お終いの街2


9章

「ちっ……全部吸っちまったか」

 煙草を吸おうとして箱が空なのに気付く。

 長めの吸殻を探してみても、咥えたままぼんやりしていたせいで、どれもフィルターぎりぎりまで燃え尽きていた。

 コウは、コンクリートの床に寝転び空を見上げた。
 シーツを干したらさっさと部屋へ戻ってしまえば良かったのかもしれない。
 鬱々と思い悩んでいる間に、タイミングを逃してしまった。
 ごろごろと固い床で寝返りをうつ自分は、仲間外れにされていじけている子供のようだ。

「終わったんなら呼びに来いよ……。帰れねぇだろうが」

 身勝手で理不尽な呟きを漏らした時、床を通して何かが聞こえた。
 話し声や足音といった生活音ではない。
 いくら年季の入った建物とはいえ、それなりの防音の工事は施されている。
 床に耳をつけていたからといって、階下の日常的な音を聞き取れるわけがなかった。

「なんだ?」

 いやな予感がする。

 急ぎ部屋へと戻ったコウの視界に飛び込んできたのは、目にも鮮やかな一面の緑だった。

 2LDKの部屋が、熱帯のジャングルのように、生い茂る木々の緑に埋め尽くされようとしている。
 コウが耳にしたのは、触手のように伸びた枝が這い回る音であった。

 壁や天井をつき破る事も無く周囲の形状に合わせてしなやかに伸びてくる枝葉の元をたどれば、そこは二人がいるはずのバスルームであった。

 蠢く枝を傷つけないようにしながら、コウは浴室へと歩を進めた。
 立ち込める湯気の奥に二つの人影が重なっているのが見える。
 正確には一人と、人の形だったかもしれない何か。

 サキが、四肢の先端が木の枝と化したグリンを後ろから支えるように抱きかかえていた。
 髪は蔓のように伸び小さな葉が生えていたが、頭部と胴体はグリンのままだった。

 元の身体のままの肌にはびっしりと紋様が浮き出ており、サキがその紋様をなぞるたびに枝は揺れ、新たな葉が芽吹いた。

「大丈夫……。もうすぐ終わるから」

 サキの手がグリンの未成熟な性器を握り、刺激を与えている。
 不自然な体勢なのは、身体を繋げたままだということか。
 小さな肩がびくんと震え、浴室の床に白い飛沫が散った。

 グリンが絶頂に達したと同時に、部屋中を覆い尽くすかと思われた木々が一斉に収縮を開始した。
 巻き戻しの映像のように、伸び放題だった木々がグリンの身体へと収まってゆく。

 無言で立ち尽くすコウの脇をすり抜けた枝が、脚となり、腕となった。
 蔓草のようだった髪が元通りになると、サキはグリンの身体を離し、その場にそっと横たえた。

「“鍵”……を……開けたのか……」
「?」

 ぽつりと漏らした呟きであったが、サキの耳には届いたようだ。
 ゆっくりと立ち上がりコウを見上げたサキの瞳は、金色であった。
 光彩部分だけであった金色が瞳全部に広がり強い輝きを放っている。
 サキの一族が『ラセンの手』と呼ばれる力を使う時、その瞳は金色に輝くと聞いたことがある。



     ――光る風 水と交わり 流るる先 かの扉 螺旋の導き鍵とならん――



 グリンの身体に浮かぶ紋様の解読は済んでいた。
 が、螺旋の文字が読み取れた事で、グリンの中のデータ抽出は行き詰っていたのだ。

 なぜならこれはグリンの出生には『ラセンの一族』が関わっている事を示しており、この一族が持つ『ラセンの手』と呼ばれる特殊能力を用いなければ、扉を開けて中身に触れることはできないと判明したからであった。

 コウが知る限り、『ラセンの手』を使える者は一人しか居なかった。
 グリンの”鍵”をかけたのは、おそらくその男、ラセンの一族の長であるサクヤであろう。
 サクヤの所在は現在、コウの父親タキと共に生死を含め不明となっている。

 コウは苦渋に満ちた表情でサキを見つめたまま、拳を握り締めた。

『ラセンの手』とは、生物の螺旋構造、すなわちゲノムを書き換える能力なのだ。
 対象のゲノムを読み、組み換え、また元の状態に戻す。
 サキが行っていたこの一連の手順は、無自覚に行えるものではないはずであった。

“力”を使ったということは、それに付随する記憶を取り戻したという事ではないのだろうか。

 何を、どこまで思い出したのか。

「あ……れ?……コウ?」

 瞬きを繰り返しながらコウを見つめるサキの瞳から、徐々に金色が引いてゆく。
 普段通りの反応を示したサキに安堵したコウは、動揺を隠すようにぶっきらぼうに問いかけた。

「訊きたい事は山ほどあるんだが……。大丈夫か?」
「んー…。なんか……頭、痛い……」

 焦点の定まらないぼんやりとした表情でコウの胸にもたれかかる。
 そのまま眠り込んでしまいそうな様子に、コウは苦笑を返すしかなかった。
 今は何を聞いても無駄だろう。

「とりあえず、一眠りしてこい。……ほら、お前も起きろ。動けるか?」

 サキの頭を軽く小突いて追い出したコウは、足元に転がるグリンのわき腹をつま先でつついた。

「んっ……あ、あれ???」

 ぱっちりと眼を開けたグリンは、きょろきょろと辺りを見回した後で自分の両手をしげしげと眺めた。
 狐につままれたようなその表情からは、『レプリカ』特有の媚びるような雰囲気が消えていた。

「お前が一番スッキリしてるように見えるのは、俺の気のせいか?」

 呆れたようなコウの言葉にグリンは血の気が引いた。

「ああああああの、サ、サキさん……は?」
「部屋で寝るように言った。発情期はまぁ……どうにかなったみたいだしな。立てるか?」

 当たり前のように差し出されたコウの手を、グリンはまじまじと見つめた。

「なんだ?」
「サキさん……コウ様の手でないと、感じないって……」
「は?」
「僕に触るときも、コウ様の子供の頃を思い浮かべてたみたいで」

 そう言いながら一人で立ち上がったグリンは、少し寂しそうに笑っていた。

「夢にいつも出てくる男の子が、コウ様そっくりなんだそうです。髪とか瞳の色とか」
「そう……か」

 それは夢などではない。

 幼い頃、自分は確かにサキと逢っている。
 名はおろか、実体さえも定かでない頃のサキに。

 サキの記憶の断片が睡眠中の無意識下で再構築されていたのであろう。
 すべての欠片がひとつになった時、夢は現実の過去として蘇るのかもしれない。

「まぁ、よくやったと言っておこう。お前も少し休め。今夜の晩飯は期待していいぞ」
「最後の晩餐だから……ですか?」

 コウは、出て行こうとして扉にかけていた手を戻し、グリンに向き直った。

「……何故、そう思う?」
「優しいから」

 真冬の湖面のような静謐な笑顔だった。

「サキさんの発情期も乗り切ったみたいですし、さっきのアレで、僕の中に隠してあったデータとかいうのも、全部、判ったんですよね? だったら、もう……僕を飼っておく理由なんてないですから……」

 だからもう、自分を生かしておく必要などないのだろうと、グリンの瞳は語っていた。

 用が済めば処分される。
 それは『レプリカ』にとって珍しい事ではなかった。
 所詮は単なる消耗品でしかない。
 寿命が尽きるまで生きていられる『レプリカ』などほんの一握りであった。

 ナギの店の『レプリカ』達も、人気が落ちて客がつかなくなれば処分の対象となる。
 そうでなくとも玩具として扱われる彼らは、客との行為の最中に命を落とす者も多い。

 ヒトに対する絶対的な服従心を植えつけられた彼らに、ヒトによってもたらされる死に抵抗する意思など存在しないのだ。

「“それ”を決めるのは、俺じゃない。ナギに訊け」
「でも! お店のコ達から聞きました! 『死ぬ時はコウ様に抱いてもらえるから、怖くない』って」

 ナギの店で処分の決まった『レプリカ』はコウが相手をする事になっていた。
 だがコウはあえて肯定も否定もせず、ただ眉間に深いしわを寄せただけであった。

「どうしてかは知りませんけど、コウ様の体液は、僕ら『レプリカ』にとって毒なんだって聞きました。コウ様の体液が身体の中に入ると、細胞が全部ばらばらになって砂みたいになって死ぬんだって。骨も何にも残らないけど、痛い思いも、怖い思いもしなくて済むんだって」

「だからウチに連れて来られたと?」
「違い……ますか?」

 暗い笑顔を残し、コウはグリンに背を向けた。

「すぐにナギに連絡するわけじゃない」

 だから今日の夕飯は最期の晩餐などではないのだとコウは言った。
 安心して腹いっぱい食って寝ろと言い置いて浴室の扉を開けると、そこにはサキの姿があった。

 グリンに気付かれぬよう、黙って廊下に出たコウの後をサキもまた無言でついてきた。
 キッチンに入り、並んで夕食の下ごしらえをする間も、二人は黙ったままだった。
 中に詰め物をしたまるまる1羽分の鶏肉をオーブンに入れたところで、ようやくコウが口を開いた。

「聞いてたんだろ」
「うん」
「お前のやきもちは、見当ハズレだったって事だ。安心したか?」
「コウ。そこ、笑うトコじゃないから」

 たしなめるような口調に怒りの表情を予想したコウであったが、サキの瞳からは涙が零れ落ちた。

「泣くなよ。いい気持ちのまま死ねるんだ、そう悪い話じゃないだろ?」
「うそつき」
「黙っていたのは悪かった。けど、あいつがそうなるとは限らないから……」

 あふれる涙を拭おうと差し出した手を、サキは受け入れようとはしなかった。

「書庫にしてる向かいの部屋!」

 サキの言葉にコウの顔色が変わる。

「一番日当たりのいい棚に並んでるちっちゃいガラス瓶、旅行に行った場所の砂だなんて嘘だろ! ひとつひとつ違う色のリボン結んで、砂と一緒に花びらとか入ってるのもあるよね」

 それは、コウの腕の中で命を終えた『レプリカ』の少年たちの、いわば遺骨のようなものだった。
 それぞれの好きだった色のリボンをつけ、好きだった花のひとひらを添えて。
 雨や風にさらされることなく、いつでもおだやかな日差しを浴びられるようにそれらを並べた。

 絶頂に至る至福の中で死なせてやる事しかできなかった彼らが、せめて安らかに眠れるように。
 コウは、手のひらに残った“彼ら”を誰に告げることなく自宅へと連れ帰っていたのであった。

 一時期書庫に入り浸っていたサキが、それらに気付かぬはずはなかった。
 何だと訊かれて真実を告げられるわけもなく、記念品とだけ言ってあった。

「死んでいくコ達はいいよ! 幸せなまま死んで、死んでからもそばに置いてもらえるんだから」

 サキの涙は、『レプリカ』の少年たちに向けられたものではなかった。

「つらかったくせに。本当はビンの数だけ傷ついてるくせに」

 止まらない涙を必死にこすり、しゃくりあげながら話すサキを、コウは静かに見つめていた。

 黙っていたのを怒っているのではないとサキは言った。
 瓶の中身を正しく告げなかったことを責めているのではない、とも。

「もうばれちゃったんだから、無理して笑わなくたってっ……」
「サキ……」

 涙を拭うのをやめたサキは、コウのシャツの胸倉を両手で掴み、そのままそこに顔を伏せた。

「お気に入りのコだっていたんだろ? 本当は他の客みたいに、普通にキスして抱きしめて、一緒に気持ちよくなりたかったんだろ? それができない身体だからって、せめて最後はって、あんな仕事引き受けてたんだろ?」

「随分と物分りが良くなったじゃないか」
「茶化さないで!」
「茶化すつもりはない。そんな風に、言ってもらえるとは思わなくてな」

 力いっぱいシャツを握るサキの手を、コウの大きな手のひらがそっと包み込む。

「メシ食い終わったら……愚痴……こぼしてもいいか?」
「いいよ。俺は砂になって消えたりしないから……。最後まで、ちゃんと……ん」

 どちらからともなく近付いた唇がゆっくりと重なり言葉を呑み込んだ。



◆◆◆◆◆



 オーブンのタイマーが軽やかな音を立て、晩餐の準備が整った事を告げる。
 匂いにつられたのか、キッチンの入り口で緑の髪が揺れた。

「何か、お手伝いすることありますか?」
「おう。そこの皿並べとけ」
「はいっ!」
「じゃ、俺はこっちのサラダ、持ってくから」
「ああ。っと、おい、グリ!」

 オーブンからメインディッシュを取り出したコウが、思い出したようにグリンを呼び止めた。

「俺は、あいつからお気に入りのオモチャを取り上げるつもりはないから」
「え? あの……」

 サラダを手にリビングへと向かうサキも、通りすがりに声を掛けていく。

「あ! そうそう。グリン! コウは俺のだからね。悪いけど、血の一滴だってあげないよ?」

 笑顔と共に告げられたのは、グリンに対する今後の処遇についてだった。
 コウもサキもそれぞれの言葉で、自分を処分する気はないと言ってくれたのである。

「あ……! ありがとう……ござい……ます」
「礼を言うのはまだ早いとは思うが……ま、大丈夫だろう」

 ナギによる最終決断で処分されることになったとしても、グリンは構わないと思った。
 今、この二人が自分の死にNOと言ってくれた。
 それだけで充分だった。

「グリン! お皿持ってきて!」
「はーい!」

 ぺこりと頭を下げてリビングへと駆けてゆくグリンを見つめるコウの表情は、限りなく優しかった。









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