石造りの暗い廊下を、先導者の手にした蝋燭の灯りだけを頼りに白い衣の列が粛々と進む。
フードが付いたマントのような衣をまとった人影は7つ。目深に被ったフードのせいで人相や風体は定かではないが、先導者の手には蜀台のみでこれといった手荷物は無い。後に続く4つの人影も身一つといった様子で、最後尾の者だけが大きなリュックを背負い、先を行く者達よりも一回り小さな人影を傍らに従えながら歩を進めていた。
小さな人影の歩みが遅れがちになり、前を行く者との間隔が開き始めた。
リュックの人影が待ったの声を掛けようとしたところで、先導者の歩みが止まった。
「着いたぞ。ここが『盟約の間』だ」
◆◆◆◆◆
「あ。階上(うえ)の足音が止まりました」
シグの声に、一同の視線が天井へと向いた。
「今、この真上に居るの?」
サキの声には僅かな怯えが含まれていた。隣に立つコウの腕に無意識に縋る。
シャツの袖を握り締めてくるサキの手を、コウはそっと掌で包み込んでやった。
「いえ、まだ先頭の人物が部屋の入り口付近にたどりついたばかりのようです」
「構成は?」
コウの問いかけにシグがすっと目を閉じた。
髪で隠していた耳を露わにし、神経を集中させる。
中途半端に尖った耳がぴくりと動き、ヒトには聞こえぬ音の波を拾う。
白装束の一団の居るフロアの一階層下。
無機質な床と壁に囲まれたエリアにコウたちは居た。
コウがサキを連れ込んだオアシスの監視塔と同じく壁面からは淡い光が放たれており、近代的な機器の残骸が、大した破損も見られぬ状態でそこかしこに鎮座しているさまは、何かの実験室か研究所といった施設を連想させた。
石造りの天井から垂れ下がる植物の蔦のようなものと足元にうっすら積もる砂が無ければ、ここがあの遺跡の内部だという事を忘れそうになる程、このエリアの様相は遺跡の外観からかけ離れていた。
しばしの沈黙の後、シグが聞き分けた音から判別した結果を述べる。
「成人男性6、その他1……成人男性のうち軍事訓練経験者1、一般人4、あとの1名は不明」
「その他? ラセンのガキじゃないのか?」
コウの指摘にシグの顔が僅かに曇る。
「そうだとは思うんですけど……靴、履いてないみたいなんですよ。それに……」
眉をハの字に寄せて困惑の表情を浮かべたシグの口調は、ますます不明瞭になってゆく。
「なんというか、妙にくぐもった機械音も聞こえてて、歩き方もなんだか不安定で……えっと」
状況を説明するための言葉に迷いがあるのか、シグの視線が助けを求めるように宙を彷徨う。
泳いだ視線の先にはグリンの姿があった。
「え?」
シグから縋るような視線を向けられたグリンは、驚きつつも思い当たる節があったのか、天井を振り仰ぎ何かを探す素振りを見せた。意図を察したセキエイが、グリンの身体をひょいと持ち上げ肩に乗せる。
「なるべく太いのがいいんだろう?」
「はいっ! ありがとうございます! えっと……あっ! あれがいいです!」
フロアの中央よりの天井に、他よりも一回り太い蔦が張り出していた。
蔦の伸びている方向から察するに、その枝葉は上のフロアまで届いていると思われた。
「了解。歩くよ、しっかりつかまって」
グリンを肩車したセキエイが慎重に歩を進め、指定された蔦の真下へと移動する。
「届くかい?」
「大丈夫です。枝、繋ぎますね」
グリンの掌から芽が生え、しなやかな蔓草へと生長しながら天井の干乾びた蔦へと絡みついた。
自分の蔓を繋いだ植物を盗聴器代わりに使用するのは、グリンにとってさほど難しい事ではないのだとセキエイが言った。
誰よりも早くサカキとシグの「本来の任務」を察知したカラクリがこれであった。
そこここに置かれた観葉植物に蔓を伸ばし、訪問者の動向を探っていたというわけである。
「音声キャッチしました。博士、端末を僕に」
額の宝石を外しむき出しになった外部接続用の端子に、セキエイの後頭部から引き出したプラグを接続する。こうすることで蔦の葉が拾う音声をセキエイに直接伝えることができるのだという。
植物から受け取る情報というのは特殊な波長の暗号通信の様なもので、グリン自身はその波長を直接言語として理解できるが、今回はさらにその波長をヒトの可聴領域へと変換し、セキエイにも聞いてもらう事にしたらしい。
「あの坊主、あんな事ができたのか……」
「あいつは、ヒトと植物のゲノムを組み合わせてつくられた軍事用だからな」
感嘆の溜息とともに呟くサカキの隣で、コウが淡々と言葉を添えた。
「あんなナリでも親株としての機能もあるらしい」
親株という言葉にサカキの太い眉がしかめられる。
「もしかして……Gプロジェクト……ってやつか?」
いつになく察しのいいサカキの答えに、コウは意外そうに片眉を上げた。
「コウ・ヒジリ、あんたがあの基地に来る前の話だ」
コウの反応が面白くないのか、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いたサカキであったが、それでも自分の知る限りの情報をコウに語って聞かせた。
「ヒト型の苗?」
「ああ。首から上が菜っ葉で全身が緑色だった」
「それが自分で歩いて畑に植わったってのか」
「ま、そうなるな」
魔族への対応が討伐から捕縛に変わり、暇を持て余した討伐部隊の何人かが、輸送隊の護衛兼手伝いに借り出された事があったらしい。
「積み込む時はプランターに植わってたんで、ただの野菜の苗だと思って普通に運んだんだが、下ろす時にけっつまずいて、そいつをひっくり返した馬鹿がいたんだよ。で……」
「土から飛び出たのは根っこじゃなくて手足だった、と」
「映画や漫画の中なら笑えるのかもしれんが、現実に見ちまうとアレはちょっと笑えねぇ」
魔物と呼ばれる異形の獣や数多の魔族を屠ってきたツワモノ共が腰を抜かして驚いたというのだから、首から下の形状はまさしく人体そのものだったのであろう。ヒト型の根というよりも、首から菜っ葉を生やした緑色の小人と表現した方がより正確なのかもしれない。
それらが列を成して歩くさまを思い浮かべたコウは、げんなりとしながら相槌を打った。
「さもありなん……だな」
「あれを育てて食おうって連中の気が知れねぇ」
鼻息を荒げて憤慨してみせるサカキに、今度はコウが己の持つ情報を提供した。
「菜っ葉は副産物だろう。本来の目的は砂漠地帯の緑化だったはずだからな」
「砂漠の真ん中に森や林でも造る気だったってか?」
「いや、最終的には自己増殖するオアシス都市の建造を目論んでたらしい」
「おいおいおい……」
Gプロジェクト――
かつて魔族の存在が公に認知される以前、ヒトとヒトとが短い寿命でありながら――否、寿命に限りがあるからこそ生存本能のままに――愚かな縄張り争いをしていた時代があった。
信ずる神が違うから。肌の色が違うから。
同じヒトでありながら、そんな些細な理由で互いの存在を滅するべく持ち出した兵器は、ヒト以外の生態系をも侵食し蹂躙した。結果ヒトの数は激減し、代わりにヒトの住めない砂漠が大地に拡がる事となった。
砂漠化した大地でも根を張ることの出来る植物の研究――
プロジェクトの発端は、至極真っ当で健全な意思に根ざしていたが、品種改良のための遺伝子組み換え技術の発達と徐々に明らかになる魔族の生態が、その方向を狂わせる事になる。
魔族のゲノムを触媒とすることで、ヒトの胚に植物のゲノムを組み込むことが可能になるかもしれないと言い出したのが誰だったのか、今となっては判らない。が、“Gシリーズ”と呼ばれる自律歩行可能な植物の誕生によって研究は一応の成果を上げた。
「Gシリーズは10番台から50番台までで、それぞれ異なる植物のゲノムを組み込んで作られたそうだ。最初は一年草の中で繁殖力の旺盛な種を、次は多年草ってな具合にな。50番台は雌雄同株の樹齢の長い樹木のゲノムを組み込んだ個体で、そいつを何体か親株として作って後は“現地”で一気に大量生産するつもりだったらしい」
「それがあの坊主なのか? あんなちっこくて?」
「あれ以上成長させると緑化が始まっちまうんだと」
「緑化?」
「植物としての機能のほうが強くなってヒトの姿を保てなくなるそうだ」
「……コウ・ヒジリ。あんた、やけに詳し過ぎないか?」
伝聞という形で話してはいるが、実際は直接関わっていたのではないかと思えるほどの詳細な解説ぶりに、サカキは思わず疑惑の視線を向けた。
「そりゃ、本人から聞いた話だからな」
疑惑の視線をするりと受け流したコウがあっさりと種を明かす。
「正確には、あいつの頭ん中にしまい込まれてたデータにそう書いてあった」
「……あの坊主、もしかして結構ヤバイ機密なんじゃ……」
「昔はな。今はプロジェクトも立ち消えになったし、そうでもないだろう。それに……」
言葉を切ったコウは、くいっと顎をしゃくりセキエイを示す。
「どっちかっつうと、飼い主の方が機密としちゃあ重要度が高いと思うぞ?」
グリンが以前は民間人に飼われていた事も、セキエイがグリンを見初めたのはほんのニ、三年前で、その出会いが実のところまったくの偶然であった事も、コウはあえて口にしなかった。
正式な出荷記録が残っていながらその後のGシリーズの消息はぷっつりと途絶えていた。
ナギが裏ルートの「玩具カタログ」にその存在を発見するまでには出荷から数年が経過していた。
その空白の期間に軍が動いている形跡は無かったし、依頼を受けたコウが回収に動いても不当な圧力や妨害があったわけでもない。そしてその状況は、現在も変わらないのである。ならば今ここで、現役の軍人であるサカキにそれを伝える必要も無いだろう。
そう考えたコウは話の矛先を逸らし、口を噤んだのであった。
コウの思惑を知ってか知らずか、サカキはセキエイの過去の肩書きを呟き頷くと、さらにはコウやサキへと視線をめぐらせ溜息をついた。
「考えてみりゃ、あんたら全員、持ち出し不可の標本にでもなりそうな奴らばっかりだしな……」
「だから大佐の肩書きのお前が同行してるんじゃないのか?」
「ハッ! そりゃどうだかな……」
「なんだ?」
眇めた目でサカキがふっと天井を仰ぐ。
コウとの関わりを思い出した今となっては、サクヤの言動に作為的なものを感じずにはいられない。
「どっちかってぇと、俺をあんたらと行かせるために肩書きが用意されたように思えるんだがな」
すい、と下ろした視線が捉えているのは、グリンとやり取りをしているシグの姿であった。
「俺は大佐に昇進して二ヶ月足らずで、サクヤから今回の任務の関係書類とあいつを渡されたんだ。
あいつの受領書へのサインが、この任務の受諾書へのサインでもあったのさ」
サカキは何かを強調するように、シグを「あいつ」と言った。その言葉の裏に静かな怒りを感じたコウは、サカキが「あの頃」の記憶を取り戻していることに気付き、思わず呟いた。
「……すまん」
呟いたきり視線を合わせようとしないコウに謝罪の言葉の意味を悟ったサカキは、労わるような視線を向けて口元だけで薄く笑った。
「いいさ。もう……昔の事だ」
ぽんとコウの肩を叩いたサカキは、それが話の終わりの合図だったかのようにその場を離れ、シグの許へと向かって行った。背筋を伸ばし大股で真っ直ぐにシグへと向かう歩みに躊躇いは無い。その後姿はいつもより大きく、頼もしく、コウの目には映っていた。
胸の奥に刺さったままになっていた小さな棘が抜けたような感覚が、コウの心に安堵と一抹の寂しさを呼び込んだ。ズボンのポケットに両手を突っ込み、心もとない気分を手持ち無沙汰な感情へとすり替えていると、その腕にするりと絡まる温もりがあった。
「サキ……」
「良かったね」
コウを見上げふわりと浮かべられた笑顔の位置は、一緒に暮らし始めた頃から比べて随分と近くなっていた。軽く首を傾げるだけで届くようになったその唇に、コウは触れるだけのキスをした。
「!?」
「ごち」
「……ばーか」
以前なら首から上を真っ赤に染めて慌てふためいていた不意打ちのキスを、サキは子供の悪戯を咎めるような目つきで軽く睨んだだけで受け止めた。
絡めた腕をポケットの中へとすべらせ、掌をあわせるようにそっと重ねれば、縋るようにコウの指が絡み付いてくる。微かに震えるその指先を宥めるように、サキはその手をしっかりと握り返し、再びふわりと柔かな笑みをコウに向けた。
「そろそろいいかい?」
二度目のキスは、セキエイの苦笑混じりの呼びかけによって阻止された。
「肩の荷をひとつ降ろしたばかりのところで悪いけど、始まったようだよ」
天井を指差し告げるセキエイのうんざりしたような表情に、コウの表情も曇ったものへと変わる。
上の様子を探っていたグリンとシグは、身の置き所が無いような、なんとも微妙な表情を浮かべながら、それぞれの主人の腕の中に居た。上気した頬と潤んだ瞳でうらめしそうな視線をコウに送ってくる彼らの様子を見れば、何が始まったのかは一目瞭然であった。
「やっぱり“そっち系”だったか……で、どうするんです?」
連中がこのまま儀式とやらを済ませて、とっととここから立ち去ってくれるのであれば、干渉の必要は無い。わざわざこちらから乗り込んでサキの存在を知られる方が、厄介な事になるだろう。
「とりあえず、少し時間をくれるかな?」
横抱きにグリンを抱き上げたセキエイが、フロアの奥の部屋へと続く扉へ向かう。
「一回抜けばこの子もシグも落ち着くと思うから……」
SEX絡みの儀式の音声を直接耳にしてしまったのだから無理もない。
ヒトよりも敏感な『レプリカ』の二人が一気に昂ぶってしまったことを責めるのは、酷というものだ。
「なら俺たちは通路の確認に行ってきます。十五分もあればいいですかね?」
「そうしてくれると助かるよ。上はともかく軍の連中も動いていると思うから気をつけて」
「了解」
片手を上げて廊下に出たコウは、グリンとシグの様子に動揺し青ざめているサキの肩を抱き寄せた。
「大丈夫だ。上に居るのはお前じゃない」
「でもラセンだろ……」
「判るのか?」
サキは激しく首を左右に振ってコウの胸に縋りついた。
「そういうんじゃない……けど、呼ばれてるみたいで気持ち悪い……」
その感覚は「礎」であった頃のものに似ているとサキは言った。
「一体何をやらかしてるってんだ……」
縋りつき震えるサキを抱きしめながら、コウは天井を睨みつけた。
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