お終いの街3


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――ックシュッ――

 突然背筋に走った悪寒に、コウは派手なくしゃみをした。

「風邪か?」
「ひくか、バカ。……着いたぞ」
「おい、ここは……」
「文句は無しだと言ったはずだ」
「そりゃ…まあ……」

 うんざりとした表情でサカキが見上げたのは、ナギの店のあるビルであった。
 店の入り口のある正面ではなく、裏手にある半地下の駐車場からエレベーターに乗る。

 扉が開くとそこは、真紅の絨毯の敷き詰められたVIP専用のカウンターであった。

「ようこそお越しくださいました」

 うやうやしく二人を出迎えたのは、黒いスーツに身を包んだライであった。

「お部屋へご案内いたします。どうそこちらへ」

 豪奢な内装を施された廊下を、ライが先にたって歩いてゆく。
毛足の長い絨毯が足音を吸収し、周囲はしんと静まり返っていた。

「静かだな」
「本日のお客様はお二方だけですので」

 落ち着かない様子で辺りを見回しながら歩いていたサカキが驚いた表情でコウを見た。

「貸切にしろと言った覚えはないが」

 サカキの予想を否定するようにライに問う。

「内密にとのことでしたので。……お気に召しませんでしたか?」
「……余分な請求書を回されても払わんぞ」
「承知しております」
「なら、いい。……そこか?」

 何度か角を曲がった突き当たりに、大きな両開きの扉があった。

「はい」

 鍵を開け、右側の扉だけを手前に引く。
 扉の先には短い廊下が続き、その奥にもう一つ扉が見えた。

「ここまででいい」
「はい。ではこちらを」

 片手で扉を支えていたライが胸ポケットから取り出したカードキーを差し出した。

「サカキ、行くぞ」
「お、おう」

 無言で頷きキーを受け取ったコウが、サカキを奥へと促す。
 大仰な扉の前で半ば呆然として立ち尽くしていたサカキははっと我に返り、小走りでコウの後に続いた。

 二人が廊下の中ほどまで進んだところで背後から扉の閉まる気配とともに施錠の音が響く。  慌てて振り返るサカキであったが、コウは気にする様子も無く歩を進め、サカキが顔を戻した時にはすでに奥の扉の前に立っていた。

 扉の横の壁に設置された読み取り機にカードキーを挿し込み、数桁の番号を打ち込んでいる。 挿し込まれたカードが壁の役割を果たし、番号を読み取る事は出来なかった。

 内心で軽く舌打ちしたサカキの腹の辺りでカチリと開錠を知らせる小さな音がした。

「入れよ」

 華奢な装飾に反して重く分厚い扉を押し開け部屋の中へと入ったサカキは、ここでも再び立ち尽くすことになった。


 くるぶしまで埋まりそうな絨毯と天井に煌くシャンデリア。

 小規模なダンスホール程の広さの室内に仕切りは無く、右手にバーカウンターと丸テーブルが一組、左手にはガラス張りのバスルームがあり、部屋の中央からやや奥のスペースは、天蓋つきの巨大なベッドが占拠していた。

 さらにはそのベッドを取り囲むように点々と配置された一人ないしは二人掛けのソファ。

(こりゃ乱交パーティーの会場じゃねぇのか……)

 今にも昼間目にした『レプリカ』の少年たちが全裸で擦り寄ってきそうだなどと考えていると、目の前に薄衣をまとっただけの『レプリカ』の少年が現れた。

「え?」

 錯覚だと思った。

 くだらない妄想を抱いたせいだと自分に言い聞かせ、瞬きを繰り返した。

 だが幻のはずの少年はにっこりと微笑むと、サカキの足元にひざまずき、その靴に口付けをして言った。

「いらっしゃいませ、ご主人様」

 幻覚でも幻聴でもなかった。
 嵌められたのかと振り返ると、扉を閉めたコウと視線が合った。

「……何やってんだ?」

 ぱくぱくと口を動かすだけで言葉にならないサカキの足元に目をやると、驚きに目を見開いた『レプリカ』の少年が居た。

「コウ……さま……?」
「お前……?」

 何故ここにと問う前に、少年はコウに抱きついてきた。

「お、おい!」
「感激です! 僕なんかの最後でもコウ様が来てくださるなんて!」
「!?」

 名前も知らない、2,3度店で見かけただけの『レプリカ』だった。
“お披露目”の相手に気に入られ、そのまま買い取られたと聞いたのはこの少年ではなかったか。確か初期型のフルオーダータイプで、注文主の急死でナギが業者から買い取った――

 少年は最後だと言った。
 見たところ大きな怪我や見栄えを損ねるようなアザなども見あたらない。
 何かのウィルスに感染して発病したというわけでもなさそうだった。

 が、体温がやけに低く、肌の弾力が幾分失われているように思えた。

「お前、生まれて何年になる?」
「10年です」

 民間で創られた初期の『レプリカ』の耐用年数は、長くて7〜8年、5年も保てばいいほうだと言われていた。それが10年。寿命はとうに尽きている。

「随分、大事にされてたんだな」
「はい。とても可愛がっていただきました」
「それなのに、寿命がきたからって返品されたのか」
「わかりません。頂いたお薬を飲んで、目が覚めたらお店の医務室のベッドの上でした」


――心中の生き残り――


 そんな言葉がコウの頭をよぎった。

 愛玩物であるはずの『レプリカ』に、恋愛感情を抱いてしまうヒトもいる。

 少年の飼い主がどんな人物だったのかは知らないが、おそらく寿命の尽きる少年の最後を看取る勇気も無く、さりとて手放す事も出来ずに、共に逝く事を選んだのではないか。

 だが知識の無さが災いして、自分だけが死んでしまったとしたら。
 ヒト向けの内服薬の類は、『レプリカ』には効果が薄いのだ。
 主の異変に気付いた家の者が薬物に詳しいナギに連絡を取ったとしても、何の不思議もない。

 『獣医』の看板を掲げているとはいえ、『レプリカ』も魔族も、身体の基本構造はヒトと大差ないのである。むしろヒトとの差異に精通している分、ナギの方がそこいらのヒト相手の町医者などより、知識も技量も数段上であった。

 表沙汰にはしていないが、実はヒト嫌いのナギだ。飼い主などより少年の手当てを優先し、そのまま手元に置いたのだろう。

 幸福な最期を迎えさせてやる為に。

 馬鹿な飼い主だとコウは思った。
 例え共に死を迎えられていたとしても、一緒の墓に入れるとは限らない。
 『レプリカ』の死体など、粗大ゴミとしか思わないヒトの方が多いのだ。

 遺族が主の遺体をゴミと一緒に埋葬などするわけがない。
 遺言として残しておいたとしても、笑いものになるだけだろう。

 死してなお共に在りたいと願うのなら、人里離れた雪山にでも篭ればいいのだ。
 飼い主に一緒に死んでくれと乞われて拒む『レプリカ』などいない。
 始めから、“そういう風に”創られているのだから。


――“あの子が僕を慕ってくれるのは、僕があの子のご主人様だからなんだよねぇ”――


 そう言って淋しそうに笑ったかつての恩師の横顔が脳裏をよぎる。

 『レプリカ』の現実を知りながら、それでも愛しいのだとセキエイは言った。
 軍製の『レプリカ』の耐用年数は民間製よりもはるかに長い。しかも『ラセンの手』の入ったグリンならば、もしかしたらヒトよりも長く生きてしまうかもしれない。

 どちらかが相手の最後を看取る事になるのか、それとも……

 コウは二人の行く末が、目の前の少年のような事にならないで欲しいと切に願った。
 どちらが後に残っても、とばっちりを食らうのはきっと自分なのだろうから。

 寿命の基準の違うサキに、あの二人が何かを言うとは思えない。
 自分の妄想に半ばうんざりしていると、か細い声が胸元で聞こえた。

「……コウ様?」

 ふいに黙り込んでしまったコウに、少年がおそるおそる声を掛けてきた。

「ああ、悪い。……で、身体の具合はどうなんだ? 最後まで出来るのか?」

 不安を拭い去るように髪をなでてやると、少年の瞳に輝きが戻った。

「はい! あと1〜2回なら挿入しても大丈夫だそうです」
「いいだろう。シャワーを浴びて、少し身体をあっためてこい。こわばってるぞ?」
「あ……! ありがとうございます! 行ってきます!」

 垂直になるまで腰を折り、頭を下げた少年は、ぱたぱたとバスルームへと駆けていった。

「おい」

 事の成り行きに納得できないサカキが当然の如く異議を唱えてきた。

「店を貸し切った代わりにひと仕事しろって事らしいな」
「仕事だぁ? あの死に損ないの小僧と寝るのがか?」
「ああそうだ。馬鹿な飼い主殿に代わってきっちり昇天させてやるんだよ」

 昇天させるという言葉が、単なる比喩ではないことをサカキは肌で感じ取った。
 コウは、SEXの最中に少年の息の根を止めると言っているのだ。それが仕事だと。

 刃物や毒物を携帯しているようには見えない。
 絶頂に達したところで首でも絞めるのだろうか。

「『レプリカ』に死の恐怖なんてのは無いからな。せいぜい気持ちよく逝ってもらうさ」
「薬でも使うのか?」

 思わずといった風に零れたサカキの問いに、コウは眉をしかめた。

「お前、俺の正体知ってて来たんだろう?」
「あんたがあの“魔人”だってのは聞いてるが……血でも吸うのか?」
「俺が吸ってどうする。吸うのはあっちだ」
「はあ?」

 どうやら本当に知らないらしい。

「俺の血は『レプリカ』にとっちゃ、身体を分解しちまうような劇薬なんだよ」
「なんだそりゃ」
「なんだと言われても困るが……」

 てっきり知っているものと思っていただけに、今更自分から話す気にはなれなかった。
 かといってこのまま、はいそうですかと頷くような男でもない。
 どうしたものかと思案していると、バスルームの扉が開いた。

「お、お待たせして申し訳ありませんでした!」

 ほこほこと湯気を上げながら、バスタオルにくるまった少年が駆け寄ってくる。
 念入りに身体をほぐしてきたのだろう。
単なる湯上りの火照りとは別の、匂うような色香が全身から立ち上っていた。

 コウが頬に触れると、うっとりと瞼を閉じて軽く開いた唇を差し出してくる。
 その唇をゆっくりと指先でなぞると少年の手が緩み、ぱさりとバスタオルが落ちた。

「っうわっ!」

 慌てて背を向けたサカキを呆れたように横目でちらと見たコウは、何かを思いついたように少年に告げた。

「あと2回は挿れても大丈夫だって言ったな? だったらコイツのも味わっておくか?」
「ちょっと待て!」
「いいんですか!?」

 サカキの抗議は少年の弾むような声に押しのけられた。

「百聞は一見にしかずってな。見せてやるから、お前も付き合え」






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