お終いの街3


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「ごちそうさま。サキ君、また腕を上げたのかな? 美味しかったよ」
「ありがとうございます」
「やっぱりサキさんのご飯は美味しいですねっ! ごちそうさまでした!」
「グリンだって頑張ったじゃないか。博士、ドレッシングはグリンの力作なんですよ」
「え! そうなのかい? グリンすごいじゃないか、僕の大好きな味だよ。
また作ってくれるかな?」
「はっはいっ! 喜んでっっ!!」

 部屋に戻るというサキをグリンが引きとめ、結局居残り組全員での夕食となった。
 サキの料理の腕前を知っているグリンは献立の一切をサキに任せ、嬉々として手伝いにまわった。

 博士との打ち合わせを終えたシグが手伝いを申し出にキッチンに入った時には、全ての料理の盛り付けが完了し、テーブルに運ぶだけとなっていた。

 手際の良さもさることながら、その味付けの素晴らしさに、シグは言葉を失くしていた。

 昼間サカキと入ったカフェテリア形式のレストラン。
 事前の調査では最高級とはいかないまでも、かなり美味しいと評判の店だった。

 実際普段より少々食べ過ぎてしまうほど、満足のいく味だった。
 素材の良さを自慢する店主に、なるほどと頷いていた。

 だが、サキの料理を口にした今、シグは昼間の店でもう一度食事をしたいとは思えなかった。
 食材は冷蔵庫の中のあり合わせ、秘伝のソースや珍しいスパイスを使ったわけでもない。
 それなのに、うっとりするほど美味だった。

 皿に残ったわずかなソースさえ残すのが惜しくて、パンに吸わせて平らげた。

「……おかわりあるけど……」
「はっ! ……え? あ……い、いえっ!」
「だったら、お皿、離してくれるかな。デザートにするから」

 最後の一口をゆっくりと味わい、その余韻にひたっていたシグに、サキの冷ややかな声が刺さる。
 はたと我に返りテーブルを見回せば、皿が残っているのはシグの前だけであった。

「あっああああ、すみません! ごめんなさい! あんまり美味しかったから……」
「だからって、お皿に味は……っ!」
「サキ……さん?」
「っ! なんでもない。……じゃ、みんなと一緒にデザートにしていいね?」
「デザート……」

 それきり感激の面持ちで黙ってしまったシグを溜息交じりで見下ろしたサキは、それ以上は何も言わず、複雑な心境でキッチンへと下がった。



――『……だからって皿まで喰うなよ? 皿に味付けなんてしてないからな』――





 コウに拾われ、ようやくまともな食事が出来るようになった頃。

 コウの用意してくれる食事があまりに美味しくて、サキはしょっちゅう、空になった皿やスプーンを握り締めたままで、口の中に残る余韻にひたっていた。

 そんな時、コウはいつも呆れたような口調で、それでもどこか嬉しそうにそう言っていた。

 今、同じ言葉を口にしそうになったサキは、かつての自分もああだったのかと思うと、無性に恥ずかしさが込み上げてきて、いたたまれなくなっていた。

「……俺もあんな……だったの……かな?」

 確かに今日の料理は、我ながらいい出来だったと思う。
 それをあんなに幸せそうに残さず食べてもらえるというのは、正直言ってかなり嬉しい。
 コウも同じように嬉しかったのだろうかと思うと胸の奥が温かくなってくる。
 だがその反面、シグに対する警戒心が薄れてゆくのを感じて、サキはとまどっていた。

 もともと負の感情の少ないサキである。
 あからさまな敵意を向けられない限り、そうそう相手を拒絶することなどできなかった。

「ああ、もうっ!」

 自分の中の迷いを振り切るように、ぶんぶんと頭を振ったサキは、手早く人数分のデザートを盛り付け、リビングへと戻った。

 メインを食べ終えた順にデザートの皿を置いてゆく。
 甘い物はあまり得意ではないセキエイには小ぶりのフルーツタルトのみ。
 グリンにはタルトにたっぷりの生クリームとアイスクリームを添えたもの。

 そして――

「……! これ、僕の分……ですか?」

 シグの前に置かれた皿には、二切れのタルトとたっぷりの生クリーム、大きなスプーンで取り分けられたアイスクリームの横にはプリンまでついていた。

「まだ食べたりないみたいだし……甘いもの、好きなんでしょ?」
「はい! 大好きですっ!」
「……どうぞ」
「いただきます! ……あむ……ん……うゎ……わ……わぁ……!!!!!ッ」

 満面の笑みを浮かべて頬張るシグに、サキは困ったような呆れたような、小さな溜息をついて自分の席に座った。

「あれ? サキ君の分は? 食べないのかい?」
「俺は、コウが帰ってきてから一緒に食べるんで、今はコーヒーだけで……」
「相変わらず仲良しさんなんだねぇ。一緒に暮らし始めてどのくらいだっけ? 4年?」
「今度のクリスマスで丸5年になります」
「クリスマスの出会い、かぁ。いいねぇ、運命を感じちゃうよね」
「……そんなロマンティックな出会いじゃなかったと思いますけど」

 聖なる夜に、よりにもよって精液まみれで棄てられていたのをコウの気紛れで拾われた。
 拾われた前後の記憶だけは、自分を取り戻した今もあやふやなままだった。
 おそらくは、本当に壊れていたのだろう。
 そうなるために、自分に群がる男達の手を振り払う事をせず、受け入れた。

 出逢わない為に。コウを壊さない為に。

 それなのに、壊れた自分を拾ったのはコウだった。

 自分を知らず、コウの差し出す手だけを頼りに暮らしていたあの頃が、一番幸せだったのかもしれないと、時々思う。過去も未来も語らず、ただその瞬間の、目の前の相手の心を手繰り寄せることだけに夢中になっていたあの頃の方が、今よりもよく笑っていたような気がするから。

「サキ君キミさぁ、良くないよ? そういう笑い方」
「え? 俺、笑ってました……か?」

 知らぬ間に、サキの口元には自嘲ともいえる薄い笑いが浮かんでいた。

「自覚無しかい? やれやれ……。そういう笑いは人生に疲れた者の笑い方だよ? 良くないなぁ」
「そういうもの、なんですか?」

 大仰に肩をすくめ、嘆かわしそうに首を左右に振るセキエイは、まだ何か言いたそうであった。

「まぁ、コウ君もよく、そんな風に笑うけどね。見ている方は、結構淋しいものなんだよ?」
「淋しい……ですか?」
「うーん。淋しいというか、もどかしいというか……。すぐそばに居るのに、置いてきぼりにされたような感じがするって言えば判り易いかな」

 サキは、コウといる時のことを思い出していた。
 二人で居るのにコウを遠くに感じることがあった。
 そんな時、コウは決まって小さな笑いを口元だけに浮かべていた。

「なんとなく、判ります」
「ん? コウ君は、キミと一緒の時でもそんな顔をするのかい?」
「……時々」

 特に砂漠行きの話が出てから、溜息混じりに苦く笑うコウをよく見るようになった気がする。
 昔の自分をあざ笑うような乾いた笑みは、サキの胸を締め付けていた。

「まったくあの子は……。僕の事を言えないじゃないか」
「あの子?」
「いやいや、こっちの話。そうか、彼がそんなだからキミまでそんな笑い方を覚えちゃったんだね」
「そんな! コウが悪いんじゃない! 俺が、俺が何もできなかったからっ……」

 ずっとあの村で暮らしているのだと思っていた。
 会えなくなるのは辛いけれど、コウが笑って暮らせる場所を守る為に、彼に黙って役目に付いた。

 あの時ちゃんと話していたなら。

 会えなくなってもここにいるからと、すべてを失くしてしまっても、コウのいるこの世界は守るからと、伝える事が出来ていたなら、コウは軍に志願などしなかったかもしれない。

 コウもまたサキと同じ理由で軍に身を投じたのだと知らぬサキは、コウが過去を振り返るたびに、自分の罪が増えていくような気がしていた。

「本当にキミ達は……。じゃあね、ひとつ、いいことを教えてあげよう」
「いいこと?」
「そう。コウ君が、今のサキ君のような顔をした時にどうすればいいか」

 心の奥底を見透かしたような言葉に、サキは驚きながらも両目を見開いてこくこくと何度も頷いた。

「抱きついちゃいなさい」
「は?」
「抱きついて、キスをして、無理矢理振り向かせるといい」
「む、無理矢理ってそんな……」

 予期せぬ回答にうろたえるサキに、セキエイは慈愛のこもった微笑を浮かべ、諭すように続けた。

「そしてね、言ってあげなさい。『僕は、ここにいるよ。』……ってね」
「え!?」
「あの子はさ、自分の『幸せ』を探すのが下手なんだよ。もう、致命的って言ってもいいくらいにね。
だから、誰かが『幸せの在り処』ってのを教えてあげないと駄目なんだ」
「それでどうして俺が……」
「だって、コウ君の『幸せ』は、キミだろう?」

 ふいに瞳の奥を覗き込むように顔を近づけられ、サキは頬が熱くなるのを感じた。

「ッ!」
「あ、赤くなった。ってことは自覚はあるんだね」
「いや、えと……」
「だったら、話は簡単だ。しっかりきっぱり彼の『幸せ』として自己主張してあげなさい」

 にっこりと笑ったセキエイは、カップに残ったコーヒーを飲み干すと、ゆっくりと席を立った。

「さて……と。僕の『幸せ』君はどこに行ったのかな。気を利かせて席を外してくれたみたいだけど」

 気付けばグリンとシグの姿がリビングから消えていた。







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