「なぁ、お前、明日は暇か?」
ー 中沢か ー
事務所で電話番をしていた鴻が、受話器を取り応対したとたんそう言ってくる。
高校を卒業してから、三ヶ月おきに連絡を遣す友人は、
人の休みを知ってか知らいでか、暇かどうかを尋ねてくる。
もちろん、付き合いは浅いほうではない。
どちらかと言うと、『目が離せない存在』である。
学生時代から、要らぬものに興味を示し、あちら側からすれば、
『鴨が葱を背負っている上に、鍋まで担いでやってくる』ような男‥と鴻は思っている。
何度となく注意をしたけれど、一向に聞く耳を持たず、
そのうちに困り果てて、人に助けを求めてくるのだ。
このお誘いも、揉め事の類かもしれない.....。
鴻は一息ついて、
「明日は休みだが」
と答える。
「だったら、一緒に見てもらいたいものがあるんだ。
明日、八時に迎に行くから準備しとけよ。
あっそっか、お前って結構爺臭かったよな。
朝はお前の方が早いか...」
「おいっ、待て。なんで何時もそうなんだ。
迎えって誰が迎えにくるんだ」
捲し立てるように話す中沢の声を遮って、鴻は第三者の存在を追及した。
「明日、紹介しょうと思ったんだが,,,。
まぁ、運転手みたいなもんだ」
中沢は詞を濁したように答える。
鴻も馬鹿ではない。
多分、その人物に会わせるための『お誘い』なのだろう。
眉間に皺を寄せたまま、沈黙していると、
「何か気に障ったか?」
と、様子を窺ってくる。
いつもそうである。
なんだかんだ言っても、最後はいつも中沢の片棒を担がされるのだ。
如何逃げたって、いつのまにか面倒を見ている....。
なんとなく、自分が情けないような気分になる。
こんな風に感じている事自体、鴻にとっては大進歩なのだが、
そう感じさせる人間が、この世で「中沢」只一人というのが問題なのだ。
反対に、中沢以外の人間がわからないのだ。
そこに存在はしているものの、個々に判別することが、
鴻にとって困難なのである。
色がついて見えれば、まだマシな方である。
透明人間に近い人もいる。
鴻にとっては、生きている人間も、その辺をふらふらしている幽霊も、
視覚的になんらかわるとこがないのだ。
いや、幽霊の方がはっきり見えるから、一緒とは言えないか....。
学生時代からそんなものだったから、只一人、
はっきりと姿が認識できる中沢の存在が、
鴻の暗く濁った青春時代の一条の光となっていたのだ。
「とにかく、明日八時な」
用件を言い終え、勝手に言いきり、こちらの返事などきいてもくれない。
最初の「暇か?」だけが、答えることを許された会話であったと、
溜息まじりの返事をして受話器を置く。
翌朝、日課を滞り無く済ませた鴻は、
八時前から大道寺の門の前で立っていた。
黒のロングコートの隙間から、
黒のスラックスとダークグレーのシャツが覗いている。
風はそんなに吹いてはいないが、流石に年の暮れに近づくと、
鴻といえど風避けが欲しくなる。
中沢の言ったとおり八時丁度に、
ゆるやかな坂道をレトロ調の車が登ってきた。
鴻は色について詳しくないので、よくわからないが、
グリーンがかったグレーである事だけわかった。
只、鴻にとって驚くべき事が一つあった。
運転席の人物が、はっきりと認識できたのだ。
普段から、見えていないことに馴れすぎていたので、
見える事が異様に感じる自分に苦笑したが、すぐ後に、
その見える相手が女であることに気付き、眉間に皺を寄せる。
「よぉ。ごくろうさん」
助手席から中沢が降りてくると、運転席から彼女も降り、
ぺこりと会釈した。
鴻は警戒しつつも、中沢よりも先に彼女に会釈して、
中沢に向かい合う。
「彼女を紹介する魂胆か?」
「何いってやがる。先輩だよ。大学の先輩」
中沢は彼女を指して、最後の単語を強調する。
「えーっと、蒼凪 かすみさん。一年先輩なんだが、
面白い話を聞いたから、お前に紹介しようと思ったんだ」
面白い話云々はどうでもよかった。
取り合えず、彼女の姿が認識できる事の方が、鴻は気になって仕方なかった。
「おい、おまえ変だぞ?」
沈黙し続ける鴻の目の前で、中沢は何度か手を振ってみせる。
「ああ、いや...。彼女が見えるんだ」
と言った瞬間、中沢は目が点になったような気がした。
「ああぁ?見えるのか?彼女が?」
短くない付き合いの中沢は、流石に事の重大さに気がついた。
改めて中沢は、かすみの姿を上から下へ見下ろしてみる。
改めて見ると、『女版鴻』のような雰囲気である。
鴻の姉‥といっても、差し支えないだろう。
腰あたりで揺れている黒髪も、透き通るような白い肌の色も、
着ているものまでも黒が基調である‥。
黒のタートルネックに、ライトグレーのマフラー。
ダークグレーのタイトスカートの裾からは、
黒のタイツに隠された細い足が伸びている。
なんと言っても、不思議な空間を作るとでもいうのか、
独特の波動が体から滲み出ているような女なのだ。
中沢がかすみを『彼女』と紹介するなら、
高校時代の友人からは絶対に『鴻が好み』だったといわれるだろう。
そのくらい、鴻に感じが似ているのだ。
「ちょっと、いいですか?」
かすみに声をかけられて、男二人は顔を見合わせた。
「そろそろ行かないと、帰りが深夜になってしまうわよ」
中沢に向って言うと、車に乗り込む。
中沢は鴻が何故かすみに対して警戒しているかを理解して、
尚且つ車に乗れと目配せする。
約束した以上、鴻もその指示にしたがうしかない。
無言のまま、中沢は助手席へ、鴻は後部座席に落ちつく。
かすみは手馴れたように車を回すと、クラッチを切り替え調子よく走って行く。
「それで、どこへ行くんだ?」
取り合えず、ノーマルな質問を鴻はしてみた。
「ああ、言ってなかったけ?先輩の実家なんだけど、山奥にあるらしいんだ」
「山奥っていっても、集落ごとに固まってますから、
寂しい山奥を想像しないでくださいよ。って言うより、私、
彼の名前もしらないのよ。紹介しなさいよ」
明かに、中沢に対してと鴻に対してとでは、口調が違っている。
「高校の時の同級生。なんか目が離せなくって、腐れ縁のような‥。」
「本当なの?逆じゃないの」
鴻は、当にそう思っていた。
「鴻です」
「お話するのは苦手なのかしらん?」
彼女は間髪入れずに返してきた。
「ああ、こいつ、他人とのコミュニケーションが上手くとれないんですよ」
鴻の代弁を中沢がする。
「貴方が喋ったんじゃ、意味がないでしょ。
私は彼の事を彼自身の言葉で聞きたいの」
かすみは少し説教気味で中沢に言うと、
「で、彼の正体を中沢君は知りたがってるの?」
中沢に目配せして、バックミラーの鴻を見る。
「先輩‥‥。」
中沢の言った言葉は、かすみの次の質問でかき消された。
「貴方には、私がどう見えるかしらん?よく喋る女?
それともお節介な女かしらん?」
再びかすみはバックミラーを見る。
困ったように沈黙した鴻は、
バックミラー越しに自分を見つめている目と目がぴったり合う。
鴻は躊躇ったように、口を開くと、一言。
「貴方が‥見えるのです」
「私が、見える?そりゃそうでしょ」
かすみは驚いたように言い返すと、シフトダウンして、信号で止まる。
普通なら当たり前のことである。
だが、鴻にとっては特別であることを、どう説明しようかと、
戸惑いつつ口を開く。
「私は、物心ついた時から人が認識できないのです。
そのかわりに異質の形が見えるのです」
鴻は、俯きかげんにバックミラーのかすみを見る。
「それは、私たちとチャンネルが違うと考えれば良いのかしらん?」
かすみが問うと、中沢が、
「人としてはっきり見える人ってのは、特別なんだ。
霊体とかの方が普通に見えるんだ」
「だからよ。チャンネルっていうか、周波数が違っているんでしょ。
例えばよ、犬は見えるけど猫は見えない人とか、
嫌なモノとか見えない人っているじゃない」
鴻はなんだか拍子抜けした。
驚かれると思っていた。
当然、普通の事ではないだろう。
あの、中沢ですらはじめは驚いたはずた。
中沢の場合、好奇心が勝ったとしか言い様はないが‥。
だが、彼女は初対面だ。驚かない方が可笑しいのではないか?
鴻の思案している顔を、バックミラー越しに見ていたかすみは、
「で、何故見えるの?」
と聞き、車をスタートさせる。
「貴方が見える‥‥只、それだけです。理由も何も分からないのです」
その一言は、身に覚えも無いのに『貴方の後ろに水子の霊がついてます』と、
言われるに匹敵していたように感じられる雰囲気であった。
「私だけが?……彼は?」
と、中沢を指差す。
「中沢は元から見えていたので、何も思わなかったのですが、
貴方はなぜだか見えるのです。私に見えるということは、
何か特別な意味あいをもっている事が多いわけで‥」
自分なりの解釈を述べた鴻は、俯いた顔を上げると、
「だから、貴方が何者か私は知りたい」
と呟く。
「貴方のほしい答えかどうかはわからないけど、貴方が何者か、
私が何者か、彼が何者かは、うちにくればすぐにわかるわよ」
かすみは、問題ないとばかりにアクセルを踏み込む。
二人は黙ったまま、シートに身を預けて腕を組む。
バックミラー越しに鴻は、かすみをじっと見つめている。
かすみの中身を、みすかそうとしているかのように‥。
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