霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
第1章
(一体何者なんだ。あれは)
呪詛を辿って行き着いた先で出会った二人の男の存在が、鴻の神経を逆撫でし続けていた。
会うのは初めてのはずなのだが、何かが引っかかる。
その何かを探ろうにも、あまりに漠然とし過ぎていて掴みどころがない。
そのくせ妙に神経に触るのだった。
死者を生前の想いで縛り、式として使役しているのだと思った。己に対する恋慕の情を利用して道具にするなど、不愉快極まりない光景に見えたから、あえて声を掛けたのだった。
「…おい」
真上から、ため息混じりに怒気を含んだ声が降ってくる。
眉を寄せて渋面をさらした中沢が見下ろしていた。
「っ! ……すまん……」
中沢の声で我に返った鴻は、情事の真っ最中だった事を思い出した。
しまったという顔をして額に手のひらをあてた鴻を、中沢が睨んでいる。
「自分から誘っといて上の空ってのは勘弁してくれよ」
ばりばりと頭を掻いた中沢は、鴻の身体から下りると、脱ぎ捨ててあった下着とGパンを身につけて、バスルームへと行ってしまった。
返す言葉もなかった。
鴻は仰向けに寝転んだまま、両手で顔を覆い深いため息をついた。
呪詛を鎮め前羽の家を後にした時、鴻は激しい孤独感に苛まれたのだった。
家の外には同行してきた大道寺の者達がいた。
山奥のあばら屋に単身で赴いたわけではないのだ。
なのに”独り”だと感じてしまった。
帰りたいと思った。
大道寺でも自宅でもなく、鴻にとって唯一の、特別な友人の居るこの部屋へ一刻も早く帰りたいと願った鴻は、後の処理を弟子達に任せて中沢を呼び出したのだった。
独りではないと確かめたくて生身の繋がりを求めたのに、あの二人の姿がちらついて頭から離れない。
実際に対峙してみて、どうやら死体ではないらしいというのは判ったが、人としての生気のようなものは感じられなかった。術者とおぼしき青年にしてみても、大きな力を持っているのは一目で判るのだが、そこから先を探ろうとすると視界に靄がかかり、あやふやな印象しか残らなかった。
名のある術者に師事し、修行を積んだ者ではないようだった。
野放しにしておいていい存在ではないような気がする。
特に守護者気取りでべらべら喋る、死体もどきの大男。
あれの鴻に対する敵意は半端なものではなかった。
殺気と言ってもいい程の感情をぶつけてきたのだ。
一言で言ってしまえば気に入らない。鴻を蛇と称した事といい、表に現れているものがすべてではないはずだ。
「そうじゃないだろう」
身体の火照りが消え去ったわけではないのに、意識がそちらに集中できない。
中沢が白けるのも無理はなかった。
ゆらりと起き上がった鴻は、軽く頭を振ってから室内に目を向けた。
パソコンデスクの周囲に紙切れが散乱している。リビングのテーブルの上には吸殻が山になったままの灰皿と、大き目のコーヒーカップが置き去りにされていた。
「仕事中……だったのか」
電話を掛けた時、中沢が何をしているかなど気にも留めなかった。
己の式に命ずるように中沢を呼びつけてしまった事に気付いた鴻は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「これでは私の方が、色で操っているようではないか」
白い顔に自嘲の笑みが浮かぶ。
無無を言わさず呼びつけてSEXまで強要しておきながら、その最中に当の本人が気を散らしていたのだ。つい先日もひと悶着あったばかりだというのに、この態度はあまりに傍若無人に過ぎるだろう。
「怒って当然、か」
つくづく自分はこの手の感情に対する学習能力が低いのだと思い知る。
鴻は中沢の前でだけ、人間らしい感情を取り戻すことができた。ささくれだった神経を宥め魂までも鎮めることができるのは、中沢の腕の中にいる時だけだった。
それは一方的な主従関係などではない。
自身を餌に、都合のいいように利用しているつもりはなかった。
利害関係がないとは言わない。
中沢の仕事にしてもそうだろう。
だが、その関係を維持する為だけに身体を重ねてきたわけではないのだ。
それでも行き違いが起きてしまうのは、鴻自身が己の感情を伝える為の、言葉も術も持ち合わせていないのが原因なのだとわかってはいた。
自分の中にある特別な感情は”色”などという言葉で括られるものではないという自覚はある。世間で”愛”と表現される感情に近いのかもしれないと考えた事はあるが、鴻はこの言葉に特別な意味を見つけることができなかった。
特別な想いを伝えたいと思った時には姓ではなく名を呼んでいた。誰にでも通じる”愛”などという言葉ではなく、唯一人を示す名を呼ぶ方が、はるかにしっくりするのである。
誰にでも抱けるような想いではない。
唯一人の男にだけ伝えたい想いだからこそ、その名を呼ぶのだ。
「高志」
名を呼ぶだけで心が鎮まってゆく。もう大丈夫だろう。
鴻の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「おう」
予期せぬ返事が返ってきた。
いつ戻の間に戻ってきたのか、スウェットの上下に着替えた中沢が、ビールの缶を手にしてベッドの脇に立っていた。
「……いつから、そこに居た?」
鴻の顔に驚きと狼狽が走った。
「今。お前も飲むかと思って声は掛けたぞ。なんだよ。返事がなかったから、わざわざ持ってきてやったんだからな」
差し出されたビールを受け取る。
憮然とした表情は、まだ怒りがおさまっていないという事か。
「仕事中に呼び出して悪かったな。それに……」
「まったくだ。迎えに来て欲しかったんなら、始めからちゃんとそう言えよ。とにかく車で出て来い、なんて言うから、幽霊でも追いかけるのかと思ってびびったんだからな」
本当の怒りの原因はそんなことではないだろうに、中沢はそれしか言わなかった。
「仕事終わらせちまうから、それ飲んだら少し休めよ」
「ここに居るのが迷惑なら……」
「だったら連れて来るわけないだろ。原稿明日までなんだよ。泊まっていけるんだろ? 待つのは嫌か?」
「?」
中沢は片手をヘッドボードに預けて腰を屈め、鴻の耳元に顔を寄せると、そっと囁いた。
「終わったら、襲ってやるよ」
一瞬動きの止まった鴻の唇を、中沢の唇が素早く塞ぐ。
「ごちそーさん」
「中沢っ」
満足気に笑った中沢は、手にしていたビールの缶で鴻の額を軽く小突くと、ひらひらと手を振りながら背を向けた。
鴻は渡されたビールのプルトップを丁寧に引き上げ、ゆっくりと喉の奥に流し込んだ。最後まで一息に飲み切ってしまうと、空き缶をヘッドボードに置いてベッドに潜り込んだ。
毛布を肩まで引き上げ丸くなる。
中沢の匂いがふわりと全身を包み込んだ。
目を閉じて吸い込んでいると、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえ始めた。
薄目を開けた鴻は、そのままぼんやりと視線を音のほうへと向けた。
中沢は片手でちびちびとビールを飲みつつ手元の紙片をのぞき込んでは、画面に視線を戻して文字を打ち込んでいた。
手の中の缶が空になると席を立ち、身軽にキッチンへと向かう。新しいビールを補充した戻り際にリビングのテーブルから満杯の灰皿を取り、吸殻をコンビニの袋にあけてからキーボードの脇に置くと、煙草に火を点けた。
天井に向かって細い煙を吐き出したかと思えばおもむろにこちらに振り返り、視線がかち合った。一瞬驚いたように目を見開きながらも、すぐに邪気のない笑みを送って寄越す中沢に鴻の唇の端がつられて軽く引き上がった。
鴻の寛いだ様子に笑みを深くした中沢は、再び画面に視線を戻していった。
そこには生身の男の確かな息遣いが感じられた。
掛け軸の中の影などではなく、死者と間違えるような希薄な生気でもない。
三本目のビールが空になる前に仕事は終わったようだ。
画面を消して伸びをした中沢が、残りのビールを飲み干して立ち上がる。
自分で襲うと宣言しておきながら、どこかおどおどとした様子で機嫌を窺うようにしながら近付いてくる中沢が可笑しくもあり、嬉しくもあった。
起きているのか確かめるように覗き込んできた中沢の首に腕を回した鴻は、身体の中心が色付いてくるのを感じながら、回した腕に力を込めた。