お終いの街3


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 検問ゲートを抜け、指示された駐車スペースにトレーラーを収めると、ジープで先行していたサカキとシグが、軍の制服姿で現われた。

 砂漠の砂とよく似た色合いの上下に、膝下までのブーツ。

 これといった装備をつけない軽装ではあったが、身にまとう雰囲気が、普段よりも隙の無いものへと変わっているように見える。特にサカキの背後に控えるように立つシグは、別人のように、その気配を変えていた。

 サイドの髪をピンで留め、『レプリカ』の象徴である中途半端に尖った耳を露わにした彼は、影のように佇んでいた。

 運転席から二人の様子を眺めたセキエイは眉間にシワを寄せた。
 よく見れば、停められているのはどれも軍関係の車両ばかりで、中には明らかに武装していると判るものまであった。

(ふうん……)

「グリン、回線繋いでくれるかな?」
「はい。どちらへ?」

 通信機の前に座ったグリンが、ヘッドフォンを片耳にあてながらモニタのスタンバイをした。言われたとおりの数字を打ち込み先方の反応を待つ事十数秒、モニタに一人の人物が現われた。

 濃紺の立襟の軍服に金の肩章。デスクに肘をつき、両手を組んで顎に添えているせいで、襟元の階級章は見えないが、腕の隙間から覗く胸元には、いくつもの勲章が並んでいるのが見て取れる。

 丁寧に撫で付けられたオールバックの髪は白く、目元や口の端のシワが年齢を感じさせてはいるが、その眼光は鋭くこちらを見据えていた。

『ロンはどうした?』

 グリンの姿を見るや、モニタの向こうの人物は不機嫌そうに眉を寄せた。

「何、威嚇してるんですか大人気ない。こっちから呼びかけたんだから居るに決まってるでしょう」

 無言のまま一礼をしてモニタの前から外れたグリンと入れ替わりに、ヘッドフォンをつけたセキエイがモニタの前に陣取った。

『Gシリーズだろう、あれは。大丈夫なのか? 砂漠なんかに連れ出して』

「家で留守番なんてさせてたら、キミの部下が拉致しにくるだろ?
ちょっと気に入るとすぐに欲しがるんだから」

『……用件はなんだ』

「依頼内容の確認」

『変更は無い』

「今、中継基地に着いたとこなんだけどね。どっかの隊が作戦行動中みたいなんだよ」

『邪魔になりそうか?』

「今はまだなんとも言えないね。彼らの作戦内容次第だけど、場合によっては駒にしていいかな?」

『構わん』

「ありがとう。明日の夜にはここを発つから、またその時に連絡するよ」

『ロン』

「なんだい?」

『お前、誰を連れて行った?』

「君の元子猫ちゃん」

『っ! …………元気に……いや。結果を期待する』

 セキエイの返事を待たずに画面の向こうの人物の姿が消えた。
 同時に通信終了のランプが点滅する。

「素直じゃないなぁ……。ま、総督なんて肩書き背負ってちゃ仕方ないか」

 頑なに感情を押し殺したまま会話を終えた男に、セキエイは、軽い同情の溜息を漏らした。

(殺されたっていいから、会いたいと思ってるくせに……)

 だがこれは彼らの問題であって、自分が踏み込んでいい領域ではない。
 気持ちを切り替えるべく、セキエイは癒しの源へと声を掛けた。

「さて、と……グリン?」
「はーいっ!」

 気を利かせて席を外していたグリンは、セキエイの声に満面の笑みを浮かべて戻ってきた。

「悪かったね、不愉快な思いをさせて……」

 若草色の髪を撫でるセキエイは苦笑を浮かべていたが、当のグリンは、何の事か分からず小首を傾げていた。

「いや、だって、キミに一言も無くあんな顔して……」
「え? 笑ってくださいましたよ?」

 肩に回り、抱き寄せようとしていたセキエイの腕がぴたりと止まった。

「笑ってた? 彼が?」
「はい。ほんの一瞬でしたけど、とても優しい目で見てくださいました。僕、それが嬉しくて笑い返しちゃったんですけど、そしたら……」

 グリンの背後で拳がぎゅっと握り締められた。

「笑い返したのかい? 言葉の代わりに?」
「そう、ですけど……博士?」

 グリンの目には、セキエイのこめかみに青い筋が浮かんだように見えた。

「……や、やっぱり失礼な事……だったでしょうか?」
「そうじゃなくて、ね」
「博士?」

 自分の行動がセキエイの嫉妬を生んだことにグリンは気付いていない。
 セキエイは握った拳を開き、グリンの肩を抱き寄せた。

「キミはなにも悪くないよ。僕の心がせまいだけだから」
「あ、あの……?」
「分かってるんだ。キミは僕のものだって……ちゃんと僕を見てくれてるって分かってる」

(でも、それは僕がキミの「ご主人様」だから……)

 床に膝を付き、グリンと目の高さを合わせたセキエイは、そのままグリンの肩に顔をうずめた。

「……セキエイ様?」
「っ!」

 普段は「博士」と呼ぶグリンが、囁くようにセキエイの名を呼んだ。

(本当にキミは……いつでも、僕の欲しい言葉をくれるから……)

 主人の望むままに振舞う事は、ヒトに飼われる『レプリカ』ならば当たり前の事だと分かってはいても、愛しさが募る。

 嬉しくて
 愛しくて


 ほんの少し――哀しい


 グリンの手がおずおずとセキエイの背に回された。
 遠慮がちに触れる小さな手の温もりが、今は切ない。
 セキエイは自分の中の葛藤を鎮めるように、そっと息を吐いた。

「ごめんね……欲張りなご主人様で」
「え?」
「キミが他の誰かと楽しそうにしてるのは、嬉しいけど悔しいんだ」
「……よくわかりません」
「いいんだよ。僕がひとりで勝手にぐるぐるしてるだけだから」

 何かを振り切るように立ち上がったセキエイは、しゅんとしてしまったグリンの髪を優しく撫でた。

「さ、そろそろ行こう。サカキ君が食事の手配をしてくれてるはずだから」

 お腹がすくと考え方が後ろ向きになっていけないねと微笑むセキエイに、よく分からないままグリンは小さい笑みを返した。

 外に出ると、コウとサカキが難しい顔をして話し込んでいた。
 セキエイに気付いたコウは、無言でサカキに合図を送った。
 
「遺跡ツアーの一団が、昨夜ここから出発したらしい」

 セキエイが聞くより早く、サカキが口を開いた。

「ツアー? あの遺跡は僕らの調査が済むまで、立ち入り禁止のはずだよ?」
「近くを通過して、遺跡の外観を眺めるだけということで許可を取ったようです」

 セキエイの疑問にシグが答え、ツアー客のリストと旅程表を手渡した。

「眺めるだけって言ったって……! このメンバー構成……」

 成人男性6名と未成年男子1名。
 サカキとシグがオアシスで目撃したという『ラセンの民』の人数と一致していた。

「ここから出発したなら、遺跡に直接向かった方が早いのに」
「『禊(みそぎ)』のためでしょう」
「コウ君?」

 コウは、サキに話して聞かせた一部のカルト集団の間で行われている「儀式」について、改めて話して聞かせた。

「僕が見て知ってるのは血液だったけど……どっちもどっちか……」

 互いに顔を見合わせ、うんざりしたような表情で溜息をついた。

「またあの現場に踏み込むことになるかもしれないわけか……嫌だなぁ」
「同感ですが、あまり詳しい解説は、こいつの前では無しでお願いします」

 強張った表情で黙り込んでいるサキの肩を抱き寄せながらコウが言うと、セキエイは目顔で頷いて話題の矛先をサカキへと変えた。

「続きは食事をしながらにしようか。他にもまだあるんだろ?」
「ああ。ちっとばかり、ややこしい事になりそうだ」
「やれやれ。今夜はゆっくり英気を養いたかったのに……ねぇ?」

 案内へと先頭に立ったサカキの後を少し遅れて歩きながら、セキエイは傍らのグリンの髪を撫で、思わせぶりな笑顔を向けた。

「あ……お、お時間の許す限り、ご奉仕させていただきますっ!」

 言葉と視線の意味を正しく理解したグリンは、大きな瞳をめいいっぱい輝かせ、跳ねるような足取りでセキエイの後に続いた。



◆◆◆◆◆



「なんかいいことあった?」

 ヒトではないからと、テーブルのすぐ脇にはトイレのドアがある、嫌がらせのような席に追いやられたにもかかわらず、グリンは浮かれた表情で料理を口に運んでいた。

 出された料理が、携帯用の固形食品にレトルトのカレーをかけたものと、塩で茹でただけの豆が少々という、軍に属する『レプリカ』のシグでさえ苦笑を浮かべた代物だったというのに、である。

「あっ、わかっちゃいます?」

 そう言ってサキに向けられた笑顔は、へらへらと緩みきっていた。

(わかるもなにも……)

 おそらくは、その“いいこと”を話したくてうずうずしているのだろうが、どう切り出せばいいものか、グリンのあまりのテンションの高さに、サキは戸惑いを隠せなかった。

 と、成り行きを黙って見ていたシグが、ああ、とおもむろに呟いた。

「もしかして、ご主人様からのお誘いかな?」
「えっ、そうなの?」
 
 改めてグリンに視線を向けると、うっとりと夢見るような表情になっていた。

「そうなんです……! いつもは僕の方からお伺いを立てて御奉仕させていただくことが多いんですけど、さっきはセキエイ様から誘ってくださって!」

 グリンのあまりに赤裸々な告白に絶句してしまったサキであったが、シグはいたって冷静にうんうんと頷いていた。

「ロン博士って、淡白そうだしね……かなり久々だったり?」
「ご奉仕だけならそれほど久々でもないけど、最後までってのがねー」

 あまりに立ち入った内容を聞いてしまうと、セキエイの顔をまともに見られなくなりそうな気がしたサキは、適当に相槌を打ってしのいでいたが、グリンとシグは『レプリカ』同士の気安さからか、くだけた口調で会話を弾ませていた。

「で? 今夜はいけそうなんだ?」
「かなー? って思ってるんだけどねーっ」

 小さくきゃーと言いながら、グリンが両手でピンクに染まった頬を押さえれば、冷やかすようにシグがその手をうりうりとつつく。

(か、会話が……ってかこのノリはっ……つ、ついていけないかもしんない……)

 サキは喋らなくても済むようにと、とにかく皿の上の食材を頬張り、無理矢理のどの奥へと流し込んでは、曖昧な笑みを二人に向けていた。



◆◆◆◆◆



「面白れぇ……」

 ぽつりと呟いたコウの視線の先では、サキが赤くなったり青くなったりしながら、『レプリカ』二人の会話に必死で相槌を打っていた。うろたえながらも楽しそうなその表情を、コウは柔かな笑みを浮かべて眺めていた。

「あそこだけ、ガキの給食時間のノリだな」

 呆れたように同意したサカキも、遠い昔を懐かしむような眼差しを向けていたが、セキエイだけは不機嫌そうに視線を逸らした。

 彼らの話題の中心はグリンらしい。よほど嬉しい事があったのだろう。
 若草色の髪がひょこひょこと、サキとシグの顔の間を行き来していた。

「あいつに何を言ったんです? あの浮かれようは半端じゃない」
「別に……。ここのところご無沙汰だったし、遺跡に入ればそれどころじゃなくなるから、ちょっと……誘っただけだよ」

 喉の奥で小さく笑い、からかうように問いかけてきたコウに、セキエイは平静を保ったままでさらりと答えた。

「それであの舞い上がりっぷりってのは……あんたどんだけ放っといたんだ?」

 サカキの遠慮の無い言葉に、セキエイの目が一瞬鋭い光を帯びた。

「放っておいたわけじゃない。ただ僕は、キミたちのように、場所柄もわきまえず隙あらばというような、モラルに反した感覚は持ち合わせていないだけだ」

 いつになく感情的な物言いのセキエイに、コウは黙って疑問の視線を向けた。それに気付いたセキエイは、少々ばつの悪い表情で、残った料理に手をつけた。

 皿の中身が空になるころ、いつもの穏やかな表情に戻ったセキエイが再び口を開いた。

「大丈夫だよ、コウ君。情緒不安定だってのは、ちゃんと自覚してるから」

 グリンの笑顔に視線を向けながら、だから誘ったのだとセキエイは言った。

「あの子は僕の精神安定剤だからね。けど、あの子の方もあんなに喜んでくれるとは思わなかったな……少しは淋しいと思ってくれてたのなら、嬉しいけどね」

 どこか遠い目をして淡々と言い募るセキエイに、コウは眉をひそめた。

「貴方がそれじゃ、あいつが報われない」
「え?」
「あいつと、どうやって知り合いました?」
「なんでそんな事……」
「あいつは貴方の名前を聞いただけで、条件も確かめずにYesと答えたんですよ」
「!?」

 その時も、今のような顔をしてはしゃいでいたのだとコウに告げられ、セキエイは弾かれたように立ち上がった。

「お先に……失礼させてもらっていいかな?」
「どうぞ」

 コウはセキエイの皿を自分の皿に重ね、手先でグリンたちのテーブルを指し示した。

「ありがとう。何かあったら……」
「適当に処理しますから、とっとと行って下さい」

 他人の情事の行方に興味はないとばかりに立ち上がったコウは、そのまますたすたと食器の返却口へと歩いて行ってしまった。残ったサカキも、軽い会釈で席を立った。

 セキエイの呼び声に、グリンの、語尾にハートを散らしたような返事が被る。差し出された手を両手で握り、若草色の髪を弾ませるグリンを連れて、セキエイはトレーラーへと戻っていった。

「サカキ、ジープのキー貸せ」
「なんだ、お前らもどっか出かけんのか?」

 グリンたちを見送り振り返ったサキを手招きしながらコウが言うと、サカキはキーと一緒に、的外れな問いを投げて寄越した。

「も、ってのはなんだ? あの二人なら多分朝まで出てこないぞ?」
「え? 遊びに行くんで誘ってたんじゃないのか?」
「……お前それ、本気で言ってんのか?」

 至極真面目な顔で頷くサカキを前に、コウは思わずこめかみに指をあてた。
 呼ばれたサキがその様子に気付き、心配そうに駆け寄ってきた。

「コウ? まだ目、調子悪いの?」
「ん? ああ、そうじゃない。この馬鹿があまりに鈍いんでちょっとな」
「大佐が、どうかしましたか?」

 サキつられて一緒に来ていたシグが、「この馬鹿」と言う単語に即座に反応した。

「シグ、お前コイツに、この後のスケジュールを説明してやってくれ」
「はい?」
「ツーマンセル(二人一組)に分かれてのフリーミッションって事になった。俺とサキは外出るから、あとを頼む」

 ツーマンセルでフリーと聞いてすぐにピンときたシグは、にこやかに笑って頷いた。

「じゃ、定時連絡は無しでいいですね。終了時刻はどうします?」
「チームの判断に任せる。ちなみに俺たちの戻りは明日の昼だ」
「了解しました。お気をつけて」
「おう、んじゃ解散な。サキ、行くぞ!」
「えっ? あ、うん」
「いってらっしゃい、ごゆっくりー」

 グリンの時と同じ言葉をシグから貰い「ミッション」の意味に気付いたサキは、頬を染めながら、わたわたとコウのあとを追いかけていった。

「なあ、シグ」
「はい?」
「フリーミッションなんて、いつ決まったんだ?」
「ロン博士がグリンを連れ出した時点で、確定だったと思います」
「いきなりフリーったって……」
「筋トレでもマラソンでもお好きなように。SEXがご希望でしたらお相手させていただきますよ?」
「なにいっ!?」
「……だからツーマンセルなんじゃありませんか」

 呆れかえった顔をして溜息をつくシグの隣で、サカキの顔がみるみるうちに赤くなっていった。


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