眠れぬ夜の物語


中編

 室内灯を消してベッドサイドの小さなライトを控えめに点ける。
 ベッドの左側を半分空け、クッション代わりの枕に背中を預けたところでノックの音がした。

「おう」

 コウが軽く返事をするとおずおずとドアが開き、自分の枕を抱えたサキが、うっすらと頬を染めて
入ってきた。

 ――『眠れないなら、ついててやるから』――

 コウの言葉に気を良くしたサキは、いそいそと自室に枕を取りに行っていたのであった。

 先にベッドに腰を落ち着けていたコウが布団の端を持ち上げ、サキのスペースを示してやれば、弾むような足取りで駆け寄り、するりとコウの脇に潜り込んでくる。よほど嬉しかったのだろう、どこか照れくさそうにしながらも、その表情はへらへらと緩みっぱなしであった。

「あのね、コウ」
「ん?」

 ぽんぽんと枕の形を整えながら、サキが意を決したように呟いた。

「白状しちゃうとさ……。俺、コウが仕事でいない夜は、いっつもコウのベッドで寝てたんだ」
「お前のベッド、もう少しでかいのに換えるか?」
「そういう意味じゃないって!
……そりゃ、コウのベッドは広くて気持ちいいけど、そういう事じゃなくって……」
「うん?」

 サキの言わんとしている事がなんなのか予想はできたが、コウは、あえてとぼけて続きを促した。
 サキの口から、本音を聞かせて欲しかった。

「コウが家にいなくても、ベッドには、コウの匂いが残ってるから……」
「一人で待つのは嫌か?」
「待つのは嫌いじゃないよ。コウの帰りを待てる自分が嬉しいから」

 でも、とサキは続けた。

「時々ね、ぽっかり時間が空いちゃうような時があって……」
「一人じゃ、メシの支度も片付けも簡単だしな」

 サキを拾う前、コウは、この部屋で一人で暮らしていた。
 一人の気楽さの裏で時折感じる人恋しさは、身に染みて知っていた。
 淋しいというのとは少し違うが、誰かにそばに居て欲しいと思う時がある。
 普段誰かと暮らしているのなら、その誰かを思い出すのは当然の事だろう。

「そんな時にね、コウの部屋に居ると、俺、すごく落ち着くんだ」

 最初のうちは昼間、洗濯の合間にコウのベッドに寝転び本を読む程度だった。
 コウが家を空ける日が多くなると、コウの部屋で過ごす時間も増えた。

「……やっぱり、少し、淋しかったのかもしれない」

 待ってればちゃんと帰ってきてくれるのにねと笑った顔には、ほんの少し強がりが見えた。

 コウはサキをそっと抱き寄せ、髪の毛を撫でた。
 へへっと小さく笑ったサキは、そのままコウに寄りかかりながら、話を続けた。

「だからかなぁ。俺、コウが家に居る時は、ずっとそばに居たいなぁって……」
「居ればいいじゃないか」
「うん。昼間は、そうしてる。でも、夜は……」

 途切れた言葉の先を続けるべきか否か。
 迷っている様子のサキに、コウは何も言わずに続きを待った。

「あの、さ……」
「なんだ?」
「俺、頑張るから! ……だから、だから夜も……そばに居て……いい、かな?」

 何を頑張るのかなど、聞くまでもなかった。

「莫迦か、お前は」

 コウはそれだけ言うと、呆れたように溜息をつきながら、布団に潜り込んだ。

「コウ……」

 莫迦と言われ、しょんぼりしてしまったサキに、コウが手招きをする。

「冷えてきたから、お前も入れ」
「……うん」

 言わなければ良かったと、全身で落胆しながらすごすごと布団に潜り込むサキの首の後ろに、コウはすい、と腕を差し入れ、そのまま頭を抱き寄せた。
 驚いて一瞬身を固くしたサキの額に軽いキスを落とすと、コウはそっと囁いた。

「頑張らなくていい……。そんな事しなくても、いつだって居ていいから」

 身体の向きを変えたサキの手が、そっとコウのパジャマの胸元を掴む。

「だって……コウ、ちゃんと足りてる? 足りてないからいつも……」
「毎晩こうしていられるなら、あんなにがっついたりしない。大丈夫だ」

 コウはそう言いながら、愛撫とは違う手つきでサキの肩を抱き寄せ、優しく頬を撫でた。

「こういうのは、嫌いじゃない。……前にも言ったろ?」

 コウはどういうわけか“好き”という単語を口にするのが苦手らしい。
 だからこういう言い方をする時は、それはとても“好き”な事なのだと、これまでの付き合いの中でサキは学んでいた。

“好きだ”とか“愛してる”といった言葉は、コウはめったな事では口にしない。それがサキの不安をあおる原因でもあるのだが、ねだって言って貰う言葉ではないとサキは思っていた。

 だから少々回りくどい言い方であっても、こんな風に言葉で示してもらえるのは嬉しかった。
 欲を言えば、コウの方から“そばに居てくれ”と言って欲しいのだが、それこそ、頼んで言わせる言葉ではなかった。

 サキが頼めばいくらでも言ってくれると判っているだけに、コウの心をねだるような事はしたくなかった。

「コウ……大好き……」

 コウの胸に顔を埋めるようにしてそっと呟く。
 だが返ってきたのは甘い囁きや柔かな抱擁ではなく、規則正しい寝息だった。

(うそっ! もう寝ちゃったの!?)

 もしや狸寝入りでは、と顔を上げると、幼い頃の面影を残した無防備な寝顔が間近にあった。

(う……わ……)

 木漏れ日の中、涼風を受けて眠る幼子の姿が蘇る。
 あの時触れることの出来なかった髪が、頬が、今は手の届くところにある。

 サキは手を伸ばし、瞼にかかる前髪に触れた。

「ん……」
「!」

 腕枕でサキの頭を抱くようにして仰向けに寝ていたコウが、おもむろに寝返りをうち、サキをすっぽりと抱え込んだところで動きを止めた。

(うわっうわっうわ〜〜〜っっ!)

 サキはコウに張り付いた格好のまま、身動きがとれなくなってしまった。

 耳元で聞こえる穏やかな鼓動と、身体を包む温もりが心地良い。
 何より間近に見えるコウの寝顔が、安堵に満ちたものなのが嬉しかった。

 サキはほんの少し身体をずらし、コウの腕に重みがかからないように頭の位置を変えると、もう一度コウの寝顔をしっかりとその目に焼き付けてから、温もりに身を任せて瞼を閉じた。


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