「ん……」
窓から差し込む日差しの眩しさでコウは目覚めた。
見慣れた天井をぼんやり眺めていると、ノックの音がしてドアが開いた。
「……サキ?」
「おはよ。でもって、おかえり」
「あ、ああ……」
軽い足取りでベッドの脇に立ったサキを、コウは寝そべったままでまじまじと見つめた。
「ん?」
「いや……。なんか、腹が減ったなぁと……」
「当たり前だろ、何時間寝てたと思ってるのさ。帰ってきたのって一昨日の夜中だよ?」
呆れたような声で答えるサキの表情は、妙に明るい。
何かを企んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「……また、暴れたのか?」
サキの笑顔に微妙な不安を感じたコウは、起き上がりながら恐る恐る尋ねた。
この前目が覚めたときは、確か、バスルームの扉が壊れていた。
泥の中から這い出たような姿で戻ったコウを洗おうとしたら、抵抗して暴れたというのがサキの弁
だった。
肘鉄をくらったと怒るサキの頬には、それを裏付けるように青いアザができていた。
あの時はサキの怒りを静め許しを請う為に、コウはひたすら土下座し、平謝りに謝ったのだった。
その前にもキッチンがひどい状態になっていた事があった。
帰り着くなり冷蔵庫に突進し、手当たり次第に喰い散らかしたらしい。
翌朝出された食事は、コップ1杯の水だけだった。
俺は食い物じゃないと、肩についた歯形を見せられ、向こう1週間の食事当番で勘弁してもらった。
仕事を終えたところまでの記憶は鮮明なのに、帰宅して目覚めるまでの間の記憶となるとひどくあいまいになっているというのが、ここのところの常であった。
酒を飲んだわけでも無いのに、前後不覚で帰宅した酔っ払いと大差ない有様であるらしいのだ。
「今度は、何を壊した? 玄関か? リビングのソファか?」
「俺」
「!」
コウの顔が一気に青ざめ、見開いた目には驚愕よりも絶望が色濃く浮かび上がった。
「あ。もしかして今、本気にした?」
「え……」
「う・そ。そんなわけないだろ? ほら」
起き上がりかけた姿勢のまま固まってしまったコウにサキの笑顔が近付く。
抱きつかれるまま再びベッドに身体を沈めたコウは、確かめようがないと知りつつ、それでもそっとサキの身体を抱きしめ、震える手でその背中を撫でた。
魔族の回復力はヒトよりはるかに高いのだ。
帰り着いたのが2日前なら、どんなにひどい抱き方をしたとしても痕跡など残っているはずがなかった。
もしも残っていたなら、死んだ方がましだと思うほどの仕打ちを与えていた事になる。
仕事で家を空けるたびに、サキに飢える自分を思い知らされているのだ。
特に今回は、有り得ないと否定できるだけの自信は無かった。
ライに指摘された通り、『レプリカ』の少年の白い肌にサキの姿態がよぎったのは事実だった。
帰り道、どうしようもなく昂ぶってしまった身体を鎮めるために、車を乗り捨てた後、長い間雨に打たれていた所までは記憶に残っていた。
冗談なのだと言われても、すぐには信じる事ができなかった。
コウは触診をするように、サキの身体をゆっくりと撫で続けていた。
サキは、コウの胸の上でくすぐったそうに喉を鳴らしているだけで、どこかに痛みを感じている様子はなかった。
「サ…キ……?」
「……何もしてないよ」
「……本…当……か?」
問い質すというよりもすがりつくようなコウの視線に、サキは苦笑を返して言った。
「うん。今回はどこも壊れてないよ」
”今回は”と強調されて、コウがバツの悪そうな顔で口をつぐむ。
「ずぶ濡れで帰ってきたんだ……。ぼーっとしてて、身体が氷みたいに冷たくなってた」
前回も、その前も、本当はただ単に暴れたわけではない。
サキを犯すために、バスルームの入り口で殴り飛ばし、キッチンのテーブルに並べられていた料理をぶちまけて押し倒した。
頬の青アザも、肩に残った歯型も、消える前にコウが目覚めてしまったから、別の理由で怒ってみせた。
傷が癒えていたのなら、コウが一人でよろけて倒れたのだと告げただろう。
今回は寝室に直行してくれたおかげで、家具の破損は免れた。
身体に受けたダメージの回復も、コウが丸二日眠り続けてくれたから、どうにか間に合ったのだ。
サキは、何も告げるつもりはなかった。
「……」
コウは、サキの言葉を信じたのか、黙ってサキの話を聞いていた。
「濡れた服を脱がして、身体を拭いて……。コウってば突っ立ったまんまで全然動こうとしなくて、大変だったんだからね!」
「そ、うか……」
サキの言葉に苦情が混じると、コウはようやく安堵の息を吐いた。
例によって前後不覚で多大な迷惑をかけたらしいが、文句を言えば気が済む程度だったらしい。
そう思うと一気に身体中の力が抜けた。
「お風呂入れば? って言ったのに、いきなり裸のまんま歩き出したと思ったら、今度はさっさとベッドに潜りこんじゃって、パジャマ着せる暇もなかったんだよ? 素っ裸でぐーぐー寝ちゃって……。後で風邪ひいたって俺のせいじゃないからね!」
「は、はは……。そりゃ悪かっ……え?」
サキの話を聞き終えて、コウは、ようやく自分が全裸な事に気付いたようだった。
同時に現在自分がどのようなシチュエーションのもとにベッドに寝転がっているのかも……
全裸のままでサキに押し倒され、そのままサキを抱きしめ、撫で回している自分。
充分すぎる睡眠のせいか、気だるさは感じても疲労感はない。
目覚めた時に感じていた空腹感はサキの一言で吹き飛んでしまったのだが、緊張が解れた今は、鼻腔をくすぐる髪の甘い香りで、急速に別の飢えがこみ上げてきてしまっていた。
このままでは下半身の変化が、一目瞭然になってしまう。
「……状況は、わかった。ちゃんと服着るから……どいてくれ。でないと……ちょっと……」
「ちょっと……なぁに?」
どうやら自覚するのが遅すぎたらしい。
思わせぶりにサキの脚が膝を割って絡みつく。
「…………お前。知っててやってるだろ」
「言ったろ? 何もしなかったって。その分2日も眠り続けてさ。俺、寂しかったんだけど?」
「悪かった。謝る。謝るから、その手をどけ……うっ!」
サキの手が、コウの目覚めかけの雄をやんわりと握り締めた。
コウの背がびくりと反り返り、サキを留める動きが止まった。
するりと身体を滑らせたサキは、躊躇うことなく根元まで咥え込む。
サキの口の中で、コウは一気にその質量を増して硬く張りつめていった。
「ばっ……いきなり咥えるんじゃ……」
「♪」
「う……わ……。待てっ……て……。ちょっ……」
ソフトクリームでも舐めているような動きで、サキの舌がまとわりついてくる。
上手い下手以前に、扱い方が何か違う。
言葉でいくら待てと言っても、直接的な刺激は確実にコウを煽り、引きずり出される快感に待ったはなかった。根元から唇全体で何度か吸い上げられると、コウはあっさりと果ててしまった。
「…………はや」
「言うなよ……。自分が一番情け無い」
両目を片手で覆い隠し、顔をそむけたコウの耳が真紅に染まっている。
その耳元に、サキのくすくすという忍び笑いが響き、耳たぶを軽く噛まれた。
「続き、しよ?」
ここまでされてコウはようやく、これが今回の罰なのだと思った。
破壊活動に及んでサキにとばっちりを食わせなかったとはいえ、延々と眠りこけてほったらかしにした罰。
「……しばらく、ゆっくりできるから」
コウの大きな手のひらが、サキの頬をやさしく包んだ。
「サキ」
名前を呼ばれた途端、サキの瞳は泣き出しそうに潤んで揺れた。
「うん……。おかえりなさい、コウ」
サキの頬に、首筋に、優しいキスが降り注いだ。
コウの指がシャツのボタンをひとつひとつ丁寧に外し、撫でるようにサキの肌を露にしてゆく。
真実を知ってしまったら、コウは、サキを傷つけないために二度とサキに触れようとしないかもしれない。それがコウの思いやりなのか、サキに封じられない為の無意識の防衛本能なのかは判らない。
判っているのはどちらにしても確実に、サキの望むこの瞬間は失われてしまうと言う事だけであった。
いずれ、コウ自身が思い出してしまうかもしれない。
その時を避ける術をサキは知らない。
知っていたとしても、記憶を操作してまで自分の願いを叶えようとは思ってはいなかった。
その結果、コウがサキを遠ざけるのならば、甘んじて受け入れようと……。
だからせめてその時が来てしまうまで、サキは自分からは何も言わないと決めていた。
コウの疑心暗鬼を取り除く事で、その時が少しでも先に延ばせるように、笑うと決めた。
コウの手が足元に伸び、膝まで下ろされていたGパンと下着を愛撫と共に抜き取る。
開かれた両脚の間にコウの舌が這い、指先が入り口を解きほぐしてゆく。
サキの反応を見ながら徐々に深く抜き差しされる指の動きに、サキの口から甘い吐息が漏れる。
「ぁ……。コウ……も……きて……」
少しでも長く、繋がっていたい。一つでも多く、絶頂を感じておきたい。
嵐の晩とは違う熱い身体を、全身で感じていたい。
こぼれそうになる涙を堪えて微笑むサキに、コウはゆっくりと入ってきた。
すぐには動かず、サキの身体が異物感に馴染むまで、髪を撫で、キスを繰り返す。
力を抜いて最奥まで受け入れたサキの脚がねだるようにコウの腰にからむと、コウの顔に笑みが浮かんだ。サキもまた微笑を返し、コウの背に腕を回す。
「あんまり爪、立てるなよ」
「知らないよ。気持ちイイのは俺の所為じゃないし?」
「ああ、はいはい。それじゃ、爪あとでも歯型でも好きなだけつけてくれ」
腰を使い始めたコウの動きに併せて吐き出す息に小さな喘ぎが混じる。
「……もっと……声、……聞かせろよ」
息が荒れて上ずった声が、サキの羞恥に混じる快感を煽る。
「ふっ……ん。あっ……はあっ……あっ……んんんっ」
爪を立ててしがみつくサキの背を片手で支えてやりながら、頂点へと昇りつめる。
「サキ……。…………っ!」
「コ……ウ……。あ!……あああっ!」
サキの中に全てを注ぎ終えたコウは、体重をかけないように気遣いながら、そっとサキに覆いかぶさる。ゆっくりと繋がりが解けると同時に、甘いキスがサキの唇に届けられた。
そのまま余韻を味わうようにサキを抱きしめるコウの身体は、まだ少し火照っていた。
(……おかえりなさい。……いつものコウ……。)
何があっても笑っていようと、心に誓ったはずのサキの目から、堪えきれずに涙が一筋流れて落ちた。
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