お終いの街3


PAGE18

 背後の扉越しに一瞬聞こえた咆哮に、運転席の二人が反応を示した。

「今の……コウ様?」
「みたいだね」
「大丈夫でしょうか?」
「どっちが?」
「サキさんに決まってますっ!」

 きっぱりと言い切るグリンに、セキエイはくくっと喉の奥で笑った。

「随分な言われようだなぁ……」
「だって! ……コウ様、怒ると怖いんですもん……」
「そうか、キミは彼の尋問を受けた事があったんだっけ……」

 口元の笑みだけを残して、すうと目を細めるセキエイに、グリンの頬がひくりと引き攣れた。

「えっと……その件は……その……」
「判ってるよ、大丈夫」
「でも、目が笑ってないです」
「あれれ、そうかい? おかしいなぁ」
「あ、あはははは……」

 引き攣った笑いで答えるグリンの頭をぽんぽんと軽く叩いたセキエイは、 今度は顔全部でにっこりと微笑み、進行方向へ視線を戻した。

「あの子は昔から、我慢強い子でね」
「コウ様ですか?」
「うん。小さい頃から、めったに泣かない子で、泣いても決して声を上げるような事はなかったんだよ」

 いつも何かを諦めたような笑みを浮かべる子供だったと、セキエイは、幼い頃のコウを思い出していた。

 コウの母は、コウを産んですぐに他界していた。

 子供が生まれにくくなっていた時代、友となるような同年代の子供など望むべくも無く、大人ばかりに囲まれた暮らしの中で、コウは、聞き分けの良い、大人しい子供であった。

 セキエイとコウの父であるタキは、いわゆる幼馴染であった。
 国や軍の縄張り争いがそれほど酷くは無い時代、二人はよく旅にでた。
 旅先で出会った魔族の青年と意気投合したタキが、青年と行動を共にすると言い出したのを機に、セキエイは実家に戻り家業を継いだ。

 仲違いをした訳ではない。そうする必要に迫られての選択であった。

 タキと魔族の青年が腰を落ち着けた村に、セキエイも足繁く通い、互いの近況を知らせあった。
 青年の名はサクヤといった。

 ある嵐の晩、村の近くで起きた土砂崩れに巻き込まれ、助けを求めてきた者たちの荷の中に、一人の女性が囚われていた。生まれた血筋ゆえに故郷を追われ、奴隷として売り買いされてこの地にたどり着いたというその女性は、名をサクラといった。

 サクラとサクヤ、タキの間でどのようなやりとりがあったのか、セキエイは知らない。
 だがやがてタキはサクラを娶り、コウが生まれた。

 我が子の顔を見ることもなく逝ったサクラの代わりに、コウの側に居たのがサクヤであった。

 タキもサクヤも村の人々も皆、コウを愛し、コウも皆を慕っていた。

 皆の期待に応えるべく読み書きを習うかたわら、時間が空けば、畑仕事や荷運びの手伝いを買って出るコウの姿を、セキエイは、いたたまれない思いで見つめていたものだった。

「本当に、頑張り屋さんで……わがまま言ってるとこなんて、見たことが無かったんだよ」

 物も人も欲しがらない子供だった。
 みやげを渡せば喜んでくれたが、遠慮がちな小さな笑顔ばかりで、その年頃の子供が見せるはずの天真爛漫な笑顔など、見たことが無かった。

「へー……あ、でもでも笑うとすっごく可愛いんですよね?」
「え?」
「髪の毛なんかふわっふわで、目もくりってしてて、おひさまみたいに笑うんだって聞きました」
「……誰から?」
「サキさん」
「…………え?」
「あのお二人って、コウ様が子供の頃に、一緒だった事があるそうですよ?」
「馬鹿な! あの村の子供はコウ君ひとりだったし、サキ君は……」

 あの村を守護するために、サクヤの精を受けた命の樹に育まれた「礎」。
 空の器として生まれるはずが意思を持って目覚めたため、サキという名を授けて送り出したとタキが言っていた。

 サキが樹から出て役目に就いたのは、コウが村を出て、軍の寄宿舎に入ってからの話だった。役目に就くまで樹の中で眠り続けていたサキと、七つの年には村を出たコウの間に、接点など無いはずだ。

「ですから、サキさんがまだ樹の中で寝てた時に、コウ様が、その樹の根元で泣いてたそうですよ? 根っこに落ちた涙で目が覚めたんですって」
「!?」
「目が覚めたら、ちっこい生き物と目が合って、その子がコウ様だったって」

 グリンはセキエイが思っているよりも事情通だったらしく、セキエイの知らない――ひょっとするとタキやサクヤでさえ知らない、二人の過去を知っていた。

「やけに詳しいね」
「えっ!? あ……っと」
「ん? もしかして聞いちゃいけないことだったかい?」
「いえ! そうじゃなくて……」

 グリンは、怒らないで下さいねと念を押してから、言いにくそうに言葉を続けた。

「えとですね……僕、一度だけサキさんとその……した事があって、
その時に、聞いたというか、見えちゃったというか……」
「ふーん?」
「その時は、サキさんも夢の中の出来事みたいに言ってたんですけど、
この前うちでご飯食べた時に、夢じゃなかったんだよって……博士?」
「うん。ちゃんと聞いてるよ。ねぇグリン?」
「はっ、はいっ!」
「サキ君の役目って、どんなことしてたか知ってるかい?」

 その土地の負の気や、実体をなくした魔物のなれの果ての浄化といった、いわゆる「お祓い」をする巫女のようなものだと聞いてはいたが、それらをどうやって執り行なうのかまでは知らなかった。

 ただ祓い清め、鎮めるだけならば、意思があったほうが都合がいいはずだ。
 それが本来ならば空の器が行う役目だと聞いて常々疑問に思っていた。

「僕たち『レプリカ』と同じようなものらしいです」
「は?」
「つまり、僕たちはヒト相手の性欲処理のために作られたようなものですけど、サキさんは魔物とか魔族とかを、実体のある無しは関係なく相手にしてたみたいです」
「実体が無いものの相手って……」
「サキさん曰く、『脳みそが犯される』んだそうです」
「ッ!?」
「だから、お役目の事は今でもあんまり詳しく思い出せないって言ってましたよ?」

 身体の内と外から犯され続けて、正気を保てる者など居る訳がない。
 セキエイは思わず口元を抑えた。
 空っぽでなければ勤まるはずの無い役目。
 血肉を与える生贄よりも性質が悪い。
 
 その空の器が、コウと出逢ったことで意思を持ってしまった――

「コウ君……キミは……知っていたのか……?」




◆◆◆◆◆




「落ち着いた?」
「……ああ」

 サキに縋りつき、ひとしきり泣きじゃくったコウは、今はサキの膝枕でだらしなくソファに身体を伸ばしていた。

 泣きすぎて腫れあがった瞼を冷やすための、濡れタオルの存在がありがたかった。
 でなければ、どんな顔をしていいのか判らない。

 いい年をして、子供のように声を上げて泣くとは、自分でも思っていなかった。そもそも、あそこで涙が溢れて止まらなくなる事自体、予想だにしなかったのだ。

「……まいった」

 そう呟きながらコウは、膝を貸してくれているサキに甘えている自分を自覚していた。

 髪を撫でてくれる指先に、緩んだままの涙腺を刺激せぬよう守ってくれている沈黙に、コウは自分の過去が遠く、軽くなっていくのを感じていた。

 交わしたい言葉が無いわけではない。
 だが、今はもう少し、このままでいたかった。

 トレーラーが緩やかにカーブを曲がり、路面からの振動が減った。
 基地へと向かう、整備された道路に出たらしい。
 コウは頭の中で地図を広げ、到着までの時間を計る。
 あと30分もすれば、検問ゲートに到着するだろう。

 到着するまでこのままでいたかったが、そういう訳にもいかない。
 民間にも開放されている中継基地とはいえ、軍の施設なのだ。
 誰がどこで目を光らせているか判らない。
 こんな所でサキを、「ラセン」だと気付かせるわけにはいかなかった。

 ぬるくなったタオルを外し、瞼の腫れ具合を確かめながら起き上がる。

「サキ、そろそろ基地だ。コンタクトを……うお!?」

 右目に奇妙な違和感を覚え、反射的に瞼に手をやった。



――カツン――



 軽快な音と共に床に転がったのは、右目にはまっているはずの封印石だった。

「…………え?」

 石に直接触れたわけではなかった。
 ただ少しばかり瞼の裏がごろつくような感じがして、軽く、押さえた。

 床に落ちた石を呆然と見やる。
 右目の違和感は消えていた。

「やたっ!」
「ちょっ! ……え? やったって……サキ?」

 床に落ちた封印石を拾い上げ、勝ち誇ったようにその石を掲げて眺めるサキの目は、金色に輝いていた。

「こんなに歪んで濁っちゃってたら、痛くて当然だよ」

 石が外れて良かったねと笑顔で言われ、コウは慌てて自分の身体を確かめたが、魔人化の兆しは見られなかった。予兆とも言える、右目の奥が蠢くような感覚も無い。

「大丈夫だよ、コウ」
「馬鹿な! その石は魔人化を抑える為の……おいっ!?」

 石を取り戻そうと伸ばしたコウの手を、一歩下がってかわしたサキは、あろうことかその石を、自らの口に放り込んでしまった。

 まるで飴玉でも舐めるように動くサキの口元を、コウはただ愕然と見つめる事しか出来なかった。

「……ふぁれ?」

 しばらくの間黙って石を舐めていたサキが、ふいに疑問の声を上げた。
 掌に出された石は、翡翠色に輝く珠となっていた。

「んー……???」

 なにやら考え込むように首を傾げるサキの瞳は普段の色に戻っていたが、その髪は、ゆらゆらと宙を漂うように揺れていた。

 数拍置いて髪の揺れが治まると、サキはようやくコウに向き直った。

「一体何が……俺は、どうして」

 コウの問いかけには答えず、サキは自分の抱いた疑問を口にした。

「コウってもしかして……純粋な『ヒト』じゃないの?」
「え?」
「何代か前に、魔族の血が混じってる……よね?」
「なんでそんな事が……」

 確かに、コウの母親は純粋なヒトではなかったと聞いたことがあるが、コウ自身、母親の生い立ちの詳細を知っているわけではないのだ。

 禁忌の子として忌み嫌われ、生まれた国を追われたとだけ聞いていた。

 母の国では魔族は妖(あやかし)と呼ばれ、災厄の象徴だったと言うから、禁忌の子というのは、おそらくは魔族とヒトとの間に生まれた子供のことなのだろうと、誰に確かめるでもなく漠然と思っていただけで、本当に母に魔族の血が流れていたかどうかなど、知る由も無かったのである。

「ゲノムを読んだから」
「読んだって……」

 どうやって、とは聞かなかった。
 石を口に含んでいる間、サキの目は金色に輝いていた。
 あれは、「ラセン」の力の発現を意味する。

 どういう仕組みになっていたかは不明だが、とにかく封印石の中に、コウの遺伝子に関する何らかの情報が盛り込まれていたと言う事なのだろう。
 石が本来の姿に戻ったのは、サキがそこにあった情報を取り込んだからだと思えばよいのだろうか。

「えーっとね……」
「解説は後でいい。とりあえず、俺は……大丈夫なのか?」

 痛みも、魔人化の兆候も、今のところは感じられないが、石が無いと言う状態が、どうにも落ち着かなかった。

「うん」
「石を……」
「これはもう駄目だよ。コウには合わなくなっちゃってるから」
「だが、このままじゃ……」

 石が外れたからといって、代わりに新しい眼球が再生されるはずもなく、コウの右目は空洞のままであった。

「ちゃんとおまじないしてあげるって! 座って座って?」
「おまじないだぁ??」

 コウをソファに座り直させたサキの目が、再び金色に輝き始めていた。




since2002 copyright on C.Akatuki. All rights reserved.