龍神の水鏡1/2Page

 「なぁ、お前、明日は暇か?」

 ー 中沢か ー

事務所で電話番をしていた鴻が、受話器を取り応対したとたんそう言ってくる。

高校を卒業してから、三ヶ月おきに連絡を遣す友人は、
人の休みを知ってか知らいでか、暇かどうかを尋ねてくる。
もちろん、付き合いは浅いほうではない。
どちらかと言うと、『目が離せない存在』である。
学生時代から、要らぬものに興味を示し、あちら側からすれば、
『鴨が葱を背負っている上に、鍋まで担いでやってくる』ような男‥と鴻は思っている。

何度となく注意をしたけれど、一向に聞く耳を持たず、
そのうちに困り果てて、人に助けを求めてくるのだ。
このお誘いも、揉め事の類かもしれない.....。

鴻は一息ついて、

 「明日は休みだが」

と答える。

 「だったら、一緒に見てもらいたいものがあるんだ。
  明日、八時に迎に行くから準備しとけよ。
  あっそっか、お前って結構爺臭かったよな。
  朝はお前の方が早いか...」

 「おいっ、待て。なんで何時もそうなんだ。
迎えって誰が迎えにくるんだ」

捲し立てるように話す中沢の声を遮って、鴻は第三者の存在を追及した。

 「明日、紹介しょうと思ったんだが,,,。
  まぁ、運転手みたいなもんだ」

中沢は詞を濁したように答える。
鴻も馬鹿ではない。
多分、その人物に会わせるための『お誘い』なのだろう。
眉間に皺を寄せたまま、沈黙していると、

 「何か気に障ったか?」

と、様子を窺ってくる。

  いつもそうである。
なんだかんだ言っても、最後はいつも中沢の片棒を担がされるのだ。
如何逃げたって、いつのまにか面倒を見ている....。
なんとなく、自分が情けないような気分になる。
こんな風に感じている事自体、鴻にとっては大進歩なのだが、
そう感じさせる人間が、この世で「中沢」只一人というのが問題なのだ。

反対に、中沢以外の人間がわからないのだ。
そこに存在はしているものの、個々に判別することが、
鴻にとって困難なのである。

色がついて見えれば、まだマシな方である。
透明人間に近い人もいる。
鴻にとっては、生きている人間も、その辺をふらふらしている幽霊も、
視覚的になんらかわるとこがないのだ。

いや、幽霊の方がはっきり見えるから、一緒とは言えないか....。
学生時代からそんなものだったから、只一人、
はっきりと姿が認識できる中沢の存在が、
鴻の暗く濁った青春時代の一条の光となっていたのだ。

   「とにかく、明日八時な」

用件を言い終え、勝手に言いきり、こちらの返事などきいてもくれない。

最初の「暇か?」だけが、答えることを許された会話であったと、
溜息まじりの返事をして受話器を置く。

翌朝、日課を滞り無く済ませた鴻は、
八時前から大道寺の門の前で立っていた。

黒のロングコートの隙間から、
黒のスラックスとダークグレーのシャツが覗いている。
風はそんなに吹いてはいないが、流石に年の暮れに近づくと、
鴻といえど風避けが欲しくなる。

中沢の言ったとおり八時丁度に、
ゆるやかな坂道をレトロ調の車が登ってきた。

鴻は色について詳しくないので、よくわからないが、
グリーンがかったグレーである事だけわかった。

只、鴻にとって驚くべき事が一つあった。
運転席の人物が、はっきりと認識できたのだ。
普段から、見えていないことに馴れすぎていたので、
見える事が異様に感じる自分に苦笑したが、すぐ後に、
その見える相手が女であることに気付き、眉間に皺を寄せる。

 「よぉ。ごくろうさん」

助手席から中沢が降りてくると、運転席から彼女も降り、
ぺこりと会釈した。

  鴻は警戒しつつも、中沢よりも先に彼女に会釈して、
中沢に向かい合う。

 「彼女を紹介する魂胆か?」

 「何いってやがる。先輩だよ。大学の先輩」

中沢は彼女を指して、最後の単語を強調する。

 「えーっと、蒼凪 かすみさん。一年先輩なんだが、
面白い話を聞いたから、お前に紹介しようと思ったんだ」

面白い話云々はどうでもよかった。
取り合えず、彼女の姿が認識できる事の方が、鴻は気になって仕方なかった。

 「おい、おまえ変だぞ?」

沈黙し続ける鴻の目の前で、中沢は何度か手を振ってみせる。
 「ああ、いや...。彼女が見えるんだ」

と言った瞬間、中沢は目が点になったような気がした。

 「ああぁ?見えるのか?彼女が?」

短くない付き合いの中沢は、流石に事の重大さに気がついた。
改めて中沢は、かすみの姿を上から下へ見下ろしてみる。
改めて見ると、『女版鴻』のような雰囲気である。
鴻の姉‥といっても、差し支えないだろう。

腰あたりで揺れている黒髪も、透き通るような白い肌の色も、
着ているものまでも黒が基調である‥。

黒のタートルネックに、ライトグレーのマフラー。
ダークグレーのタイトスカートの裾からは、
黒のタイツに隠された細い足が伸びている。

なんと言っても、不思議な空間を作るとでもいうのか、
独特の波動が体から滲み出ているような女なのだ。
中沢がかすみを『彼女』と紹介するなら、
高校時代の友人からは絶対に『鴻が好み』だったといわれるだろう。
そのくらい、鴻に感じが似ているのだ。
  
 「ちょっと、いいですか?」

かすみに声をかけられて、男二人は顔を見合わせた。

 「そろそろ行かないと、帰りが深夜になってしまうわよ」

中沢に向って言うと、車に乗り込む。
中沢は鴻が何故かすみに対して警戒しているかを理解して、
尚且つ車に乗れと目配せする。
約束した以上、鴻もその指示にしたがうしかない。
無言のまま、中沢は助手席へ、鴻は後部座席に落ちつく。

かすみは手馴れたように車を回すと、クラッチを切り替え調子よく走って行く。

 「それで、どこへ行くんだ?」

取り合えず、ノーマルな質問を鴻はしてみた。

   「ああ、言ってなかったけ?先輩の実家なんだけど、山奥にあるらしいんだ」

 「山奥っていっても、集落ごとに固まってますから、
  寂しい山奥を想像しないでくださいよ。って言うより、私、
  彼の名前もしらないのよ。紹介しなさいよ」

明かに、中沢に対してと鴻に対してとでは、口調が違っている。

 「高校の時の同級生。なんか目が離せなくって、腐れ縁のような‥。」

 「本当なの?逆じゃないの」

鴻は、当にそう思っていた。

 「鴻です」

 「お話するのは苦手なのかしらん?」

彼女は間髪入れずに返してきた。

 「ああ、こいつ、他人とのコミュニケーションが上手くとれないんですよ」

鴻の代弁を中沢がする。

 「貴方が喋ったんじゃ、意味がないでしょ。
  私は彼の事を彼自身の言葉で聞きたいの」

かすみは少し説教気味で中沢に言うと、

 「で、彼の正体を中沢君は知りたがってるの?」

中沢に目配せして、バックミラーの鴻を見る。
 「先輩‥‥。」

中沢の言った言葉は、かすみの次の質問でかき消された。

 「貴方には、私がどう見えるかしらん?よく喋る女?
  それともお節介な女かしらん?」

再びかすみはバックミラーを見る。
困ったように沈黙した鴻は、
バックミラー越しに自分を見つめている目と目がぴったり合う。
鴻は躊躇ったように、口を開くと、一言。

 「貴方が‥見えるのです」

 「私が、見える?そりゃそうでしょ」

かすみは驚いたように言い返すと、シフトダウンして、信号で止まる。
 普通なら当たり前のことである。

だが、鴻にとっては特別であることを、どう説明しようかと、
戸惑いつつ口を開く。

 「私は、物心ついた時から人が認識できないのです。
  そのかわりに異質の形が見えるのです」

鴻は、俯きかげんにバックミラーのかすみを見る。

 「それは、私たちとチャンネルが違うと考えれば良いのかしらん?」

かすみが問うと、中沢が、

 「人としてはっきり見える人ってのは、特別なんだ。
  霊体とかの方が普通に見えるんだ」

 「だからよ。チャンネルっていうか、周波数が違っているんでしょ。
  例えばよ、犬は見えるけど猫は見えない人とか、
  嫌なモノとか見えない人っているじゃない」

鴻はなんだか拍子抜けした。

 驚かれると思っていた。
 当然、普通の事ではないだろう。
 あの、中沢ですらはじめは驚いたはずた。

中沢の場合、好奇心が勝ったとしか言い様はないが‥。
だが、彼女は初対面だ。驚かない方が可笑しいのではないか?
鴻の思案している顔を、バックミラー越しに見ていたかすみは、

 「で、何故見えるの?」

と聞き、車をスタートさせる。

 「貴方が見える‥‥只、それだけです。理由も何も分からないのです」

その一言は、身に覚えも無いのに『貴方の後ろに水子の霊がついてます』と、
言われるに匹敵していたように感じられる雰囲気であった。

 「私だけが?……彼は?」

と、中沢を指差す。

 「中沢は元から見えていたので、何も思わなかったのですが、
  貴方はなぜだか見えるのです。私に見えるということは、
  何か特別な意味あいをもっている事が多いわけで‥」

自分なりの解釈を述べた鴻は、俯いた顔を上げると、

 「だから、貴方が何者か私は知りたい」

と呟く。

 「貴方のほしい答えかどうかはわからないけど、貴方が何者か、
  私が何者か、彼が何者かは、うちにくればすぐにわかるわよ」

かすみは、問題ないとばかりにアクセルを踏み込む。
二人は黙ったまま、シートに身を預けて腕を組む。
バックミラー越しに鴻は、かすみをじっと見つめている。
かすみの中身を、みすかそうとしているかのように‥。