霊感探偵倶楽部・姉崎探偵事務所シリーズ
月華繚乱
カーテン越しの柔らかな日差しの中で、二つの小さな光が舞い踊っている。
「…帰って…来たんか?」
嘉神は問いかけるようにつぶやき、光を手招きした。だが二つの光はじゃれあうように嘉神の手をすり抜けドアの向こうに消えてしまった。
「水焔? 火焔?」
起き上がり、後を追おうとするが、思うように身体が動かない。
意識は覚醒したものの、肉体は未だ夢に囚われたままのようだった。
「気が付いたんですね。具合はどうです?」
親し気に声を掛けてくるその姿に嘉神は言葉を失くした。
「あれ。もしかして、覚えていませんか?」
「いや。そうじゃなくて……」
覚えていないわけではない。居るとは思わなかったのだ。
部屋に運び込んだだけで、帰ったものと思っていた。
「本当に、医者、いらないんですね……」
念を押すというよりも、むしろ感心しているような響きの声に、嘉神はくすりと笑った。嘉神の意識が戻り、無事を確かめるまでは帰る気になれなかったのだろう。
「世話かけてもうて、悪かったな。もう帰り」
「一人で、大丈夫……ですか?」
「んー。身体はちとだるいけど……。まぁ、ぼちぼちやるわ」
「誰かに連絡とか。買い物とか」
「いらんて。そないに気ぃ遣わんでもいいから」
ひらひらと手を振り、自分を追い出そうとする嘉神に大神は苦笑した。単に一人になりたいのか、巻き込むまいとの配慮からなのかは判らなかったが、嘉神が帰れというのならと、大神は素直に上着を手に取った。
くるくるとじゃれつくように飛び回る水焔と火焔にも、大神はやわらかな微笑を向けていた。どういうわけか、彼らはこの青年が気に入ったらしい。大神にしても、ごく普通にペットを相手にしているような気軽さで彼らに別れの挨拶などしている。
珍しくも微笑ましい光景に目を細めていると、ドアに手をかけた大神が振り返った。軽く頭を下げる大神に、嘉神も手を上げて答えた。
「それじゃ、俺、帰ります」
「おう」
「携帯の番号置いておきますので、何かあったら……? あれ?」
「どした?」
「いや、ドアが……」
たった今入ってきたばかりのドアが、押しても引いても動かない。
「どうして急に……」
「ちょぉ、見して…っと……」
「嘉神さん!」
ベッドから立ち上がりかけてよろけた嘉神を駆け寄った大神が支える。そのままベッドへ戻そうとするが、嘉神は足に力が入らないのか膝からかくんと床に崩れ落ちた。
「……全然大丈夫じゃないみたいですね」
「あ……れ?」
「自分で思っているより、傷は深いってことなんじゃないですか。よっ……と」
自分より体格の良い嘉神を抱き上げるのは無理と判断した大神は、嘉神の腰を支えて押し上げるようにしてベッドに転がした。
もう一度ドアに戻りノブを回してみるが、やはり結果は変わらなかった。
ふと思いつき、手にした上着をハンガーにかけ、帰るのをやめたと意思表示してみると、何事もなかったように、ドアは本来の役割を取り戻した。
「なんで?」
「まだ帰るなってことみたいですね」
何度か開閉を繰り返したあとで静かにドアを閉めた大神は、ゆっくりと嘉神のもとへ戻った。
「俺に帰るつもりがなければ、部屋の行き来は自由に出来るみたいです」
「けど自分……」
「俺は構いませんよ。特に急ぎの用事もないし」
”貴方が回復してからでないと帰らせてもらえそうにないですしね”
そう言って微笑んだ大神の背後に、光り輝く満月が見えた。
「嘉神さん?」
「なぁ…。もう一回、”お願い”……してもええ?」
「”お願い”って、あ…の……」
「今度は自分も、気持ちよくなり?」
ベッドの脇で呆然と立ち尽くす大神の股間を手の平で軽くさすりながら嘉神は微笑んだ。ふらつく身体でどうにかバランスをとり大神の服を脱がそうとする。
大神はそれをそっと制し、自分のシャツのボタンを外し始めた。
「……自分で、脱ぎます……から」
嘉神の視線が、ボタンを外す指の奥で見え隠れしているであろう素肌を追っている。
逸らされる事のない視線に心拍数が跳ね上がる。
シャツを脱ぎ捨てようとしたところで止められた。
「あ、そのまま……下脱いで?」
「っ!」
「無理?」
「いえ……。全部……ですよ…ね」
「うん」
「わ、かり……ました」
大神は嘉神の言葉に従いシャツの前を全開にした姿でズボンのベルトに手をかけた。ファスナーを下ろし、しばし躊躇う。
「ゆっくりでええよ」
ゆったりとしたスラックスは、軽く押し下げるだけで重力に従い足元に落下した。嘉神に撫でられた股間はすでに、身体にフィットしたボクサーブリーフの中央を大きく盛り上げていた。
唇をきゅっと噛み、両手を脇に差し入れた大神は、勃ちあがりかけた先端を引っ掛けないように前を大きく広げながら、滑らすように下着をおろしていった。
「見して」
嘉神の言葉に先端がかすかに震えた。
大神の頬が朱に染まる。
嘉神の眼前、ベッドの脇ぎりぎりの位置に軽く両足を開いて立つと、素肌に直接当たる外気と共に嘉神のねっとりとした視線が絡みついてきた。
「自分、今どんだけやらしい格好しとるか判る?」
「……嘉神さんが、そうしろと……あっ……」
骨ばった長い指が腹筋をなぞり、腰へと回る。尻の弾力を確かめるように軽く掴み、太ももへと巡る間も、嘉神の視線は繁みからそそり立つ大神自身に吸い寄せられていた。
嘉神の指先が根元を掠めるように通り過ぎる。
その度にびくんと跳ねる先端の反応を楽しむように、嘉神の指は何度もそこを行き来した。
「髪、持っといて」
「……え?」
「見えたほうが、ええやろ?」
嘉神の瞳が妖しく細められた。
薄く開いた唇の間からのぞいた舌が、ちろりと先端を舐める。
繁みをかき分けた指が、根元に絡みつくと同時に軽く絞めてくる。
「っ!」
「我慢せんでええよ。声、出し」
ちゅく、とわざと音を出しながら先端に溢れ始めた透明な液体をすする。舌先で鈴口を嬲られ、筋張り脈打つ本身を嘉神の手に握られたまま、大神は腰を揺らしていた。
「はッ…。…う…」
嘉神の顔にかかる髪を持ち上げている両手で、このまま頭を掴んで自分のモノに押し付けたい。口内深くに咥え込ませ溢れる唾液と精液でその顔を汚したい。
自分の脳内を巡る淫らな思いに、大神は身震いした。
思いが顔に出たのか、欲望の猛りに嘉神が察したのか。
舌全体を使って根元から何度か舐め上げた後、嘉神はおもむろに大神を咥え込んだ。軟体動物が纏いつくようなぬめった感触が全体を包み、やがて前後に蠢き始める。
「っ駄目ッです…か、がみ、さんッ!」
嘉神の頭を両手で掴み逃れようと試みる大神であったが、その動きはやがて、自分の律動をより深く伝えるものへと変わっていった。
空気を含んだ唾液が嘉神の口元ではじける淫らな音が大神を追い詰める。
「…出、ま…すから…。離…れ……飲ん、だり…しな…いで、くだ…さ…ッ…く!」
だが大神の願いは聞き入れられず、吐き出した熱は残らず嘉神の喉の奥へと呑み込まれた。
嘉神の唇が先端に残る滴を吸い上げ離れると、大神はその場にへたり込んだ。
「俺だけ達かせてどうするんですか」
「夕べのお礼。気持ち良かったやろ? ってかごちそうさん。元気出たし」
「……どっかの妖怪みたいなこと言わないで下さい」
だが確かに嘉神の顔色は格段に良くなっており、こうして軽口も叩けるようになっている。
他人の”気”を分けてもらう事で回復を図る術があることは知識として知ってはいたが、自分の精液がドリンク剤のような扱いだったというのは、少々複雑な心境であった。
「怒った?」
「…いえ」
嘉神はぽんぽんとベッドを叩き、大神を招き寄せた。大神は渋々といった風でありながらも、誘われるままにベッドに上がる。胡坐を崩して片膝を立てヘッドレストに寄りかかると、戸惑い気味の表情で嘉神を見つめた。
「これ……。脱ぐか、ちゃんと服着るかしていいですか?」
「なんで? 裸Yシャツは男のロマンやろ」
「真顔で言わないで下さい。俺なんかより嘉神さんのほうがよっぽど似合…っと」
つられて口をすべらせた大神は、慌てて口をつぐもうとしたが遅かったようだ。
大神の見かけによらないくだけた発言に、嘉神の顔が喜色に満ちた。
「へぇ、そうなん?」
「……まぁ、少なくとも俺がやるよりは絵になると思います」
「なら、そのシャツ貸して」
「……やるんですか?」
「見たいんやろ?」
「そうは言ってません」
「いいから、脱ぎ!」
「うわっ!」
大型犬が飼い主にじゃれつくように大神に伸し掛かった嘉神は、あっさりとシャツを剥ぎ取った。
呆れたような顔はしていても、嫌がっているわけではない大神の態度が、心地よい。嘉神は、大神がパジャマ代わりにと着せておいたTシャツとスウェットを手早く脱ぎ捨て、下着姿になると奪い取ったシャツに袖を通した。
「俺のじゃ小さいでしょうに」
苦笑を浮かべた大神は、それでも静かに嘉神の悪ふざけに付き合っていた。
嘉神は大神に見せ付けるように下着を脱ぐと、ベッドに仰向けに寝転がった。
無防備に投げ出された手足と身体に残る小さな傷跡。
一瞬自分が彼を押し倒し、抗う事を諦めさせた陵辱者であるかのような錯覚を覚えた大神は、思わず生唾を飲み込んだ。
「どや?」
「…何というか…。自分が…いたたまれない気分になります……ね」
「そそられたりは、せぇへんの?」
「……判ってるくせに、わざわざ訊かないでくれませんか?」
そう答えた大神は、口元を手のひらで覆い、半身を逸らして前屈みになっていた。
「いいなぁ、自分。そのノリ最高やで」
寝転んだまま、心底楽しそうに笑い声をあげる嘉神に、大神がゆっくりと覆いかぶさってきた。
互いの息が触れるほどの距離で、真摯な声が告げる。
「ノリで、人の理性を吹っ飛ばすのはやめてもらえませんか?」
「真顔で口説くんは、イタすぎると思わん?」
「続きがしたいなら、そう言えばいいんです。俺は逃げたりしませんから」
真っ直ぐに嘉神を見つめる瞳には、すでに雄の気配が見え隠れしていた。
「なら、キスからゆっくり、始めよか」
◆◆◆◆◆
「んっ…あ…」
きついウェーブのかかった髪を振り乱し、嘉神は犬のように這いつくばって腰を振っていた。しがみつくように抱え込んだ枕に顔をうずめ、固く閉じられた瞼とは反対に唇は荒い息を吐き続け時折鼻にかかった喘ぎをもらす。
「か、がみさんっ……締めすぎ…です……急がないで」
「堪…忍…それ、無理…んっ…!!!?」
最奥を突き上げる衝撃が、唐突に遠ざかった。
片足を掴まれ、無理やり仰向けに転がされたかと思うと、大神の顔が目の前にあった。
「ゆっくり、と言ったのは、嘉神さんの方でしょう?」
大神は、はちきれそうになった嘉神のモノを指先でつつ、となぞりながら耳元で囁いた。絶頂には足りず、だが官能を揺さぶるには充分な程度の刺激が嘉神を翻弄する。
「ッ…ぎりぎりで、逸らし続けとるくせにッ…こ、の……」
「駄目ですよ。…ああ、これ使いましょうか。おとなしくしててくださいね」
「ちょッ! やめ…」
嘉神の両手首を頭上でまとめた大神は、とっくに脱ぎ捨ててしまっていたシャツで縛り上げた。
「ほら、裸Yシャツなんかより、こっちのほうがずっと刺激的ですよ」
言いながら嘉神の胸の突起を指先で摘み、首筋に舌を這わせた。
「ほんま、いいノリしと…る…ッ!」
太ももで嘉神の股間を擦り上げながら、大神は両手で優しく嘉神の頬を包み妖しく微笑んだ。
「だったら、またキスからやり直しましょうか?」
「自分かて……いっぱいいっぱい、の、くせ…に……」
「そういうこと言ってると、ココも縛って、俺だけ達かせて貰いますよ?」
張りつめた根元をきつく握られ、嘉神の顔が苦痛に歪む。
目じりに涙を浮かべているくせに、唇を固く閉じ、挑戦的な視線を向ける嘉神に大神が折れた。
「…本調子でもないくせに、そんなに強がらないでください……」
「自分、何言って…?」
「口説き文句とか、誘いのポーズとか、そんなのいりませんから」
手首の戒めをそっと解いた大神は、嘉神の首筋に顔をうずめるように抱きついて言った。
「最初のお願いだけで充分だったんですよ。あんなこと、する必要なんてなかったのに……」
「……やっぱり怒ってたんやんか」
「そうじゃなくてっ」
責めているはずの大神の顔は、今にも泣き出しそうだった。
「ごめん、て」
「俺は、貴方が居てくれと言ったから……」
「うん。思い出した。目ぇ覚めた時に一人なんは嫌やてごねたのジブンやった」
「………」
「堪忍…な」
大神の背に腕を回し、宥めるようにゆっくりと撫でる。
「中、来れる? 今ので萎えてもうたんなら、無理せんでいいけど」
「大丈夫…ですよ」
「なら……ん…」
2度目の”お願い”は唇で塞がれた。
「…ふッ…ぁ……は……」
「そのまま…俺に預けていてください」
熱い楔が、嘉神の中に慎重に打ち込まれる。
ゆっくりと、だが留まることなく一番奥まで一息に。
「途中で抜くのは…堪忍してな」
自然な口調で漏らされた本音の一言に、大神の顔から笑顔がこぼれた。
「もう、そんな余裕……ありませんよ」
終幕