吐き出した煙がかかったわけでも無いだろうに、モニタの向こうのナギの顔が渋いものになる。
『ちょっと! 真面目に聞いてるの?』
「ちゃんと脳は残しておいただろ。電極指してデータ吸い出せば一発だろうが」
『なんで、あんなチンピラの固体識別にわざわざコストのかかることしなきゃなんないのよ。目玉の一つでも残しておいてくれれば即日で報酬出せたのに、アンタってば……』
「依頼内容はデータディスクの回収と関係者の消去だったはずだ。固体識別の必要アリとは聞いていたが、死体を五体満足で持ち帰れと言う指示は受けていない」
『アンタ、奴らがサキちゃん襲った連中だったから、刻んだんでしょ』
「……全部解析したのか。どうりで時間が掛かったわけだ」
コウが仕事を終えてディスクと死体をライに取りに来させたのは、サキがまだ、1日のほとんどをベッドで過ごしていた頃だった。
『誰かさんが生きたまま生皮剥いでくれたおかげで、痛みと恐怖で記憶がバラバラになってたのよっ! ほんとなら海馬からのデータ抽出だけで済んだはずなのに、全〜部引っ張り出して、始めっから並べなおして繋ぎ合わせなくちゃ使い物にならなくなってたのっ!』
「必要な情報はディスクじゃなく、奴らの脳みその方に入ってたってわけか。そりゃ悪かったな」
『心にも無いこと言ってんじゃないわよ。大体アンタはどうやって奴らがサキちゃん襲ったって判ったのよ。こっちだって解析途中で偶然ぶち当たってわかった程度なのに。』
サキを拾う前に請けていた仕事だった。
アジトへの潜入ルートを確認しに行った帰り道でサキを見つけた。
ターゲットと関わりがあるとも思ってなかったし、あまりに薄汚れていたから、連れて帰って汚れを落とすまで、遊び飽きて捨てられた魔族の子供と言う認識しかなかった。
「奴らの手元にあったディスクはあれだけじゃなかったからな」
『! ……撮られてたの?』
「ああ」
コウがターゲットのアジトに忍び込んだ時、まさにそのディスクの試写会の最中だったのだ。
薄汚いコンクリートの壁いっぱいに映し出されたホログラフには、虚ろな目をして脚を開くサキの白い裸体が大写しになっていた。
股間を見せ付けるように後ろから抱えられ、絶頂へと煽り立てるように、男たちの手が乳首を摘み、太腿を撫で回す。
張りつめたサキのペニスが白い飛沫を吐き出すその瞬間、スクリーン代わりのコンクリートの壁に、真紅の飛沫と無数の肉片が飛び散っていた。
コウは無意識のうちに、咥えた煙草のフィルターを噛み潰していた。
舌に感じたちりちりとした苦味がコウを現実に引き戻す。
ナギも、それ以上は聞こうとはしなかった。
そのまま会話を打ち切ろうとしたコウだったが、何かを思い出したのかモニタに向き直る。
「ナギ」
『なに?』
「前にお前が置いていったローションってのは、どこでも買えるのか?」
『はい? ……ああ!』
唐突な話題の転換に、一瞬何の話か判らず面食らった表情をしたナギだったが、なんとか記憶を手繰り思い出す――確か、魔族嫌いの官僚のパーティに、ライの代わりの付き添いで引っ張り出した時に渡した物だ。
ナギの見立てたタキシードを着るのを渋るコウに、これも仕事のうちだと言い含め、ひげも剃らせた。
肌がひりひりすると文句を言うから、とっておきのローションを分けてやったのだった。
「ここいらのその手の店は全部覗いたんだが、見つからなくてな。通販かなんかか?」
『なぁに今頃色気づいてんのよ。』
「俺じゃない。サキが、あの香りを気に入ってるんだ」
『サキちゃんが? アレを普段、普通に、使ってるわけ? 毎日?』
「ああ」
『……あれって一応、結構な高級品だったりするんだけど。』
「もう手に入れるのは無理か?」
『そんなことはないけど……。』
金銭的にかなり余裕のあるナギですら、日常的に使うにはためらいを覚える品なのだ。
ブランドがどうというのではない。
香料の原料となる植物が、人工的に栽培できない希少種なのだ。
そのため市場に出回ることはほとんどなく、入手ルートを確保するだけでも一苦労だった。
知る人ぞ知る、いわゆる幻の逸品というやつなのである。
化粧品に金をかけるなど馬鹿らしいと言っていた男に、その価値を説いても無駄だろう。なのに、高級品と聞いても気にしているのは入手可能かどうかということだけで、値段に関してはまるで関心を示さない。
「なんだ? 手付け金とかいるのか? だったら今回の報酬から差っ引いて構わんぞ」
『アンタ、値段知ってて言ってる?』
「足りなきゃ口座から落とせよ」
『そうじゃなくて! アタシだってもったいなくて毎日なんて使えないってのに。』
「お前はもとから毎日とっかえひっかえ違う匂いをばらまいてるだろうが。アイツはアレが気に入ってるから毎日使ってるんだ。別に構わんだろう」
『ああ、はいはい。あとで請求書見て文句つけないでよ!』
「口座が空になるわけじゃないんだろ? だったらそんなもんいらん」
どうやらサキの為なら金に糸目はつけないらしい。
サキに危害を加えた者へのあの容赦の無い仕打ちといい、コウのサキへの執着ぶりに、ナギは呆れかえるしかなかった。
「じゃ、手に入ったら知らせてくれ」
会話の終了と同時にドアをノックする音が聞こえた。
「おう」
モニタを消して立ち上がり、ドアを開ける。
「ごはん出来たよ。来れる?」
少しばかり伸び過ぎた髪を後ろでひとつに束ねた、エプロン姿のサキが笑顔で立っていた。
迷いも不安も無い、真っ直ぐな好意に満ちた笑みに、コウの表情が和らぐ。
「悪かったな、一人でやらせて」
後ろ手でドアを閉めながらサキの腰に手を回す。
「今日は俺に任せてって言ったよ。話、もういいの? ナギからだったんでしょ?」
抱き寄せられるまま身体を預けたサキの手も、コウの背に回り、シャツを軽く握った。
「アイツの長話に付き合ってるとメシが冷めるからな。あとで買い物ついでに店の方に顔出すさ」
「あ、俺も一緒に行っていい? ナギの店って見てみたいんだ」
「……バイトの面接とか言うなよ」
「売りが駄目ならコックかバーテンやらないかってさ」
「まだ諦めてないのか、アイツは……」
心底嫌そうな顔をするコウを見上げて、サキがくすくすと楽しげに笑う。
その胸元には、コウから改めて贈られた『しるし』が揺れていた。
since2002 copyright on C.Akatuki. All rights reserved.