お終いの街3


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 独り寝の夜に数えるほどしか使われた事の無いサキのベッドが、二人分の体重を受け軋んでいた。

「ここか?」
「そ……う……ッ」
「次は? どこをどんな風にされたんだ?」

 コウの指が、舌が、シグに触れられた部分を同じように辿る。
 撫でられたと言えば強く擦られ、舐められたと答えれば跡がつくほど吸い上げられた。
 最初はからかい半分だったコウの口調が徐々に怒気を含んだ声音に変わる。

「ごめん……」

 問われるままに答えていたサキの口から漏れた謝罪の言葉に、はっとコウの手が止まる。

 責めるつもりなどなかったはずなのに、気付けばサキの肌のあちこちに、キスマークと呼ぶには色の変わり過ぎた痕を付けてしまっていた。

 からかって、困らせて。
 他の誰かに触らせるなと冗談交じりに一言釘を刺して。

 それだけのつもりだったはずが、サキの口からシグとのやり取りを聞かされているうちに腹立たしさが募り、抑えがきかなくなっていった。

「コウ……?」
「悪かった。お前が悪いんじゃないってわかってるんだけど、な」

 不思議そうな表情で起き上がるサキの隣に並んで座りなおしたコウは、サキの乱れた髪を手で梳いて直してやりながら、もう一度小さくごめんなと呟いた。

「なんでコウが謝るのさ? 俺がシグとあんな事してたから怒ったんだろ?」
「まぁ、な」
「コウはシグとキスもできないのに俺がシグと……」

 サキの言葉にコウの顔色が変わる。

「ちょっと待て。さっきのごめんってのは、そっちの意味なのか?」
「え? そっちの……って? え?」

 サキはコウの不興を買った原因は、自分がコウを差し置いてシグに手を出したからだと思っているようだった。

「お前、俺をなんだと思ってるんだ……」
「だって、コウ、シグのこと……」
「お前がいるのに、なんでそうなるんだよ……」

 コウの言葉に、サキは弾かれたように顔を上げた。
 その顎に手をかけ引き寄せると、半信半疑の瞳がこちらを見つめていた。

「もう少し、俺に愛されてるって自覚を持ってくれよ」

 コウは苦笑混じりで淋しそうに言うと、そのままサキの唇を塞いだ。

 啄むような口付けが、回を追うごとに深く熱くなってゆく。
 誘われるままに差し出した舌を絡めとられ、吸い上げられれば、快感が背筋を伝い身体の芯に熱が篭る。


 はずなのに――


 砂漠の基地での出来事など詳しく聞くのではなかったと、サキは後悔していた。

 今のシグは別人だとコウは言った。姿かたちは同じでも以前のシグではないと。
 けれど、シグを見つめるコウの眼差しは、そうは言っていなかった。
 壊れる前の姿で現れたシグとの再会を喜んでいるようにさえ、サキの目には映っていた。

 愛しているというのなら、何故、シグが触れた場所を知りたがるのか。
 シグに直接触れることはできないから、せめてその痕跡だけでも辿ろうというのではないのか。

 最期を看取ったはずなのに、声を聞いただけで名を呼んだ。
 それだけ想いを残しているという事ではないのだろうか。

「ったく。浮気の現場に踏み込んだ気分だったのは俺の方だってのに……」
「……え?」

 サキは、何を言われているのか判らなかった。

 浮気の現場。


 誰が。


 誰と。


 サキは頭の中で、もう一度、先ほどの騒ぎを順序だてて思い起こしてみた。

 コウが帰宅した時――

 シグは全裸で、自分も似たり寄ったりの格好で。
 コウが最初に目にしたのは、自分だった。
 顔色を無くし踏み込んだ先に居たのが、シグ。

 サカキとコウが取り乱したのは、シグの豹変振りが、過去の姿にあまりに似通っていたから。

「あ」

 もしもあの時のシグの様子が、ごく普通の酔っ払い程度だったなら。

「……う、わ……」

 騒ぎの後で、コウに、何をしていたのかと訊かれた。
 それに自分は何と答えていたのだったか。

 酔ったシグにサカキとのSEXについて愚痴られた。
 サカキにベッドに呼ばれないのは、自分が下手だからかもと落ち込んでいた。
 グリンに教えてもらったから試させてと、伸し掛かられた。

「……」

 サキの胸元に唇を寄せていたコウが、上目遣いにじとっとサキを睨む。

「ちっ……違う違う違うっ! そんなの有り得ないからっっ!!」
「……」
「浮気ってナニ!? 何で俺が! コウがいるのになん、で……」


――お前がいるのに、なんでそうなるんだよ――


 コウの言葉が耳元でリフレインした。

「……じゃ……さっき怒ってたのって……」

 コウの執拗なキスはシグの痕跡を辿る為ではなく、サキの身体についた自分以外の者の痕跡を拭い去るためだったのだとようやく気付く。

「お前は、『レプリカ』相手だとガードが甘くなるから」

 純血種であるサキに対して彼らは無条件に好意を抱いてしまうというのに。
 溜息をついてそのままサキの胸に突っ伏してしまったコウに、サキはおそるおそる尋ねてみた。

「……それって……“ヤキモチ”……ってやつ?」
「……」

 コウは何も答えようとしなかったが、サキの胸に触れているコウの頬が熱くなったのが何よりの答えだった。

 何と答えればいいのだろう。
 サキの頭の中では“ごめんなさい”と“ありがとう”が交互に渦を巻いていた。
 無言のまま動こうとしないコウの吐息がやけにはっきりと裸の胸に感じられる。
 肌に触れるコウの体温を意識した途端に頬が熱くなり、その火照りは瞬く間に全身へと広がった。

 突然熱を持ち始めたサキの身体に、コウはようやく小さな笑みを漏らして顔を上げた。

「自覚できたか?」

 確かめるようにサキの股間に手をやれば、そこはすでに硬くなり始めていた。

「あっ……コ、ウ……」

 かすかに上ずった声をあげたサキは、恥ずかしさと気まずさが同居しているような複雑な表情をしていた。そんなサキに、気を取り直したコウは、再び意地の悪い問いを投げかけた。

「……ここも、触らせたのか?」

 Gパンの上から形をなぞるように手の平でゆっくりと撫でさする。
 イエスならば“お仕置き”として、ノーならば“ご褒美”として。

 どちらにせよ、コウは今度こそ最後まで手を止める気など無かったが、サキにそんな思惑が判るはずも無く、何度も口を開きかけては逡巡し、縋るような瞳でコウを見つめながら、答える事ができないまま、徐々に息を乱していった。

「そういや、前、開いてたな」

 ボタンを外し、ジッパーを下ろす。
 下着越しに少し強めに擦り上げれば、先端から滲んだ液で布地にぽつりと染みが浮かぶ。

「俺とサカキが帰ってきたから慌てて着込んだみたいだったよな」
「……ッ」

 染みを広げるように布の上から先端をくりくりとこね回され、サキの腰がびくびくと震える。
 苦痛を与えるつもりの無い、少しばかり悪趣味な前戯。

「それまでは、どんな格好してたんだ? 脱いだのか? 脱がされたのか?」

熱を煽るばかりで達かせてもらえないもどかしさから逃れる術を知らしめるように、コウの声が甘い誘惑の響きを含んでサキの脳裏に流れ込んでくる。

 酔ったシグがどこまで試してみるつもりだったのかは知らないが、好きにさせておいたら下着まで脱がされたのだと告白したなら、コウは、どうするのだろう。シグがしたように脱がしてくれるのだろうか。

 脱がされて、握られて、しゃぶられた。

 問われるままに正直に答えれば、コウの手が、唇が、同じ事をしてくれるのだとしたら。
 考えただけで甘い疼きが背筋を走る。
 けれど、もしまた新たな怒りを買うだけだとしたらどうしようという不安も残っていた。

「サキ?」

 優しい囁きと共にコウの手の動きが途切れがちになる。
 答えなければ、これで終わりだと言われたような気がした。
 では、答えたなら?

「自分で脱いだのか?」
「……違っ……」
「脱がされたんだな?」

 こくりと頷くと、コウは慣れた手つきで下着ごとサキのGパンを剥ぎ取った。

「あっ……」

 サキの喉がごくりと鳴った。

 コウの両手が、露わになった太ももを味わうようにゆっくりと撫で、左右に開いてゆく。
 サキは正直に告白しようと覚悟を決めた。
 が、告げられた問いは、サキが思い描いたものではなかった。

「酔っ払って調子付いてる『レプリカ』相手に、こんなところまで見せたのか」

 膝裏を持ち上げ、折りたたむようにサキの腰を浮かせると、コウは押さえつけるようにしながら両手で尻の肉を左右に開いた。

「なっ!?」
「こんなところまで弄らせて。中に奴の出したモンまで残ってるんじゃないだろうな?」
「違うっ! そんなことないっ!」

 挿入の痕跡など無いと承知で、コウは自分の唾液で湿らせた中指をサキのアナルに突き入れた。

「そんなことッ! ……やっ! あ! あああッ!」
「その割には、あっさり奥まで入ったぞ?」

 根元まで捻じ込んだ指を先の方だけくいくいと動かす。
 前立腺を強く刺激されたサキは、息が詰まるような快感に翻弄されながらも否定の言葉を叫び、コウの手を振り解こうと脚をばたつかせた。

「ここは違うと言うなら、そんなに慌てる必要はないんじゃないのか?」
「ッ!!」
「指1本で達けたら、仕置きは終わりにしてやろう」

 “終わり”の言葉にサキの動きがぴたりと止まった。

「……残念そうな顔するなよ」
「ちっ、違っ!」
「いいから、達っとけ」

 コウの指が、サキの奥でくくっと動いた。

「ちょっ、待っ……あッ! はうっっ!!」

 突き抜けるような強い刺激を受けて、サキはあっさりと果ててしまった。
 勢いだけの吐精に快感の余韻など無い。
 腹に散った精液をコウがティッシュで拭う間も、サキは全身を投げ出したまま、顔を背けて唇を噛み締めていた。

「朝までこんな風にしてたいわけじゃないだろ?」

 横を向いたままのサキの額を指でぴんと軽く弾くと、コウは着ていたシャツを脱ぎ捨てた。続いてスラックスと下着も手早く脱いで裸になると、包み込むようにサキの上に覆いかぶさった。

「コウ?」
「こっから先は、昼間の約束の分だ」
「昼間の……って」
「帰ったらたっぷり可愛がってやるって言っただろ? 忘れたか?」

 耳元で、昼間よりもずっと、甘く熱く囁かれ、サキは声だけでくたりと全身の力が抜けてしまった。
 コウの唇が、サキの肌を味わうように吸い付いてくる。
 脚にあたるコウのペニスがぬめっているのが判る。

 さっきまで責め立てられていたせいで、サキの準備はあらかた整っている。
 最初の挿入はきっとすぐに果たされるだろう。

 隣に運び込んだ二人が、そろそろ意識を取り戻すかもしれないという考えがちらりと脳裏をよぎったが、濃厚なキスで唇を塞がれると、思考もそこで停止した。

 乳首を捏ねられ、ペニスを音を立ててしゃぶり上げられ、自分から脚を開いてコウのペニスをねだった。ローションが塗り込められる間も待ちきれなくて腰を振り、声を上げた。

 耳元で囁かれるままに淫らな言葉を口にして、イイコだと深く突き上げられた。

 言葉通りたっぷりと可愛がられたサキは、身も心も隅々まで満たされ、幸福な眠りについた。

 そんなサキの寝顔を、同じように満ち足りた笑顔を浮かべたコウが、煙草を片手に見つめていた。
 深く吸い込み吐き出した煙は、細くたなびき、揺らめく糸となって消えた。

 吸い終えた煙草を灰皿に押し付けたコウは、ふいに空になった煙草の箱を、隣の部屋との境の壁に投げつけた。慌てて壁から離れる気配は、驚いた事に二人分であった。

「おいおい。シグだけじゃなくサカキまで聞いてたのか……」

 サカキにはすでに宣戦布告をしてあった。あとはサキをサクヤの元に連れ帰るのがサキのためだと思い込んでいるらしいシグに、間違いを思い知らせるつもりでサキの“声”を聞かせてやったのだが、サカキまで釣れてしまったとは、どうやら刺激が強すぎたらしい。

 もうこちらの部屋を伺う余裕などないだろうと思うと笑いが込み上げてきた。
 シグはグリンに、サカキは店の『レプリカ』に一度煽られている。
 余韻の残る身体に火を点けるには、サキのコウをねだる声は、格好の起爆剤になったことだろう。

 と、にわかに隣の部屋で人の動く気配があった。
 ドアが開き、かすかにだが廊下をうろつく足音が聞こえる。サカキの足音だった。

「何やってんだ、アイツは」

 音を立てずにドアを開け廊下に出ると、上半身裸のサカキが背中を丸めてキッチンを覗き込んでいた。何かを探しているらしいサカキは、ドアが開いた事には気づかなかったようだ。
 コウは気配を消して近寄り、背後から肩口を軽くつついた。

「うおっ……んぷ」

 驚いて大声を上げそうになったサカキの口をコウの右手が塞ぐ。
 左手の人差し指を立てて口元に寄せたコウは、サカキが頷いたのを確認すると手を離した。

 親指を立ててリビングを指し示し、先に立って歩く。
 テーブルの上においておいた紙袋を手渡してやると、サカキの顔が真っ赤になった。

 店を出るときに土産だと渡された、本とチューブの入った紙袋だった。

「さっきと今と、手本は充分だろう。あとは自分でなんとかしろ」
「何しに出てきたんだよ」
「煙草が切れたんでな」

 買い置きしてある煙草を引き出しから取り出して、ひらひらと振ってみせる。

「持ってくか? “終わった”あとの一服は格別だぞ?」
「……エロオヤジ……」
「お前が言うな。……さっさといけよ、待たせてるんだろう?」
「お、おう」

 ひとつ貸しだとコウに見送られたサカキは、両手でしっかりと袋を抱え、ドアの前で背筋を伸ばし、何度か深呼吸を繰り返してから部屋の中へと消えた。

 咥えた煙草を時間をかけて吸い終えると、コウもサキの眠る部屋へと戻った。
 戻る途中で隣の部屋から漏れ聞こえたのは、サカキを“ダイゴ”と呼び捨てにする、シグの甘い喘ぎだった。

「今度こそ、離すなよ」

 かつてのシグが宝物だと見せてくれた小さな貝殻は、サカキがシグに渡した物だった。
 二人で海を見に行く約束が、今度こそ果たされるように。

 コウはそっと祈りを捧げ、サキの眠るベッドに潜り込んで目を閉じた。





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