男は苛立ちを隠しもせずに、無機質な部屋の中を歩き回っていた。
2mに届こうかという身長を難なく支えるがっしりとした足腰と、それに見合った肉厚な上半身、太い首の上にはいかつい顔がのっていた。
筋肉の鎧を纏った肉体は特殊な訓練と実戦で鍛え上げられたものであり、襟元には大佐の階級章が見て取れた。
男が呼び出された部屋の中央には大きなデスクが居座り、両側の壁には本棚、前後には扉が一つずつ。個人の資料室といった趣のその部屋に、来客用のソファなど論外であった。
「これはこれは、サカキ大佐。お早いお着きで」
程なくしてデスクの後ろの扉が開き、古い時代の神官にも似た裾の長い衣装を身につけた、これまた長身の男が一人の『レプリカ』を伴って現れた。
腰まで届く蒼黒の髪、白磁の壺を思わせる滑らかな肌、虹彩に強い金色を宿した翡翠の瞳と大きく尖った耳。身長に大差は無いとはいえ、眉間にシワを寄せ、仁王立ちで睨みつけている大男とは対照的なすらりとした細身の体躯の男は、その風体にふさわしい柔和な表情を浮かべていた。
かつて捕獲者とその標的であった二人の立場は、今や完全に逆転していた。
捕獲され研究所に送られた男は、その能力の特異性から人格を奪われる事無く、とある契約を条件に研究所の一員として迎えられ、彼でなければ成し得ない確固たる成果をもって、魔族でありながら、政府直轄の研究所の中でも特に重要度の高いセクションの責任者として、その地位を確立していた。
「急ぎだと言ったのはそっちじゃないのか?」
「私は別に。急ぎたかったのはむしろ大佐の方かと思いましてね」
不機嫌を露わにしたサカキの言葉をそよ風を受けるように流した細身の男は、優美な動きで背後の『レプリカ』を促した。
「さ、ご挨拶を。今日からこちらの彼がお前のご主人様ですよ」
背を押され前に進み出た『レプリカ』は、その黒髪が跳ねるほどの勢いで頭を下げた。
真っ直ぐにサカキを見つめる瞳も、髪と同じ色をしていた。
黒い髪と瞳を持ち、少年と呼ぶにはいささか年嵩の、かといって青年と呼ぶにはまだ幾分間がありそうな年頃の外見は、サカキ自身の要望であった。
これまで様々な容姿や能力を持つ『レプリカ』がサカキのアシスタントとして支給されたが、どれもサカキを満足させるには至らず、早いもので数日、長くても数ヶ月で、再起不能とまではいかないものの、どこかしらが壊れ、研究所へと返品されていた。
消耗品とはいえ生産コストの高い『レプリカ』を、そう何体も一人の軍人の為だけに無駄にはできないと、これまでの任務実績への報奨という形で、サカキの要望を取り入れたフルオーダーの『レプリカ』を支給することになったのであった。
「貴方の注文通りに仕上げたつもりですが、いかがです?」
「あ、ああ。問題ない」
懐っこい表情を浮かべる『レプリカ』から視線を逸らそうとしないサカキに男は薄く笑った。
「問題が無いのであれば仕事の話に移りたいのですが、よろしいですか?」
にっこりと微笑んだ男は、デスクの上に置かれていた書類の束をサカキに手渡した。
「詳細はこちらに。異存が無ければこちらにサインをお願いします」
書類の束とは別に後から差し出されたのは、『レプリカ』の受領証であった。
軽く舌打ちをしたサカキは書類の内容を確かめもせずに、受領証にサインをした。
「助かります。本来の軍の任務とは少々趣が異なる内容なので、うかつな人物にはお願いできないものですから」
「現地へ向かう前に街へ寄ってリストの人物と合流すればいいんだな? 4人? 多いな」
ぱらぱらと書類をめくりながら同行者リストに目を通していたサカキの手が止まった。
「……コウ……ヒジリ?」
「……ご存知ですか?」
「いや……」
名前にも、添えられた写真の顔にも見覚えは無い。が、何故か胸の奥がちり、と疼いた。
「“赤の魔人”……と言えばお判りになるのでは?」
「コイツが? まさか……」
“赤の魔人”と言えば、一時期軍の中で噂になった最強の、いや最凶の狂戦士の呼び名であった。その生い立ちは薬物投与による肉体改造の結果とも、魔族との合体実験の結果とも言われ定かではないが、あまりの凶暴さゆえに制御出来る者がおらず単独で最前線に送られ、秘密裏に処分されたというのが軍内部での定説であった。
リストの覚書から判るのは、傭兵崩れの便利屋であるらしいということだけだ。
無愛想というより無気力な表情の写真からは、噂に聞いた凶悪さなどうかがえない。
冴えない風貌に、右目を切り裂くようにつけられた傷跡とそこに填め込まれた緑の石が不釣合いではあったが、それも薄気味悪いと言う程度でしかなかった。
「間違いではありませんよ。彼の右目の石は、私が填めたんですから」
「アンタが? じゃ、コイツを創ったのも?」
男の目がすうっと細められた。
「それは違います。彼は私を捕らえる為にあなた方軍が作り上げた言わば“撒き餌”です。
『ラセンの手』でなければ鎮められないようなモノを創りだして、私達一族の住む村を襲わせた。
『手』を使える長の私が人前に姿を現す状況を作り出すためだけに、ね」
常日頃穏やかな微笑を絶やさない男の顔から笑みが消えていた。
笑みが消えただけで、男の持つ気配ががらりと変わる。
側に控えていた『レプリカ』が怯えた表情を見せた。
「それで?『ラセン』の長のサクヤ様としては、まんまと釣られた腹いせに、事のついでにヤツをぶっ殺してきて欲しいってわけか?」
場の空気を和らげるように、サカキは幾分おどけた口調で男の名を呼んだ。
サクヤと呼ばれた男は、何かを思い出したようにふっと口元だけで笑い、同時にいつもの穏やかな物腰を取り戻していた。
「今更そんな気はありませんが、貴方自身の判断でそうしたいのなら、止めるつもりはありません。
私が用があるのは、連れの少年の方だけですから」
「連れ? このサキってのがそうなのか? 写真は……無しか」
「会えばすぐに判りますよ。私がその子を欲しがる理由もね」
口元だけに浮かんでいた笑みが顔全体に広がる。
整い過ぎた造りの顔の満面の笑みと言うのは、時として恐怖を与える事も有るのだと、サカキは背筋に走る悪寒をこらえながら思っていた。
「ま、いいさ。要はこのリストに載ってる連中と一緒に砂漠の遺跡とやらに行って、
どっかに転がってる緑色の石っころを拾って、ついでにガキも持ち帰りゃいいんだろ?」
これ以上の内情は知らない方が良いと判断したサカキは、話を切り上げようとした。
「賢明な判断ですね。よろしくお願いします」
サカキの意図を察したサクヤもまた、それ以上は語ろうとせずにっこりと笑って頷いた。
「了解した。それじゃ、コイツは貰ってくぞ」
傍らの『レプリカ』に付いて来いとアゴをしゃくるサカキをサクヤが呼び止めた。
「くれぐれも初期の扱いには気を配ってくださいね?
調整済みの身体は嫌だとおっしゃるから、知識のみで実践経験はゼロのままなんですから……」
「ああ? オイルだのローションだの使えばいいんだろ?」
「……濡らせばいいというものではないのですが……」
呆れたように溜息をつくサクヤに、サカキの表情が面倒臭そうに歪む。
「あっあのっ! 僕、自分で準備できますから!」
それまで黙っていた『レプリカ』が突然会話に割って入った。
「……」
「……」
「……えっ? ……あ、あの……僕……?」
驚き沈黙している二人の視線に、出過ぎた事を言ったのかと青ざめる。
その様子に、サカキは思わず破顔した。
怯える『レプリカ』の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら楽しそうに笑う。
「いいぞ。気に入った! おい、今度の仕事、コイツも連れてって構わんのだろ?」
「どうぞご自由に」
「お前、名前は?」
「あ、まだ頂いてません。あの、ごしゅ……サカキ大佐に付けて頂く様にと、サクヤ様が……」
「俺に?」
「はいっ!」
期待に満ちた瞳がサカキを見つめる。
その黒々と輝く瞳にサカキはひとつの名を思いついた。
「……シグ」
「シグ、ですか。良い名前ですね。何か謂れでも?」
受領証の片隅にその名を書き込みながらサクヤが問う。
「別に。なんとなく思いついただけだ」
「……なんとなく……ですか。名付けのセンスがおありのようですね」
「けっ! くだらねぇ。言いたい事はそれだけか? だったらもう行くぞ」
「ええ。あちらと合流したら連絡をおねがいします」
シグと名付けた『レプリカ』を連れ、サカキはサクヤの部屋を出て行った。
彼らの気配が遠ざかったのを確認すると、サクヤは一通の色褪せた報告書を、デスクの引き出しから取り出した。
サクヤの手にした報告書は、砂漠の基地の移転に伴う撤収作業に関するものであった。
当時の責任者から見た人物評価の一覧に、その頃は軍曹だったサカキの名があった。
そこには一体の特殊な改造を施された『レプリカ』の存在も明記されており、容姿、人格調整の程度、廃棄にいたるまでの経過等が事細かく記されていた。
撤収作業に伴い、公にできない存在であったこの『レプリカ』に関しては、廃棄作業に携わった責任者の存在もろとも、関係者の記憶から抹消された事になっている。
にもかかわらず、サカキのオーダーは、この『レプリカ』の仕様に酷似していた。
シグという名前も、かつてその『レプリカ』につけられていた名前と同じであった。
「覚えていないのに、忘れられないとは、ヒトの記憶は面白いものですね」
サクヤは報告書に残された記載者のサインをそっと指でなぞった。
「“彼ら”との再会に、貴方は何を思うんでしょうね……コウ?」
サクヤは一瞬昔を懐かしむような表情を見せた後、くるりと踵を返し扉の奥へと姿を消した。
――見せてもらいますよ。貴方に“資格”があるのかどうか……――
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