咎狗の血シリーズ


 奇妙にくぐもった振動音で源泉が目を覚ました時、すでに夜は明けていた。

「あちゃー、あのまま寝ちまったのか……」

 ばりばりと頭を掻きながら、音の出所を探す。
 発信源は、床に転がった携帯電話であった。

 アキラを起こさぬように、そっとベッドから抜け出し脱ぎ捨ててあった下着と携帯を拾う。
 ベッドサイドの時計の針は、朝の6時を指していた。

「こんな時間に誰だ? ……あ」

 着信番号を確かめる。
 昨夜、すっぽかすと決めた相手からだった。


 指定されていたのはホテルの一室。
 アキラが持ち帰った資料の入った封筒の中に、そのメモは添えられていた。
 行っていれば、チョコと一緒に本人も食してくれと言われていたのだろう。


 アキラの前で断りの連絡を入れたくはなかった。
 出掛ける隙をうかがっているうちにアキラが風呂でのぼせて倒れてしまい、それどころではなくなってしまった。

 それでも、アキラが落ち着いたらフロントに電話を入れて、伝言を頼むつもりではいたのだ。けれど情事に溺れ、結果的に一晩放置してしまった。というかすっかり忘れてしまっていた。

「……ああ、聞いてる。…………そうだな……ああ……悪かった。」

 適当な相槌とおざなりな詫びの言葉。
 バレンタインの夜の誘いを蹴ったのだ。答えは察しているだろう。

 それでもこうして電話をかけてきたのは、源泉の仕事を熟知しているからこその、万に一つの可能性に賭けたからなのかもしれない。

「切りたきゃ、切って構わん。俺が売ってるのは記事であって身体じゃないんでね。」

 好意を寄せてくれるのは悪い気はしないが、同じ想いは返せない。
 諦め易いように、冷たく突き放してやる事しかできない。

「……そういう事だ。…………え? ……外?」

 カーテンの隙間から外を覗く。
 窓の下、片手を銃のように形作った女が立っていた。
 ばん! という口真似を残して電話が切れる。
 女はそのまま、道路わきに停めてあった車に乗り込み去っていった。
 車の姿が見えなくなると同時に、背後でアキラの動く気配がした。

「オッサン?」
「お、まぶしかったか? すまんすまん」

 焦点の定まらない目でもそもそとアキラが起き上がった。

「……朝……?」
「まだ寝てていいぞ。風呂ができたら起こしてやるから」
「ん……。仕事、入ったのか?」

 手にしたままの携帯に気付いたアキラが、寝惚け眼で見上げてくる。
 しょんぼりしているように見えるのは、自惚れだろうか。

「まだ判らん。とりあえず、所在の確認だけだったから」

 嘘は言っていない。

「できればもうちょっと、のんびりしたいとこなんだがなぁ?」

 もうちょっとどころか当分仕事は入らないかもしれないが、それならそれで構わない。ツテのある出版社は、なにも1社だけというわけではないのだ。公私混同するような人物ではないが、それでも多少の気まずさはあるだろう。

 携帯をサイドテーブルに置きながら思わせぶりにアキラの顔をのぞきこむ。
 頬を赤らめてそっぽを向く初心な反応は、何度身体を重ねても変わらない。

「ふ、風呂の支度、するんだろ」
「おう。出来たら運んでやるからな」
「なっ! そんなの自分で……」
「オイチャンに任せるって言ったろ? 任されたからには最後まで責任持たんとな」
「そんなこと言ってな…―――ッ!!」

 昨夜のやりとりを思い出したのか、一段と赤味を増した顔で口をぱくぱくさせている。

「アキラ、可愛いぞ」
「朝っぱらからそういうこ、と……んっ」

 再びベッドに押し倒し、毛布を剥ぎ取った。
 無遠慮に這い回る源泉の掌に抗う力はほんのわずかで、本気で拒む気はないのが判る。
 朝の生理も相まって、二人の臨戦態勢が整うのに、さして時間はかからなかった。


◆◆◆


 居間に置いたFAXが、向こう3ヶ月休みなどとれないであろう、締め切りラッシュの原稿依頼を吐き出したのは、半べそをかいたアキラが風呂から飛び出してきたのと同じ頃だった。


End

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