お終いの街3


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 午前2時。
 ようやくアパートに帰り着いたコウは、サカキの戸惑いを無視して自分の部屋のドアに向かった。

 セキエイの部屋の明かりはすべて消えていた。
 サキやシグが残っていたとしても、もうすでに眠っているだろう。
 迎えに行くのは朝になってからでいいと、コウは玄関を開けるとサカキを中へと促した。

「おい、誰か居るぞ」

 先に足を踏み入れたサカキが訝しげに呟いた。
 室内の明かりは消えていたが、確かに奥のリビングから話し声がする。

「サキ?」

 サカキを押しのけ、コウはずかずかとリビングへ向かった。
 その手がノブに掛かる前に向こうから扉が開いて誰かが飛び出してきた。

「コウ! おかえり!」

 コウの腕に転がり込んできたのは、あられもない姿のサキだった。
 髪は乱れ、シャツは両腕に引っかかっているだけ。

 前を全開にしたGパンがずり落ちないように両手で引っ張り上げている様は、浮気の現場を押さえられた間男のようだ。

「……邪魔したな、と言った方がいいか?」

 コウの顔から表情が消えた。
 声にも抑揚がなくなっている。

「は? ってちょっと! コウ!?」

 およそ感情の欠片も感じられない仕草でサキを脇に退けたコウは、リビングに入ると明かりをつけた。相手が誰であれ、その場で息の根を止めてやるつもりだった。
が、そこにいたのは、全裸で身をくねらせくすくすと笑うシグであった。

「シグ……お前……」

 コウの背筋を冷たいものが走る。
 この光景は、以前にも見たことがあった。

「おいおい、何の騒ぎだ、こりゃ?」
「っ! 駄目だ! お前は来るなっ!」

 だが、サカキの声に、シグが反応した。
 ぱっと顔を輝かせると、入り口に立ちふさがるコウの脇の下をするりと潜り抜けてサカキに飛びついた。

「ダイゴさまぁ〜、おかえりなさ〜い♪」
「うわっ!?」

 抱きとめたサカキは、派手にしりもちをついて床にへたり込んだ。
 シグの白い腕がサカキの太い首に絡まり、その頬を赤い舌がぺろりと舐める。

「あーもう、酒癖悪すぎ」

 服の乱れを直したサキが、呆れたように呟いた。
 サキの声で我に返ったコウが確かめるように聞き返す。

「酒?」
「そ。俺がシャワー浴びて戻ってきたら、へべれけだった」
「ボトルでも開けたのか?」

 だがリビングにもキッチンにも空の酒瓶が転がっているわけではなかった。
 サキは顔の前で違う違うと手を振ると、黙ってリビングのテーブルの上を指差した。

「……嘘だろ……」
「ホントだって」

 そこにあったのは、先日買出しに行った酒屋でおまけにと貰ったビールのミニ缶だった。
 いわゆる試飲用の、120ml程度のサイズの缶ビールである。それも1本きり。

「冷たいものが飲みたかったら勝手に飲んでいいよって言って、シャワー浴びに行ったんだけど、こんなに弱いと思わなくって……」

 ヒトよりも代謝機能の優れている『レプリカ』はアルコールの分解速度も速い。
 酔いの回り具合に個体差はあれど、醒めるのは一様に早いのだ。
 大抵はほんのりと頬を染めて客をその気にさせても、事に及ぶ頃には素面に戻っている。
 酔って乱れたように見せるのはサービスであり、彼らのテクニックであった。

「アルコールでこれじゃ、媚薬なんて軽めのヤツでも危ないよね」

 何気ないサキの一言がコウの胸をえぐる。

「コウ?」
「あ、いや。ならこれは酒が抜ければ戻るんだな?」
「だと思うけど……水でもぶっかける? 大佐もなんか変になってるし」

 言われてようやくシグの姿態ではなく、サカキの様子に目がいった。
 いきなり裸で抱きつかれて面食らっているだけだとばかり思っていたが、その顔にこびり付いていたのは恐怖の表情だった。

「おい!」

 コウの呼びかけに振り向いたサカキの視線は、コウの顔を見たことで、かちりと何かの焦点が定まったような動きを見せた。

「なんでだ?」

 張り付いたシグを抱きかかえながらゆらりと立ち上がる。憤怒の表情だった。

「あんただから、任せた! なのに、なんだってこいつはこんな姿になっちまってんだ!?」

 まるであの日を再現しているようだった。
 違うのは、シグが身を任せているのがコウではなく、サカキであるという事だけ。
 サカキがコウに投げつけたセリフは、あの日と同じものだった。

(記憶がフラッシュ・バックしてやがる)

「落ち着けよ。そいつは、違うだろう?」

 サキを後ろに下がらせ、コウは一歩踏み出した。
 この図体で我を忘れて暴れだされたら、さすがに無傷で黙らせる自信は無かった。
 アバラの2,3本は諦めてもらおうと拳を固めたその時、コウの目の前を蒼黒の髪がよぎった。

 サキの白い指先がシグのうなじを撫で、サカキの額の真ん中をとん、とついた。
 糸の切れた操り人形のように崩れ落ちたサカキに、すでに意識は無かった。
 サカキの腕に抱えられたままのシグも、安らかな寝息をたてている。

「家の修理で出発を遅らせるわけにはいかないからね」

 事も無げに言い切ったサキは、サカキの腕の中からシグを抱え上げ、コウの寝室の前に立った。

「ドア、開けてくれる?」
「あ、ああ……」

 コウのベッドにシグを寝かせて、今度は二人がかりでサカキを担ぎ込んだ。
 朝になればシグの酔いも醒めているだろうし、シグが元に戻っていれば、サカキも暴れる事は無いであろう。とりあえず眠らせてしまえば良いというサキの判断は正しかった。

「すまん。助かった」

 寝室のドアを閉めながら、コウがサキに頭を下げる。

「コーヒー、淹れるね」
「ああ」

 苦笑いを浮かべながらキッチンへと向かうサキの背を見送り、コウはリビングのソファに身を投げ出した。脱ぎ散らかされたままのシグの服を片付ける気にもならずにぼんやりと眺めていると、目の前にカップが差し出された。

 労うような眼差しに、コウは溜息混じりの苦笑で答えた。

「……『前』にも、おんなじこと、あったんだ?」
「酒じゃなかったけどな……」
「薬?」

 コウは唇を湿らすように、コーヒーを一口飲むと、黙って頷いた。
 サキはコウに寄り添うように隣に座ると、自分のカップを口元に運んだ。

 砂漠の基地の話は以前にもサキにしたことはあった。
 だが、そこで起きた出来事までは話していなかった。
 古傷をえぐるような昔話ではあったが、サキが受け止めてくれるなら、救われる気がした。

「今みたいなSEX専用の『レプリカ』ってのはまだなくて、そのための実験体にされてた」

 今、サカキと行動を共にしているシグの話ではない。
 コウが砂漠の基地で出会った、“最初の”シグの話だ。
 あの時のシグは、もういない。
 白い砂となった彼は、書庫の奥でひっそりと、今も醒めない夢を見続けている。

「大佐のその時の記憶って、消されてたんじゃなかったの?」
「消したって言うより、思い出せないように細工してただけみたいだな」

 綺麗さっぱり消されているなら、あんな反応は示さない。
 今のシグに積極的に触れられないのも、あの時の記憶がどこかに押し込められている所為で、
取り返しのつかない事になるのではという恐怖を、無意識に感じてしまうからなのだろう。
 記憶を操作されたサカキにとっては今も昔もない。シグはシグなのだから。

「元には、戻らなかったんだ」
「あいつの知る限りではな」

 正気に戻す事はできた。けれど。

「そっか……」

 サキはそれ以上は何も言わず、ただ、大丈夫? とだけ訊いた。
 いつものふわりとした温かな空気がコウを包む。
 心の荷が軽くなったような気がした。

「大佐って、その頃からシグのこと大好きだったんだ」
「自覚してないのは本人だけって有様でな」

 サカキ本人は貴重な備品を大切にするのは当たり前だと言って譲らなかったが、誰が見ても特別な感情を抱いているのは明らかだった。

「もし、記憶が戻っちゃったら……。大佐は、今のシグも大好きでいられるのかな」
「あいつなら、上手く割り切るだろう」

 サカキなら、むしろ以前のシグにはしてやれなかったからと、今のシグにこそあらん限りの愛情を注ぐように思えた。

「シグは、それでも平気なのかな」
「気にもしないんじゃないか? 別に以前の記憶まで移植されてるわけでなし」

 『レプリカ』なんだからそんな複雑な感情など持ち合わせていないだろうというコウの言葉にサキは表情を曇らせた。

「けど、俺と話してる時は大佐の事“ ダイゴ ”って呼んでたんだよ?
なのに、さっきは“ ダイゴさま ”って……。もしかしたら、今でももう、無理してるのかもしれない」
「自分の気持ちを隠して、普通の『レプリカ』らしく振舞ってるって事か?」

 呼び捨てにしたのをサキに指摘されて慌てたのは、きっといつもは自分の胸の中でだけ、そう呼んでいたからなのだろう。

「酔っ払ってあんな風になったのだって、『レプリカ』ならあれ位出来なくちゃって思い込んじゃってたからかもしれないし」

 サキは昼間のグリンとシグのやり取りを話して聞かせた。

「なるほどな。人格未調整の『レプリカ』か」

 民間製であれ、軍製であれ、『レプリカ』は通常、ヒトに都合のいい道具として使役する為にあらかじめ自我を抑制し、感情面への様々な規制を加えてから、役割に応じた知識や技能を与え、出荷される。

 シグはどうやら、人格に関わる部分の調整を受けぬまま、ヒトに対する服従心と任務に関する知識のみを与えられてサカキの所有となったらしい。
 道具としての自覚を持ちながら、ヒトと同じような自我や感情を持つというのは、ある意味残酷なように思えた。サキが危惧しているのも、その部分なのだろう。

 サキも以前、コウへの想いを必死に抑えて、道具であろうとしていた時期があった。
 自分で自分を抱きしめて、声を殺して泣いていた白い背中を、コウは今も忘れてはいない。

「シグ、心が壊れちゃったりしないかな……」
「そうなる前に、あの馬鹿が口説き倒すと思うがな」
「でもさっき、シグにせまられて真っ青になってたし」
「中途半端に記憶がちらつくからああなるんだ。なんなら全部話して聞かせてやるさ」

 あまり思いつめるなと、コウはサキを抱き寄せた。
 辛くはないかと問うサキの髪を撫で、頬擦りをしながら、耳元で、お前がいるからと囁く。

「ところで……もうひとつ、聞いておきたい事があるんだが」
「?」

 甘い予感に頬を染めたサキに、コウは睦言の続きのように声を落として静かに訊いた。

「お前らさっき、何してたんだ?」

 サキの背中を冷たい汗がつつと流れた。




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