霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
月鏡
前編
「あ〜。やっぱ嵌っとるなぁ」
依頼人の話によれば1時間足らずで抜けられるはずの竹林を歩き始めてから、すでに2時間以上が経過していた。
道なき道を分け入って手探りで歩いているわけではない。人の手によってよく手入れされた林は依頼人の所有する土地であり、一定の幅で踏み固められた地面は、人の通行が容易な一筋の道となっていた。
分かれ道などない一本道であるにもかかわらず、いつまでたっても出口が見えないのである。
嘉神は一旦立ち止まるとくるりと踵を返し、もと来た道を辿り始めた。
ほとんど有り得ないことではあったが、もしもこれが単なるセキュリティシステムで屋敷へ近付く者を排除するのが目的の結界ならば、これでここから出られるはずだった。
「世の中そんなに甘くはないっちゅうことやね」
来た時と同じだけの時間歩き続けたにもかかわらず、外に出ることは叶わなかった。
「あいつらもどこにおるか判らんようになってもうたし……」
嘉神に付き従っているはずの水焔と火焔の気配が消えていた。結界の外にはじかれたのか、存在を嘉神に伝えることができないだけで近くに居るのか、それすらも判別がつかない状態に陥っていた。
おそらくは、時間もずれているはずだ。
これだけ歩き回ったというのに、喉の渇きも空腹も感じない。
「さて、どないしよ」
歩きながら結界の鍵となるものを探してはみたのだが、見つけられなかった。
つまりは完全に術中に囚われているという事であった。
「お兄さん、迷子?」
背後から突然声を掛けられた。
振り向けば、そこには一人の少年がにっこりと微笑んで立っていた。
見た目だけならば高校生位だろう。
だがその瞳の奥には、老獪な気配が見え隠れしていた。
(コイツが親玉か?)
「そんな怖い顔しないでよ。お父さんに呼ばれた霊能者ってお兄さんでしょ?」
「ほな、坊んが……」
――息子にはどうやら不思議な力があるようなのです。――
依頼人の息子は、同じ家に暮らしているというのに、すれ違った途端姿が消えていたり、目の前を通る姿が透けて見えたりしたらしい。
初めは自分の視力を疑った父親であったが、ある時、息子が何やら呪文のような言葉とともに壁を通り抜けるのを目撃して以来、以前祖母が世話になったことのある嘉神の師匠を探していたのだということであった。
「ここはねぇ、僕の秘密基地なんだ。知らない人が来ると出られないようにしてあるから、迎えに来たんだけど……」
堪えきれないと言った様子で、くすくすと笑いながらこちらを覗きこんでくる。
「なんやのん、その笑いは?」
「優秀な霊能者が来るって聞いてたから、こんなの簡単に抜けられると思ったんだけどね。」
嘉神が来るのを承知で結界を張っておいたらしい。
自分の力を誇示する為か、嘉神の実力を測るつもりだったのか。
「腕試しちゅうわけか。ほんなら抜けられなんだ自分は役立たずやな。
挨拶だけして帰らしてもらうさかい、親父さんトコまで案内してや」
「ふうん。随分あっさり諦めちゃうんだ。仕事なのに?」
「分不相応な仕事は請けない主義やねん。割に合わん仕事もな」
初見での深入りは禁物と、余計な力は使っていない。このまま依頼人の元にたどり着けるなら、無能呼ばわりされてもどうということはなかった。
「だったら大道寺なんかに近付いちゃ駄目だよ。お兄さん死んじゃうかもよ?」
「なんやて? う、わっ」
ぐずぐずと地面が崩れていく。
両脚を捉えられた嘉神は為すすべもなく地の底へと呑み込まれていった。
◆◆◆◆◆
「…っつう…。あのガキ…ってなんやこれ?」
地の底へと呑み込まれた嘉神が目にしたのは、己の身体に巻きつく植物の根のようなものだった。
「いい格好だね。お兄さん」
先ほどの少年が足元から嘉神を見上げて嘲笑っていた。
「お兄さんみたいな人にうろうろされると困るんだよね。こっちにも予定があるからさ」
「お前。大道寺になんぞ恨みでも…ぐっ」
嘉神が少年を問い詰めようとすると、根のようなモノ達がいっせいに蠢き、身体を締め上げた。
「恨み? なんで僕が大道寺を恨むのさ? 僕はただ、気付かせてあげようとしてるだけ。」
「何を気…っ! なっ!? やめっ…う…」
「お兄さんは知らなくてもいい事だよ。だから、もう、これっきりにして? ね?」
少年の目がすっと細められた。
その視線を受け止めた途端、嘉神の背筋にぞっとするような悪寒が走った。
「……殺す気か?」
「まさか。ちょっとしたお仕置きをしてあげるだけ。お兄さん綺麗な顔してるし…。
皆んな、楽しみにしてたんだよ?」
嘉神の背中を冷たい汗が伝った。
嘉神の身体を締め付けていた根のようなモノは、ナマコを長くしたような、男性器を思わせる形をした触手へと姿を変え始めていた。
表面から分泌されるぬめぬめとした液体は嘉神の衣服だけを溶かし、露わになった素肌に纏わり付いて来る。
「コイツらが自分のお相手ちゅうわけか。いい趣味やな」
両手両脚を拘束され、吊るされた時から大方の予想はついていた。
嫁入り前の処女というわけではなし、対処の仕方は心得ている。
身体のダメージを最小限に抑えるために無駄な抵抗はせず、精神は閉じてしまえばいい。
「バケモノ相手は慣れてるってカンジ? じゃ、このコ達は?」
少年が指を小さく鳴らすと、触手の先端から細い触手がもぞもぞと湧き出てきた。
「ひっ!? ミ、ミミズ!?」
ミミズを模した触手は瞬く間に嘉神の皮膚を覆い、穴という穴を目指して蠢いていた。
「ゃ…いや…や…コレだけは…堪忍し…て…ひぃぃっ!!」
それまで不敵な笑みさえ浮かべていた嘉神から、すべての余裕がなくなっていた。
ミミズだけは駄目なのだ。生理的にどうしても受け付けない。
そのミミズに犯される。
嘉神はなりふり構わず身をよじるが、さらに戒めがきつくなっただけであった。
尻に張り付いていた1匹が、入り口を見つけ侵入を開始した。
周囲を這い回っていた数匹も後に続く。
「うっ…うわああああああっ! やめぇ! いやや! あっあああああああああ!」
「いい声…。でもちょっとうるさいかな」
少年の意志を受けたかのように、太い触手が嘉神の眼前に迫る。
嘉神の目には、それはもはや、極太のミミズにしか見えなかった。
顔をがくがくと左右に振り、逃れようと試みるが、背後のミミズが嘉神の首を絞め、息苦しさに口を開いてしまう。
「かはっ…ぐ…うぇ…ん、ぐぅっ…」
極太のミミズが、喉の奥に届きそうなほど深く押し入ってきた。
嘉神の瞳孔が開き、目じりから涙がこぼれた。
そこからさらに這い出すものの感触を喉に感じた時、嘉神の目から光が失せた。