お終いの街3


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 大通りから少し外れた比較的治安の落ち着いた居住区。
 街の中心に位置するあの店から車でおよそ20分。

 渡された住所にあったのは、丈夫なだけが取柄のような、無愛想な古びた3階建てのアパートだった。

 中央にエントランスがあり、上階への階段をはさんで各階両脇に一部屋ずつ、計6世帯が入居可能なこの建物は、現在2組の住人がそれぞれ1階と最上階を借り切っているとの話であった。

 二組の住人。

 考古学者とアシスタントの『レプリカ』。
 傭兵崩れの便利屋とその愛人。

 サカキが目的とする人物は、二組そろって同じアパートに住んでいた。

「1階の考古学者を先に訪ねるようにとの事でしたよね」

 帽子を目深にかぶった黒髪の若者が、確認するようにサカキに話しかけた。

 この街では『レプリカ』の行動は大きく制限を受ける。
 例えヒトと一緒であっても、立ち入れない店や、宿泊施設は多いのだ。
 そのためシグは『レプリカ』の特徴である中途半端に尖った耳を隠し、行動していた。

 黒髪の『レプリカ』というのは一般にはあまり流通していない。
流行というものもあるが、金髪や淡い色合いの髪のほうが人気が高く需要も多い。
耳さえ隠してしまえば、ヒトとして振舞うことはそう難しいことではなかった。

 また黒髪・黒目は東の国の民族に多く見られる特徴でもあったため、シグはエキゾチックな異国の若者として、好奇の視線こそあれ、疑いの目を向けられることは無かった。

 ましてや同行者が、いかにも軍人ですといわんばかりの風体のサカキなのである。
 休暇を利用し、社会勉強の名目で若い部下を連れて遊びにやってきたのだろうと、誰もが勝手に解釈し、愛想笑いで迎えてくれた。

「んーと……。左側が居住用で、右側は資料室として使用しているようです」

 シグは手にしたメモを見ながらどちら側の部屋を訪ねるべきかを思案していた。

「一部屋丸々物置だと?」
「物置じゃなくて資料室ですってば」

 もっとも、サカキが呆れるのも無理は無かった。

 各階2部屋ずつの3階建ての古いアパートと聞いて、シグもこじんまりとした細長い建物を想像していた。だが実際は、今ではほとんど需要の無い、いわゆるファミリータイプと呼ばれる3,4人が各々の個室を持ち、なおかつ共同生活をおくるのに適した広さを備えたゆったりとしたつくりの、十数年前に流行った高級アパートの類であったのだ。

「3階の住人も部屋の左右は逆ですけど、似たような使い方してるみたいですし、
プライベートな空間と仕事場を分けているんじゃありませんか?」

 とはいえ、経済的にかなり余裕が無ければ出来る芸当ではなかったが。

「とにかく、行ってみましょう」

 シグは背筋を真っ直ぐに伸ばすと、足音をたてない滑るような足取りで、1階の左側の扉に向かって歩き始めた。

「仕事場のほうじゃなくていいのか?」
「それはあくまで僕の立てた仮説に過ぎません。
それに、この時間ならおそらく自宅で寛いでいる可能性のほうが高いと思います」

 シグの言葉で腕時計に目をやると、時刻は午後の1時を少し回ったところだった。

「食後のひと休み…か。なるほどな」

 言われてみれば、自分達も先程昼食を済ませ、食後の運動を兼ねてのんびりと車を置いて徒歩でここまでやってきたのだから当然と言えば当然であった。

 それにしても……とサカキはシグの張り切りように苦笑を浮かべた。
 普段はどちらかといえば、サカキの後ろを黙ってついてくるだけの、指示待ちの態度の多い彼が、この街に来てからというもの率先して情報を集め、行動している。

 『レプリカ』と悟られない為になのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
 初対面で堂々とサクヤとの会話に割って入った度胸を思い出し、サカキは、これが本来のシグの姿だったと笑みを深くした。

 サカキの要望で他の『レプリカ』よりも感情面での規制の緩いシグは、ヒトに対する態度がなっていないと、軍内部ではあまり好意的な評価は得られていなかった。

 今回軍の施設を離れたことで、余計なプレッシャーから開放されたのだろう。
 その表情は生き生きと輝いていた。

 扉の前で身だしなみを整えているシグに、サカキはからかうように声をかけた。

「なあに、いっちょまえに緊張してやがる。さっさと呼び鈴押せよ」
「だって、他所のお宅訪問なんて初めてで……。やはり第一印象は大切ですし」
「見合いじゃねぇんだから、そんなもん気にするな」
「見合いってなんですか?」
「あー……いいからさっさと……ん?」

 玄関前で軽口をたたきあっていると、頭上で扉の開く音がした。
 続けて人の出てくる気配と共に施錠の音が響き、二人分の足音が聞こえてきた。

「上の方たち、お出かけのようですね」
「先に顔会わせちまうな」

 サカキの声にかすかに緊張が走った。


――『直接会うなら下の住人からにした方がいいわよ』――


 女のような顔をした金髪の男に言われた言葉を思い出す。
 店に呼び出すから待てと言われたのを断って住所を聞き出した。
 待つのが面倒だったわけではない。あの店に長居をするのが嫌だった。

 ナギと名乗ったその男は、『レプリカ』や混血種の少年達に客をとらせる娼館の主人だった。


――『仕事に入る前から揉め事は起こしたくないでしょ?』――


 その顔に似合いの女言葉で告げられたのは、ひどく物騒な内容であった。
 そのため、今日の訪問を上の住人に告げてはいなかった。
何も知らない彼らが食後の散歩や買出しに出かけたとしても何の不思議も無い。

 近付いてくる足音を聞きながら、ここはひとまず素知らぬ振りをする事に決めたサカキは、呼び鈴を押すよう、シグに目顔で合図を送った。

 頷いたシグが呼び鈴を押す。中から誰何の声が響いた。
 若い、というより幼さの残る声だった。おそらくアシスタントの『レプリカ』だろう。
 背後を足音が通り過ぎる。
 こちらを伺うような気配は、見知らぬ者への軽い警戒心からだとサカキは黙殺した。

「先程連絡した者です。セキエイ博士にお取次ぎをお願いします」

 緊張した声でシグが用件を告げる。
 と、息を呑むような気配と共に唐突に足音が止まった。

「シ…グ?」
「!?」

 思わず振り返ったサカキの目に真っ先に飛び込んできたのは、呟きを漏らした無精ひげの男ではなく、その傍らに寄り添う少年の姿であった。

 蒼にも見える黒い髪、形良く尖った耳、そして何より金色を宿した翡翠色の瞳――

 『ラセン』の一族の少年であった。


――『会えば判りますよ』――


 サカキは微笑みに濁したサクヤの言葉の意味を悟った。
 封じられた“赤の魔人”が『ラセン』の少年を手元に置く理由など一つしかない。


――己に掛けられた封印を解く為――


 サカキの脳裏に伝え聞いた“魔人”の悪行が次々と思い起こされる。
 驚いた顔でこちらを見ている少年の首筋に残る紅い痕に気付いた瞬間、サカキは拳を握り締め、飛び出していた。

「貴様ー――っっ!!」
「っ! 待て、サカ……ぐっ!」

 完全にふいをつかれた男の頬にサカキの拳がめり込み、男はエントランス前の歩道の真ん中ほどまで飛ばされた。口元を拭いながら起き上がろうとする男に尚も追いすがるサカキのこめかみを、パンという軽い破裂音と共に背後から何かが掠めていった。

「……な……に」
「次は頭、狙うよ」

 振り返れば、『ラセン』の少年がこちらに銃口を向けていた。
 その足元にはシグがぐったりとうつ伏せに倒れている。

「シグっ!?」

 サカキの狼狽振りに、少年は酷薄な笑みを浮かべ、銃口をシグの頭に向けた。

「へぇ……。じゃ、こっちを狙った方が効果的かな?」

 少年の構える銃は、銃身が手のひらに隠れるほどの口径の小さな護身用のもので、サカキとの距離では大した威力は無いが、至近距離のシグでは致命傷になる。

「やめろ! 俺はお前を…がっっ!」

 サカキの巨体が前のめりに倒れ、背後から無精ひげの男が、首をこきこきと鳴らすように左右に振りながら戻ってきた。

「コウ! 大丈夫?」
「ああ。驚かせて悪かったな。
……ったく、猪突猛進なのは相変わらずか」
「あのー……サキさん? コウ様?」
「あ、グリンごめん。キミんちのお客さん、のしちゃった」
「手を出したのはこのデカブツが先だ。ま、正当防衛だな」

 扉の隙間から顔を出した緑の髪の『レプリカ』の少年に、二人は悪びれもせず、平然と答えた。





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