朝と称するには少々陽が高く昇り過ぎた頃、サキはコウの部屋から出てきた。
けだるい身体を持て余しながらバスルームへと向かう。
大判のバスタオルを肩から巻き込むように羽織っただけで、他には何も身につけてはいない。
脱衣所では、その髪の色から“グリン”と名付けられた『レプリカ』の少年が洗濯機を回していた。
「あ、サキさん。お目覚めですか?」
全裸に近いサキの姿を気にも留めずに、グリンは笑顔でサキに言葉をかけた。
「ん。おはよう…って時間じゃないけどね。洗濯?」
「は、はいっ。お天気がいいのでシーツを……」
夜毎聞こえるサキの壁越しの嬌声に煽られ、朝起きたら下着諸共シーツまで汚していたとは言えずにグリンは微妙にひきつった笑顔で答えた。
「そっか」
「もうすぐ終わりますから、シャワー行って下さい。湯船でゆっくりするんでしたら、着替え持ってきますよ?」
「そうだね。ちょっとのんびりしようかな…。…頼んでいい?」
「はいっ」
グリンの提案をすんなり受け入れたサキは、バスタオルをするりと脱ぎ落とし浴室へと消えた。
程なく聞こえてきたシャワーの音にグリンはほっと胸をなでおろした。
実を言えば、朝の下着の洗濯はほぼ日課のようになってしまっていた。
グリンがここに連れられて来た日の夜からずっと、コウはサキを独占している。
コウはまるでグリンに見せ付けるかのように、目の前でサキの肩や腰に手を回し、わざとらしく顔を近づけては、サキの耳元で何事か囁いて見せるのだった。
嬉しそうに笑って答えるサキの横顔に見惚れていると、威嚇しているとしか思えない鋭い視線と共に勝ち誇ったような笑みを浮かべては、昼夜を問わずサキを寝室へと連れ去った。
どうやらコウは、自分の目の届かないところでサキとグリンが一緒に居るのが気に入らないようだった。
子供のような独占欲を隠しもしないコウに、グリンは半ば呆れていた。
「一緒にお風呂に入っただけなのに……」
◆◆◆◆◆
風呂上りのキッチンで向けられた視線は、嵐の夜と同じ、冷ややかで、残虐な光を帯びたものだった。
『サキは? まだ風呂場か?』
コウはグリンの顎をつかむと、首筋に浮き出たままの紋様に目を向けていた。
そのまま突き飛ばされるように身体をテーブルにうつぶせに押し付けられたかと思うと、無言でパジャマの上着をめくられ、ズボンを引き下ろされた。
『はぅっっ!?』
背後から股間に差し入れられた手が、容赦のない刺激を与えてくる。
サキの素肌を間近で目にし、甘い疼きに色づいていた身体は、コウの手でしごかれ、一気に高みを目指しその硬度を増した。
『声を出すなよ。サキに気付かれる。』
押し殺した声が耳のすぐ脇で聞こえた。
『あいつの裸を見ただけでコレか。趣味のよさは認めてやろう。』
『っ……違っ……います!』
『ああ。髪を洗ってもらっていたな。背中も……あいつの指は優しいだろう?』
コウの言葉に全身が熱くなった。
『あいつのあの指で、こうしてもらいたいと思ったんじゃないのか?』
先端のぬめりを拭った指先に、固いままの入り口をこじ開けられた。
この指がサキのものだったら……。背筋をぞわぞわと快感が駆け上る。
無造作に掻き回している様で、的確に快感の源を探り当てる動きに、否が応でも体温が上がる。
『光…水…風…。最後は螺旋…か。……ちっ!』
かすかな呟きが聞こえ、小さな舌打ちとともに、乱暴に指が引き抜かれた。
『行け』
『え?』
『部屋へ戻れと言ったんだ』
訳が判らないまま慌てて身づくろいをしていると、冷たい水を満たしたグラスが差し出された。
『あいつにはのぼせてぶっ倒れたとでも言っておく』
言外にサキには言うなと言われたのだと思った。
『あいつはお前を気に入ったようだからな。もうしばらくは置いといてやる』
もしも気に入られていなかったら。背筋を冷たい汗が流れた。
グラスの水を一息に飲み干し、言われたとおり部屋へと向かう自分にコウは言った。
『イイコにしてれば、キスのひとつくらいは貰えるかもな』
◆◆◆◆◆
「キスなんて……。おしゃべりする間もろくにないのに」
『レプリカ』としてはあるまじき主人への不満を口にしながら、グリンは洗い終えたシーツと下着を洗濯機から取り出すと、下着だけを乾燥機に入れてスイッチを入れた。
シーツを抱え込んだところで、背後から声をかけられた。
「真面目に働いてるじゃないか」
「コ、コウ様!?」
グリンの手にしたシーツと稼動中の乾燥機を交互に見やり、鼻先で笑う。
「ずいぶんといい夢が見られたようだな」
グリンの頬がさっと朱に染まる。
「サ、サキさん、お風呂にするそうです。ちょっとのんびりしようかなって……」
「そうか」
「これ干したら着替えを用意しておきますので、……どうぞ」
なるべく視線を合わせぬようにしながらそそくさと通り過ぎようとすると、からかい混じりのコウの声が頭の上から降ってきた。
「何ならお前が行ってみるか? 今のあいつなら、ねだればなんでもしてくれるぞ?」
有り得ないコウの言葉と先程の物憂げなサキの様子に、ひとつの可能性が浮かんだ。
「……サキさん、もしかして……発情期…ですか?」
「ああ。自分でもどうしていいか判らなくて持て余してる」
そう言って苦く笑ったコウの頬は心なしかやつれて見えた。
出入り口の壁に寄りかかったまま、視線で浴室の扉を窺うだけで動こうとしない。
「……」
「どうして判った?」
「仕草が……」
「誘ってたか」
「……はい」
バスタオルを脱ぎ落とし浴室へと消える瞬間、サキはグリンに裸体を晒し、流し目で微笑んだのだ。
あの視線の意味を、グリンは嫌というほど知っていた。
性欲処理の玩具として市場に出された『レプリカ』であるグリンにしてみれば、あの視線こそが自分に向けられる正当な評価であった。
「今までも情緒不安定になる事はあったんだが……。
今回のは、ちょっと……本格的にきてる様でな」
「まさか……コウ様お一人で、相手をされてるんです…か?」
「当然だろう。あいつは俺のだ」
発情期の魔族の性欲は無尽蔵だと聞いた事がある。
どんなに好色な飼い主であっても、飼っている魔族が発情期に入ると放し飼いにするという。
友人知人を招き、”パーティ”を催す金持ちも多い。
それをコウは、自分ひとりで相手をしているというのだ。
やつれて見えたのは気のせいなどではなかった。
いつからそうだったのかは判らないが、少なくともここ1週間は二人は部屋に篭りっきりだった。
並みの人間ならば、とうに精根尽き果てて干からびているだろう。
「だ、大丈夫ですか? ……というか、よく生きてらっしゃいます…ね」
「ヒトとは思えないって言いたいのか?」
「い、いえっ!」
「残念ながらヒトなんだよ。ギリギリのところで、な」
自嘲を含んだ笑みには凄みさえ感じさせる。
ごくりと唾を飲み込んだグリンの手からシーツを取り上げたコウは、浴室ではなく屋上へと足を向けた。
「あ、あのっ!」
「大目に見てやる」
「は?」
「あいつは、俺のはともかく自分のを弄るのは下手なんだよ。タイミングが掴めないらしくてな」
“自分で”という事は、発情期であってもサキは、コウ以外の相手は求めていないという事だ。
コウの限界を感じたサキは、負担を減らす為に止まらない性欲を自分で処理しようとしているのだろう。
だが自慰に慣れていないサキは、どうやらうまく解放する事が出来ずにいるらしい。
「“奉仕”するのは得意だろ?」
突然のコウの提案に、グリンは自分の耳を疑った。
あれだけサキを独占したがっていたコウの言葉とは思えなかった。
現にコウの表情は不本意極まりないと告げている。
何よりサキ自身が、承知するはずがないように思えた。
肉欲に負けてグリンの手を受け入れたとしても、発情期が過ぎれば後悔するだろう。
仮とはいえ、現在の主人であるコウの命令に逆らう気持ちはさらさらなかったが、それでもグリンはサキの笑顔が曇るのは見たくはなかった。
「でも、サキさん……。後から傷付いたりするんじゃ…」
「自分を抑えられない今の時点で、もう傷付いてるんだよ」
「あ」
「俺の口から”発情期なんだから仕方がない”と言ったところで、あいつは納得しやしないからな。……だから、お前が説明してやってくれ。ついでにどうすれば楽になるのか、…もな。あいつに触るのを許すのは、その褒美だとでも思え。…できるな?」
「……は、はいっ! 僕、僕頑張りますっ! …あ!」
「……なんだ」
嬉しそうに瞳を輝かせたグリンは立ち去りかけたコウの背に追いすがって小声で訊いた。
「あの、あのっ…。サキさんに……いっ、…挿入れてもらっても…いいです…か?」
「〜〜〜〜〜〜サキに訊け。……俺は……今のは聞かなかった事にしておいてやる」
本気で嫌そうな顔をしたコウは一瞬拳を握り締め、だが、それでもそのままその場を後にした。
since2002 copyright on C.Akatuki. All rights reserved.