お終いの街3


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 焚き染めた香が薄れるにつれ、獣の肉を燻したような臭いが辺りに漂う。
 澱んだ空気の中、焔は石と化した旅の同行者たちを無造作に踏みつけ、砕いていた。

 純度の高いものは持ち運びに邪魔にならない程度の塊で残し、そうでもないものは加工しやすい形かどうかで選り分けてゆく。

 純度の高い封印石の塊は研究者たちに高値で売れたし、封印石の欠片をあしらったアクセサリーは、その鮮やかな色合いのせいか、街の若者たちに人気だった。

 その正体が、欲にまみれた同族の成れの果てだと知ったら、彼らはどんな顔をするのだろうか。
 足先で適当に分類し終えた石を眺める焔の顔に、暗い笑みが浮かんで消えた。
 リュックから取り出した小袋を手にしゃがみこんでいると、背後のマットが揺れた。
 振り返ると、マントに覆われた人型の盛り上がりが、もぞもぞと動いていた。

「お、目ぇ覚めたか?」

 焔の声にゆっくりと起き上がった少年は、自分の居場所が認識できていないのか、きょろきょろと辺りを見回した。感情の篭らない虚ろな瞳が周囲を巡り、焔の顔を視界に納めたところで止まる。

「片付け済んだら出発すっから、これでも食っとけ」

 かち合わない視線を気にも留めず、少年の膝にペットボトルとパンを放り投げると、焔は再び背を向け小袋に石を詰め込み始めた。

「こいつを全部売りさばきゃ、当分食うにゃ困らねぇな」

 慣れた手つきで石を詰め込み、袋の口をきゅっと縛る。
 高値のつきそうな部分だけを選り分けたといっても、4人分。
 積み上げた袋はそれなりの量になっていた。

「石になっちまった奴らの荷物は捨てるとしても、ちーっと多い……かぁ?」

 リュックの中身をぶちまけ、石を詰めた袋を放り込む。

「お前が持てりゃぁ、どうにか全部持ち出せっけど……」

 マットの縁に肘をついて振り返る。
 視線の先の少年は、先ほどと同じ姿勢のままだった。
 膝の上のペットボトルとパンをぼんやりと見つめるだけで、手をつけようともしていない。

「ま、無理だわな」

 荷造りを中断した焔は少年の隣に上がりこむと、膝の上のペットボトルを手に取りキャップを開けて見せた。だが、飲みやすいように口元に近付け傾けてやっても、少年は何の反応も示さない。

「また、忘れちまったか」

 諦めの混じった溜息をついた焔は、手本でも見せるようにペットボトルを呷り、音を立てて飲み込んだ。ごくりと鳴った喉元に少年の視線が動く。勢い余って唇の端からこぼれた水に、少年の白い指先が伸びてきた。焔は屈みこむように、指が触れる距離まで顔を近づけてやった。

 するとその指先は水には触れずに焔の首筋に絡みつき、代わりにちろりとのぞいた舌先が、顎を伝う滴を舐め取った。少年の唇が僅かに開き、ねだるように差し出されると、焔は再び水を口にした。自分では飲み込まずに少年の口へと運ぶと、貪るように吸い付いてくる。

 舌を挿し入れ、こぼさぬように送り込む。
 ペットボトルが空になるまで、焔はそれを繰り返した。

「んっ、ふっ……ん、ふぁ?」
「はい、おしまい。ってオイ!」

 飲み込む水が無くなっても、少年は離れようとはしなかった。
 身体を起こした焔を追いかけ、唇を押し付けようとする。

「コラコラコラ。俺じゃなくてパンを食え、パンを」

 ちぎったパンを口に咥え少年の前に突き出すと、途端にふいと顔を背けた。

「あーもう、毎回毎回面倒なやっちゃなぁ」

 口の中にパンを放り込んだ焔は、二三度噛んで柔らかくした物を舌先に乗せて差し出した。

「ほれ」
「!」

 水の時と同様に、少年は今度も口移しでパンを受け取った。
 舌で押しつぶすようにしながら、こくんと飲み込む。
 喉元を通り過ぎた食物の感触が、食欲を思い出させたのだろうか。
 少年は次のパンをねだるように、あーんと大きく口を開いた。

「俺は親鳥じゃねぇっての」

 ぶつぶつ文句を言いながらも、焔は一口大にちぎったパンを、少年の口に放り込む。
 直接口に入れられたパンの食感が、少年の表情に驚きの感情をのせた。

 口の中のパンをどうしたらいいかわからず戸惑う様子に、焔は自分の口にもちぎったパンを放り込み、むしゃむしゃと数回噛んで飲み込んで見せた。

「あ、結構うまい」

 残りのパンを半分にちぎり一方を少年の手に握らせると、自分の手の中の半分にかぶりつく。
 焔の様子を見ていた少年が、真似するようにもぐもぐと口を動かしはじめた。
 口の中が空になると、手にしたパンの端っこに、おそるおそる歯を立てる。
 今飲み込んだものと同じ物だと分かったらしく、今度はぱくりと食いついた。

「そうそう。ゆっくりでいいかんな」

 良く噛めよと言いながら、新しいペットボトルを取り出しキャップを開ける。
 ちびちびと喉を潤していると、少年の視線がひたとペットボトルに注がれた。

「ほらよ。食い方思い出したんなら、飲むのも自分でできんだろ?」

 ついと差し出したボトルを、少年の手がひったくるように奪っていった。
 ごくごくと喉を鳴らして水を飲み、口の中が空になるとパンにかぶりつく。
 少年にとって、オアシスで禊の前に口にして以来のまともな食事であった。

 ヒトに限らず『礎』としての力を使い交わった後は、いつもこうであった。
 喉の渇きも空腹も、食事の仕方さえも忘れ、赤子のようになってしまう。

 その度に焔はこうして口移しで水をやり、噛み砕いた食べ物を与え、嚥下と咀嚼の仕方を思い出させては、食べ方の見本を見せることで、自力で食事ができるように促してやっていた。

「お前の手も口も、野郎のナニを弄くるためだけにあるんじゃねぇんだぞ?」

 黙々と食事を続ける少年の髪を、焔の手がくしゃりと掻き混ぜる。
 ちらりと視線を向けはしたものの、少年は大した関心も見せずに最後の一口を頬張った。

「ま、食うようになっただけマシか」

 焔が初めて少年に出会ったとき、彼は邪な精だけを糧として生きていた。
 街道から外れた僻地の村で、少年は村を狙った強盗や悪徳商人への貢物として飼われていたのである。


 そこは奇妙な村だった。
 田畑に実りの痕跡は無く、家畜の気配も無い。にもかかわらず、村人の暮らしぶりは裕福であった。
 納屋には四輪駆動の車が置かれ、煌々と室内を照らす電灯の下の食卓に並ぶのは新鮮な肉や野菜。

 建物の外観は古く、村人の衣服は皆一様に質素であったが、それらが豊かさを隠すためのカモフラージュであることは、目端の利く悪党ならば、彼らの色艶の良い肌を見ればすぐに気付くだろう。

 事実、焔自身もそれを踏まえてその村を訪れたのだった。
 純血種の証である尖った耳を隠し、魔物退治を生業とする流しのハンターだと告げた。
 村人は焔を歓待し、高価な酒や珍しい料理を振る舞い、魔物退治を願い出た。
 翌朝案内するからと、その夜の宿として提供された小屋の中に、彼がいた。


「素っ裸で鎖につながれて、やらしいオーラ出しまくりだったんだよなぁ?」

 焔の問いかけが聞こえているのかいないのか、少年の虚ろな瞳は遠くを見つめたままであった。
 その表情は、食欲が満たされて呆けているようにも見えなくもない。
 焔の指が、少年の頬に残るパンくずを拭う。と、鼻先を掠めた指先に少年の唇が吸い付いた。
 乳飲み子のようなその仕草に、焔の顔に苦笑が浮かぶ。

「前の奴の死体が無けりゃ、俺もお前に食われてたトコだ」

 焔がヒトであったなら、気の利く村だと、迷うことなく据え膳を食っていただろう。だが床に転がる不自然な形状の緑の石と、石と同じ色をした瞳の中で微かに煌く金色を見つけた焔は、少年の正体と、村人たちの思惑を悟ったのであった。

「ラセンを知らねぇ魔族がいるかっての」

 焔の指を舌先で弄ぶ少年の傍らで、焔は独り喋り続けた。

「ラセンの『礎』が空の器だってのは聞いちゃいたけど、まさか頭ン中まで空っぽだったとはなぁ」

 意思を持たない人形ならば、扱い易いと思って連れ出した。
 脅す必要も無ければ、作り笑いで手懐ける必要も無い。
 一人旅にも飽きてきていた焔にとって、手の掛からない連れというのは魅力だった。

 だがよもや言葉すら理解できないとは、思ってもみなかった。

 食物を必要としないわけではなく、食事という行為を知らないのだと気付いた時には青褪めた。
 空腹も喉の渇きも、不快な現象として感じてはいても、それが何を意味するのかを判っていないのだ。
 赤子を一から育てるように、焔はひとつひとつ教え込んだ。
 手が掛からないどころか、この日から、焔は育児の真似事に勤しむ羽目になったのである。

 だが精を取り込むことに慣れている少年は、焔が目を離すとすぐに邪な欲情を抱く相手を見つけ、誘い込んではそれを鎮め、己の糧としてしまう。そして精を糧とする度に、空腹も喉の渇きも判らない、最初の状態に戻ってしまうのであった。

 始めのうちは途方に暮れもしたが、元が空ならそれも道理と開き直ってからは気にならなくなった。
 同じ事の繰り返しを、面倒臭いと思いはしても、不思議と嫌とは思わなかった。

 指の腹で上あごの内側を、くすぐるように撫でてやる。
 鼻に掛かった甘い吐息が、指に吸い付く唇の隙間から漏れた。

「しかもラセンつったら、スレンダーな美人揃いだって聞いてたのに、こんなちんくしゃ……痛ッ」

 突然鋭い痛みが走る。見れば少年の歯が、焔の指先に食い込んでいた。
 あまりのタイミングの良さに、焔の頬がひくりと攣った。

「おま……意味通じてんじゃね?」

 焔の焦りをよそに、少年はなおもかじかじと指先を噛んでいた。
 どうやら舐めるだけでは物足りなくなっていたらしい。
 噛むという行為で得られる感触が気に入ったのか、一向にやめる気配がない。

「痛てぇって……噛むならこっちにしろ、な?」

 好き勝手に齧りつく少年を振り払う事はせず、焔は胸ポケットから干し肉を差し出すと、少年の鼻先でぴらぴらと振って見せた。

 目の前で動く赤黒い物体に興味が湧いたのか、少年の口が焔の指から外れ干し肉へと向かう。
 その動物じみた動きに、焔の焦りは落胆へと変わる。

「ただの偶然かよ。ちびっと期待しちまっただろーが」

 声を掛ければ顔を上げるし、指さし示せばそちらへ視線を向けもする。
 SEXの最中の嬌声を聞けば、声が出せないわけでもないだろう。
 目が見え、耳も聞こえ、声だって出せる。
 だが声は言葉にならず、呼びかけに頷く事はなく、目が合っても笑顔が返ってくるわけでもない。

 このままの日々の繰り返しであっても、焔は少年を手離すつもりは無かったが、それでもやはり、多少は報われたいと思ってもいた。

 そんな時だったのだ。『ラセンの民』と名乗る一団に、聖地への同行を持ちかけられたのは。
 自身の知る知識とは異なる伝承に首を傾げながらも同行を決めたのは、聖地の存在だった。

 ラセンの始祖が眠るとも、ラセンの力を守る聖なる王が眠るともいわれる神殿があるというのは、焔の一族の間でも良く知られた話だったのである。

「名無しでなくなれば、笑い方くらいは覚えられんのかね」

 名を得た『礎』の器は満たされる。
 ラセンにまつわる話は真贋入り乱れ数多く存在していたが、その中にそんな一説があった。
 本気で信じているわけではなかったが、嘘と断じる根拠も無い。
 何より呼びかける名前があれば、少年の存在が間違いでは無いと言ってやることが出来る。
 焔は少年の名を得るために、聖地を目指すと決めたのであった。

 魔族にとって名とは存在を証明する神聖なものであった。
 例え親であっても、生まれた子に名をつけることは許されていない。
 一族の長たる者が誕生を祝い、存在を認めて初めて名を得ることができるのである。

 ラセンの『礎』が名無しなのは、個として存在することを許されないからだと聞いていた。
 邪なモノを身の内に取り込み鎮めるためには、空でなければならないからと。

「お前はもう、充分頑張ったって言ってやっから。ご褒美に名前下さいって頼んでやんよ」

 あの村で少年を繋いでいた鎖は真新しいものであったが、小屋の隅にはいくつもの、錆び付いた鎖が転がっていたのだ。朽ちた鎖と同じ時を、少年はあの村に繋がれ過ごしていたのだろう。

「ま、ホントにラセンの親玉かどうかは、行ってみなけりゃわかんねぇけどな」

 半信半疑でここまで辿り着いた焔であったが、儀式の最中に、一瞬何かの気配を感じ取っていた。
 儀式を終えた少年が眠りにつく少し前にも、同じ気配が通り過ぎていった。
 正体は掴めなくとも、何かが居ると判っただけで充分だった。

 焔は干し肉と格闘している少年の傍らに、衣服を広げ、靴を取り出した。
 慣れた手つきで少年を抱え込むと、動きの隙をついて手早く服を着せ付けてゆく。
 ゆったりとした身幅の白い上下は、砂漠近くに住む者たちの標準的な衣服であった。
 靴下を履かせ、足首を覆うブーツの紐を結び終えたところで、焔は微かに響く足音を聞いた。
 一般人のそれとは違い、訓練を受け統率された足の運びであった。

「ラセンが絡むと軍が動くってのはマジだったんか」

 焔は水と食料の入ったリュックだけを背負い、少年を脇に抱えて部屋の隅へと移動した。
 廊下に面した出入り口は一つきり。出て行けば鉢合わせになるのは確実であった。

「やっぱ怒られっかなぁ。けどまぁ、緊急事態っつーことで」

 ココンと床を叩いた焔は、手のひらをついて大きく息を吸った。
 焔の周囲を取り囲むように、真紅の炎が円を描き床を走る。

「下に割れ物のお宝なんかありませんよう、にっ!」

 ジジッという音と共に床は見事にくり抜かれ、焔と少年を乗せたまま下のフロアへと落下した。



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