お終いの街3


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 賑やかな、というよりはいささか騒がしいざわめきに刺激され、シグの意識は覚醒した。

 ゆっくりと目を開くと前方に大きな履き出しの窓があり、その向こうに手入れの行き届いた庭らしき空間が見える。意識を失って倒れてからさほど時間は経っていないようで、窓からはやわらかい午後の陽光が差し込んできていた。

 一体何が起きたのだろう。

 名前を呼ばれたような気がして振り返った時には、サカキが上の住人と思われる人物に殴りかかろうとしていた。制止の声を上げようと、身体の向きを変えたところで首筋に何かが触れた。

 記憶にあるのはそこまでだった。

 殴られたような衝撃は感じなかった。
 薬物を打たれたようなちくりとした痛みも無ければ、嗅がされた感覚も無い。
 まるで何かのスイッチを切られたように思考のすべてがぷっつりと遮断されたのだ。
 東洋の医学や武術の達人の言うところの「気」を絶つという技だろうか。

 背後からサカキのがなり声が響く。
不必要に声が大きいのは、分が悪いのか、後ろめたいのかのどちらかだろう。
だから、とか、でもなぁ、などと言い募っているあたり、先ほどの暴挙の言い訳でもしているのかもしれない。

 側に行かねばと思うものの、午後の日差しは心地よく微睡みを誘う。
 ここはおそらく、訪問予定だった考古学者の部屋の中であろう。
リビングの一角がサンルームのようになっているらしく、シグは、そこに置かれた昼寝用と思われる一人掛けのリクライニングのソファに寝かされていた。

 耳に、ここまで自分を運んでくれたであろう人物の心音が残っていた。
 煩いくらいに力強いサカキの鼓動とは違う、落ち着いた拍動であった。


 考古学者と便利屋のどちらだろうかと思いをめぐらせていると、当の心音が近付いてきた。

「大丈夫か?」

 心音と同じく、落ち着いた、深みのある声は便利屋の男であった。

「貴方が僕を、ここまで運んでくださったんですね。ありがとうございました」

 ソファから立ち上がり、確信を持って頭を下げたシグに、男は苦笑で答えた。

「心音で判別したか。さすが軍の最新の『レプリカ』は性能が違うな」
「え……。軍の……って、どうして……」
「俺を見ていきなり殴りかかる民間人なんていないからな」

 肩をすくめながら親指で示した先に、サカキの姿があった。

「……あ!えと……その節は、そのー……も、申し訳ありません!」
「別にお前に謝ってもらう必要はない。ウチのも似たような事したわけだしな」

 どこか痛む所はないかと尋ねる男の口元にかすかに血が滲んでいた。
 サカキに殴られた時に唇の端が切れたのだろう。
自分の方が痛いのではないかと、シグは無意識のうちに男の傷口に手を伸ばした。

「ちょっと!」

 シグの手が男に伸びた瞬間、鋭い制止の声が響いた。
 便利屋の愛人と称されている魔族の少年が、声音と同質の刺すような視線で睨んでいた。

 少年はつかつかとこちらに歩み寄ると、伸ばしかけのシグの手を払いのけ、男との間に割り込み、そのまま男に抱きついた。

「サキ?」
「俺のコウに、馴れ馴れしく触らないでくれる?」

 訝しがる男を無視して、サキと呼ばれた少年は、シグに挑むように言い放った。

「え? ……あ! ああ、ごめん。でも、血が滲んでて痛そうだなって思って……」

 サキの声音に嫉妬の色を感じたシグは、慌てて理由を話した。

「そんなの口で言えばいいだろ? なんで触ろうとするのさ。誘惑しろとでも言われたの?」
「ち、違うって!」


「何の騒ぎだ?」


 誤解だと言おうとしたシグの言葉を遮るように、野太い声が割り込んできた。
 サカキはシグの肩をぐいと抱き寄せ、コウとサキに威嚇するような視線を送ってきた。

「コイツが、何かしたのか?」
「別に? ウチのがちょっと勘違いしただけだ」

 サカキに対抗するように、コウはサキの腰を抱き寄せた。

 サカキとコウ。
 二人の視線は真っ向からぶつかり、辺りに剣呑な空気が流れる。

 緊張に身を硬くしているシグと違い、サキは抱き寄せられるままコウにしなだれかかっていた。
 その艶めいた仕草とサキの首筋に残るキスマークが、二人の関係を誇示しているようで、シグは思わず頬を赤らめた。同時に自分の肩にかかるサカキの手を強く意識してしまったシグは、いたたまれない気分になり、そっとその手を外した。

「たい……ダイゴさん。僕、大丈夫ですから」
「だが、こいつら……」
「今日の目的は、セキエイ博士との面談のはずでしょう? お話、済んだんですか?」
「いや。……話も何も、俺も今さっき目が覚めたばかりだ」
「え?」

 屈強な体躯を誇るサカキが格闘で制されるなど、シグはにわかに信じられなかった。
 だがサカキに聞かされた“赤の魔人”の噂を思い出し、目の前の男の内に秘められている力に改めて戦慄を覚えたシグは、わずかに後退りした。

 そんなシグの表情の変化に気付いたのか、コウは雰囲気を和らげて言った。

「殴りつけた相手の意識の有無も確認せずに背中を見せるから、あっさりのされるんだ」
「なんだと?」
「戦闘中に相手から意識を逸らすなんざ、殺してくれと言ってる様なもんだろう」
「ここは戦場じゃない」

 こんな昼間の街中でまでそうそう気を張っていられるか。
 サカキの憮然とした顔はそう言っていた。


「敵意を抱いて向かってくる相手がいるのなら、そこは戦場だと思え。
……でないと死ぬぞ?」
「っ! ……あんた……」

 この街では特にな、と付け加えたコウは、反論が返ってこないのを確認すると、サキの腰に手を回したまま二人の脇を通り過ぎた。すれ違いざま、サキが責める様な視線で睨みつけてきたのを、シグは自分がコウに怯えた所為だと悟り、俯いた。

 コウの言葉になにやら思案をめぐらしていた様子のサカキが、考古学者に挨拶をして帰ろうとしているコウに声を掛けた。

「コウ・ヒジリ。……あんた、俺の上官だった事はないか?」

 ドアを開けようとしたコウの手が止まる。

「質問の意味が判りかねるな。自分の上官の顔と名前ぐらい覚えているもんだろう?」
「あいにく、俺の記憶はつぎはぎなんだ。もっとも、今の階級になって知ったんだがな」

 他人の顔や名前を覚える事には自信のあった自分が、ある時期を境に覚えの無い人物に親しげに声を掛けられることが増えた。単なる思い違いか、他人より目立つ体格の所為で相手だけが強く意識して覚えているのかもしれないと考えたりもしたが、納得のいく解答は得られていなかった。

 大佐という地位に就き、ある程度の機密を知り得る立場になって初めて、上層部の意向により、知らぬ間に機密に触れてしまった一般兵士や下級士官の記憶を操作しているという事実を知った。

 勝手に自分の頭の中を弄られていたと知った時には腹も立ったが、何を忘れたのかも思い出せないのでは消した記憶を返してくれと言えるわけもなく、口封じに命を奪われるよりはましだと割り切ることにした。

「大佐にまで出世したか。大したもんだな」
「だったら、それを知ってるあんたは、どこまで昇りつめたんだ?」
「正式に辞令を受けたのは中尉どまりだ。そっから先は『俺』が機密になったからな」
「……いいのか? そこまで話して?」

 知っていたから殴ったんだろうと言われたサカキは言葉に詰まった。

 確かに自分は、“赤の魔人”と怖れられた力を封じられたコウがその力を取り戻すべく、『ラセンの一族』の少年を捕らえ、手元に置いているのだろうと思ったのだ。

 少年の首筋に残った痕を見て、言う事をきかせるために色で繋いでいるのだと思った。
 逆らう気力をなくし服従の意を示すまで犯し続けたのかと思うと、殴らずにいられなかった。

 サカキの真意を承知で殴られたのだとしたら、この男の真意はどこにあるのだろうか。

「で? 俺が上官だったと思うその根拠は?」
「さっきあんたが俺に言った言葉だ。俺は、前にも同じ言葉を言われた覚えがある」
「それだけか?」
「そうだ」

 場所も状況も覚えてはいない。けれど以前誰かに同じ言葉を言われたことがある。
 それがコウだったという確証など無い。ただ、そんな気がしただけだった。
 だが、この手の直感が外れた事は、記憶にある限りでは一度も無かった。

「……お前が軍曹だった頃、大規模な基地の移転があっただろ? その時に、会ってる」
「砂漠の基地で?」
「それ以上は思い出さないほうが、お前の為だと思うがな」

 そう言いながら一瞬シグに目を向けたコウは、昔を懐かしむような遠い微笑みを残して部屋を出て行った。

 サカキは後を追って問い質したい衝動に駆られたが、この家の『レプリカ』の少年が彼らを追いかけて部屋を出て行ったのを見て、思いとどまった。
 これから当分の間は、嫌でも毎日顔を合わせる事になるのだ。機会はいくらでもある。

 大きく深呼吸をして気持ちを入れ替えたサカキは、不思議そうな顔をして二人を見送っていたシグに声をかけ、この騒ぎをのんびりと、コーヒーを飲みながら眺めていた考古学者の元へと向かった。







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