霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
後編
部屋番号と内装の写真が並んだパネルは半分ほどが点灯していた。
灯りのついていない部屋は『使用中』ということらしい。
「ここにしてくれ」
なるべく周囲に騒ぎを広げたくない鴻は、両隣と階下が空室の最上階の部屋を指差した。
「え。………まじで?」
「何か不満か? 金なら私が払う。さっさと鍵を受け取って来い」
中沢はゴクリと唾を飲み込むと、部屋番号の書かれたパネルを押してキーを取り出した。
鴻が指定したのは、かなりマニアックな内装が施された部屋だった。後学のために一度は見学してみたいと思っていた中沢であったが、よもや、鴻と使うことになるとは考えてもみなかった。
部屋に入り鍵をかけると同時に、鴻は部屋全体に結界を張り巡らした。
『場』は確保できた。問題はこのあとだった。
成長しきっていない奴らを滅するのは雑作もないが、中沢にキズを残さぬように全部を引き剥がしてから祓うとなると、タイミングがひどくシビアなものになる。
事前に事情を説明しておくべきか迷った鴻は中沢の様子を窺うが、当の本人は好奇心丸出しの表情で部屋の備品をいじりまわしていた。
そこには素人でも簡単に扱えるモノから専門の知識と熟練を要する器具まで、人間の羞恥心や肉体の苦痛を快感へとすり替え、官能を導くための道具がまんべんなく揃えられていた。二人が入った部屋は、いわゆるSMプレイ専門の部屋であった。
頬を上気させながらそれらを眺める中沢の姿を見た鴻は、一瞬このまま捨て置いて帰ろうかと本気で思った。いくら人間の感情に疎い自分でも、中沢が何を考えているか位は察しがついた。
(この際少々痛い目を見るのもいい薬だな)
中沢が拘束具の類を手に取りニヤついているのを目にした段階で方針は決定した。
鴻は手近な壁にかけてあった幅広の皮ヒモを束ねた鞭を手に取ると、髪を束ねていた紐を解いた。軽く頭を振るとつややかな黒髪がふわりと広がり、ゆらゆらと蠢きだす。
呼吸を整え手にした鞭に気を籠める。中央に置かれた巨大なベッドに半身を乗り上げ、ヘッドボードのスイッチ類を物色し始めた中沢の背後に気配を消して近づいた鴻は、鞭を手にした腕をゆっくりと持ち上げた。
鞭の先端が頭上に達したところで、腕は勢い良く中沢の背中めがけて振り下ろされた。
ヒュン、という空気を切り裂く音とほぼ同時に乾いた音が部屋に響く。
「痛っ!」
「動くなよ」
中沢に振り返る余裕を与えず、2度、3度と打ち据える。
鴻は、最も手早く片付ける方法を選択したのだった。すなわち、取り憑いた対象から『叩き』出して始末する。この場合、対象である人間の受ける精神的・肉体的な苦痛は当然ながら無視される。
「いつか痛い目を見るから」といくら口で言っても、霊障自体を受けにくい体質の中沢にはそうそう実感できるものでもないらしい。霊障でなくとも『痛い目』を見ることはあるのだと、身体で判らせてやれば少しは自重するようになるかもしれない。
(久しぶりに顔を合わせたと思えば、コイツは……)
中沢との再会を、思惑は違うとはいえ鴻も多少は心待ちにしていたのである。
なんの躊躇いもなく自分に向けられる好意的な視線というのは、他では得ることのできないものであった。意識せずとも見分けられる満面の笑顔と向かい合う心地良いひと時は、人である自分を感じる事ができる貴重な瞬間なのだ。
それを台無しにした中沢自身と背後の団体に、いささかの憂さ晴らしの意も込めて鴻は手加減なしで鞭をふるった。
打ち込む度に中沢の背中から黒いモヤが千切れ飛び、結界に触れて霧散していった。
「ひっ! ……やめ………」
「動くなと言っているだろう」
逃れようとする中沢の背にさらに容赦のない一撃が加えられた。
「ぐっ……」
(出たな)
最後まで中沢に張り付き根を下ろしかけていた団体の中核ともいうべきモノがその背に浮かび上がる。
まだ新しい、樹海に馴染みきっていない霊魂は生への執着を残していた。道に迷って出口を探して彷徨ううちに命が尽きてしまったらしい。親を見つけた幼子のように、中沢に引かれて憑いてきたようだ。
樹海の気を纏った霊を貼り付けたままの状態で歩き回ってきたのだとしたら、そこに漂うモノ共が引き寄せられるのは当然だった。
鴻は白いハンカチを取り出すと『それ』を包み込みすばやく念を籠め移しとった。本来は和紙で作った形代を用いるのだが、あいにく休みの日までは持ち歩いていない。中沢の目の前で術を使うのは気が進まなかったが、大道寺に持ち帰るのも煩わしい。
ベッドサイドの引き出しの中から蝋燭を取り出した鴻は、火をつけようとしてマッチの類を探すが、防災の為かそこまでは用意されていないらしく見当たらない。仕方なく蝋燭を手にしたままで足元にうずくまっている中沢に声をかけた。
「中沢、火を貸してくれ。ライター、持ってるだろう?」
びくり、と身をすくませた中沢がおそるおそる顔を上げてみれば、真っ赤な極太の蝋燭を手にした鴻がこちらを見下ろしていた。
「そ、それも使う……のか?」
じりじりと後ずさる中沢の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「こいつで最後の仕上げをするんだ。早く寄こせ」
能面のような無表情で淡々と言い放たれてしまっては、反論などできるはずもなかった。いっそ下卑た薄笑いでも浮かべていてくれた方が諦めがつくのにと思いながらも中沢は素直にシャツの胸ポケットからライターを取り出し差し出した。
鴻は受け取ったライターで手早く火をつけると、灰皿を燭台代わりにして蝋燭を立てた。口中で何事か呟き、握り締めていた拳を炎の上にかざしてゆっくりと開いてゆく。
炎に照らされた真剣な横顔に、服を脱ぎかけていた中沢の手が止まった。
白い布が炎を包むように広がったかと思うと、瞬く間に燃え上がり、煙も出さずに燃え尽きてしまった。灰皿の中にも灰などは残っていない。
「今の……」
「何か見えたのか?」
「人の……女の人の顔みたいだった」
よほど中沢と相性が良かったらしい。姿が見えるなど珍しい事だった。
「そうか」
鴻はそうだとも違うとも言わずに白い指で炎を撫でる様な仕草をしてみせた。
炎はゆらり、と身をくねらせて消えてしまった。
「この部屋、何かいたのか?」
「部屋にじゃなく、お前に憑いていたんだ」
「え? 俺?」
「相変わらず鈍いな。で、なぜ服を脱いでいるんだ?」
「え、あ、いや……。だって……蝋燭……使うって言うから……」
鴻がすべての術を終えるまで、本当に何も気付いていなかったらしい。
打ち据えられている間中、これが鴻の趣味だと信じて疑わなかったというのか。
「……………期待に応えた方がいいのか?」
眉間にシワを寄せ、頬をひくつかせた鴻がライターの火をつける。
その表情に鬼気迫るものを感じた中沢は無言で首をふるふると横に振った。
「だったら用は済んだ。出るぞ」
中沢がシャツを着るのを待たずに鴻はさっさと部屋を出て行ってしまった。
置き去りにされた中沢は、しばし呆然としていたが、我に返るとあわてて身支度を整え鴻の後を追いかけた。
ホテルを出てすぐの電柱の脇に鴻はいた。
中沢の姿を認めると、薄い笑みを浮かべておもむろに地面を軽く踏み鳴らした。
鴻の足元から空気が渦を巻いて舞い上がる。
「う、わっ!?」
小さな竜巻のようなそれは、駆け寄ってきた中沢をすり抜けながら周辺をなぎ払って唐突に消えた。
「おぉ〜〜〜〜っ!」
風が通り過ぎると空から粒のような物が舞い降りてきた。
きらきらと光をはじきながら降り注いでくる様は、季節外れの風花のようだった。
「すげぇ。これもお前の術とやらなのか?」
「見えたか?」
「おう! バッチリ見えたぞ。で、何なんだコレ?」
「空気が澱んでいたんで、うっとうしいから掃除した」
気まずい思いを抱えて出てくるであろう中沢へのささやかな気遣いというよりは、いささか私情を混ぜすぎた除霊方法を選んだ罪悪感のようなものが、鴻に術を使わせた。オカルト好きの中沢の機嫌を直すにはもってこいの手段だ。
「サークルとやらで話のタネくらいにはなるだろう」
「え? ネタにしていいのか? まじで?」
案の定、中沢は背中の痛みも忘れて空を見上げている。
その肩に小さな青白いモノがそっと寄り添った。
どうやっても懲りそうもない友人に、鴻は見張り兼護りの式をつけることにした。
これで多少のモノなら式が始末をつけてくれる。
危機が迫れば身代わりの護符としての役目も果たすはずだ。
「気が済んだら帰るぞ」
「もう? 明日も休みなんだろ。まだいいじゃないか。」
駅へと向かって歩き出した鴻の背中に未練がましい中沢の声が響く。
「なな、もっかいどっか入りなおさねぇ? 今度は俺が金払うからさ」
まるで懲りていない中沢のストレートな誘いには苦笑するしかなかった。
「まだ叩かれ足りないのか?」
「なんだよ。もう御祓いは終わったんだろ? ……そんなに……嫌…なのか?」
中沢の顔が見る間にくもってゆく。
あまりに素直すぎる感情の変化はまるで幼児のようだ。
「いい酒が手に入ったから、飲ませてやろうと思っていたんだが?」
中沢の問いには答えずに鴻は話題を変えた。
「え?」
「ああ、お前はまだ未成年だったな。それじゃ他所へ回すか」
「あ! ちょ、それって……」
鴻は駅への曲がり角でわざとらしく立ち止まると、振り返って訊いた。
「どっちへ行くんだ?」
中沢は顔を耳元まで真っ赤に染めて黙って駅の方角を指差した。
鴻は鼻先でくすりと微笑うと踵を返して歩き出した。
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この後しばらくして、富士山周辺の群発地震がおさまったとか、渋谷のラブホテル業界がイメージチェンジにのりだしてやたらと健康的なアトラクションを導入したとかいうニュースが巷に流れたが、これらの現象の本当の原因が何なのかは今もって判明していない。
END