咎狗の血シリーズ
Valentine's Day Kiss
「ただいま」
玄関先で告げられた声は、いつにもまして不機嫌そうだった。
それほど面倒な用事を頼んだ覚えは無い。
途中で何かトラブルにでも遭遇したのだろうか。
「おかえり、アキラ。悪かったな、ひとりで行かせちまっ……」
労いの言葉と共に迎えに出た源泉は、アキラの姿に絶句した。
「オッサン?」
「………ぶッ」
「おい」
「〜〜〜〜ッッ」
「……」
アキラの眉間のシワに反比例して、源泉の緊張感は崩壊の一途をたどった。
性質の悪い連中に絡まれたのかと気をもんだが、それは単なる杞憂だったようだ。
出入りの出版社に頼んでおいた資料を取りに行ってもらったのだが、カレンダーの日付には頓着していなかった。
「そうか、今日はバレンタインだったか…。くくっ……」
「なんだよそれ」
仏頂面を崩さないまま、アキラは玄関先に立ち尽くしていた。
両手には、頼んでおいた資料とその倍の数の大きな紙袋。
頬にはくっきりと、それこそ絵に描いたようなキスマーク。
仕事だから一応は と、出がけに整えた髪は、寝起きの有様に戻っていた。
良く見れば、ジャケットのフードからもリボンの掛かった箱がいくつか顔をのぞかせている。
昨日の電話で受け取りにはアキラが行くからと告げた時、受話器の向こうで上がった嬌声はこの事だったのかと妙に納得しながら、源泉はアキラの突き出した紙袋を受け取った。
色とりどりのカードに花束、綺麗にラッピングされた大小さまざまな箱の中身はチョコだろう。妙に渋い色合いの小さな箱には、源泉宛のカードがついていた。
心優しい女性編集者達は、源泉の分も用意していてくれたらしい。
その大きさからしてアキラのおまけというのは明らかだったが。
それにしても、よくこの姿で帰ってきたものだ。
帰り道には大きなショウウィンドウの並ぶ商店街もあっただろうに。
「紙袋提げて歩くのがそんなに珍しいのか?」
「アキラ……。お前さん、気付いてないのか?」
「何が」
「いや、だから……」
おそらくアキラは、自分の姿を確かめる前に周囲の視線の異様さに気付き、理由もわからないまま、脇目もふらず、足元だけ見て帰ってきたのだろう。その情景が目に浮かぶようで、源泉はまたもや込み上げる笑いを呑み込みきれずに肩を揺らした。
「オッサン!いい加減にしろよ」
源泉に袋を押し付け、ようやく自由になった両手が拳を握る。
「わかった、オイチャンが悪かった。ま、とにかく上着を脱いで鏡、見てこいや」
「鏡?」
「いいから行けって。この大荷物は片付けとくから」
訳が判らないという表情のまま部屋に入ったアキラは、まずは無造作に脱ぎかけた上着のフードの中身に気が付いたらしい。
なんでこんな所にとぶつぶつ言いながらも、丁寧にキッチンのテーブルの上に置いている。
紙袋に収められている箱よりも数段きらびやかに飾られたそれらを、フードに突っ込んだままで歩き回っていた自分を思い起こしてか、げんなりとした顔をして俯いていた。
「これのせいだったのか……」
「ま、それもあるな」
「それも?」
アキラに続いて台所に顔を出した源泉が、紙袋をテーブルに置きながら、にやにやとした笑いを貼り付けたままバスルームの方へと顎をしゃくった。
面倒くさそうにバスルームの脇の洗面台の鏡をのぞいたアキラの表情が、一瞬にして凍りついた。