霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
生者の色唄
序章
駅前の喫茶店に一人の男の姿があった。
長い黒髪を背中に流し、身につけているのは白い小袖に紺の袴。コーヒーカップを手にするよりも銘のある茶器でも賞でているほうがはるかに似合いそうな風体は、生まれる時代を間違えたかのようであった。
端正な横顔は人々の羨望を集めるにふさわしい造りであるのだが、唇の端をわずかに上げただけの無表情に加え、その周囲を取り巻く特異な気配故に、彼を見る人々の目は好意的とは言い難いものになるのが常であった。
さらに今の彼からはその特異な気配だけでなく、ひどく険悪な、敵意にも似た感情までもが周囲に蒔き散らされているものだから、店内の客は一人二人と減ってゆき、彼が窓際の席に着いてからわずか数分で店は貸し切り状態になってしまっていた。
情けない事に、オーダーを取りに行くはずのウェイターも彼の席に近付く事ができないようだった。
どのくらいの時間そうしていただろうか。
鴻がため息混じりにオーダーを告げようとした時、店の扉が勢いよく開いて男が入って来た。
「鴻!」
中沢は店内の異様に張り詰めた空気をものともせずに片手を挙げると、にこやかな笑みさえ浮かべながらずかずかと鴻のもとへ歩み寄る。
「遅い。出るぞ」
鴻は中沢の姿を認めるとすぐさま席を立った。
伝票も持たずにレジの前を素通りする背中を見送った中沢は、またか、と言いたそうな顔すると、カウンターの中で突っ立っているだけのウェイターを睨みつけてから鴻のあとに続いた。
「で? どこに行けばいいんだ?」
運転席に腰を落ち着けた中沢は、助手席に乗り込むなり不機嫌な表情を露にしている鴻に、これからの予定を尋ねる。
中沢が仕事を依頼した訳ではなかった。
電話でいきなり店名を告げられ、車で来いと言われただけなのだ。
「帰る」
中沢の顔を見もせずに吐き捨てるように告げると、ダッシュボードの中から煙草とライターを取り出し勝手に抜き取り火をつけた。眉根を寄せ、いかにもまずそうな顔で煙を吐き出している。
普段は吸わなくなった煙草に手を出しているところを見ると、相当不愉快な仕事だったようだ。
「帰る、ね。……俺はアッシー君じゃないんだがな」
中沢の嫌味にも無視を決め込んでいる。
あきらめた中沢は、黙ってウィンカーを出し車を発進させた。
何があったのかなど、鴻が自分から話すはずもなかった。
中沢にしても無理に聞き出そうとは思っていない。
それがどんなに美味しいネタになるとしても、大道寺に関わる事に首を突っ込むつもりはなかった。それは鴻に対する礼儀であると共に中沢自身の意地でもあった。
ラッシュで渋滞するにはまだ間があった。
この分ならば大した時間もかからずに部屋まで辿り着けるだろう。
中沢は、鴻が「帰る」と言った時点ですでに自分の部屋へ向かうと決めていた。