霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ

第5話


 感情の爆発は破壊しか生まないと、わかっていた。だからこそ、何も望まず、欲せず、己の人生ですら、傍観者として生きてきたのだ。

 手に入れたいと望んだわけではない。
 自分一人のものにしたいと欲したわけでもない。

 ただ、失いたくないと思っていただけのはずだった。

 いつの間にか、抱かれることが当たり前になっていた。望まれるままに与えていれば失うことはないのだと、中沢の願いに応えてやっている気になっていた。

 実際は与えられているのは自分の方だったというのに。
 中沢の想いを、優しさを、思う存分むさぼって己の魂の糧にしてきただけで、何も返していない。応えてなどいなかったのだ。

 それなのに、この有様は一体何なのだ。傷を負うべきなのは自分ではないか。

 それなのに。

「そんな顔するなよ。大丈夫だから」

 何かにふわりと包まれたような気がした。
 暖かいそこは、中沢の腕の中だった。
 中沢が自分ごと毛布で鴻を包み背中から抱き締めてくれていた。

「中沢…」
「落ち着いたか? 俺は大丈夫だから、そんな顔するな」

 両脚を開き自分の胸に寄り掛からせるようにしてしっかりと抱き寄せる。

「何があったんだ? 俺のせいか? 俺がまた何か妙なモンでも連れてきて、そいつがお前に何かしたのか?」

「違う。そうじゃない……」

 話さなければならないとわかっている。だが、言葉が続かない。
 自分の傲慢さが招いた結果だ。なんといって詫びればいいというのだ。

「悪かったな。疲れてるのに、"力"使わせちまって」
「お前が詫びる事などない。詫びるのは、私の方だ」
「大丈夫だって言っただろ? かすり傷なんだから気にしなくていいって」

 本当に鴻が何かと戦ったと、信じているのだろうか。
 中沢はそれ以上追求してはこなかった。
 かわりに、独り言でもつぶやくようにぽつぽつと話し始めた。

「俺さぁ、なんか今日は変なんだよ。お前から電話もらってからずっと、舞い上がっちまっててさ」

 鴻の肩にあごをのせるようにして話し続ける。

「うれしかったんだよ、すごく。早く会いたいって言われたような気がしてな。
 お前って、一度決めた予定を変えた事なんてないだろ? それをあんな声で予定変えてくれって、明日からに繰り上げてくれなんて言うから、さ」

 鴻を抱き締める腕に力がこもる。

「疲れた声だった。だから、疲れてどうしようもない時に俺に会いたいと思ってくれたのか、とか思ってな。ただの自惚れなのかもしれないけどな」

 口元だけで苦く笑うと、鴻の首に顔を埋めた。

「けど、そう思い込んじまったから……。明日までなんて待てなかったんだよ。仕事の話なんてどうでもよくなった。お前を癒せる力なんて何も持っていないくせに、一人で休ませてやることぐらいしかできないくせに、後先考えずに、ふっ飛んで行っちまった」

 ああ。と鴻は思う。

 中沢というのは己の力量というものを理解している。決して自分を過大評価などしない男だ。だからといって卑屈になるような精神構造はしていない。常にその時の自分にできる最良の行動を選択するのだ。

 鴻は、中沢の今日の行動の理由がようやく理解できた。

「私は、そんなにひどい状態だったのか?」

 お前に何の手出しもできないと思わせるほどに。

「……死体が、歩いてるのかと思ったぞ。あの電話も、もしかしたら幽霊になったお前がかけてきたのかと考えちまったくらいだ」

 その瞬間を思い出したのか、中沢はもう一度鴻をきつく抱き締め直すと、ぬくもりを確かめるように頬を寄せる。

「本当はすぐにでも押し倒すつもりだった。部屋に連れ込んだら、とにかくすぐにお前を抱いて、眠らせてやろうと思ってたんだ」

 だがそれを実行するには鴻は疲弊しきっているように見えたのだ。
 中沢の手がゆっくりと慈しむように鴻の腕を撫でる。

「一人にしない方が良かったんだな。疲れて力が落ちてくると普段はなんでもないモンにでも影響受けることがあるって、お前言ってたもんな。俺がそばに居れば、お前の方には寄って行かなかったかもしれないのにな」

 中沢は自分の持っている知識を総動員して、鴻の異変の原因を自分なりに考察しているようだった。

「嫌な思いさせて悪かったな。お前が元に戻るまでこうしててやるから…。
 だからもう、……泣くなよ」

 そうではない。

 そんなことが原因で涙を流したわけではない。だが、これほどまでに自分を思いやってくれた相手に、今更あれはわがままな八つ当たりでしたなどと言えるわけがない。

 そんなことをすればいくら中沢であっても怒るに違いない。怒って文句を言われるだけならまだいいが、こんな些細な事でさえ力を暴走させてしまうと知られたなら、今度こそ鴻の存在を怖れるようになってしまうかもしれない。

「どうした? 起きてるのがつらいなら、横になるか?」

 黙り込んでしまった鴻を気遣い、中沢が声をかける。

「だったらコレ、脱いじまえよ。寝苦しいだろ?」

 鴻の返事を待たずにバスローブを脱がすと、自分も腰のバスタオルをはぎ取り横になる。

「ほら、こいよ。まだ顔色が悪い」

 鴻の腕を引き寄せ裸の胸に抱き止める。

「高志……」

 中沢の想いに応えたい。
 この優しさに自分にできる精いっぱいの事で報いたい。

 鴻は言葉にできない想いをこめて中沢の名を呼んだ。

「なんだよ、急に。名前の方で呼ぶなんて……」

 照れくさそうに頬を赤らめながら鴻の顔をのぞきこむ。

「嫌か?」
「ば〜か。うれしいに決まってるだろ。久しぶりに呼ばれたんで、照れくさいだけだ」

 そのまま鴻の上におおいかぶさり耳元でささやく。

「もっと、呼んでくれよ」
「高志」

 鴻は中沢の背に手を回しながら名を呼んだ。想いを込めて。

「ははっ。なんか、すげぇうれしい」

 互いの鼓動が重なり合うのがわかる。
 その速度が徐々に増していくのがうれしい。

「………しても、いいか? なるべく無理はさせないようにするから……」

 一足早く中沢の雄が反応しはじめた。触れ合う肌に熱がこもる。

「お前の好きなように、気の済むまで、抱いてくれ」
「おいおい、いくらなんでもそこまでは……」
「いいんだ。でないと私はまた……お前を傷つけてしまうかもしれない」

 泣きそうな顔で鴻はそう言った。
 すべての原因を、自分の想いを、ありのままに伝えた。

「……お前って……。結構危ない奴だったんだな」

 中沢は少し驚いたような顔をして、あきれたようにそれだけ言うと、すぐにいつもの笑顔に戻った。そして、いつもよりも激しいキスの雨を降らせ始めたのだった。

 まるで白い肌に薄紅色の花びらを散らしていくようだった。

 ひとかけらの怖れもなかった。
 ただひたすらに、喜びに満ちた中沢の熱い想いだけが、鴻の肌に刻み込まれていった。



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