から下を砂避けのスカーフで覆ったシグが、サカキにも同じ物を差し出した。
自分がすると、時代遅れの強盗のように見えてあまり好きではないのだが、仕方がない。
四角い布地を三角に折り、手早く顔に巻きつける。
会話が不明瞭になるのは痛いが、喋るたびにえづくよりはましだろう。
「全部で7人だったよな? 残りの連中はどこだ?」
足元の死体はひとつ。
焔とラセンの少年を除いても、残り4人の行方がわからない。
「この石……儀式で使ったものなんでしょうか」
エアマットの周囲に散らばる、大小さまざまに砕かれた石の一つをシグが手に取った。
奇妙な弾力の残る緑色の石は、指先を模ったようにも見える。
シグの表情がにわかに険しくなった。
「まさか、これ……もとはヒトだったんじゃ」
「なにぃ!?」
そう言われて良く見れば、人体の一部と思えなくもない欠片がそこかしこにあった。
「……どういうこった? まさかこのカケラが全部……」
「その可能性は高いと思います。……これを見てください」
唯一ヒトの皮を残していた死体の下半身を、シグの手にしたライトが照らし出す。
もはや命の痕跡などどこにもない肉体にあって、ペニスだけが半勃ちの状態で石と化し、瑞々しいまでの光沢を放っていたのであった。
「形やサイズはともかく、先端は完全に石になってますね。根元は……多少弾力が残ってるかな」
ライトを床に置き、手袋をはめた手で検分を始めたシグを眺めるサカキの顔が、嫌そうに歪む。
「あんま触んねぇほうが、いいんじゃ……」
「何のためにこっちに来たと思ってるんですか? あ、睾丸は炭化しちゃってるのか」
「別に検死が目的じゃねぇだろう。こいつらの荷物は? 残ってないのか?」
「その辺に転がってるのが、そうだと思いますよ」
「俺に拾ってこいってか」
「じゃ、大佐がこっち調べます?」
「……つまんで見せんじゃねぇって。わかった、荷物は俺が見る」
どちらが上司かわからないような会話を交わしながら、サカキは無造作に置かれたリュックと、その周囲に放り出された私物と見られる手帳や小箱を手に取った。
「……読めねぇ」
使い込まれた革の手帳の中身は、解読不能の文字や記号でびっしりと埋め尽くされていた。
ところどころ見覚えのある綴りがあるにはあるが、前後の文脈がまるでつかめない。
他人の目に触れることを危惧しての暗号化された文章なのか、単に記述者が悪筆なだけなのかの判別すら難しい。
中身を読み解く努力を放棄したサカキは、せめて持ち主のヒントがないかとページを繰った。
と、パラパラと無造作にめくられたページの間から、1枚の写真がはらりと落ちる。
そこにはオアシスで見かけた儀式などよりはるかに凄惨な、陵辱の瞬間が写されていた。
「サキ坊……?」
精液にまみれ血の気の失せた白い肌、引き裂かれ、血を流しながら男を受け入れている局部。
それが誰か良く判るように、無理矢理前を向かせたのだろう。
掴まれた長い髪は蒼にも見える黒色で、露わになった両耳の先端は、形良く尖っていた。
唾液と精液を溢れさせた半開きの口と、僅かに開いた瞼の奥の虚ろな瞳は、正常な精神状態にある者の表情ではない。だがその容姿は、今より幾分幼いながらも、サカキの見知った少年のそれであった。
「なんでこんな……一体いつ……」
コウとサキが一緒に暮らし始めたのは5年前からだと聞いたとシグが言っていた。
ならばそれ以前、サキは、ここにいた連中と行動を共にしていたのだろうか。
そうだとしたら、サキのあの怯えも頷ける気がした。
だが手にした写真はあまりに嗜虐的で、儀式という雰囲気ではない。
「違うな……この撮り方は、商売用だ」
魔族の少年がいたぶられる様を好むマニア向けに制作された無修正の裏ディスク。
純血種は特に稀少価値が高く、かなりの高値で取引されると聞いた事がある。
裏に出回っていたディスクを見た誰かが、被写体の少年が『ラセン』と気付いてこの連中に情報として売った。あるいは手帳の持ち主自らのコレクションの中から発見したのかもしれない。
「この中に、あんたが居るなんて言わんでくれよ……」
アバラの浮き出た身体を這い回るいくつもの無骨な手を見つめ、サカキは思わず呟いていた。
シグが聞きかじった話では、二人の出会いは良好なものではなかったらしい。
最初に二人を目にした時、サキの首筋に残るキスマークを見てそれと思い込んだくらいだ。
彼らの出会いがそうではないと言い切れるほど、二人の事情を知っている訳ではない。
見てはいけないものを見てしまった気がしたサカキは、そっと写真を胸ポケットに忍ばせた。
「何かありましたか?」
サカキの様子がおかしい事に気付いたシグが、検死の手を止めこちらにやってきた。
「お前、これ、読めるか?」
写真の存在には触れずに、サカキは手帳の適当なページを開いてシグに差し出した。
「……暗号? え? でもこっちは……あれ?」
「お前でも無理か?」
「なんか、いろんな言語がごちゃまぜで使われてますし、文字そのものもクセが強くて」
「一応、考古学者どのに見てもらうか?」
「そのほうが賢明ですね。あ、他に身元が判りそうなものってありました?」
「……こいつらの身元より、むしろ儀式の全容が判りそうなもんばっかだったぞ」
手にする気にもならないと言った表情でサカキがシグの足元へと蹴り出したのは、潤滑剤に濡れたままのバイブやローターの数々であった。
「うわぁ……」
「なんかやばそうな薬も揃ってるしな」
手帳と共に投げ捨てられていた小箱を開くと、数字の書かれたラベルの貼られた未開封のアンプルが数本、メモらしき紙片とともに収められていた。
「こっちはコウ様が詳しそうですよね。なんか媚薬とか催淫剤っぽいし」
「……そうかもな……っ! こいつ!?」
シグの言葉で何かが脳裏を掠めたのか、サカキは死体へと駆け寄りその顔をまじまじと眺めた。
「違うか? けど……似てる、よな」
「大佐?」
さきほどまで嫌そうに視界の端で眺めるだけであった死体の横に屈みこみ、食い入るようにその顔を覗き込んでいるサカキに、シグが疑問の声を漏らす。
「思い出せ……ヤツの顔を……髪の色、瞳、眉……」
サカキはこめかみに青筋を浮かべ、震える拳を宥めるように腹に抱いた。
「くっそう……」
「まさか、お知り合い……ですか?」
「んなわけねぇだろっ!!」
「ッ!?」
苛立ちのまま発した声は、予想以上に激しい響きを持っていた。
荒々しい声で頭ごなしに怒鳴られ、雷に打たれたように立ち竦んでしまったシグを見て、サカキはようやく我に返った。
「すまん。お前に怒鳴る筋合いじゃねぇよな」
大きく息を吐き出しながら立ち上がり、青褪めた顔で立ち尽くすシグをそっと抱き寄せる。
おとなしく腕の中に収まりはしたものの、シグの身体は強張ったままで、言葉を発する様子も無い。
胸元に抱え込むように強く抱きしめ、耳元でもう一度、すまなかったと小さく呟くと、ようやくシグの身体から力が抜けた。
「悪かった……。ヤツが生きてるわきゃねぇのに、写真だの薬だの出てきやがるから……」
連想ゲームのようなものだった。
陵辱写真と催淫剤。
かつてのシグの末路を思わせるアイテムの登場に、記憶の奥の人物のイメージが重なった。
砂漠の基地の研究所。
当時の責任者は民間の企業と癒着し、SEX技能に特化した『レプリカ』の研究を進めていた。
その男のイメージと、目の前の死体のイメージがダブるのだ。
だがそのイメージは、漠然と眺めているとどんどん近付いてくるくせに、目を凝らし、記憶の中の人物と照らし合わせようとすると、途端に何もかもがあやふやになってしまう。
「ああっ、くそっ!」
「大佐……」
「判ってる!」
サカキは何度も深呼吸を繰り返し、その度に縋るようにシグを抱きしめた。
「すまん。だがどうにも引っかかるってぇか……」
「ッ! 誰か来ます!」
腕の中から、シグの張りつめた声が上がる。
「軍の連中か。人数は?」
「5……6……あれ?」
「どうした?」
「なんか、方向転換したみたいです。あ、一人だけ近付いてきます」
「斥候か……」
「いえ、そういうのではなく……うわっ!」
――キィィィィン――
突然、鼓膜を突き破るような高音が鳴り響く。
大音量というわけではないが、細く、高く、耳に届いたその音は、キンキンと脳へと突き刺さる。
「ぐっ! こ、れは……あん時のッ……」
激しい耳鳴りに襲われた二人は、一瞬その場で身動きが取れなくなった。
「た、いさ……?」
「通信室で、聞こえた、アレだ……」
「それって、記憶を……ひっ!」
「シグ!」
サカキでさえ耳鳴りと共に頭痛を覚えるような音だ。
ヒトよりも聴覚の優れたシグにとっては、拷問に等しい苦痛を与えられているようなものであった。
「かはッ! ぐ……ぅ」
「ちッ!」
吐き気を催し意識すら朦朧とし始めたシグを抱き上げたサカキは、出てきた穴へ突進し、そのまま下へとダイブした。
「コイツを頼む!」
焔と共に居るはずのグリンに向かってひと声叫ぶと、シグを床に下ろし、再びガレキに足をかける。
「シグ! 動けるようになったらコイツを持って、博士たちのところへ行け」
薬物の入った小箱と手帳を、シグと一緒に抱えてきたリュックに詰めて放り投げた。
「大佐……単独行動は……無茶、しないでッ」
「相手が軍人なら、こんなお飾りみてぇな階級章でも役に立つ」
シグを安心させようと、襟元に縫い付けられた階級章を指先でなぞる。
「でも音が! また、記憶を操作されたら……」
記憶を戻す事が出来たのなら、再び取り上げてしまう事も出来るはずなのだ。
もしも、ここへ来るまでの経緯の全てを忘れてしまったら。
シグの瞳が不安に揺れる。
耳の奥に鳴り響く不快な音が、警鐘のように聞こえてならない。
心配なのはサカキの身の安全などではない。そんな過小評価はしていない。
そこいらの一兵卒が束になったとて、太刀打ちできるような男ではないのだから。
「全部、忘れてしまったら……どうするんですかッ!」
僕を、とは言えなかった。
「やばそうだったら、すぐに戻る。お前はコッチのエリアで待機だ、いいな?」
「ダイゴッ!!」
シグの声を振り切り、サカキはガレキを足場に穴の縁に手を掛けると、腕力だけで身体を上へと押し上げ、上の階層へと戻っていった。
「待ってッ! 僕も……うわっ!」
穴へ近付くと、上から漏れる高音がシグを阻む。
「お前の耳じゃ、この中に戻るのは無理だ」
シグの行動を見越していたのだろう。サカキはまだ、近くに留まっていたようであった。
神経を切り裂くような苦痛の中で、サカキの野太い声が、高音を押しのけシグの耳に届いた。
「お前まで一緒に忘れちまったら、誰が、俺は俺だと言ってくれるってんだ?」
「え……」
「お前が俺を覚えておけ。最悪、俺が俺を忘れちまっても、お前が俺をフォローしろ。いいな?」
「ダイゴ……」
「俺が戻った時も、そうやって俺を呼んでくれ。階級なんざ、意味がなくなってるかもしれんから」
頼んだぞと言い置いて、今度こそ、サカキの気配は遠のいていった。
つづく
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