お終いの街3


PAGE16

「ちくしょう! ヤツはこうやって仲間を増やすのかッ!!」

 青年は、コウが魔人に変化し始めているのを見ても、コウが魔人そのものだとは考えなかった。
 魔人に犯された時に体内に入り込んだヤツの細胞が、コウを蝕み始めたのだと思ったのだ。

「コウ! 意識をヤツに持っていかれるな! 自分を保て!!」
 
 言うが早いか、青年は自分の腰に挿してあった鞘からナイフを抜き取り、コウの顔面目掛けて投げつけた。変化したばかりで視界の調整のついていない右の死角を狙って投げつけられたナイフは、コウの右目に突き刺さった。

「ガッ……」

 すでに魔人化の始まっているコウに痛覚はない。
 ナイフが刺さった衝撃で一瞬のけぞっただけで、すぐにナイフの柄に手をかけた。
 突き刺されたた眼球もろとも無造作に引き抜き投げ捨てる。

 地面に落ちた眼球は、それ自体が一個の生き物のように蠢いていたが、その動きはすぐに断末魔の痙攣のようになり、やがて光を失い動きを止めた。
 同時に沸騰寸前だった頭の中が、妙にクリアになってゆく。
 
「間に合ったか……」
「兄(あん)ちゃん……?」
「俺だってラセンの端くれだからな。サクヤ様やサキほどじゃなくても魔封じの術のひとつくらいは使えるさ。それなら丘につくまでは持ちこたえるだろう。丘につけば残りはサキが引き受けてくれる」

 右目は諦めろと言いながら地面に落ちたナイフを拾い上げ、突き刺さったままの眼球を握りつぶすと、拳の隙間からこぼれてきたのは、どんな術を使ったのか、サラサラに乾いた砂だった。

「いいか、絶対に自分を手放すなよ?」

そう言いながら、不思議な光沢の布を右目の空洞に押し込んでテープで止めた。

「封印石の粉末を織り込んだ布だ。本当は石そのものを嵌め込むのが一番なんだが、
俺には作れねぇからな」

 封印石のことは、コウもサクヤから聞いて知っていた。
 力が強すぎてすぐには倒せない魔物をどこかに閉じ込めて弱らせる時に使うものだと。

 魔物を閉じ込めて出てこられないようにするための蓋のような扉のような、そんな風に思っておけば間違いはないと、子供の頃に教えられた。同時にその石は一族の長にしか作れないものだということも言っていた。石の作り方は、長だけに伝えられる秘伝の一つなのだと。

「とにかく、丘に急ぐぞ。あそこまでいけば逃げられる!」
「“サキ”というのは、『礎』の名前か?」
「ん? ああ。自分の意思で役目につこうって奴が名無しじゃあんまりだろ? それでサクヤ様とタキ様がご自分の名前からそれぞれ一文字ずつとってサキって名を与えたんだ」

 先を急ぐと言うのに、青年はコウの問いかけには丁寧に答えてくれた。
 昔から、どんなに忙しくても、コウの話は最優先で聞いてくれた。
 サクヤが教えてくれなかった世間というものを教えてくれたのがこの青年だった。
 
 歩調を速めながら、青年が言葉を続けた。

「あいつに同情してるのか?」
「……」

 ぽっかりと開けた平坦な地面がゆるやかな上り坂になる。

「優しいからな、お前は。けど気にするな。あいつは、サキは、役目に着く日、にっこり笑ってたんだ。意思があるっつっても頭の中は魔物とヤる事しか考えてなかったんだろうさ。もともとそのために作られたんだ。生まれついての淫乱だったとしても別に不思議じゃないだろ?」

 どこか吐き捨てるような口調は、コウがサキを気にかけるのが気に入らないようにも聞こえた。

(ふざけるな……)

 コウは、一度は鎮まりかけた魔人化の兆しが再び湧き上がってくるのを感じていた。
 その兆しをコウは密かに受け入れた。
 幸か不幸か、青年がコウの右目に当てた布が、魔人の気配を内にとどめる封となっていた。

 足元の勾配は少しずつ角度を増し、それにつれて会話は途切れがちになった。

 コウの歩みが少しずつ、青年から遅れ始める。
 気にかけた青年が振り返るたび、コウは無言で片手を上げて大丈夫だという合図を送った。
 封印石の粉末を織り込んだという布は右目から流れ出る血で真っ赤に染まり、魔人の力の影響か、ぱちぱちと爆ぜるような音をたてていた。
 
(まだだ。丘につくまでは……)

 今にも爆発しそうな筋肉のうねりを、コウは自分の意志で抑え込んでいた。
 右目を失ったことで視界は不自由になったが、その分頭の中は妙にすっきりとしていた。

 魔人化の兆しはいつも右目からだった。

 理性を司る左脳の変貌が魔人化の始まりだからなのだと説明を受けたことがあったが、詳しい仕組みなど気にした事はなかった。左の脳の変化は右半身に影響を及ぼす。そういう理屈なのだろう。そうしてまずは理性の箍を外すことで肉体の箍を外す。
 今の自分は、右目が失われた事で外れるはずの理性の箍の一部が残ったまま、他の部分の箍が外れている状態なのだろうとおぼろげに考えていた。

 破壊衝動の強さは変わらないが、思考がクリアな分、制御は可能であった。
 今のコウは皮肉にも、軍が望んだ理想の状態へと変貌しつつあった。
 明晰な思考、強靭な肉体、圧倒的な破壊力。

(“サキ”はお前だろう? 今、出してやるからな……)

 「礎の丘」にどんな仕掛けがあったとしても、今のコウは負ける気がしなかった。

「どうやら追いつかれずに済んだようだな」
 
 一歩一歩踏みしめるようにして上り詰め、視界が開けた先に、それはあった。

 足元に生える草とはあきらかに色味の違う鮮やかな緑の小さな丘。
 その盛り上がりは歴史の本で見た古墳のような楕円の形をした巨大な岩であった。
 苔にでも覆われているのかと思ったその緑は、岩そのものの色であった。

「封印石……」
「あれが『礎の丘』だ。あの中にサキがいる」
「あの中だと!?」

 愕然として丘を見つめるコウの視界の端に人影が現われた。
 一人、また一人と現われたのは先に逃げのびていた村人たちであった。
 青年が名を呼ばれ彼らの元へと駆け寄るのを、コウは別の世界の出来事のようにぼんやりと見つめていた。

 あれがただの岩ならば、どんなに堅固な牢だろうと破壊する自信があった。
 だがサキと言う名を与えられたあの少年が篭る丘にあるのは、巨大な封印石だった。

 強過ぎる魔物を閉じ込めておくための石。
 石を作った本人が封を解かない限り、あの石は壊せない。
 一度中に入ったなら、自力で出てくることなどできはしない
 コウの目論見は音を立てて崩れ去ってしまった。

 新しい「礎」を生み出すはずの「命の樹」は朽ちていた。
 ならば中に居る少年は、この地の最後の「礎」となる。
 この地に魔がはびこる限り、少年の役目に終わりはない。
 魔が尽きるのが先か、少年の命が尽きるのが先か。

(全部いなくなればいいのか……)

 守るべき民がいなければ、魔を封じる必要などない。
 封じるべき魔がいなければ、丘に篭る必要などない。

 コウの虚ろな瞳が、逃げ出す算段をつけている村人たちの一団に向けられた。
 話がついたのか、コウを助けた青年が再び駆け寄ってきた。

「コウ! 石を持ってるヤツが居た! 欠片だが、そんな布よりはるかにましだ!」

 コウの右目に石を嵌めようと伸びてきた手は、コウに届く寸前で千切れて飛んだ。
 青年の手首から先が、放物線を描き地面へと落ちる。
 続いて手首が飛んだのとは逆の方向へ弧を描いて飛んだのは、青年の頭部であった。
 
 コウはまだヒトの姿をたもったままであった。にもかかわらず、その肉体は、魔人となった時に匹敵するほどの破壊力を備えていた。

(ありがとよ兄ちゃん。あんたの忠告のおかげで、俺は俺のまま、この力を使えるようになったらしい)

 噴き上がる血飛沫に他の村人が気付いた時には、コウは彼らの至近の距離に居た。
 皆見知った顔ばかりであったが、彼らがコウの名を口にするより前に、コウの腕が彼らを引き裂いていた。ある者は頭を吹き飛ばされ、またある者は生きたまま心臓を抉られ、目の前で握りつぶされた。
 
 サキの名を呼び「礎の丘」に救いを求める者達もいたが、彼らは特に念入りに殺された。
 
 おびただしい返り血と断末魔の叫びがコウの理性の箍を外し、その思考を少しずつ歪めていった。引き裂き、抉り、踏み潰し、辺りに動くものなど居なくなっても、コウはその身を血に染める事をやめなかった。

 村人たちの亡骸が、誰のものか区別がつかなくなるほどの肉片に成り果てた頃、コウはようやくその動きを止めた。ゆらゆらとした足取りで丘の前に立つと血まみれの両腕を広げ、かつて樹の中の少年に語りかけていた頃のように、封印石に抱きついた。
 
 だが、石には何の変化もおとずれはしなかった。
 

――”意思があるっつっても頭の中は魔物とヤる事しか考えてなかったんだろうさ”――

 青年の言葉が脳裏を掠めた。


「ヒトでなければ、そこへ行けるか?」


 魔物を鎮める役目の為に生まれてきたという少年。
 少年と共に、同じ時を過ごしたいのなら、自分が少年の役目になればいい。
 他の魔物を寄せ付けず、自分だけが少年の鎮めるべき魔物であり続ければ。

 コウの歪んだ思考が選び取ったのは、この地の最後の魔物になることだった。

 羽織っていたマントを剥ぎ取ったその手は、すでにヒトのものではなくなっていた。

 慟哭にも似た咆哮が大地を揺るがした。
 ひび割れた地面から、黒いもやのようなものが染み出てきては、魔人と化したコウの身体に吸い込まれていった。

 膨張し臨界に達した全身の筋肉は、その昂ぶりのあまり炎を発した。
 足元の炎は地を這い周囲の草木に燃え移り、周囲を舐めるように燃え広がりながら丘を駆け下りていった。

「これなら、いいか? なぁ?」

 焼け焦げた肉片の臭いが充満する中、コウは再び丘へと近付いた。
 自らが発する炎がつくりだす陽炎で視界が歪む。
 その陽炎の向こうに、コウは自分を招き寄せようとする白い手を見たような気がした。
 
(そこに……いる……のか?)

 手のように見えた白い影を探し、コウは吸い寄せられるように封印石の中央へと歩み寄った。
 陽炎越しでも石の輝きは衰えず、鮮やかな緑の光沢を放っていた。
 石の表面をゆっくりとなぞり、影の見えた辺りを探る。

 ちかり、と一瞬何かが光を発した。
 石の緑よりも一際鮮やかな、翡翠色の光。
 確かめようと顔を近づけたその時、右目に衝撃が走った。

「ッガあああああああああッ!!?」

 脳を締め付けるようなキリキリとした痛みに始まり、衝撃は全身へと及んでいった。
 
 サイズの合わない棺に無理矢理押し込められるような圧迫感。込み上げてくる嘔吐感。
 コウは両手で顔面を押さえつけながら、半ば炭と化した肉片の散らばる地面をのたうちまわった。
 
 空洞のはずの右目に感じる違和感が苦痛の元凶だと気付いたコウは、必死で右目の辺りを掻き
毟った。だが、鋭く伸びた爪は何かにかちりとあたるものの、それを抉り出す事はできず、顔に2本の傷跡を残しただけであった。

 全身に纏っていた炎が消えると、衝撃がいくらかやわらいだ。
 新鮮な空気が一気に肺に流れ込み、コウは激しく咳き込んだが、その度に全身を刺す様な痛みが走り抜ける。ずっしりと伸し掛かるような疲労感までもが襲い掛かり、コウはついに地面に突っ伏したまま、身動きが取れなくなった。

 目の奥で激しい点滅を繰り返していた光が収まり、ようやく焦点が合い始めた視界が石の中に人影を捉えた。

(来て……くれた……のか?)

「無様ですね。コウ」

 石の中から出てきたのは、サクヤであった。
 村を出た時に別れて以来、年に一度の長期休暇に顔をあわせるだけになって久しい。
 その休暇も士官学校を卒業してからは取っていなかった。
 最後に会ったのは何年前の事であったろう。

 蒼黒の長い髪、形良く尖った大きな耳、白皙の美貌を彩る宝石のような、虹彩に金色を湛えた翡翠色の瞳。
 幼い頃から見慣れた容姿は、コウが成人した今も寸分の衰えも見られなかった。

「な……んで、お前……が」
「つくりものの魔であっても『礎』には惹かれますか」

 「礎」だから惹かれた訳ではない。
 少年が名を与えられ「礎」となる以前から自分は彼を知っていた。
 その時から自分はずっと彼に心惹かれ、恋焦がれていたのだ。
 
 だがコウの意識は、それをサクヤに告げる間もなく混濁し遠のいていった。




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