お終いの街3


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 サキがキッチンで途方に暮れている頃。
 コウとサカキの両名は、ちょうど店の裏口から外へと出たところであった。

 帰り際に手渡された紙袋の中身が気になるのか、サカキはしきりに袋を上下に振って音を確かめていた。

「なあ。これって何が入ってるんだ?」
「開けてみりゃいいだろう」
「ここでか?」
「何か不都合でもあるのか?」

 しばし何かを考え込んでいたサカキはきょろきょろと辺りを見回し、酒屋のシャッターの前に詰まれた木箱を見つけるとそこにちょこんと腰をおろし、膝の上に袋を置いてから、おもむろに両手で袋の口をそっと開いた。

「お前なぁ……」

 妙なところで行儀の良い大男に、コウは軽い疲労感を覚えた。
 ここで煙草に火を点けたなら、灰皿のあるところで吸えと言われるかもしれない。

「何が入ってたんだ?」

 実のところ、コウもサカキが渡された袋の中身が何かは知らなかった。
 危険物ではないとライが言っていたので気楽に開けてみろと言ったが、黙りこくったサカキの様子からすると、外で開けない方が良かったのだろうか。

「おい?」
「うわっ!?」
「な、なんだよ。ん? 本?」

 情けない声を出してうろたえたサカキの膝から1冊の本が袋もろとも滑り落ちた。
 落下の勢いで開いたページが街灯の明かりに照らされる。
 そこには少年とおぼしき年代のむき出しの下半身の写真と詳細な内部構造の図が、解説文と共に載っていた。

「……How to本ってやつか。随分と気の利いた土産だな」
「なんだってこんな……」
「さあな。シグが未調整の『レプリカ』だったからじゃないのか? 会ってんだろ?」

 単に先刻のやり取りを盗聴していたナギの悪戯だろうと予想はついたが、説明するのも面倒だからと、コウはもっともらしい憶測を述べるにとどめた。

「この街に来てあんたらへのつなぎに一遍会っただけだぞ?」
「ま、プロだからな」
「そういうもんなのか?」
「あいつは元々魔族専門の医者だ。『レプリカ』の身体についても詳しいさ」
「おお!」

 医者という言葉に得心がいったのか、サカキはそれ以上の追求はせずに大柄な身体を折りたたんで本を拾い上げた。丁寧に埃を払い、袋にしまおうとしたところで、一緒に入っていたチューブの存在を思い出す。

「じゃ、このチューブは、アレか? その、潤滑剤とかそういう類の……」
「見せてみろ」

 受け取った袋の中を覗き込む。
 大きさの違う素っ気無い白いチューブが数本、色違いのラベルが貼られて入っていた。
 市販のチューブではない。ラベルに書かれた文字は、ナギの筆跡だった。
 成分表示と詳しい使用方法の記された処方箋まで添付されている。

 単なる潤滑剤ではなく、鎮痛剤やごくごく軽めの筋弛緩剤なども含めて調合された、ナギのスペシャル・ブレンドだった。

 さらには解熱剤から裂傷や擦過傷に用いる軟膏にいたるまで、きっちりと揃えてある。
 どうやら悪戯などではなく、本気でシグを気遣っての事らしい。

(完璧に初心者扱いしてやがる。でもまぁ、概ね正解か。さすがだな)

 ヒトに対しては拒絶反応を示すナギだが、魔族や『レプリカ』に対しては驚くほどに細やかな心配りをする。その理由を思うと同情を禁じえないが、憐みはナギの最も忌避する感情でもある。ここは素直に感謝の念を捧げるべきなのだろう。

「よっぽど気に入られたらしいな」
「俺がか?」
「んなわけあるか。シグだよ。痛い思いをさせないための装備一式が入ってる」
「え」
「壊したくないんだろ? だったら不精せずに勉強しろってことだ。ほら」

 返された袋に本をしまったサカキは、大事そうにそれらをそっと抱え込んだ。

「すまん」
「礼ならナギに言うんだな。ちなみに奴は米で造った酒が好物だ」

 お前の故郷の地酒でも届けてやれと言い置くと、コウはさっさと歩き出していた。

「あ、おい! 待ってくれ!まだ……」

 サカキの声に、コウは軽い舌打ちをして立ち止まった。

「今更、何の話をするつもりだ?」

 背を向けたままの言葉は、ひどく冷酷な響きを持っていた。
 サカキは腹の底を見透かされたような気がしてその場に立ち竦んだ。
 コウの背は、何も言うなと告げていた。

「あんた、まさか……知ってたのか? 俺が……」
「言うなよ? 言えばこの場で敵と見なすぞ?」

 サカキは思わず生唾を飲み込んだ。
 ごくりと鳴った喉の音だけがやけに大きく鼓膜に響く。

「いつから……」
「……お前、最初に会った時、俺がサキを身体で繋ぎとめてると思っただろ」
「なんっ……!」
「俺を殴り倒してサキに銃口を突きつけられた時、自分が何て言ったか覚えてるか?」


―――『……俺はお前をっ……』―――


「ッ!」
「俺を連れ出しておいて、その隙にシグに探りを入れるように仕向けたんだろう?」

 図星だった。

「お前がやけっぱちの宣戦布告をしないうちに言っておく。……サキに手を出すな」
「俺に、軍を裏切れって言うのか?」
「……お前は、馬鹿か?」

 呆れたように首を振り、コウはゆっくりと振り返った。

「今の一言で、お前は俺を敵に回した事になるって自覚してるんだろうな?」

 殺気とも邪気とも判別のつかない禍々しい気配がコウの全身から立ち昇る。

「ま、待ってくれ! 俺は!」
「お前が俺の敵に回るなら、俺はお前の目の前で、シグを犯して砂に変えてやる」

 サカキの脳裏にナギの店で目にした光景が鮮明に蘇る。
 コウの精を受け、白い砂になって命を終えた『レプリカ』の少年。
 あの時は、処分場に送られて生ゴミのように捨てられるより遥かにましな終わり方だと思った。

 だがそれは、所詮は他人事だったからこそなのだと思い知る。

「う、あ……」

 さらさらと指の間をこぼれていった白い砂にシグの面影が重なり、サカキは恐怖した。
 あの黒い髪が、瞳が、目の前で崩壊してゆく様など耐えられるはずがない。
 そんな思いを味わうくらいなら、いっそもろともに切り刻まれた方がまだ救われる気がした。

「ああ、心中志願で二人まとめて特攻かけてくるってのも勘弁してくれな」
「どうして判っ……え!?」

 サカキが我に返った時には、コウの禍々しい気配は消えていた。

「守りたいならもう少し言動に気を配れ。でないとどっちに転んでも亡くす事になるぞ」

 宥めるようなコウの口調は、部下の身を案じる上官のようであった。
 苦い思いを噛み締めているような表情は、もう二度と、同じ想いは繰り返したくないのだと告げていたが、砂漠の基地での記憶を操作されているサカキにそれが伝わるはずも無かった。

「さっきの言葉は聞かなかった事にしといてやるから」

 ぽんと肩を叩かれたサカキはコウに促されるまま、黙って後について歩き出した。





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