お終いの街3


PAGE12

 かつてすべてを砂塵に帰す為に向かった道のりを、今また辿る。
 コウは広げられた地図を前に、眉間にシワを寄せていた。

 目的地は「そこ」ではないが、近くを通過することになりそうなのだ。
 ある程度整備された道を進めばそうなることは当たり前なのだが、あまり気分のいいものでもない。

 かといって異議を唱える権限などないコウとしては、せいぜい良天に恵まれて、感傷に浸る間もなく通り過ぎることを願うばかりだった。

 今回請け負った遺跡の調査に関して言えば、元々は正式な手順で軍からセキエイに依頼されたものだった。助手の人員の選出はセキエイに一任するとのことだったらしく、コウとサキが同行することになったのも、昔馴染みだからとセキエイに請われての事だった。

 すでに現役を退いているセキエイに便宜を図るために、軍から案内人を寄越すというのも承知していたが、コウもセキエイも、大して気に留めていなかった。

 誰が来ようが、顔をあわせたところで、二人を知る者など現在の一般兵には存在しないし、正体が知れたところで、知ってしまった本人の、命か記憶のどちらかが消されるだけの事であった。

 コウもセキエイも、現在の軍にとって表向きの利用価値は無いが、その能力故に、野放しにしておくわけにもいかないという厄介な存在なのである。

 共に、軍の研究施設で殺戮兵器となるための肉体改造を受けている。
 コウは薬物投与によって身体の構造を作り変えるメタモルフォーゼの能力を有し、セキエイの身体の大部分は機械化され、その心臓は核融合炉である。

 同時期に改造を受けた者は他にも多数存在したが、軍の方針が変更になったことで彼らは皆、秘密裏に処分された。コウとセキエイが生き残っているのは、ひとえに、生まれついた血筋ゆえである。

 ヒジリの一族とロンの一族はそれぞれ別方面で国の根幹にかかわる縁を持っていた。
 己のルーツにまで思考がおよびそうになった時、ふいにノックの音がして、ドアが開いた。

「コーウっ! 食事の準備できたって。下行こうよ」

 ドアの間から顔をのぞかせたサキの声が響く。

「ああ、今行く」

 軽く手を上げて答えたコウは、地図を畳んでテーブルの上に置くと、煙草の箱を手にしてサキの後に続いた。


◆◆◆◆◆


 コウ達は今、砂漠地帯の入り口にあたる比較的大きな街に滞在していた。
 石造りの建造物が美しいこの街は、砂漠を抜ける者にとって重要な補給地点であり、旅に必要な物資は大抵揃えることができた。また、この街を基点に砂漠探索に出かける観光客も多く、宿の数も充実していた。

 規模もサービスも様々な宿の中で一行が選んだのは、大通りから少し外れた、部屋数は少ないが、とびっきり旨い食事を出すと評判の、酒場を兼ねた宿屋だった。

 元々は酒場のみで営業していたのが、酔い潰れて眠ってしまった客を空き部屋に泊めているうちに、宿屋としての評判が立ってしまったというのが本当のところらしい。

 『旨いもんが好きな奴に悪い奴ぁいねぇ』というのが主義の主人が営むこの宿は、客を選ぶ基準が、食べ物の好き嫌いがあるか否かだけであった。
 好き嫌いなく、なんでも美味しく平らげるなら、職業も種族も問わないというのである。

 サキの手料理ですっかり舌の肥えてしまった『レプリカ』達と一緒の旅で、ここよりふさわしい宿などないだろうと、宿を選んだサカキは上機嫌でジョッキを呷って料理を注文していた。

「あらあんた、またこっちの基地に配属されたのかい?」

 山盛りの料理を載せた大皿を運んできた宿屋の女将が、サカキを見て驚いたように言った。
 コウを除く4人の視線がいっせいにサカキに向いた。

「大佐、この店来た事あるんだ?」
「どうりで自信満々で薦めるはずですねぇ」
「そういえば、以前はこの街の近くにも基地があったそうですね」
「大佐って実は結構、遊び人さんだったんですね!」

 好き勝手に憶測やら疑問やらを口にする彼らに、サカキは答える記憶を持っていなかった。

「え、あ、いや……」

 サカキが口篭っているうちに、女将が勝手に解説してくれていた。

「この旦那がウチに出入りしてた頃は確か軍曹さんだったんだけどねぇ」

 週末になると大勢の部下と一緒に繰り出してきては、朝まで飲んで騒いでいたんだよと、懐かしそうに語る女将の顔を、けれど、サカキは思い出すことができなかった。

「すまん、覚えてない」
「覚えてないんじゃなくって、思い出したくないの間違いだろう?」

 けらけらと笑った女将は、サカキの背中をばんばんと容赦なく平手で叩いた。

「大丈夫だよ、あんたたちのツケも、壊した店の修繕費も、いつも週明けには男前の少尉さんが来て払ってくれてたんだから」

 取り立てるような借金は残ってないから安心しろと豪快に笑う女将に、サカキは、本当に覚えていないのだとは言えなくなっていた。

「ね、『男前の少尉さん』って……」

 サキが小声でコウに尋ねようとするが、コウは人差し指を唇に立て、黙っているようにと示した。ツケの支払いだけでなく、何度かサカキたちと一緒に飲みに来たこともあったが、できることなら、この連中の前では思い出して欲しくなかった。

 ひとしきりサカキに絡んだ女将は他の客に呼ばれ、コウに声を掛けることなく立ち去った。その後も何度か注文を受けに来たり、料理を運んできたりもしたが、店が混み合ってきたせいもあり、サカキ以外の昔話に花が咲く事は無かった。

 部屋に戻り、サキと交替でシャワーを浴びる。
 小規模ながらも繁盛しているのだろう。水の貴重なこの地域で、時間帯が限られているとはいえ、お湯で身体が洗えたことに驚いた。

 サキが浴室に入ったところで、部屋を訪れる者がいた。
 ノックと共に声を掛けてきたのは、先ほどの女将だった。

「ちょっといいかい?」
「何か?」

 ドアを開けずに返事だけを返す。

「あんた、あの時の少尉さんだろ? 砂漠に行くなら伝えときたい事があるんだよ」

 気付かれたのなら仕方が無いと、コウはドアを開け、女将を部屋に入れた。

「用件は?」

 長々と昔話をするつもりはない。単刀直入に切り出すと、女将は懐かしそうな笑顔になった。

「ナリは随分くだけたようなのに、そういうとこは変わって無いんだねぇ」

 呆れたように言いながら、エプロンのポケットから小さな箱を取り出した。

「あんたの連れてた綺麗なコ、『ラセン』だろ?」

 コウの表情が一瞬にして険しくなったが、女将はお構い無しで話を続けた。

「この頃砂漠をうろついてる変な連中が居るんだよ」

 女将の話によると、数週間前から得体の知れない集団が砂漠のあちこちで目撃されており、遭遇した者が言うには、彼らは『ラセンの民』と名乗り、自分たちの神を迎えるために聖地へ向かう途中だと話していたというのだ。

「聖地?」
「こっからオアシスを2つばかり越えた先に遺跡があったろ? 多分そこじゃないかねぇ」

 コウたちが調査に向かおうとしているのもその遺跡だった。

「だからさ、そんな連中にあのコが見つかったらまずいんじゃないかと思ってね」

 女将は小箱をコウに手渡した。中には黒いガラスのような小さなレンズが二つ入っていた。

「カラーのコンタクトレンズ?」
「あのコの目、ラセンの中でも特別なんだろ?」
「何故それを……」
「昔、おんなじ目の男に会った事があるんさね」

 この街で酒場を開く以前、夫婦で旅の行商人をしていた時に、病に倒れた夫を治療してくれた男が、サキと同じ目をしていたのだという。治療の間、男の瞳は金色に輝いており、不思議に思った女将が尋ねると、男は『ラセン』の名を口にして、金色の虹彩は、一族の中でも特別な能力を持つ者にだけ現れるのだと話してくれたということだった。

「薬草の調合は上手いくせに、料理のセンスはからっきしの男だったよ」

 薬と一緒に出された食事の味のひどさは一生忘れないだろうと笑い飛ばす女将に、コウはその男が誰なのか思い当たった。サクヤは、致命的といっていいほど料理が下手だったのだ。

「あんたたちの行き先がどこかは聞かないけど、砂漠を通るんなら、持っていきな」
「ありがたいが、何故こんなものを持ってるんだ?」

 コウの疑問に、女将は自分の片目にひとさし指を添えた。
 軽いまばたきで指先に黒いレンズが乗る。
 女将の瞳は、ヒトには有り得ない、薄い紫色をしていた。

「魔族……だったのか」
「父方のじいちゃんがね」

 隔世遺伝で瞳の色だけが現れたのだと語った女将は、慣れた手つきでレンズを元に戻した。

「ああ、旦那はこのこと承知であたしを嫁に貰ってくれたんだから、心配いらないよ?」

 けれど酒場の常連客は知らない事だからと言われ、コウは黙って頷いた。
 女将は自分の予備のコンタクトレンズを、サキのためにと持ってきてくれたのであった。

「お借りします」

 改まって礼を述べるコウに、女将は返さなくていいと言った。

「ひとつ持っておくと、これから先も何かと便利だよ」

 ずっと一緒に暮らすつもりなのだろうと訊かれたコウは、女将の意味有り気な笑みに思わず頬を赤くした。それは、秘密にしていた恋人の存在を、親に言い当てられたような気恥ずかしさであった。

 かつての部下に、この店に来ると必ず酔いつぶれて泊まっていく者がいた。
 朝になってこの女将に叩き起こされるのが、母親に叱られているようで嬉しいのだと言っていた部下は、基地への配属直前に母親を亡くしていたのだった。

 母の顔すら知らないコウは、当時はその部下の心境を理解する事が出来ずにいたが、今なら少し、判るような気がしていた。歯に衣を着せぬ物言いが心地良いのは、女将の心根が母性に裏打ちされているからなのだろう。

 わが子を見守る母の眼差しというのは、きっと今の女将の視線のような事を言うのだろうと、コウは思った。

 もう一度感謝の言葉を口にしようとしたところで、サキがシャワーを浴びて部屋に戻ってきた。事情を知らないサキは驚いた表情をしながらも、ぺこりと頭を下げた。

「これからお楽しみなんだろ? 邪魔して悪かったね」
「は?」

 にっこりと笑った女将は、ウチの宿の壁は音を吸うから安心していいよと言い置いて、部屋を出て行った。

「えーと」
「気にするな。荷物の確認したら寝るぞ」
「それはもう、済んでる……けど……」

 どこか落ち着かない様子で部屋の鍵を閉めに行くコウを、サキは面白そうに見つめていた。
 良くは判らないが、コウは、女将とは打ち解けて話をしていたらしい。
 緊張を解いて素に戻ったコウを見るのは久しぶりだった。
 女将に言われた「お楽しみ」という言葉を妙に意識しているらしいのがありありと判る。

「寝るぞ」

 部屋の明かりを消して、ぶっきらぼうに告げる。

 二人部屋のベッドは、人が通れる程の隙間を開けて、窓を頭に壁際から並んで置かれており、少し押せば、くっつけることもできる距離だった。

 ベッドの間に立ったコウが、すでに外側のベッドに上がりこんでいるサキを見て言った。

「……これ、つけるか?」
 






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