子供が捨てられていた。
服は無残に引き裂かれ、腿の内側には肛門から流れ出たのであろう血液が、白い液体と混じり合い、乾いてこびりついている。
歓楽のためだけに作られた街の裏通り――
けばけばしいネオンも淫猥な嬌声も届かないそこは、文字通りのゴミ捨て場であった。
艶を失くしてぼさぼさに伸びた髪の間から、尖った耳の先が見える。魔族の少年だった。
大人になりきる前の少年期の終りごろだろう。
ヒトで言えば十五、六の体つきだが、とにかくひどく痩せていた。
身体にかけられた体液の量からすると、一人や二人ではない。五〜六人、もしくはもっと多くの男達から、よってたかって陵辱を受け、そのまま放置されたようだった。
主を持たない、あるいは見捨てられた魔族の子供が犯されるのは、この街では日常茶飯事だった。もっとも、犯されただけで四肢が胴体から離れずに済んだのだから、運のいい方だったと言えなくも無い。
男は大した関心も持たずにそのまま立ち去るつもりだった。だが、街灯のちらつく明かりの中に浮かんだ白い頬に光る涙のあとが、彼を引き止めた。
「魔族の小僧は趣味じゃないんだがな……」
自分の上着を身体にかけてやると、そのままそっと抱き上げた。
傷口を洗い流して消毒しておけば、あとは勝手に自分で治すだろう。
「獣医」の所に連れて行けば、適当な飼い主を見つけてくれるはずだ。
趣味に合えばヤツ自身が飼うというかもしれない。
早々に追い出す算段をつけながらも、男は少年を自分の部屋へと連れ帰った。
意識の無いままの少年を、玄関から直接浴室へと運び込む。
乾いた血と体液のせいで、破れた服が肌に張り付いている。剥がさなくては手当ても出来ない。
空のバスタブに身体を横たえ、首の後ろを支えてやりながら、ぬるめのお湯を全身にかけた。
端切れが充分に湯を含んだのを確かめ、傷口をこすらないように丁寧にはぎとってゆく。
織りの荒い粗末な衣服は、この街ではあまり見かけないデザインだった。
形の良い尖った耳は、近頃では珍しい、純血種のものだ。
高く売れると踏んで、どこからか攫われてきたのかもしれない、と男は思った。
今は擦り傷だらけだが、肌理の細かい滑らかな白い肌は、極上品の部類に入るだろう。
(中身が壊れて捨てられた、か?)
男は少年の身体の傷を確かめながら、掌で撫でるように汚れを落とし、中に残っていた体液も残らず掻き出してやった。挿入感で意識が戻るかと思ったが、わずかに身をすくませただけで、少年の瞼は閉じたままだった。
流れる湯が濁らなくなったところで栓をして湯を溜め始める。
胸の辺りまで湯につかると、心なしか表情がゆるんだように見えた。
少年の頭をバスタブのふちに乗せ、ずり落ちてこないのを確かめると、湯を止めた。
タオルを取ろうと立ち上がり、自分も飛沫で濡れていた事に気付いた男は、ついでとばかりに裸になると、シャワーのノズルに手を掛けた。
◆◆◆◆◆
顔に当たる飛沫の熱さに刺激を受けて、少年の意識はゆっくりと戻ってきた。
覚醒しないまま、ぼんやりと視線だけを周囲にめぐらせる。
(ここ……どこだろう……。『外』に出たはずなのに……)
身体を包み込むような温度の湯と浴室に満たされた湯気が、記憶を混乱させていた。体中が鉛を詰め込んだように重く、思うようには動けない。無理やり起き上がろうとした少年は、そのままバランスを崩し、バスタブに頭の先まで沈みこんでしまった。
「……っ!」
「っ!? おいっ!」
慌てたような声が聞こえたと同時に、大きな手に引き上げられた。湯を呑み込んでむせる自分の背中をなでている掌に嫌悪感は感じない。つい先ほどまで自分に向けられていた悪意に満ちた邪な感情は、この大きな手には宿ってはいない。
ここは安全だと感じた途端、自分の身に降りかかった災厄の記憶が蘇ってきた。
四肢を掴むいくつもの手、なめくじのように肌を這い回るべたついた舌。
口と尻の穴に強引にねじ込まれた、剛直で熱い肉棒に引き裂かれた身体。
息が詰まるほど突き上げていたそれらが、痙攣しながら欲望を吐き出したその瞬間。
おぞましい光景の数々が雪崩れを打って押し寄せ、少年の脳裏を駆け巡った。
「あ……ああ……っ!」
少年は大きく首を左右に振り回し、悪夢を振り払おうともがいていた。鼓膜に残る淫猥な言葉の数々が両手で耳をふさいでもなお、繰り返し響いてくる。言葉にならない声が喉につまり、思うように呼吸ができなくなる。
男は少年の身体を抱き寄せると、自分の胸に少年の頭を押し付け髪を撫でてやった。大丈夫だと、ここは安全なのだと言葉で言っても、今の少年の耳には届かないであろう。怯えきった瞳がこちらを向いた。
翡翠色の瞳、金色の混じる虹彩。
魔でありながら魔を封じる力を持つ、特異な一族の瞳の色だった。
男の脳裏に遠い日の面影がよぎった。
「……だ……れ……?」
「俺は……コウ。お前は?」
「コウ……って名前のこと? だったら俺は……サキ……だと思う」
(「思う」ってのは一体……。やっぱりどっか、壊れちまってるか?)
サキと名乗った少年は、いくらか落ち着きを取り戻したようだったが、コウの腕の中から出て行こうとはしなかった。その様子はまるで、親鳥の羽根の下で庇護を求める生まれたばかりのヒナ鳥のようにも見えた。
「一人で、動けるか?」
「あ。うん」
「だったらもう少し暖まってから、髪を洗って出て来い」
「……コ、ウ……は?」
「お前の着替え。裸で寝るわけにもいかないだろう。探してくるから」
それだけ言い残すと、コウはバスルームを後にした。
真っ直ぐに自分を見上げてきた瞳が、心にさざ波を立てていた。
かつて身近にあって微笑んでくれていた翡翠色の瞳。
二度と見ることは叶わないと諦めていた色を目の前にして、コウは動揺を隠し切れなかった。
「これは……罰なのか?」
コウは右目をそっと手で覆い、誰にともなく呟いていた。
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