霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
風花の詩
前編
―――渋谷の駅前。
スクランブル交差点の雑踏の流れから少し外れた地下鉄の入り口付近に一人の青年が佇んでいた。
平日の昼間である。
行き交う人々は皆、大半がスーツ姿で忙しなく青年の眼前を通り過ぎて行った。
時折足を止めて青年の姿に視線を向ける者もいたが、皆一様に、見てはいけないモノを見てしまったような顔をして足早にその場を立ち去っていった。
人々の流れも、時折向けられる嫌悪とも畏怖ともつかぬ視線も、青年は黙殺していた。
整った目鼻立ちと白磁の壺のような肌は、精巧な細工の人形を思わせる造りだった。後ろに束ねた少し長めの黒髪が、少々風変わりな印象を与えはするものの濃いグレーのスラックスに白いシャツという服装は、何ら人目を憚るようなものではないはずなのに、彼の周囲には人が寄り付かなかった。
そこだけ時が止まったように空気の流れが違っているようだった。
「鴻!」
顔を上げた青年の目に、快活な笑顔が飛び込んできた。
「中沢」
顔を会わせるのは高校を卒業して以来である。数ヶ月ぶりに再会した同級生は、いつにも増して大量の『ヒトにあらざるモノ』を背後に引き連れて現れた。
「よ!久しぶり。待ったか?」
「お前、どこへ行ってきた?」
中沢のあいさつもろくに聞かずに鴻は問い質した。
一体どこでこれだけの数のモノを懐かせてきたのか。
一つ一つの思念はごく弱いものではあるが、数が尋常ではない。これだけ寄り集まったなら、取り付いた人間の生気を媒体にしてひとつの巨大な塊になる事も有り得る。
個々に明確な意思が感じられない分、纏まるのは容易であろう。しかも吸い取る生気の性質によってはとんでもなく凶悪な念に変貌する可能性があった。
「あれ? 電話で言わなかったか? サークルの旅行で富士五湖&樹海めぐり」
「富士の………樹海だと?」
「おう。天気も良かったし、結構面白かったぞ。死体発見はできなかったけどな」
高校時代からマスコミ志望で、特にオカルト方面への興味が尽きない男であったが、より幅広い知識をと進学した先で同好の士を見つけたらしい。おのずと活動範囲もそれに費やすことの出来る時間も飛躍的に拡大したようだ。
学校の七不思議の検証や近所の防空壕だの古い蔵だのを覗きに行く程度だったのがよりによって富士の樹海とは。
鴻は目眩をこらえて深い溜息をついた。
あそこは自殺の名所として有名ではあるが、それだけではない。富士山を中心とした特殊な『場』なのである。結界の一種であると言ってもいい。不慮の事故で命を落とした者、自らの意思で死に赴いた者、寿命を迎えて朽ちていった木々や動物たち。
それらの残した様々な思念が漂う空間なのだ。
富士は不死に通ずる。
身体が朽ちてもあそこでは、想いは朽ちることなく漂い続ける。
それらのモノは、あそこにいる限りは無害な存在なのだ。
敏感な者が気分が悪くなったりするのは、別に彼らが悪さをしている訳ではない。
生を謳歌する者の陽の気と彼らの持つ虚無に近い陰の気とが、単純に反発しあっているだけの事なのである。
樹海が持つ特殊な磁力は彼らをそこに留め、鎮静化させているのだ。そして、鎮められたモノ達が樹海を巡る事で新たな磁場が形成されてゆくのである。
それをこんな都会の人ごみの中に連れ出して来てしまっては、瞬く間に活性化してしまう。本来なら樹海から外へ出たとたん、人の気にあてられ霧散してしまうようなものまで中沢の特異体質のせいで、存在を維持したままだ。
中沢自身が樹海の役目を果たしてしまっているのである。
鴻が事実を告げようとした時、背後をOLらしき集団が通り過ぎようとしていた。
にぎやかに話に花を咲かせていた彼女らは、鴻のすぐそばまで来ると急に息を潜め、不躾な視線を注いできた。中沢の背後の霊の団体には気付きもしないくせに、鴻の特異さだけは感知したようだ。
他人に対する礼儀もマナーも持ち合わせていないらしい彼女達の、あからさまな態度の変化にはあきれるしかない鴻であったが、中沢はひどく憤慨したらしい。小さく舌打ちすると、威嚇するような視線を彼女たちに向けた。
中沢が鴻に対する周囲の視線に不満を漏らすのはいつもの事だった。直接文句を言いに行ったりはしないが、目に余る時にはこうして睨みをきかせて鴻をかばおうとする。あくまで威嚇であって直接の攻撃はしないのであるが、今日は事情が違った。
「きゃっ!?」
「痛いっ!」
「ヤダ、何これ。静電気?」
OL達の間でパチパチと何かが爆ぜる音がして、小さな火花が飛び散った。
背中の団体が、中沢の精神に敏感に反応を示して、同調したのだ。
負の感情は霊を活性化させその成長を促進する。
大抵はとり憑かれた本人も取り込まれて人格を失くしてしまうが、中沢の場合は自身への影響は皆無に近いだろう。せいぜいが、少々怒りっぽくなる程度でおさまるはずだ。
その結果、どうなるか―――
ホーミング精度120%の全方位ミサイルを背負って街中を歩くようなものだ。
しかも時間が経つにつれてその攻撃力は増加していくであろう。
中沢が自覚して制御できるなら強力な結界として活用する術もあるが、本人はまるで気がついていないし、制御する能力もない。一刻も早く祓ってしまうのが最良の策だと鴻は密かに決断を下した。
「行こう。中沢」
鴻は中沢の腕をつかむと、人気のない場所を探して歩き始めた。
「行くって、どこへ?」
何の自覚もない中沢は、いつになく積極的な鴻の行動にあらぬ期待を抱いていた。
中沢にとっては今日の再会は、久しぶりのデートなのである。ちょっとお茶をしてぶらぶらそこいらを歩いて――それだけで終わらせるつもりなどさらさらなかった。
「なるべく人目のない場所がいい。どこかあるか?」
「それって二人きりになれる場所ってコトか?」
「できることならな」
鴻は人間が苦手だ。特に先ほどのような出来事があると、途端に不機嫌に黙り込んでしまう。だから今までは話をするだけの時でもなるべく人目を避けていた。
高校に通っていた頃は放課後の教室を利用するか、帰り際に中沢の部屋に寄るかして毎日のように一緒にいることが出来たのだが、卒業してしまった今では顔を見るだけでも外で待ち合わせなければならない。
こうして並んで歩くのも久しぶりだった。しかも腕を組んで、である。
さらに日頃はつれない鴻が、自分から二人きりになりたいと言っている。
中沢が思い浮かべた場所はひとつしかなかった。
前だけを見て早足で歩く鴻は、中沢の表情の変化に気付かない。
電柱に書かれた住居表示が円山町に変わった。
「そこの坂を左に曲がれば、いくらでもあるぞ」
「いくらでも?」
事、此処に至って鴻はようやく周囲の風景の変化に気付いた。
立ち止まった場所には『ご休憩XXXX円・ご宿泊XXXX円』と書かれた看板があった。
「あ、そこは男同士は入れてくれないんだ。こっちこっち」
予期せぬ場所に辿りついてしまい絶句して立ちすくむ鴻の腕を、今度は中沢がつかんで歩き出す。その足取りにはなんの迷いもなかった。
中沢の背後のモノ達もにわかに色めきたって、鴻にまとわりついてくる。
一つ残らず消し去るには、閉じられた空間というのは都合がいい。
とにかく『場』を確保する事が先決だと判断し、鴻は後のことは考えないようにした。
かくして互いの目的に大きな隔たりを抱いたままで、二人はラブホテルへと入っていったのであった。