お終いの街2


5章

「大丈夫か?」

 冷えたグラスがそっとサキの頬に当てられる。

「……」

「悪かったって。少しばかり調子に乗りすぎた」

「…………」

 受け取ったグラスを握り締めたまま、サキは俯いて一言も発しない。
 頬が赤いのは、湯あたりのせいだけではなかった。

 グラスの中で溶けていく氷を見つめながら、サキはバスルームでの出来事を思い出していた。

◆◆◆◆◆

 おそらくは初めて自発的に欲情したであろうサキをバスルームに連れ込んだコウは、面白半分に自慰の仕方をレクチャーしてやったのだった。
 手取り足取り教えるのではなく言葉だけで動かし方を伝え、実践させた。

 意に反して昂ぶってしまった自分自身の変化に動揺していたサキは、自分で自分を宥める行為を人前で行うという羞恥より、とにかく元に戻したい一心で、コウに促されるまま、自身のペニスに手を添えた。

 だが気持ちの焦りがブレーキになっているのか、いくら扱いてみても射精には至らない。
 ガチガチに張りつめ、先端から溢れる液体に白い物が混じっていると言うのに、あと一歩のところで昇りつめる事ができないサキにコウの視線が追い討ちをかけてくる。

 穏やかに見守るような視線なら、もっと集中できたかもしれない。
が、サキに注がれる視線は早く達ってみせろと言わんばかりであった。

 この手がコウの手であったなら……

 切羽詰ったサキは目の前のコウの存在を忘れ、一瞬記憶の中のコウにその身を委ねた。
 自分の手に記憶の中のコウの手が重なり、ただ乱暴に扱くだけだった動きにリズムが加わる。

『あ……コ…ウ……』

 親指の腹で円を描くように先端をこすり、残りの指は強弱をつけながら上下に扱く。
 もう片方の手は袋をやわらかく握り、指先で肛門から続く裏側の筋を撫でるように擦る。
 馴染みのある動きがサキの官能を捉え不必要な力が抜けてゆくと、待ちわびた瞬間は驚くほど
あっさりと訪れた。

 しかし解き放たれた欲望がもたらした快感はほんの僅かなひと時だけで、すぐに現実が帰ってきた。

『すっきりしたか?』

 虚しさと情けなさで、泣き出したいような気分に陥ったサキは、唇をかみしめてコウを見返すことしかできなかった。

◆◆◆◆◆

 その表情を、望まぬ行為を強要された事への抗議と受け取ったのか、着替えを終えてキッチンに場所を移した今も、コウはひたすら謝り続けているのであった。

 自慰を強制されたことを怒っているわけではなかった。
 自分を絶頂へと導いたのが、現実のコウの手ではなかったことが悲しかった。
 欲望を吐き出して昂ぶりは治まってはいるものの、身体の芯の熱は退かず、甘い疼きを残していた。

「ああいうのは……嫌だ……」

 力なく椅子に腰掛けたサキが俯いたまま呟く。

「ん。悪かったな……。眠れるか? 一人が良ければ俺はリビングでいいから」
「っ…違っ……!」
「サキ?」

 表情を確かめようと屈みこんだコウと、顔を上げようとしたサキの視線がまともにぶつかった。
 どうしてと責める様なサキの瞳に、差し出しかけたコウの手が止まる。
 宙に浮いたままのコウの腕をちらりと横目で見たサキの表情が不満を湛えたものに変わった。

 グラスの中身を一息に飲み干し、乱暴にテーブルに置くと、勢いよく立ち上がりコウの腕をつかむ。

「来て」

 コウの腕をつかんだまま、サキはコウの部屋へ向かいドアを開けた。

「おい」

 部屋に入り、コウが後ろ手でドアを閉めた音を聞いてサキはようやくつかんでいた腕を放した。
 ベッドの脇に立ったサキはヘッドボードの縁を握り締め、絞り出すような声で言った。

「一人でなんて……眠れる訳、ないじゃないか……」

 背を向けたまま話すサキがどんな表情をしているのかは判らなかったが、微かに震える声音には、怒りと悲しみが入り混じっているようだった。

「あのまま……抱いてくれると思ったのにっ……今だって…大丈夫かって言葉だけで……」
「……触って欲しかったのか? ……こんな風に?」

 コウの腕が後ろからサキを抱き寄せ、手のひらがパジャマの上着の裾から潜り込んだ。

「……ッ…今…さら…ぁ…ぅ」
「まだ治まってなかったのか……。なるほど、これじゃ眠れないな」

 パジャマのズボン越しに股間を撫でられたサキはあっさりと抗う事をやめ、コウの胸に背中を預けて力を抜いた。

「そうだよ。やっとの思いで達ったのに、余計に熱くて……胸が…苦しくて……」
「嫌だったのは、俺が何もしなかったから……なのか?」

 腹から胸へと昇ってきた手は指先で乳首を摘み、転がし始めた。
 布越しに股間を撫でていた手は下着の中に入り込み、熱を持った手のひらがペニスを包みこむ。
 コウの手が上下するたびにぴくりと肩をすくませるだけで、されるがままになっているサキが小さく頷く。

「俺が一人でイクとこが見たいなら……いくらでも見せるよ?
……コウがそうするのが好きなら、……俺の事、縛ってもぶってもいいよ…。
最後に俺の中で達ってくれるなら……何したっていいよ」

 前戯代わりの余興だというのなら、自慰を見せるくらい何でもなかった。
 それがコウの趣味だと言うのなら、どんな痴態をさらしても構わなかった。
 そうすることで自分を求めてくれるなら、苦痛も羞恥も、快楽への序章にすぎないから。
 例えそれが刹那の至福のひと時であったとしても……

「そうやって俺が眠りにつくのを見届けて、お前はまた一人で泣くつもりなのか?」
「っ! …ど…うして……? あうっ!?」

 コウは振り返ろうとしたサキの上半身をベッドに押し付けると、下着ごとパジャマのズボンを剥ぎ取りサキの下半身を露にした。

 灯りをつけないままの室内にカーテンの隙間から月の光が差し込み、両足を床についてベッドに上半身を突っ伏したサキの白い尻をぼんやりと照らす。
 背後で衣擦れの音が聞こえ、ベッドの脇の小物入れの引き出しが開いて閉じた。
 コウの手のひらで人肌に温もった液体が、肛門とその周囲の襞に塗りつけられてゆく。

「いきなり突っ込んで引き裂くような真似はしないから、安心しろ」
「なんで……」

 嵐の夜の出来事を思い出したとしても、サキが泣いていた事までコウが知るはずはなかった。

「そのまま、窓枠の下を見てみろ」

 ゆっくりと抜き差しされる指に感覚を翻弄されながら、サキはコウの示した場所に視線を送った。
 揺れる視界の片隅に一瞬不自然な光の反射がよぎる。

「隠し…カメ…ラ……? う…そ……」
「撮ってたのはあの晩だけだ。だが、その前にも、同じような事があったんだろう?」

 増やされた指の動きがサキの思考を奪ってゆく。
 コウの声だけが響き、隠すと決めた陵辱の記憶が言葉になって溢れそうになる。

「俺は……何度、お前を犯した? お前は何度、独りで泣いた? それでもお前は……俺が欲しいのか?」

「欲しいよ! コウが欲しい……
俺だけを見て、俺しか抱かないコウが欲しいんだ……俺だけの、コウが」

 内壁を擦りながらゆっくりと指が引き抜かれ、もっと大きな、ぬめった感触の肉棒が押し当てられた。

「後悔……するなよ……」

「あっ、あぁ……あああっ…!」

 充分に解されていたにもかかわらず、その質量は圧倒的だった。
 意味のある言葉を紡ぐ思考をめぐらす余裕など、あとかたもなく消し飛んだ。

 2,3度深く衝かれただけで、サキの快感は臨界点に到達した。
 だが欲望を吐き出す寸前でそれはコウの手でせき止められ、出口をなくした官能の波が脊髄を駆け抜け全身に舞い戻る。

 その波を追うように新たな快感がコウの腰の動きによって突き上げられてくる。次々と送り込まれる刺激は圧縮され、濃厚な霧となって理性の壁を押し包み、侵食してゆく。
 とろとろと脳が溶けてゆくような感覚を得て、サキの自我は崩壊の悦びに打ち震えていた。

「ひぁ…ぁ……あぁ……あ…」

 力を失くした指先はシーツを掴む事もせず、手の平から受ける衣擦れの感触さえ快感に変えていた。
 自身の絶頂は塞き止められたまま相手の絶頂を体内に受ける感覚は、苦痛であり悦楽であった。
 一旦自分のペニスを引き抜いたコウが、サキのペニスを握り締めたまま耳元に囁く。

「そろそろお前も達くか?」
「あ……はぅ……」

 虚ろにシーツの上を彷徨っていた視線が、コウの顔に焦点を定める。
 コウの手がそっと外され、上体を起こしてすがり付こうとするサキの背を抱きとめた。
 脱がしそびれていたパジャマの上着を、サキは自分でボタンを外して脱いだ。

 ベッドの中央に場所を移したコウの股間に四つん這いで唇を寄せるサキを、コウの手が止める。

「いいから……。来いよ、達かせてやるから」

 コウの導きをふるふると首を振って拒んだサキは、喉が掠れて声が出ないのか、顔を上げて唇の動きだけで答えた。

  (サ…ワ…リ……タ…イ…)

 コウの眼が一瞬驚いたように見開き、やがてふっと細められた時には、口元に柔らかな笑みが浮かんでいた。

「いいぞ。お前の好きなようにしろ」

 枕をクッション代わりに腰にあて、ヘッドボードにゆったりと寄りかかったコウは、軽く立てた両膝を大きく開いてサキを招いた。

 コウの股間にすっぽりとおさまったサキは、コウのペニスを手に取りうっとりと頬を摺り寄せた。
 刺激に反応して揺れる様を嬉しそうに見つめながら、繁みを掻き分け根元から先端までを何度も丁寧に舐めあげては、溢れた汁をすする。

 内股を手のひら全体で味わうようにさすり、腰を撫で、腹から胸へと伸ばした指先が乳首を掠めるとコウの口から押し殺した声が漏れた。

「んっ……」
「!」

 その声に誘われるように、サキは愛撫の中心を上にずらしていった。
 肩先を撫でる手をコウに掴まれたサキは、その熱さに驚いて乳首を舐めていた顔を上げた。  目が合うと何かを企んでいるような流し目でサキの視線を奪い、掴んだ手の人差し指と中指を2本まとめてその口に咥え込んだ。

 手のひらよりもさらに熱く、たっぷりと唾液を乗せた舌で指の間を舐めまわし、強く吸い上げる。
 その淫らな動きと感触はペニスへの愛撫を連想させ、記憶の中の快感と相まってサキの内壁に甘い疼きがさざ波のように広がってゆく。

 強く抱きしめられ、互いの肌が密着した瞬間、サキは全身が性感帯になったようなその感覚に思わず甘い吐息を漏らし、身震いした。

 コウの大きな手のひらが手当たり次第にサキの背を撫で、無造作に尻をつかむ。
 息が止まるほどのむさぼるようなキスを浴びて、サキはコウにしがみつき腰を浮かした。
 コウの腰にまたがり、自分からコウのペニスを迎え入れる。

 内壁を押し広げ侵入してくる圧迫感が身体だけでなく心の空洞をも埋め尽くしてゆく。
 満たされる喜びで、わだかまりを欲望に変えて吐き出したサキは、歓喜の声を上げた。







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