「ふう……」
下準備を整えシャワールームから出たシグは、机の上の書類に目をやり溜息をついた。
コウたちを見送ったあと、部屋に戻る間もなくサカキは本部からの連絡が入り呼び出され、シグには1通の封筒が渡された。A4サイズの茶封筒には宛名も表書きも無く、中には古い報告書のコピーと数枚の写真が封入されていた。
見覚えの無い場所で、見覚えの無い人々を相手にしているのは、自分と同じ顔の『レプリカ』だった。報告書に記された『レプリカ』の諸元表には試作品の文字。その脇に小さく「シグ」と書き込まれていた。
「僕と同じ……じゃなくて、僕がそっくりさんなのか」
記載者の名前の欄は塗りつぶされていたが、手書きの文字には見覚えがあった。
「この筆跡ってコウ様のだよね」
書類を封筒に戻し、悪趣味なデバガメ写真も戻そうとしたところで、普通の写真も紛れている事に気付く。酒場らしき場所で、大柄な男が部下に囲まれ豪快に笑っていた。
「これ……うわっ! 若っ!」
そこには軍曹の階級章をつけたサカキの姿があった。
背景には、先日訪れた宿屋の女将の若かりし頃だろうと思われる女性が、小さく写りこんでいる。
「女将さん、昔はスリムだったんだ……」
その写真は、懐かしそうに声を掛けてきた女将の記憶が正しい事を証明していた。
同時に、セキエイの自宅で鉢合わせをした時、コウが動揺した理由も理解した。
報告書の内容では、試作品の処分を行ったのは記載者本人という事になっていた。
記載者以外の者が走り書きなど残すはずも無く、その筆跡はコウのもの。
となれば、写真の撮影者も、おそらくはコウ自身であろう。
「処分した『レプリカ』のそっくりさんと鉢合わせしたら、そりゃ気まずいよなぁ」
ヒトではないとはいえ、いい気分ではないだろう。
「だからサキさん、あの時ずっと張り付いてたのか……」
サキも「シグ」の事を知っていた。
コウにいたっては存在だけでなくその末路も、サカキとの関わりも。
そしてサカキは――
「フルオーダーの『レプリカ』なんだから、気に入られて当然だとは思ってたけど」
サカキの個人的な好みの寄せ集めでは無く、歴然とした「モデル」が存在していた事は、シグにとって少なからずショックだった。しかもサカキ自身の記憶の中に当の「モデル」の存在は無い。
にもかかわらずこの姿をオーダーしたということは、それだけ強く鮮明に、意識の奥底に焼きついていたということになる。
自分はただの身代わりに過ぎないのではないか。
不安と失望と、それでも抑えきれないサカキへの想いが渦を巻く。
始めから身代わりだと言われていたなら、諦めもついたかもしれない。
けれど一度芽生えてしまった感情は、募るばかりで留まる事を知らない。
「痛いなぁ……『レプリカ』の僕に、こんな感情持たせないで欲しい」
ごく普通の『レプリカ』ならば、こんな思考に陥る事は無い。
作られた目的が何であれ、役に立てればそれだけで幸せだと感じた事だろう。
シグは自分が『レプリカ』であるという自覚だけはあるものの、その感情にはなんら制限は受けないままで、サカキに引き渡されたのだ。
「ご主人様に恋しちゃってる段階でNGだってのに……」
写真の中のサカキの笑顔をそっと撫でる。
その笑顔の近くに「シグ」の姿が無いのを確かめほっとする。
それが嫉妬なのだと自覚してしまう、そんな自分が煩わしい。
シグは胸の中に渦巻く感情を振り払うように、顔を上げた。
「よし! この写真、貰っちゃお」
自分の手荷物の中にサカキの写真をしのばせ、残りを封筒にしまう。
(これ1枚くらいなら、いいよね……)
机の上に封筒を戻し、胸をよぎった罪悪感には目をつぶる事にした。
いつもの表情でサカキを迎える為に深呼吸をしていると、いささか乱暴に開いたドアの隙間から、倒れこむようにサカキが入ってきた。
「大佐!?」
慌てて駆け寄るシグの肩を借りて体勢を立て直したサカキは、そのまま転がるようにベッドに身体を投げ出した。
「う〜〜〜〜〜〜〜頭いてぇ……」
「だ、大丈夫ですか?」
仰向けで大の字にのびているサカキの顔をのぞきこむ。
顔色は悪く無いが、額に脂汗が浮いていた。
「水……くれ……」
備え付けの冷蔵庫を開けたシグは、ミネラルウォーターのボトルと一緒に、冷やしておいたお絞りを取り出した。
「はい、お水。あとこれ、おでこにのせといて下さい」
「ん」
足元に回ったシグがブーツと靴下を脱がし枕元に戻った時には、サカキの呼吸は落ち着いていた。
「どこかにぶつけたとか誰かに殴られたわけじゃないですよね?」
「音だ、音」
通信室で本部からの連絡を受けている間中、耳鳴りのような音が響いていたのだという。
「他の方は? 大丈夫だったんですか?」
「サクヤからの通信だったんで、人払いしてた」
サクヤの名を聞き、嫌な予感が走る。
「……なんて言ってきたんですか?」
「例のカルト集団の中に、行方不明中の軍関係者が混じってる可能性が出てきたんだとよ」
「それを調べろと? 身柄の確保も?」
「いや、すでに別働隊が動いてるそうだ」
「じゃ、昼間いたあの方たちが……」
「多分な。奴らも遺跡に入るだろうからってんで知らせてきただけらしい」
本当にそれだけなのだろうか。
当たり障りの無い会話をしながらサカキの記憶を操作したのではないか。
サカキの耳にした音というのが、シグには気がかりでならなかった。
額のお絞りをシグに渡したサカキは腹筋だけで起き上がり、軽く頭を振った。
「大丈夫ですか?」
不安を悟られないように、平静を装いサカキの様子を注意深く窺う。
もしも、報告書にあった出来事を思い出してしまったら――
「ああ。やっと治まった……よし! 待たせたな、やるぞ!」
「……やるぞって……」
上着とアンダーシャツを床に脱ぎ捨てたサカキの手は、すでにズボンのベルトを外し終えていた。
ズボンと下着をいっしょくたに脱いでこれもそのまま放り投げ、ベッドの真ん中であぐらをかいて手招きをする。
「準備はできてるんだろ? 来い来い」
「待ってください……ああもう、またこんなに脱ぎ散らかして……」
あんな書類を目にした後で、すぐにそんな気分になれるはずも無い。
シグは時間稼ぎをしながら、どうにかして気分を切り替えようとした。
「いいから来いって、ほら!」
床に散らばる制服を拾おうと伸ばした腕を掴まれ、ベッドへと引きずり込まれる。
「ちょっ……もうっ!」
「とっとと脱げって。時間がもったいねぇだろ?」
骨太の指が器用に動き、仰向けに寝かせたシグのパジャマのボタンを外してゆく。
ボタンを全て外して裸の胸を露わにすると、満足げに眺めながらズボンのウエストに手を掛けた。
シグが腰を上げるのにあわせて下着ごと脚から引き抜くと、有無を言わさず裏返し、上着を腕から抜き取った。
「いきなりは無理ですよ!
準備したといっても、入り口を軽く解しただけなんですからねっ!」
「わかってるって……外じゃねぇんだから、手抜きはしねぇよ」
「そんなこと言って、しっかり当たってるじゃないですか!」
「だぁから、挿れねぇって。脚、閉じろよ」
しとどにぬめったペニスの先端が、シグの股間に滑り込む。
腿の内側を擦り上げるペニスの感触はまさに肉棒と呼ぶにふさわしいものだった。
挿入時のピストン運動を思わせる腰の動きがやけにリアルに感じられ、興奮を誘う。
「待っ……あっ……ああっ」
生々しい肉の感触にシグの背筋にぞくぞくとした快感が走る。
思わず仰け反った背中を、サカキの舌が、腰から肩甲骨の間へと這い上がってきた。
「ひぃあぅっ……」
気持ちは未だ追いついていないが、性的な刺激にすぐさま反応を示す自分の身体を、シグは心底ありがたいと思っていた。考え込むのをやめて、快楽に溺れてしまおうと思ったとき、サカキがふいに耳元で囁いた。
「乗り気でないなら、無理強いはせんぞ?」
いきなり指された図星の問いに、言葉より先に身体がぎくりとすくみ上がる。
「な、んで……。そんなこと……」
「なんだ、図星か? ……まいったな」
一回出せばどうにかなるから辛抱しろと言われ、シグは慌てた。
拒むつもりはないのだ。
ただほんの少し、気持ちが追いつくのを待って欲しいだけで。
「違います! そういうことじゃなくてっ!」
「……やりたくないんじゃないのか?」
「そんなこと、あるわけないでしょう!」
感情のままに声を荒げ身体を離したシグに、サカキは面食らった。
言葉の内容は厳しくとも、その物言いはいつも穏やかなのがシグだった。
呆れたような溜息をついても、最後は必ず笑顔になった。
そのシグが、きつい目をしてサカキを睨み据えていた。
「僕の気持ちなんて判るつもりもないくせに、そんな言い方しないで下さい!」
「シグ?」
名前を呼ばれ、シグは辛そうに顔をゆがめた。
「……あなたが呼んでいるのは、どちらの『シグ』ですか?」
「はあ? ……なんでそこであいつが出てくんだ?」
「ッ! ……やっぱり……思い出してたんですね……」
「思い出した? そりゃどういう……あ? ちょっと待て……」
どうやら消されていた記憶の一部が戻されているらしい。
だが、何を戻されて、何が消されたままなのかが判らない。
「何がどうなってやがる……くそっ!」
記憶を取り戻した実感など何も無い。
そもそも、どの記憶を消されていたのかも知らないのだ。
それをこっそり元に戻されていたとしても、判別のしようもなかった。
サカキは額に手を当て、途方に暮れたような顔をした。
日記をつける習慣などないサカキにとって、己の記憶が唯一の行動記録だ。
その記録の改ざん部分の検証など、できる手立てなど無い。
その時シグがするりとベッドを離れた。
つかつかと机に歩み寄り、例の封筒を手に取った。
「大佐、これを」
シグはサカキの過去の記録でもある、コウの記した報告書を手渡した。
◆◆◆◆◆
「う〜〜〜〜ん」
ベッドの上に書類を広げ、サカキはうなる事しか出来なかった。
書類の内容は、思い当たるものも、そうでないものも入り混じっており、
それが記憶が不完全なせいなのか、元から知り得ない事だったのかの区別がつかないのだ。
だが、そこに書かれた内容が真実であるという事は実感できた。
基地の構造も、そこで暮らした記憶も、今のサカキは明確に思い出せる。
移転作業の準備に追われていた頃に起きた、責任者の突然の交代劇。
現われたのは、コウ・ヒジリという若者だった。
セキエイ博士の家で出会った時の、コウの言葉の意味がようやく理解できた。
酔いつぶれて乱れたシグの姿を目にした時、なぜあれほど取り乱したのか。
あの時自分がコウにぶつけた言葉の意味も、今は思い出していた。
嫌そうに顔をゆがめたサカキは、眉間にシワを寄せながらバリバリと頭をかいた。
「……これは、お前じゃないよな?」
同封されていた数枚の写真を手に取り、シグに向ける。
「違います!
僕がまっさらの初心者だったのは、大佐が一番ご存知でしょう?」
「あんまりそっくりで……写真じゃ区別がつかねぇんだよ」
「この姿をオーダーしたのは大佐じゃありませんか」
「髪と目の色は指定したが、顔の作りまで注文はつけてねぇ」
どこか責めるような口調のシグに、サカキの言い訳じみた言葉が続く。
「毛も生えてねぇようなガキに興味は無ぇから、そこいらはうるさく言ったし、できれば懐っこい性格の方がいいとも言った気がするが……」
次々に飛び出す妙に細かい注文に、シグは呆れたように溜息をついた。
「……そんな注文でこのデータがあれば、僕でも『シグ』を作りますよ」
たまたま過去のお気に入りの『レプリカ』のデータがあったから。
本人にその『レプリカ』の記憶が無いなら同じ顔でもいいだろう。
サカキの細かすぎる注文に辟易した担当者の、不精の結果がこの姿だったのなら。
シグにとっては都合のいい憶測でしかなかったが、そう思うことで、少しだけ気が楽になった。
「そういうもんか?」
「そういうことにしといてあげます」
「んじゃ、こいつはもう、用無しだな」
記憶と事実のすり合わせの気が済んだのか、サカキは書類と写真を無造作に掴んでベッドを降りると、机の横のシュレッダーのスイッチを入れた。
「こいつを気に入ってたのは確かだ。それは否定しねぇ」
報告書と共に写真を放り込み、背を向けたままでぽつりと呟く。
「けど、俺は別に、こいつの代わりが欲しかったわけじゃねぇ……と思う」
裸のままでシュレッダーを操作する姿は相当間の抜けたものであったが、サカキはまだ、服を着る気はないらしい。
「顔も名前も同じにしちまってすまねぇが、お前はお前だから……ってんじゃ駄目か?」
大きな背中がゆっくりと振り返る。
サカキはシグの機嫌を窺うような表情で、黙って首を傾げて見せた。
(ずるいなぁ、もう……)
直球過ぎる告白に、駄目出しなどできはずもない。
文字通り、身も心もありのままの姿を晒すサカキを拒む術など無い。
前を隠しもせずに近付くサカキを、シグは両手を広げて迎え入れた。
「続き、しましょうか……ダイゴ?」
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