お終いの街3


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「いつの間に……」
「んー? キミの口調が普段通りになったあたりから……かな」
「そ……」
「しっ!」


 サキの言葉を遮るように、自分の口元に人差し指をあてたセキエイが、もう一方の手でバスルームを指差す。

 どうやら二人はバスルームの掃除に精を出しているようだった。
 気配を消して近付く彼らに気付くことなく、グリンとシグは話し込んでいた。

「ねぇ、グリン、どうしていきなりお風呂掃除なんか……」
「だって、深刻な話になりそうだったんだもん。邪魔しちゃ悪いでしょ?」

 『レプリカ』同志の気安さからか、くだけた口調の会話だった。

「僕はもう少しおしゃべりしたかったんだけど……」
「だーめ」

 バスタブにつけた洗剤を洗い流していたグリンが、シャワーのコックを閉め、シグに向き直った。

「コウ様とサキさんが不利になるかもしれないような情報は、絶対に渡さないよ?」

 鏡を磨いていたシグも、スポンジを床に置きグリンと向かい合った。

「……グリンのご主人様はセキエイ博士のはずだろ? それとも、博士からの命令?」
「んーん。僕の独断。博士はシグが大佐に言われてた事、知らないもん」

 シグがわずかに眉をひそめる。

「何をどこまで聞いたの?」
「キミたちが僕らに同行する理由」

 グリンの言葉に、サキとセキエイは思わず顔を見合わせた。
 バスルームの入り口を挟むように左右に別れ、気配を消したまま、話の続きに耳をそばだてる。

「同行の拒否を進言するつもり?」

 シグはわずかに重心をつま先に移動した。
 場合によってはグリンを止めなければならない。

「まさかぁ。『レプリカ』の僕にそんなことできるわけないでしょ?」
「……ただの『レプリカ』なら、そもそもこんな風な話し合いを持とうなんて考えないと思うけど」
「それはお互い様」

 話の核心には触れぬまま、相手の出方を探る駆け引きが続く。
 サキは、グリンがこんな話し方をするのを初めて聞いた。

 驚いた表情を向けたサキに、セキエイは得意気な笑みで応えた。
 グリンの飼い主であるセキエイにとって、今のグリンの態度は珍しい物ではないらしい。

 懐っこい笑顔で無邪気に駆け寄ってくる緑の髪の『レプリカ』の少年。

 初めて会った頃はいつも、ヒトに怯えて部屋の片隅で震えていた。
 サキと繋がり『鍵』が開いた事で、ヒトに従うだけだった彼に意思が芽生えた。
 自分たちの元を去るとき、グリンは自分の意思で、新たな主人の下へと赴く事を決めた。

 どうやらその決断は間違ってはいなかったようだ。
 今のグリンは生き生きとして、何より自分をしっかり持っていた。

 その時、バスルームの二人に動きがあった。
 カツンと金属の固まりが床に落ちるような音と同時にグリンの声が響いた。

「いっけないんだぁ。『レプリカ』の銃器携帯は禁止だよ? それとも軍規変わった?」
「グリン……キミ……」

 シグの足元には小型の拳銃が落ちていた。
 サキが持っていたのとよく似た掌にすっぽりと隠れる小口径の銃であった。
 銃を握っていたはずのシグの手首のところには、蔓のようなものが巻きついている。
 その蔓はグリンの掌から放たれ、その生え際をつかむ事で、グリンはシグの手首を締め上げていた。

「はいはい、そこまで」

 セキエイはサキにはその場に留まるように合図を出し、ひとりでバスルームの騒ぎの中に割り込んだ。

 グリンはセキエイがシグの銃を拾い上げ、服のポケットにしまうのを確認すると、ぱっと掌を開き、シグの手首に絡んでいた蔓をその中に収めた。

「あれ? もしかして気付いてなかった?」

 セキエイの登場が信じられないといった表情のシグに、セキエイがにこやかに微笑んだ。

「実戦経験の不足だね。目の前の相手に集中しすぎて周囲への警戒をおろそかにしちゃ駄目だなぁ」

 憮然として黙り込むシグにセキエイは楽しそうに言葉を続ける。

「いいなぁ、その反抗的な目。言われた事しかしない・出来ない量産型とは一味違うって感じだね」
「い、いえっ! そんな…… も、ももも申し訳ありませんっ!」
「謝らなくてもいいんだよ。褒めてるんだから。……さて、グリン?」

 セキエイがヒトであると意識した途端に萎縮してしまったシグを、くすくすと笑いながら見つめていたセキエイがおもむろにグリンに向き直った。

「彼らの目的は何だって?」
「遺跡内部で発掘が予想される特殊な鉱物と、サキさんのお持ち帰りだそうです」
「ふーん……。なんだ、じゃ、今回の黒幕はサクヤ君かぁ。今どこ? 中央の研究所かい?」
「サクヤさんをご存知なんですか? ……ってサキさん、そこにいらっしゃいます……よね?」

 セキエイの忠告を忠実に実行していたのか、サキが僅かに息を呑んだ気配を察したシグが、バスルームの入り口に声を掛けた。

「……」

 溜息をひとつ漏らしたサキは、仕方がないかと自分に言い聞かせ、無言で彼らの前に進み出た。

「サキ君、キミの一族の長殿からのご指名らしいけれど、思い当たる事はあるのかな?」
「まぁ、有りすぎるほど。これでも一族の裏切り者だったりしますから」
「コウ君かい?」

 セキエイのストレートな問いに、サキは思わず苦笑を浮かべた。

「どうしてコウが、博士の事を苦手だって言ってたのか、判りましたよ」

 外見こそ二十代半ばの青年ではあるが、中身はかなり年季の入った人物である。
 あまりに古い、古すぎる知己との再会に、コウは己の人生の不幸を本気で嘆いていたのであった。

 ロン・セキエイ。
 民族色豊かな、古い歴史のある大陸出身の彼の名は、正式には「龍石英」と書くらしい。
 由緒正しい学者一家に生まれた彼は、コウの父が子供の頃から兄のように慕っていた人物であった。

 コウ自身も子供の頃に何度か会った事があり、士官学校時代には教官としての彼に教えを受けた事もあったのだという。
 グリンの飼い主として引越しの挨拶に来た時に気付かなかったのは――考古学者というナギからの触れ込みのせいもあったが――その容姿が、あまりにも変わってしまっていたからであった。

 当時はまだ、子供の頃に遊んでくれた優しい“おじさん”の面影が残っていたのだという。
 今のようなうら若き青年の姿などとはどうやっても結びつかないと、セキエイの正体が判ってからしばらくの間、コウは毎日のように文句を言っていた。

 両親の馴れ初めを知り、自分の誕生の瞬間に立会い、おしめを換えてやった事もあるんだよと
にっこり笑って言われては、コウでなくともあまり近くに居て欲しいとは思わないだろう。
 それだけではなく、セキエイは、事あるごとにコウをからかって楽しんでいた。

 ささいな冷やかしの言葉一つでさえ、確固たる知識と情報に裏付けられた解析の結果なのだから、図星どころの騒ぎではない。

 他人には一番言われたくない言葉、もしくは本人でさえ自覚していなかった本心。

 そういった心の奥の地雷をいとも簡単に掘り当てて、当の本人にしか判らない言い回しで笑顔と共に披露してくれるのだ。

 いっそ敵に回ってくれたら心置きなくぶっとばせるのになと、コウは笑って言っていた。

『苦手だけれど嫌いじゃない。俺の事情をあの人が知るように、あの人の事情を俺も知っているから』

 いつだかそうも呟いていた。

 セキエイの事情をサキは知らない。けれどコウの呟きの中にある種の憐みの様な感情が混じっているのに気付き、それ以上の詮索はしなかった。



「僕が嫌いになったかい?」
「まさか! 俺もコウも、貴方を嫌ったりなんかしてませんよ。……“ロンおじさん”?」
「ッ! サ、サキ君、その呼び方は〜〜ッ」
「はい。コウから聞きました。当時のお話も色々と……写真とか……」

 にっこりと極上の笑みを浮かべるサキに、セキエイはあっさりと白旗を揚げた。

「……話の続きは向こうでした方がいいようだね」
「そうしていただけると助かります」
「待ってください!」

 武器を取り上げられ、尋問の途中で放置されたままになっていたシグが、身の置き所に困ったように言った。

「僕は、どうしたら……」
「キミの口から任務の詳細を話す気はないんだろう?」
「……はい」
「だったら虐めたって時間の無駄だし、僕にはそういう趣味はないからさ。あとはグリンに任せるよ」
「え? 僕がシグを虐めるんですか?」
「いやそうじゃなくて……ってグリン、そういうこと出来たのかい?」
「コウ様に僕がされたのとおんなじ事すればいいのかなぁっ……て……あ!」

 グリンが自分の言葉の威力に気付いた時にはセキエイとサキの周囲の空気が凍り付いていた。

「へぇええええ」

「ほぉおおおお」


「あわわ……お、お二人とも落ち着いて下さいっ! 僕が前のご主人様のところに居た時の話ですし、コウ様もお仕事で仕方なく……って聞こえてますかッ?」

 慌てて取り繕うグリンの肩をシグがぽんぽんと叩く。
 振り返ると黙って首を左右に振っていた。もう遅い、という事だろう。
 諦めたグリンは心の中でそっとコウの為に十字を切った。

「グリン」
「ははははいっ!」

 妙に優しいセキエイの声が背筋に冷たいものを走らせた。

「せっかく綺麗に掃除したんだから、そのまま二人でお風呂に入っちゃいなさい」
「そうだね、俺と博士はちょーっと打ち合わせしたい事ができたから、二人でゆっくりしてるといいよ」

 後に続いたサキの声も微妙にいつもとトーンが違う。

「ぼ、僕も一緒に……ですか?」

 この状況下でシグに選択の余地などないと判ってはいたが、聞かずにはいられなかった。
 今回の調査そのものを妨害するつもりはないとはいえ、友好的とは言い難い立場であると知られてしまったのだ。今は単に打ち合わせとやらの為に部外者は排除しておきたいだけなのかもしれないが、だからといって仲良く背中を流し合えと言うわけでもないだろう。

「シグってさぁ……『レプリカ』の割りに、初心だよね。感度良さそうなのに」
「“そういう仕様”ってわけでもなさそうだし、単なる経験不足って事だろうね。珍しいけど」
「は? 一体何の……」

 シグの問いには答えず、二人はグリンに視線を向けた。

「そういうわけだから、グリン、のぼせない程度に“仲良く”しててよ」
「いろいろと教えてあげるといいよ。彼、“夜の任務”の訓練は受けてないみたいだから、ね?」

 思わせぶりな二人の言葉にグリンは元気良く、相槌を打った。

「ああ! 判りました! 任せてくださいっ!」
「え? ええ!?」

 その後に響いたシグの叫びは、無情に閉められたバスルームの扉の向こうに押しやられた。



「八つ当たり……なのかなぁ、これって」
「まぁ、どのみち無罪放免というわけにもいかないのは彼も自覚してるだろうから……。
ところでサキ君」
「はい?」
「コウ君が帰ってきたら、一発殴ったりしてもいいかな?」
「権利は認めますけど……。最初の一発は俺からって事でいいですか?」






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