お終いの街3


PAGE15

「いつまでそんな顔で黙り込んでるつもりだ?」

 バランスを崩しコウの腕に転がり込んだサキは、ソファに腰を落ち着けても何を話すでもなく、ただコウにしがみついていた。投げかけられた言葉への返事もコウのシャツの胸元を握る手に力を込めただけで、その顔はますます俯いてしまう。

 コウは、しがみついている事に関しては異を唱える事はしなかった。
 かける言葉を探しあぐねてしがみつく事しか出来ないのだろうと悟ったコウは、それ以上は何も言わず口元にうっすらと自嘲の笑みを浮かべた。

「馬鹿な男だと思ったろう?」

 コウの呟きを聞いたサキは、ふるふると首を振ると、ますますきつくコウの身体にしがみついてきた。セキエイの事だ、コウは自分から志願して実験に参加したと話しても、結局は軍の都合のいいように扱われ、最後は使い捨てにされたのだとでも結んだのだろう。

 邪魔な存在をまとめて片付けるために、わざわざコウの故郷に捨てたのだと。
 コウが自分の故郷を破壊したのは、本人の意思ではなく、その時には自我などない状態だったのだとでも注釈がついていたのかもしれない。

 確かに話の筋はおおむねその通りではある。
 自分の生まれ育った村に足を踏み入れたとき、コウにその自覚などなかった。
 逃げ惑う人々の姿に思い入れなど何もなく、破壊衝動の赴くままに、千切り、潰し、投げ捨てた。
 
 だが、逃げる村人たちを追って村のはずれの森の小道に分け入った瞬間、コウは懐かしい記憶と共に自分を取り戻していたのである。

(俺は、俺自身の意思で、あの村を壊したんだ……)

 しがみついたままのサキから視線をそらし、天井に目を向ける。
 あの時の事は、今でもはっきりと思い出せる。
 すべてを失ったあの瞬間を、忘れる事などできるはずもなかった。




◆◆◆◆◆




 そこは、幼い頃に幾度となく通った「あの場所」へと繋がる道だった。
 
 村に居た子供の頃は何の苦もなく見つけ出せた「あの場所」への入り口が、村を離れ士官学校の寄宿舎で生活するようになり、長期休暇の帰省の時にしか訪れることのができなくなってからは、いくら森を歩き回ってみても辿り着く事が出来なくなってしまっていた。
 
―――大人になったら迎えに来るから―――

 樹の中の少年と出会い、約束を交わした「あの場所」。
 辿り着けないのは、自分がまだ子供だから。約束の時まで道は繋がらないのだとそう信じていた。少年を樹の中から連れ出し守れるだけの力を得た時、道は再び開くのだと。
 

 その道が、「魔人」と呼ばれる力を得たコウの、目の前にあったのだ。
 

 初めて見つけたときは、子供のコウがかがんで通るのがやっとの小さな繁みのトンネルだった入り口は、何度か通ううちに何の変哲もない小道へと変わっていった。
 幼かったコウは、少年が森の木々に頼んで道を作ってくれたのだと思っていた。
 魔族と身近に暮らしていたコウにとって、それはごくごく当たり前の出来事であった。

 だからこそかつて道が塞がれていたのも、力を得て戻ってきた自分の前に道が開くのも、魔族である少年の意志なのだと、信じて疑う事はなかった。
 

 村のはずれの森の小道を抜けると、ぽっかりと開けた場所に出る。
 その開けた場所の真ん中に、少年の眠る樹が立っているはずだった。


 「聖なる樹」とも「命の樹」とも呼ばれたその大樹は、だが、もうかつての姿ではなくなっていた。

 大人が4〜5人がかりで取り囲み、両手を広げなければ届かないほどであった太い幹の中央には、人がすっぽりと入れるような大きな穴が穿たれ、天を覆うように広がり繁っていた枝葉はすべて朽ち落ちていた。

 少年が居るはずのその場所は、ただの古木のうろと化していた。

 コウは記憶が混濁し、軽いパニックに陥っていた。
 
 自分はいつ、何のためにこの村に来たのか?
 この樹の穴は、いつ、誰が開けたのか?
 中に居たはずの少年は?
 自分がここに来たのはこの村に戻ってから今が初めてなのか?

 最悪の予感が脳裏をよぎる。

 「魔人」と化した自分は、すでに村中を暴れ回り、ここへ来るのも何度目かだったとしたら。
 道を開いてくれた少年を樹の中から引きずり出し、すでに屠ってしまっていたのだとしたら。

 少年の痕跡を求めて朽ち果てた樹の幹に縋りつく。
 子供の頃、いつもこうしてまどろむ少年を起こしていた。
 少年は目覚めた合図にふわりと甘い花の香りを届けてくれた。
 二人だけの密やかな儀式。秘密の逢瀬の始まりの合図。

 けれど。

 今鼻につくのは、自分が屠った人々の返り血の匂いのみ。

 全身が軋み、再び強い破壊衝動が蘇りかけた時、かすかに花の香りがした。
 コウが縋りついた幹の根元に、その小さな花は咲いていた。
 
 コウは少年がすでに樹の中から出て、とある役目についていることを知らない。
 その花は、コウの帰りを待てない少年が、せめてもの詫びにと咲かせておいたものであった。

 「おい! 早く逃げろ!!」

 足元の花に手を伸ばそうとした時、背後から大声で叫ばれた。
 コウに追われ、森に逃げ込んだ村人であった。

 村人の言葉で、コウはようやく、意識だけでなく、姿もヒトに戻っている事に気付いた。
 背後を気にしながらこちらへと近付いてくるその顔には見覚えがあった。
 まだ村に住んでいた子供の頃、年の離れた弟を構うようにコウを可愛がってくれていた青年だった。
 当時と変わらぬ容姿に、彼が魔族であったことを思い出す。
 コウが村を離れたのは7つの年だった。今では自分の方が年上に見えるだろう。
 名前までは思い出すことはできなかったが、コウは彼を『兄(あん)ちゃん』と呼んでいた。

「……コウ?」
「兄ちゃん……?」
「やっぱりお前か。その格好……その……」

 青年は言葉を濁し視線を逸らした。

 魔人化している時のコウは普段の体格の1.5倍ほどの大きさになる。
 ヒトの姿の時に身につけていた衣服など、筋肉の膨張で破れ、ただのぼろきれになってしまう。
 魔人からヒトに戻った今は、全裸と言ってもいいような有様であった。
 
「……犯られた……のか?」

 誰に、とは言うまでもないと思ったのだろう。
 その誰かが自分なのだと言えるはずもなく、コウが黙り込んだままなのを肯定と受け取った青年は、自分の背負っていた荷物の中身をあさりながら毒づいた。

「殺すだけじゃないのかよ!」
 
 目当ての物を探し当てた青年は、手に持ったそれをコウに投げて寄越した。

「とりあえず、それ羽織っとけ。今は昔話をしてる暇はねぇ、逃げるぞ」

 手渡されたのはフードのついたマントのようなものだった。
 コウは言われたとおりにそれを羽織るとフードを目深にかぶり、前をぴっちりと合わせた。
 荷物を背負った状態で上から来ても大丈夫なつくりなのか、裾広がりの身頃にはかなりの余裕があった。これなら魔人化が始まってもすぐには気付かれずに済む。

 右目の奥にざわざわとした感覚があった。
 今のところヒトの姿を保ってはいるが、この感覚は魔人化の兆しであった。
 コウは途中ではぐれたふりをして姿を隠すつもりでのろのろと立ち上がった。

「歩けるか? この先の『礎の丘』までいけば、山向こうへの抜け道がある」
「『礎の丘』?」
「ああ、お前はまだがきんちょだったから教えられてなかったな。実はこの村、結構やばい場所にあるんだよ」

 青年の話に寄れば、この村のある小高い山は、はるか昔、魔物の巣窟だったというのだ。
 明確な自我や知性などもたない有象無象の邪なモノがはびこる土地であったと。
 かつてヒトに追われた『ラセンの一族』は、生き延びる為にヒトの近寄らぬこの山に入り、魔封じの術を用いてこの土地の魔を退け、村を築いたのだという。

「魔を封じるには『礎(いしずえ)』が必要なんだ」
「あの丘に罠でも仕掛けてあるってのか?」
「罠……ねぇ。ま、そうなるか。エサだと思って食いついたら封じられるわけだから……」
「エサ? まさか、生贄を捧げてるとか言うんじゃないだろうな?」

 コウの脳裏に嫌な予感が走った。
 樹の中に居たはずの少年。

「そんな生々しいもんじゃねぇよ。ま、見た目は魔物好みの美少年の姿をしちゃいるがな」
「……どういう……事だ?」
「“生き人形”って言えば解るか? 要するに自分の意思も感情も何もない、生きてるだけって奴さ。そいつを何百年かに一体、サクヤ様が『命の樹』の力を借りて生み出すんだ。意思も感情も無くてあるのは魔封じの能力だけ。人形の見た目に欲情して押し倒した時点でそいつらはもう終わりだ。人形を犯せば犯すだけ自分の存在を形作っている欲望が鎮められちまうんだから、最後には跡形もなく消えちまうって寸法さ」

 コウは胸の奥からせり上がって来る吐き気を懸命に堪えた。
 右目の奥のざわめきが一段と大きくなり、目の裏にちかちかとした光が瞬き始めていた。

 「命の樹」から生み出される「礎」と称される、少年の姿をした生き人形。
 魔物たちの慰み者になりながら、その欲望を鎮め、封じるために生み出された存在。
 それはまさしく、コウが出会ったあの少年の事ではないのか。
 だがあの少年は、人形などではなかった。
 コウと共に笑い合い、語り明かした。

「とはいえ今の『礎』は、樹から出た時に言葉を話したってんで、ちょっとした騒ぎにはなったけどな」


 ”今”の「礎」―――

 コウの中の何かが音を立てて崩れていった。

「言葉を話したのに、『礎』にしたのか……」
「多少の後ろめたさはあったけどな。けど、本人が行くっつったんだ。他に代わりなんていねぇし、それに……」
「誰も、止めなかったのか? サクヤも……親父も?」
「タキ様か? つらそうにはしてたけどな。けど結局、名前を与えて送り出してたから、知ってたんだろ? 名前を持って『礎』の役目についた者は……」
「名前が……ナンに……なル……ト……」

 限界だった。
 瞬き程度であった目の裏の光が、激しい点滅に変わってゆく。
 歩みを止めたコウに気付いた青年は、訝しがって振り向いた。

「コウ? 具合でも悪く……ッ!?」

 コウの顔の右半分は、すでに魔人のものへと変わり始めていた。





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