普通のSEXしかできない――
三枝は、確かにそう言った。
そしてそれは真に正しく、またそうではないと、由貴也は思い知らされていた。
キスから始まる丁寧な愛撫、耳元で囁かれる秘めやかで、艶やかな睦言。
互いを隔てる衣服を全て脱ぎ捨て、素肌で触れ合い、高め合う。
身も心も委ね合い、性器を繋げ、一体感と絶頂を与え合う。
ごくごく普通の手順。普通のSEX。
が、しかし――
「あっ、あっ、あああああっ!」
横臥位で三枝を受け入れていた由貴也が、何度目かの絶頂を迎え、くたりとシーツに顔を伏せた。
「大丈夫か?」
動きを止めた三枝が、抱えていた脚を下ろし、由貴也の背後に横たわる。
「ふっ……んぁっ」
深い挿入のまま内部をぐるりと抉られ、由貴也の肩がびくりと戦慄いた。
「な、に……コレ……」
「ん? 『窓の月』……したことないか?」
「や、知って……ます、けどっ……んんっ」
絡めたままの三枝の足が動き、太ももが由貴也の陰嚢を押し上げる。
「はぁっ ……そ、じゃなく、て……」
由貴也が訊きたかったのは体位のことではない。
尋常ではない昂ぶりを感じている自分の身体に対しての、いわば、自問自答に近いものだった。
店で相手にしていた客とは違い、三枝は「snow」を求めなかった。
存在自体を知らなかったのだから当然といえば当然だが、「snow」が何であるかを知っても、三枝は態度を変えなかったし、その名で呼ぶこともなかった。
三枝が存在を認め、「絆されてやる」と言ったのは由貴也に対してだった。
キスも、愛撫も、売れっ子のペットを金で組み敷く優越感と支配欲にギラつく男たちと違い、すべてが由貴也のために、由貴也を甘やかすためだけに与えられたものだった。
(あんなキスのあとに名前呼ばれたら、落ちるよなぁ……)
熊男がことさら強調するようにスノウと呼んでいたというのに、三枝は由貴也と呼んでくれた。
それが嬉しくて、舞い上がってしまったという自覚はある。
その分、気分がノッって感じやすいというのはあるだろう。
(だからって、身体中が、剥けたばっかの先っぽみたいになるってのは、どうよ、俺)
中学時代、皮が剥けたばかりのペニスが擦れて、着替えにも難儀した記憶が脳裏をよぎる。
痛みと快感の違いはあれど、刺激に対する過敏さは、当時に匹敵するものがあった。
理性を凌駕するほどの快楽に溺れるなど、「snow」時代ならば有り得ない。
(次、腰使われたら、ぜってぇ意識飛ぶ……)
今、由貴也がどうにか思考が保てているのも、三枝が、動かずにいてくれるからだ。
頭の中では幾分冷静さを取り戻しているとはいえ、身体はぐずぐずに蕩けきっている。
背中にかかる吐息にさえ、ぞくぞくとした快感が背筋を走り、竦んでしまうのを止められない。
「由貴也?」
「っふ……んんッ!」
三枝が覗き込むように上体を起こし、由貴也の髪を撫でながら、耳元で囁くように名を呼んだ。
(それっ! 弱いから! 頭撫でて耳元で名前呼ぶの、マジでイクからっ! うあああっ!)
由貴也は腹筋に力が入らないよう短い呼吸を繰り返し、少しでも快感を逃そうと、シーツを握り締めつま先にぎゅっと力を込めたが、びくびくとした身体の震えは収まらない。このままではまた一人で極めてしまいそうで、由貴也はたまらず三枝に縋った。
「あ、あ……ご主人、ご主人ッ!」
「そういう時は、名前を呼ぶモンだろう?」
そう言いながらも、由貴也の限界を察した三枝は、請われるままに腰を揺らした。
「はっ、ぁ、ごめ……た、かと、さ……んぁぁっ! た、か……」
乱れる呼吸の合間に、由貴也の唇が必死で三枝の名を形作る。
どこまでも従順に応えようとする、由貴也の真っ直ぐな想いが三枝の胸を熱くする。
完全に身体を起こした三枝は、埋め込んでいたペニスを一旦引き抜き、由貴也の身体を仰向けに開きながら、再び奥へと突き入れた。
「うああっ!」
強引な挿入に由貴也の背がしなり、熱を孕んだペニスが揺れて、腹に透明な糸を引いた。
腹筋がひくひくと痙攣でもしているように小刻みに震え、中の締め付けが一段ときつくなる。
「懐き……過ぎ、だろ、馬鹿犬ッ」
膝裏に手を掛け、折り畳む。
伸し掛かるように顔を寄せれば、由貴也の両腕が首に回り、キスをせがむように唇が開く。
「ふっ、んっ、はっ……っふ」
「はっ、はっ、うぁッ、あ……あ、止まら、な、あ、あああああッ」
熱を帯びた荒い吐息が、二人を二匹の獣に変えてゆく。
低く、高く、唸るような旋律に、パンパンと肉のぶつかる音が重なり、リズムを刻む。
絶えず響く粘着質な水音に、時折湿った破裂音が混じる。
「あっ、はっ、由、貴也……」
額から滴り落ちる汗と、速度を増した挿出で、絶頂が近いと由貴也の中に知らしめる。
すでに射精を伴わない絶頂にさらわれ、止まらない快楽の波に揺さぶられ続けている由貴也であったが、それでも三枝の呼ぶ声に応えようと、懸命に、力の入らなくなった両腕を差し伸べる。
由貴也の腕に誘われるように、三枝は身体を低く沈め、一際強い突き入れを最奥に届けた。
「うっ、く……由貴、也……」
押し寄せる熱波は一度では収まらず、二度三度と押し寄せ、由貴也の中に溢れかえったが、三枝はなおも腰を揺らし、一滴残らず吐き出した。
「〜〜〜〜〜ッ」
もはや声を出すこともできず、掠れた細い息だけで自らの昇天を告げた由貴也の腕が、三枝の背中を滑り落ちる。
飛びそうになる意識を繋ぎとめていたのは、自分の中で三枝が果てる瞬間を、全身で感じたかったからだろう。由貴也は、三枝の動きが止まったのを確かめると、ようやく安堵の息をつき、恍惚とした笑みを浮かべたままで、意識の糸を手放した。
「由貴也……」
名残惜しそうに繋がりを解いた三枝の手が、意識を無くした由貴也の前髪をそっと掻きあげる。
額を顕わにすると予想以上に幼く頼りない表情が見えて、目尻に残る涙の痕が、罪悪感を誘う。
「イキながら泣くなよな。犯罪者の気分になるだろが……」
力なく横たわる由貴也の裸体を隅々まで眺めながら、三枝は情事の後の気怠さに身を任せ、満ち足りた余韻にしばし浸った。
「来たのがお前で、良かったよ」
告げずに終わった片恋に、今では何の未練も感じない。
燻り続けた熾き火は消えて、新たな火種が小さく灯る。
「お前になら……言えるかもな」
静かな寝息を立てる半開きの唇に、触れるだけのキスを落とした三枝は、由貴也の身体を洗うべく、風呂の支度をしに部屋を出て行った。
◆◆◆
波音が聞こえたような気がして、由貴也の意識はぼんやりと浮上した。
SEXで意識を飛ばした後に見る、いつもの夢かと小さく笑う。
『由貴也』
いつもと違い、自分を呼ぶ声が聞こえてくるのはなぜだろう。
振り返らずとも声の主が判るのが、たまらなく嬉しい。
いつもの夢がいつものところで終わらない。
夢の続きに気を良くした由貴也は、弾んだ気持ちそのままに、思いのたけを口にした。
「ご主人……鷹斗さん……俺、貴方のこと、すげぇ好き」
「知ってる」
突然間近で響いたリアルな音声に、由貴也は一気に正気に返る。
見慣れないタイルの壁に、立ち上る湯気。
身体を包むのは温かい湯と、人の肌。
「……え?」
「だから知ってる……って、今起きたのか?」
ごくごく至近の、ほんの少し上から、三枝の呆れたような声がした。
「ここ……」
「風呂。あのまま寝ちまったら、お前、朝から便座に懐く羽目になんだろ」
「……洗っ、た? 俺ん中? ……ご主人が?」
「他に誰が居るんだよ」
「お、お手数かけて、すみません……」
「ばーか。俺の所為なんだからいいんだよ」
意識を無くすまで抱いてしまったのだから、綺麗にしてやるのは当たり前だと、小突かれた。
身体を繋げたからなのだろうか、由貴也を抱き寄せる三枝の腕には遠慮が無い。
当たり前のように腕に抱き、髪を撫で、額に甘く口付ける。
ベッドの中以上に甘やかす三枝に、由貴也は、もしや自分はまだ夢の中にいるのだろうかと訝しんだ。
「夢じゃねぇから、そんな顔するな」
「そんな顔って……」
「『これは夢だ、あり得ない。信じちゃ駄目だ』って顔してんだよ」
「う、わ……」
由貴也は自分の感情が、三枝には丸判りになってしまっていたことを思い出し、いたたまれなくなった。
「お前、俺のこと『すげぇ好き』なんだろ? だったら素直に甘やかされて喜べよ」
「き、聞こえてっ?」
「言われなくても知ってると何度も答えてやってるだろう。まだ寝ボケてんのか?」
「知ってて、甘やかしてくれてんです、か?」
「自分の犬に好かれて嬉しくない飼い主なんていないだろ?」
由貴也の瞳が大きく揺れて、条件反射のように涙が溢れて瞳を濡らす。
「いい加減、信じろよ。ちゃんと飼ってやるから」
「は、い……ありが、と……ございます」
「本気で懐いてよそ見すんなよ? そしたら一生、俺が、飼ってやる」
こくこくと頷くだけで言葉が出ない由貴也の肩を、三枝の手がそっと抱き寄せた。
由貴也の涙が止まるまで、三枝は何度もキスを繰り返し、零れる涙を吸い取っていた。
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