お終いの街2


終章

「お世話になりました」
「さっさと行け」

 やって来た時には身一つだったグリンが、大きなカバンを抱えて玄関先で頭を下げる。
 顔を上げた時には、コウはすでに部屋の奥に引っ込んでしまっていた。

「もう、コウってば…」
「いいんです、サキさん。コウ様にとっての僕は、お邪魔虫でしかありませんでしたから」

 にこやかに笑うグリンは、誰の背後に隠れる事も無く、しっかりと自分の意思で立っていた。

「お邪魔虫って…」
「あれ、気がつきませんでした? コウ様ってば、僕がサキさんと仲良くしてるといっつも僕の事睨んでたんですよ」
「そ、そうなの?」
「サキさんと一緒にお風呂に入った時なんて、キッチンで虐められちゃいましたもん!」
「ええええええっ!」

 楽しそうにコウの悪行を暴露したグリンは、お幸せに、とサキの頬にキスをして帰っていった。

 リビングに戻ると、グリンを乗せた車を見送っていたのだろう。コウが窓辺に佇んでいた。
 その手に空のままの小さなガラス瓶が握られているのを見たサキは、そっと声を掛けた。

「無駄になって、良かったね」
「ん? ああ…これか。…そうだな」

 車が見えなくなったからか、コウは手のひらで瓶を転がしながら、窓辺を離れた。
 グリンが去ってやはりどこか寂しいのだろう。ソファに向かうコウにサキがそっと寄り添う。

「呼び戻すか?」

 コウの言葉にサキは小さく首を左右に振った。
 同時にグリンの言っていた事を思い出し、くすりと笑う。

「駄目だよ。だってコウ、また虐めるんだろ?」
「はぁ?」
「キッチンで、だって?」
「…あの小僧ッ…」

 まぁまぁとサキに宥められながらソファに腰を落ち着けたコウは、隣に座ろうとしたサキの腰を抱き寄せ、自分の膝の上に招いた。サキの抗議の声が上がる前に、その唇をキスで塞ぐ。

「コウ?」
「サクヤに…何を言われてきた?」
「ッ!?」

 突然告げられた名前に、サキは震撼した。
 サクヤとはラセンの一族の長(おさ)の名である。

「なんで? 長を…知ってるの?」
「やっぱりそこまで思い出してたんだな」

 苦く笑うコウに、サキはカマを掛けられたことに気付いたが、もう、取り繕う事はできなかった。



◆◆◆◆◆



 長の声に呼び覚まされ、それまでの役目は唐突に終わりを告げた。
 外から訪れた予期せぬ災厄によって、守るべき土地も人々も失われたのだと長は言った。
 新たな役目は、その災厄の根源である『魔』を取り込み己が力とした男の封殺であった。

 遠目でその男の姿を見ただけで、その身がすでに『魔』と化している事が判った。

 男の顔を目にして、それがコウであると気付いたサキは、世界の崩れる音を聞いた。
 何よりも誰よりも守りたかったはずの存在が、滅すべき存在として目の前にいる現実に、サキは己の能力を、役目を呪った。

 サキはコウに気付かれぬように後をつけ、コウの住んでいる部屋を確認した。
 だが、その部屋のドアをノックする事はできなかった。

 窓辺に立つコウの姿を、ただ遠くから眺めた。
 出かけるときにはそっと後を付いて回った。
 醒めた目をして街を歩くコウは、ヒトであった。
 長が彼の右目に施した封印石の効力は、まだ充分に残っているように思えた。

 コウの中の『魔』だけを滅する事ができたなら、会いにいくこともできた。
 だが、コウと『魔』は完全に同化し、そうする事は事実上不可能であった。

 主も持たず街をふらつく魔族がどんな目に遭うか、サキは教えられていた。
 役目を確実に果たす為に、まずはその男の庇護下に入れと言われていたのだ。
 サキの能力はSEXを介して発揮される。
 身体を繋げる事で相手のゲノムを読み取り、書き換えるのだ。

 役目に付く為に生まれたサキである。
 役目そのものが、自身の存在意義であった。
 逆らう事など考えられないはずだった。

 しかし、役目に従えばコウを壊す事になると知ったサキは、躊躇った。
 いつまでも一人でこの街をうろついていれば自身の身に危機が及ぶと判っていながら、どうしてもコウの元へ行く事はできなかった。

 コウを壊したくなかった。
 そんな事をするくらいならいっそ。

 背後から見知らぬ男達の手が伸びてきた時、サキは、自分が壊れる道を選んだのであった。


◆◆◆◆◆


「コウ…」

 壊れた自分をコウが見つけて拾う事など考えもしなかった。
 そもそも生き永らえるとも思っていなかったというのに。

「手懐けて、宥めておけと言われたか? それとも手っ取り早く殺してこいと?」
「言わないでッ!」

 こうなりたくなくて、自滅の道を選んだというのに、どうして。

 頭を抱え、首を激しく振り回して答えを拒むサキを、コウはしっかりと抱きしめた。

「責めてるんじゃない。俺が知っていると、お前に教えておきたかっただけだ」

 額に唇を寄せ、優しく髪を撫でる。

「でないと、お前はまた、消えるか壊れるかしちまうだろうが」
「ッ!」

 わかっているから一人で思い詰めるなと、コウはサキの髪を肩を撫でさすりながら、耳元で囁いた。苦しむなと、お前が悪いわけじゃない、と、ついばむ様なキスの合間に繰り返す。

「…って、絶対ッ…嫌われる…ッて思っ…怖…くてっ…」
「愛してると言っただろう?」
「な…んで? …なんでそんな平気な顔し…てっ…んっ」

 コウが何故これほど冷静でいられるのか、サキには理解できなかった。
 ずっと一緒に居ようと約束を交わした相手が、自分の命を奪いに来たのだ。
 裏切り者と罵られても仕方が無いのに、コウは「愛してる」と言ってくれた。

 コウは、記憶を取り戻し、いたたまれない想いを抱えているであろうサキに、すべてを承知で「愛してる」と告げたのであった。

「俺は自分から望んでこの身体になったんだ。誰にも負けない力が欲しくて、な」

 ひときわ深いキスの後、コウは、サキが抱くであろう疑問を見越して話し始めた。

「俺は『ヒジリ』の男だから。俺の名は正式にはコウ・ヒジリという。ついでに言っておくと俺の親父の名はタキ・ヒジリ。聞き覚えがあるんじゃないか?」

 そう言いながらサキの髪を撫でるその仕草に、サキは役目に赴く自分を見送りに来てくれた人物の大きな手のひらを思い出していた。

 ヒトであるヒジリの一族と、サキの属するラセンの一族は、異種族同士でありながら共に一つの集落を形成し、友好関係にあった。コウがヒジリの男だというなら、ましてやヒジリの長であるタキの息子であるというのなら、サキの力について熟知していて当然だった。

「タキ様が…コウの、お父…さん?」
「様付けするほどの奴でもないけどな」
「じゃ、長は…俺にタキ様のご子息を、封殺しろ…って言ったの?」
「『ご子息』なんて呼べるような出来た息子じゃないから消しちまえって事なんじゃないか?」

 自嘲するような表情を浮かべたコウは、前髪を掻き揚げ、サキに右目を晒した。
 義眼と呼ぶにはグロテスクな眼球と同じ大きさの石は、ラセンの長が施した封印の証だった。

「奴らは俺とお前の『約束』を知らないはずだからな。俺の素性を明かさなければ、役目を果たすのに支障は無いと踏んだんだろう。……俺の好みのタイプも知ってるしな…」
「え? 好み…って? え?」
「そこに反応するなよ」
「だって!」

 絶望に打ちひしがれたようだったサキの目に、微かな希望の光がともっていた。

「初めて会ったんだとしても、こうなってただろうってことだよ」

 コウの手がサキのジーンズのジッパーに伸びる。
 その手がそのまま前をくつろげ、下着越しにペニスを撫でても、サキは一瞬ピクンと身体を震わせただけで、コウの言葉の続きを待っていた。

「街でばったり会っただけだったとしても? コウの身体が普通のヒトだったとしても?」
「十中八九、口説いてるな」
「ほんとに?」
「俺は下の毛も生えてないガキの頃でさえ、お前を見るなり、樹の中にいるってのに口説いたんだぞ? 大人の俺が、生身のお前を見たらどうするかぐらい、判るだろう?」

 サキはコウの首に力いっぱいしがみ付いた。

「コウッ!」
「安心したか? なら、ベッドに運んでもいいな?」
「え? ちょっ…」

 サキの答えなど聞く気もないのか、コウは膝の上のサキを抱き上げると、さっさと寝室のドアへと向かった。

 ベッドの中央にサキを放り投げたコウは、着ている服を脱ぎ捨て、全裸になってベッドに上がってきた。唖然とした顔で座り込むサキの正面で胡坐をかくと、サキのシャツのボタンを外し始める。

「コウ。俺がこの街に来たのは…」
「俺の封殺だろ? さっき聞いた」
「平気なの? 嫌じゃないの? …怖く…ないの?」
「お前はどうなんだ? 俺が突然暴れだしたらとか考えないのか?」

 サキはコウの手が導くままにシャツを脱ぎ捨て、腰を浮かし、脱がされるまま裸身を晒した。

「そんなの…。俺、コウを殺すくらいなら、コウに殺された方がいいから」
「俺は、お前を抱いたまま逝けるんなら、なんの文句もないんだがな」

 コウは、開いたサキの脚の間に膝をつき、後ろ手に身体を支えるサキの胸元に唇を這わす。  心の底の澱を拭うような、慈愛に満ちた愛撫だった。

「俺…俺は嫌だッ…すっ、好きなのに…愛してるのに……失くすなんて嫌だッ!…」

 わだかまりが消え、本音が口をついて出る。

 役目などどうでもいい。
 コウさえ自分の力を疎ましく思わないのなら。
 守りたいのはコウひとり。
 コウこそが世界。
 そのための力ならいくらでも使おう。
 たとえ世界のどこかを壊すことになっても。
 コウだけは壊さない。壊させない。

 サキの心に決意の焔が宿った。

「やっと言ったな」
「え?」

 気がつけば、目の前にコウの顔があった。
 涙の滲む目じりを舐められ、頬に優しいキスが届く。

「お前が俺を望むなら、俺はお前と共に居る」

 大きな手のひらが、サキの頬を包み込んだ。

「サキ…。俺が、好きか?」
「好き。大好き…」
「誰かに追われる事になっても、愛してると言えるか?」
「言えるよ! 世界中の誰より愛してる!」

 サキはコウの視線を真っ直ぐに受け止め、きっぱりと答えた。
 迷いの無いサキの言葉にコウの瞳が潤んだように見えた次の瞬間、サキはコウの腕の中にいた。

 掠れた声がありがとうと言った。
 その一言が聞きたかったと、強く抱きしめてくるコウの身体は、小刻みに震えていた。



 サキの腕がそっとコウの背を抱き返す。




 重ねられた唇は、いつまでも離れる事がなかった。
















END


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