眠れぬ夜の物語


後編

(ね、眠れない……)

 SEX抜きの夜でも一緒のベッドで眠っていいのだと言われ、幸せいっぱいで眠りにつくはずだった夜。

 めったに見られるものではないからと、じっくりと眺めてしまったのがいけなかった。
 瞼を閉じ、唇を軽く開いたコウの寝顔がキスの前の表情に似ていると思った途端、サキの心臓はせわしないリズムを刻み始めた。

 胸の奥で徐々に高まる鼓動が身の置き所を無くさせる。
 距離をとって熱を冷まそうにも、コウはサキを抱き枕のように抱え込んで熟睡しているのだ。

 コウの眠りを妨げたくはない。
 かといってこのままじっとしていても、眠気は訪れてくれそうもなかった。

 それでも下半身の密着だけは避けておこうと、少しずつ脚をずらし隙間をつくるのだが、どうにも身体が安定せずに苦労していた。

 もぞもぞと動くサキに抱き心地の違和感を感じたのか、コウの手が、確かめるようにサキの背を撫でた。

「うひゃっ」
「……?」

 耳元で響いた声に、コウの瞼がうっすらと開く。

「……サキ?」
「あ……ご、ごめん。ちょっと苦しくて……」

 起こしてしまったのなら仕方がない。
 サキはもっともらしい言い訳をしてコウの腕から逃れようと試みた。
 だがコウは何を勘違いしたのか、がばっと起き上がるとサキの胸元をまさぐり始めた。

「苦しい? 胸か?」
「は? え! ちょっ……」

 パジャマ越しでは判りにくかったのか、慣れた手つきでボタンを外し、あばらの周辺をしきりに撫で回して確認している。骨に異常がないと判ると、今度は首筋で脈を取り、ついには心音を確かめるべく、裸の胸に耳をつけた。

(寝ぼけてる! 絶っっ対、寝ぼけてるッ! うわーん)

 ただでさえ熱を持ち始めていた身体をこうも弄られては、たまったものではない。
 腰のあたりが疼き、押さえ込もうとしていた欲情が頭をもたげそうになる。

「ん〜〜???」
「コ、コウ……」
「心拍数が……やけに多くないか?」

 なおも執拗に胸元に張り付くコウに、サキは頭の下から枕を抜き取り、思い切り叩きつけた。

「起きろよッ! ばかぁッ!」

 ひるんだ隙に身体を起こし、コウの枕をも投げつける。

「ぶっ!」

 コウの枕は見事に持ち主の顔面にヒットした。

「あ? ……え!?」

 ようやく意識がはっきりたらしいコウが、狐につままれたような間の抜けた顔で辺りを見回している。

「目、醒めた?」
「その格好……俺が……?」

 はだけた胸元をおさえコウを睨みつけたサキは、差し伸べられた手を拒絶した。
 これ以上優しく触れられたなら、本当にどうしようもなくなってしまう。

“寝顔を見ていたら、したくなった”などと言えるはずもなく、火照った身体を鎮める為に部屋を出ようとベッドから降りかけたところで、後ろから強い力で引き戻された。

「待ってくれ! 俺が悪かったッ!」

 おそらくは、自分が無理に事に及ぼうとしたのだろうと思い込んだコウは必死だった。
 頑張らなくていいからと言ったのは自分だ。それなのに。
 差し伸べた手を拒まれ、コウはようやく気付いた。

 自分が怖れていたのは、拒まぬサキに無理をさせて壊してしまう事ではなく、無理をさせ続けたせいで、いつかこうして拒まれてしまう事だったのだと。

 サキの拒絶は、絶対的なものではない。ただ単に、今は受け入れられないとの意思表示に過ぎない。そうと理解していてなお、これだけ取り乱す自分が居る。

 大人の余裕をかなぐり捨てて縋るコウに、サキの方が面食らった。
 とりあえず水の一杯でも飲んでこようと思っただけだ。
 下手な言い訳をしようとすればするほど、本音が口をついて出てきてしまいそうだったから。

「コウ?」
「謝るから! ……頼むから、ここに居てくれッ」

 不意打ちでもたらされた言葉は、サキが欲しいと思っていた一言だった。
 全身の緊張が一気にほぐれ、身体の力が抜けていく。
 熱がひいたわけではないが、ほんの少し、余裕が出来た。

 コウは大きな勘違いをしている。

 それを正すには、順を追って話すべきだろう。
 信じてもらうには、恥をしのんで本音を告げるしかないようだった。
 その結果、今度は自分が縋ることになりそうだと思いながら、サキはコウの腕に自分の腕を絡めた。

 びくりと身をすくませるコウの胸に背中を預け、深呼吸とも溜息ともとれる吐息をひとつ。
 絡めた腕に微かに伝わる震えに、なぁんだ、と思う。
 コウがサキの気持ちを、身体を、神経質なくらいに気遣っていたのはきっと同じ気持ちから。



 ――“ どうか嫌いにならないで ”――



 本音はずっと、そばにいて。



 順を追って詳しく話して聞かせる余裕は、さすがになかった。

「コウ、俺に頑張らなくてもいいって言ったよね?」
「あ、ああ。嘘じゃない、俺は、本当にそう思って……なのに……すまなかった」
「謝らなくていいんだって。別に寝込みを襲われたわけじゃないから」
「けどお前、枕……」
「張り付くだけでまた寝ちゃいそうだったから、起きろって言ったの!」

 真実と嘘を織り交ぜ、わかりやすい話をでっちあげる。
 詳細などどうでもいい。
 伝えたい事はひとつ。
 したいと思ったのは自分で、コウが無理強いしたのではないということだけ。

「コウの寝顔見てたら、触りたくなって。触ってたら抱きしめてくれて」

 サキは、そのまま続けてくれるのかもと期待したと言った。

「起こすの悪いなって思ったけど、その気になってくれたんならラッキーって……」
「ラッキーって、それは……」
「だから! くっついて寝てたら、したくなっちゃったんだって!」
「……ッ!?」
「我慢するつもりだったんだよ! コウ、すっごい気持ちよさそうに寝てたから」

 しがみつくように抱え込んでいたコウの腕が緩み、しっかりと抱きしめなおされた。

「けど俺、我慢するとか熱を逃がすとか、そういうのってよくわかんなくて」
「そんなこと……」
「コウ? なんか、顔、変だよ?」
「や、すまん。ちょっと……どうすればいいのか、判らなくなって……」

 サキの指摘に思わず片手で顔を覆ったコウだが、指の間から見える瞳は潤んでいるようだ。
 口元を引き締めこらえているのは、嗚咽か笑みか、よくわからない。

「ね、キスして。うーんと濃いやつ」

 差し出した唇は、数秒の逡巡の気配の後で、ねっとりと塞がれた。
 うっとりとするような瞳で唇を離したサキは、極上の笑みを浮かべて言った。

「大丈夫だよ、俺、頑張らないから」
「……頑張るのは、俺……なのか?」
「うんっ♪」











 魔族の性欲が旺盛になるのは、なにも発情期に限った事ではないのだと、コウはこの夜、身を持って知る事となった。

END


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