夢の続き


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◆◆◆

 インターホンが鳴ったというのに、ちらりと玄関先に視線をやるだけで、三枝が出て行く様子は無い。

 来客をきっかけに席を立つつもりでいた由貴也は、居留守を決め込む三枝に、暇を告げるタイミングを失った。

「あの、出なくても?」
「ほっとけ。こんな時間に来る奴なんて、セールスかさもなきゃ……」

 三枝がすべてを言い終わらないうちに、玄関のドアが開く音がした。

「勝手に上がりこんでくる熊ぐらいなんだよ」
「く、くま?」
「見りゃわかる」

 リビングの入り口に向けて三枝が顎をしゃくると同時に、どかどかと重量感のある足音を立てて、見覚えのある大男が、これまた馴染みの、細身の優男を引き連れてやってきた。

「う、わ」
「な、熊だろ?」

 危うく彼らの名を呼びかけて、慌てて口篭った由貴也の反応を、驚きの絶句と受け取った三枝は、さもありなんと溜息をついた。

「邪魔するぜ、鷹斗」
「うぜぇ、帰れ」

 犬の来る日をこの男に洩らしたのが間違いだった。
 おそらく、届けられたのが別の犬だった事を、南雲からすでに聞いているのだろう。
 由貴也を見ても驚きもせず、ニヤニヤと人の悪い笑みを顔中に貼り付けていた。
 
 これみよがしに南雲の肩に手をかけているのも気に入らない。
 わざわざ二人でいるところを見せ付けられた三枝は、不機嫌度MAXの状態になっていた。

「南雲、お前まで一緒になってなんだ?」
「すみません。実はこちらが社長宛に届きまして」
「俺は休みだ」
「高藤物産から日時指定で届きました」

 差し出された封筒を訝しげに受け取った三枝は、無言で中身を取り出した。
 出てきたのは、数枚の書類とラベルに何も書かれていないDVD。
 何が書かれているのか、書類を手にした三枝が息を呑んだ。

 三枝の様子と封筒の中身が気になり動けずにいる由貴也の肩に、極太の腕がずしりと乗った。

「よう、スノウ。元気そうじゃねぇか」
「おかげさまで。そちらもお変わりないようで」

 馴れ馴れしい仕草で髪をかき混ぜてくる男の手をするりと取り除きながら、由貴也は三枝の前では決して見せなかった、営業用の笑みを浮かべて対峙した。意味ありげにちらりと南雲と呼ばれた優男に視線を向ければ、案の定、ひどく気まずそうに熊男の影に隠れるように身を引いた。

「お前、二丁目で死亡説流れてんぞ。顔見せた方がいいんじゃね?」
「そんなもの、三年前から出回ってますよ」
「あんときゃ、再起不能での引退説だろ?」

 他人の神経を逆撫でするのが趣味のようなこの男は、ケイと呼ばれ、一時期店の常連だった。
 自分のペットを連れ込んでは、店のペットと複数プレイを愉しんでいた。
 由貴也も指名を受けたことがあったが、その時連れていたペットがこの南雲であった。

 当時はペットその一でしかなかった彼が、今だに隣に居るという事は、めでたく本命に昇格したのだろう。だがそのわりに、彼のケイに対する態度は、ゆずと呼ばれていたペットその一の頃と、あまり変わっていないように由貴也には見えた。

 この男にとっては、ペットも恋人も、扱いに大差はないのかもしれない。

「あの時も今も、俺はぴんぴんしてますけどね」

 こんな男の挑発に乗るほど、由貴也はガキでも世間知らずでもなかった。
 なにより、ここにいるのは高藤由貴也であって、「snow」ではない。
 三枝に会いに来る前に、「snow」の名は捨ててきた。
 今更その名で呼ばれても、由貴也にとっては赤の他人の、噂話を聞かされるようなものだった。

「あの街で流れる噂なんて、尾ヒレばっかで身なんてほとんど無いってご存知でしょうに」

 書類に目を通しながらも、三枝が、こちらの会話に耳をそばだてているのが気配でわかる。
 自分と彼らの関係を、どのように受け止めたのか、表情からは判らない。
 単なる顔見知りではないことぐらい、とうに察しがついていることだろう。

 ゴシップ好きの暴露好き。話の出所も事の真偽も定かにせずに、毒を吐く。
 挑発に乗る気は無いが、この男に「snow」であった自分を知ったかぶって語られたくも無い。

 自分のことは自分で話す。三枝に自分を偽るつもりは無い。
 ついつい視線に剣が篭り、立ち上がりこそしなかったものの、身構えるような体勢になった。

「なんだぁ? すっかり鷹斗の番犬気取りかよ」

 片膝を立て見上げた姿勢が、三枝を背後にかばうように見えたらしい。
 途端に声から、揶揄うような響きが消えた。

 南雲が三枝の部下だというのは判ったが、この男は一体何なのだろうか。
 当たり前のように鷹斗と名前を呼び捨てにする尊大な態度が、無条件に腹立たしい。

 三枝にその気がないのは百も承知たが、由貴也にとって三枝は、すでに大事なご主人だった。
 露骨に威嚇の視線を向けてきた男に、由貴也は心の中で、牙を剥いて唸りをあげた。

「唸るな、馬鹿犬」

 声が漏れたはずなどないのに、ふいに頭に手が置かれ、ぽんぽんと宥めるように叩かれた。
 弾かれたように振り返った由貴也の額を、三枝の人差し指がピンと弾く。

「この桂梧っつー熊男は、昔っからこうなんだ。真に受けると疲れるだけだ、やめておけ」

 目顔で了承を求められ、由貴也はしぶしぶ頷いた。

 ほんの一瞬、ふわりとした笑みを見せた三枝は、読み終えたらしい書類を揃えて封筒にしまうと、面倒そうに立ち上がり、釣られて立ち上がった由貴也を背にして桂梧の前に割り込んだ。
 
「どうせ目当てはメシだろ? 食わせてやるから、南雲と二人でおとなしくそこに座っとけ」
「鷹斗、お前……」
「午後の診療すっぽかす気か? それとも弁当箱にでも詰めて、南雲とセットで持ち帰るか?」
「譲は持ち帰るが、メシは食ってく」
「だったら余計な口は閉じておけ。でないとお前の分だけタバスコ一瓶ぶちこむからな」

 脅すことが目的の単なる冗談のように聞こえるが、三枝の目は笑っていなかった。
 こういう時の三枝は、やると言ったら本気でやる。
 かつて同じような経緯で痛い目を見た事がある桂梧は、二度はごめんだとばかりに、ソファを軋ませた。

 熊と番犬の対決は、鶴ならぬ鷹の一声で、ひとまずドローと相成った。

「あ、じゃぁ俺は」
「お前はパシリ。下行ってパン買って来い」
「え?」
「このメンバーじゃパスタの量が足らねぇんだよ。サラダとパンつけるから、パン買って来い」
「でも俺……」
「パスタは嫌いか? 定番のミートソースだぞ?」
「大好物っすけど……」
「けどなんだ? 俺の作ったメシが食えんとでも?」
「ありえませんっ!」

 由貴也の即答が気に入ったのか、三枝は再びふわりと微笑んだ。

「だったらさっさと行って来い」

 畳み込むような会話で暇乞いを封じられ、止めとばかりに、極上の笑みと共に財布を投げられてしまっては、イエスと言うしかないだろう。

 由貴也は狐につままれたような顔のまま、渡された財布を握り締め、慌てて外へと出て行った。



◆◆◆



「買い物なら私が行ったのに」

 三枝に書類を渡してからというものの、ずっと蚊帳の外に置き去りにされていた南雲が、ぼやくように呟いた。

「何かやらせとかねぇと、あいつ、帰るって言い出しそうだったんでな」

 お前は向こうへ行っていろと、掌で追い払う仕草を見せる三枝の後を、南雲はキッチンまで追いかけ、言葉を続けた。

「犬違いだって、断らないんですか?」
「会ってみて決める、と言わなかったか?」
「……飼うつもりなんですか?」
「保留中。お前には関係ない」

 話を遮るように、寸胴の鍋に水を満たしコンロにかける。
 吊り戸棚からソースの缶と1kg入りのパスタの袋を取り出し、流しの隣のスペースに並べて置いた。

 三枝は、関係ないと言い切った、自分の言葉に驚いていた。

 ついさっきまで、そう、今朝までは確かに、恋愛感情は無くとも、南雲が自分に関心を向けてくれることが嬉しかったはずなのだ。なのに今はどういうわけか、自分を気遣う素振りを見せる南雲の態度が、ひどく不実なものに思えて不愉快でたまらない。

 恋人の桂梧が居るのだから、そちらへ行けばいいものを、南雲はその場に留まっていた。
 どこか途方に暮れているようにも見えるその姿がまた、どうにも三枝の気に障る。

「ぼさっと突っ立ってんなよ。邪魔だ」

 いまだかつて南雲に対して、三枝がこうも邪険な扱いをしたことはない。

 南雲が戸惑うのも無理は無いと判ってはいたが、三枝自身にも、この不快感がどこからきているのかが掴めない。これ以上近くにいられると、本気で暴言を吐いてしまいそうだった。

「譲。こっち来とけよ。お前のメシまでタバスコ入りになんぞ」
「そういうことだ。座っとけ」

 桂梧の言葉がありがたい。頼むからしっかり捕まえておいてくれと願うあたり、自分の中の南雲の存在が、急速に変化していることだけは自覚した。

 熾火のように燻り続けた、片恋ゆえの残り火が、季節外れの雪(snow)の訪れで、綺麗さっぱり消えていた。



◆◆◆



 紙袋を抱えた由貴也が部屋に戻ると、急患の連絡が入り、二人が帰ったと聞かされた。
 
「どうせなら、茹で始める前に帰ってくれりゃ良かったのに」
「え。じゃ、それ四人前?」
「頑張れよ?」
「この麺の空き袋、1Kgって書いてありますけど」

 大して焦りもせずに、調理を続ける三枝に、由貴也のほうが青ざめる。
 確かにあの熊男を含めての四人前なら、1kgのパスタでもパンとサラダが要っただろう。
 だがしかし、最大の消費者がいない今、二人で1kgのパスタはいかがなものか。

「七・三でどうだ? ちなみに俺が三な」
「……パンも七・三っすか?」
「当然だな」
「ちょ、そこいら走ってきても?」

 言われたノルマを、本気でこなす気でいる由貴也の、引き攣った表情が可笑しくて、三枝は、いつの間にか声を上げて笑っていた。

「冗談だ。半分は冷やして、晩の付け合せに少しと、残りは明日の朝にでも食えばいいだろ?」

 突然目の前で見せられた全開の笑顔に、由貴也の視線は釘付けになっていた。加えて焼き立てのパンの匂いと、ミートソースの濃厚な香りに食欲を刺激され、三枝が言った言葉の意味を由貴也が正しく理解できたのは、すっかり腹が満たされて、食後のコーヒーを飲んでいる最中だった。

「お前、話聞いてくれって上がりこんできたくせに、名前と条件の確認しかしてねぇんだぞ?」

 泊まっていいのかと、恐る恐る尋ねる由貴也に、三枝が呆れたように言い放つ。

「自己アピールの一つもしないで尻尾巻いて帰るとか、正真正銘の馬鹿なのか?」
「俺じゃ駄目だって判ってんのに?」
「けど、お前は俺がいいんだろ?」

 由貴也の瞳がわずかに揺れて、逸らされた。

「だったら俺が絆されちまうくらい、本気で懐いて見せればいいだろ?」
「本気でって……なんすか、それ」
「晩飯はお前が作れ。口に合ったら、夜はお前の枕営業受けてやる」









 


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