九龍妖魔學園紀シリーズ

  贈  

「勘弁してくれ……」

 皆守は狭い店内の片隅で、人目を避けるように蹲り頭を抱えていた。
 嬉々として商品を手に取り物色している九龍を横目でちらちらと見ながら深い溜息をつく。

 有り得ない、これは夢だ悪夢だとつねった手の甲は赤くなっていた。

「甲ちゃんお待たせ〜vv」

 弾んだ声と笑顔で九龍が皆守の元へと戻ってくる。
 無愛想な無地の包装紙に包まれた箱の中身がなんなのか、皆守は追求するのをやめた。

 欲しいおもちゃがあると言い出したのは九龍だった。
 ネットオークションや各種通販サイトを巡った末に、やはり実物を見てから買いたいとごねて、皆守にも同行を求めたのであった。

 いい年をしておもちゃ探しかと半ば呆れながらも、九龍を独占できる少ない機会を逃すわけにはいかず、誘われるままに新宿の街中へと繰り出した。

 そう、新宿歌舞伎町。

 九龍のお目当ての品は、いい年をした大人でなければ行かれない類の玩具屋にあった。

 事態を察した皆守は断固拒否の意思表示をし、行くならば一人で行けと雑踏の中に九龍を放り出し帰ろうとした。だが、わずか数メートル歩いただけで、下心が服を着て歩いているような中年男達に次々と声を掛けられている九龍を目の当たりにしたことで皆守の独占欲に火がついた。

 かくして九龍の肩をがっちりとホールドした皆守は、周囲に威嚇の視線を投げつつ、九龍に案内されるまま怪しい店内へと足を踏み入れる事となったのである。

「甲ちゃんも買えば良かったのに」
「…………何をだ?」
「試してみたいのとか……無かった?」
「あるか、んなもん。済んだんならさっさと出るぞ」

 上目遣いに下から覗き込む黒い瞳に内心どきりとしながらも、皆守はすいと踵を返し店の外へ出た。動揺をかき消すように、アロマパイプを咥え火をつける。

 そっと眼を閉じ、鼻腔の奥に沁み込むラベンダーの香りが脳内を満たしてゆくのをゆっくりと待つ。

 が、皆守の脳内を満たしたのは、怪しい玩具を手に自分を見つめる九龍のあられもない姿であった。

「ッ!」

 慌ててかっと両目を開いた皆守は、自分の挙動が不審がられていないかと思わず周囲を見回した。と、道行く男たちの視線が別の意味で自分に向けられている事に気が付いた。

 全身に纏いつくようなこの視線には覚えがある。

(コイツら全員朱堂の同類かッ!)

 背筋に冷たいものを感じて一瞬後退りする。
 もう一度店に戻ろうかと入り口に手を伸ばしたところでドアが開いた。

 能天気な笑顔で現われた九龍は皆守に擦り寄ると、ごめんね待った? と甘えた声で謝りながら両腕を皆守の腰に回しそのまま周囲を一瞥した。

 と、皆守に向けられていた視線が一斉に諦めの色に変わり、逸らされてゆく。

「行こ!」
「あ、ああ……」

 劇的とも言える周囲の変化に、皆守は戸惑いを隠せなかった。

 九龍はと言えば、今日一番と言っていいほどの上機嫌で鼻歌など歌いながら皆守に張り付いたままであった。

「見た見た? あいつらの顔! 俺、すっげー優越感、感じちゃったv」
「優越感って、九ちゃん、俺は……」
「だってさー、あいつらみ〜んな甲ちゃんのこと狙ってたんだよ?」

 声を掛けるタイミングを失いすごすごと立ち去っていった幾人かの男達の姿を思い出したのか、くすくすと楽しそうに笑う。

 その笑顔を見ながら、皆守はいささか複雑な心境に陥っていた。

 あの男達があっさりと引いたのは、相手が九龍だったからだ。
 顔も声も身体も、その存在の全てが敵わないと瞬時に悟ったから諦めたのだ。
 でなければ多少なりとも、敵意のようなものを感じるのが普通だろう。

 現に、九龍を脇に侍らせて歩いている自分には、嫉妬や羨望といった視線が突き刺さっている。皆守には、それらの視線がお前は九龍にふさわしくないと言っているように思えて苦痛だった。

 学園に居た時は、九龍の隣に居るのは自分だと主張できた。
 やっかみ半分の冷やかしや恨めしそうな視線も鼻で笑ってかわせていた。

 けれど、学園と言う檻から野に放たれた今の自分に、そう言い切るだけの自信はなかった。



◆◆◆◆◆



 卒業後、親から与えられたマンションの一室は、家には帰ってきてくれるなとの意思表示であった。

 進学も就職もしなかった息子に彼の両親は、マンションの権利書と鍵と、決して少なくは無い金額の書かれた小切手とを送りつけてきたのであった。

 一片のメモすらついていないそれらを、皆守は黙って受け取った。

 小切手を換金するために口座を開設し、各種光熱費の引き落とし手続きを済ませ、身の回りの小物を詰めたボストンバッグひとつで訪れた新居は、がらんどうの箱のようだった。

 家具もカーテンも、室内灯さえ設置されていない2LDKの部屋は暗く、冷え切っていた。寮の個室に慣れた身には広すぎる空間に途方に暮れた皆守は、リビングの真ん中で、膝を抱えて夜を明かした。

 インターフォンが来訪者の存在を告げたのは午前9時を少し回った頃だった。
 訪れたのは家具屋の配送員。
 届けられたのはダブルベッドと、ラベンダーカラーで統一された寝具一式。
 依頼人の名は葉佩九龍。

 ベッドを運び込む配送員の後ろから、ボロボロのリュックを背負い、ぴかぴかに磨かれたカレー鍋を抱えた能天気な笑顔が現れた時、皆守は、これは夢だと自分に言い聞かせていた。

 呆然と立ち尽くす皆守に、荷物より先に着く予定だったんだけど、と照れ笑いを浮かべた九龍の顔は擦り傷だらけで、たった今どこぞの遺跡から這い出してきたかのように泥がこびりついていた。

 家具屋の次は家電屋が大型の冷蔵庫と最新のPC一式を運んできた。てきぱきと設置場所を指示する九龍の横で我に返るタイミングを失くし続けていた皆守は、亀急便の見慣れた男が見慣れた物体を手に現れた事で、ようやく目の前の現実を受け入れる気になった。

 ファラオの胸像・抱き枕・遮光器ぬいぐるみ・武者鎧。

 その他もろもろの剣だの鞭だのが無造作に詰め込まれた大きなダンボール箱が一つ、二つと運び込まれる。三つ目の箱が玄関先に置かれるに至って、皆守はようやく口を開いた。

 九龍がリュックから取り出した目覚まし時計は午前11時を指していた。

「九ちゃん……。
 この有り得ない展開はどういう事なのか、判るように説明してくれないか?」
「え? だって甲ちゃん、この間会った時、日本に来たときは泊まってけって言ったじゃん」

 皆守は九龍の言葉に軽い目眩を覚えた。
 確かに泊まっても良いと自分は言った。
 空港近くのビジネスホテルで慌しく抱き合うのは一度で充分だったから。

 厄介払いの魂胆が見え見えの親からの”卒業祝い”を素直に受け取ったのも、九龍と二人きりで過ごす場所を確保するためだったと言う事も否定はしない。


 けれど。


 でも。


 だからと言って引越しの翌日に、狙いすましたようにダブルベッド持参で乗り込んでくるというのは如何なものか。

「ちょっと泊まってくだけの荷物か、これがッ?
 大体あの馬鹿でかいベッドはなんなんだ!」

「布団の方が良かった?」

「そういう意味じゃないッ!
 サイズも測らずに注文しやがって入らなかったらどうするつも……」

 九龍の差し出した紙片が皆守の言葉を遮った。

 紙片に書かれていたのは、この部屋の詳細な間取り図であった。そこには部屋ごとの内寸、コンセントの位置、電球の適正ワット数までこと細かく記載されている。

「おい、これ……」
「このマンションの内装請け負った会社の端末に潜って拾ってきた」
「パスワードとかあるんじゃ……」
「俺、数学SSよ? 鍵開け得意だもん」

 事も無げに言い放つ九龍に悪びれた様子は無かった。そういう問題ではないと、トレジャーハンターである九龍に言っても無駄な事は判っていた。家具の代金にしても愚問でしかない事は、先日の取手の誕生日祝いですでに実証済みである。

「俺が家具の手配してないってどうして判った?」
「甲ちゃん面倒くさいの嫌いでしょ? ライフラインが確保されてたのが奇跡だ」
「そこまで言うか」
「そのくせ小物とかのデザインにはうるさいからさー。品質重視のでかい物だけ先に持ってきた」

 確かに九龍の読みは当たっていた。

 引越し当日に全ての家具や調度品を揃えようなどとは考えていなかった。風呂に入れないのは嫌だったからそこだけは手続きを済ませたが、後は本当にどうでも良かったのだ。雨風をしのげる屋根があり、身体を伸ばして眠れるだけのスペースがあれば、それで充分だった。

 荷物の受け取りにサインをすると、九龍は皆守の小言を笑顔でスルーし、着替えの入ったリュックを抱えてバスルームへと飛び込んでいった。


◆◆◆◆◆


 空っぽの部屋で膝を抱えて呟いたのは九龍の名前だった。
 一緒について行きたかった。
 いつでも隣に居て守ってやりたいと思っていた。
 けれど九龍は、また来るねと言い置いて、ひとりで旅立って行ったのだ。

 皆守は、自分の居場所を見失いかけていた。

 そんな時だったのだ。
 嫁入り道具かと突っ込みを入れたくなるような大荷物と共に九龍が現れたのは。

「お邪魔します」ではなく「ただいま」と言って部屋に上がりこんだ九龍に、皆守は敵わないと思った。2週間の休暇をもぎとったと勝ち誇って告げる姿に、2週間共に過ごせる喜びよりも、2週間後の孤独を怖れる自分が居た。


 あれから十日。今度の週末には九龍はもう、ここには居ないのだ。


「甲ちゃん? どっか具合悪い?」

 迷いの無い真っ直ぐな瞳が皆守を見つめる。
 1分でも1秒でも長く、この視線を独占していたい。

「いや? けど、ちょっと小腹がすいたかもな」
「じゃ、どっか入る? 何が食べたい? やっぱカレー?」

 もう2度と、嘘はつかないと決めていた。

 だから。

 張り付いてくるのに任せていた九龍の身体を、皆守は自分から抱き寄せた。
 腕の中で九龍の身体がびくりと強張り動きが止まる。

 来る者は拒まずのはずの九龍が、皆守のこうした不意打ちのスキンシップにだけは弱気になる。はむはむと九龍の耳を甘噛みし始めた皆守の意図は明らかだというのに、確かめるのを怖れているような不安げな表情になる。

 学園と言う狭い社会の中では、異質な存在だった自分は皆守の関心を引く事ができた。けれどこうして外の世界に1歩を踏み出した皆守にとって、自分は今も価値があるのだろうかと九龍は思う。

 落ち着いたら連絡するからと言われていた。待てなかった。
 待つのが怖くて押しかけた。

 立ち寄る場所ではなく、帰り着く場所にしたかったから、決死の覚悟で「ただいま」と言った。呆れ返った表情で山程の小言を言った後、ふわりと微笑って「おかえり」と言ってくれた。敵わないと思った。

 涙を見られたくなくて、バスルームに駆け込んだ。

 答えを待つ勇気などないから、言葉に出して確かめる。
 駄目なら笑って誤魔化せばいい。

「……甲ちゃん。もしかして、食べたいのって……俺?」

 おどけた振りをして、九龍はそっと皆守の顔を覗き込んだ。
 真剣な眼差しが、九龍の視界を占拠した。

「正・解」

 九龍の耳元にわざとらしく唇を押し付た皆守が、低く甘い声で囁きを届ける。
 九龍の顔が一気に朱に染まった。
 腕の中でわたわたと取り乱す素顔の九龍に、皆守はようやく自分の居場所を思い出した。

 心に幾重もの防壁を築いて生きている九龍の、防壁の一番内側。
 息を潜めて膝を抱える寂しがりやで甘えん坊の葉佩九龍という男の本体の隣。

 会うたびに、その都度防壁を突破しなければ探し出せない臆病な《秘宝》。
 けれど宝はいつでもそこにちゃんとあるのだ。見失ったなら捜せばいい。
 一度見つけてしまえば、次に会うまでその場所は変わらない。

「……かっ、帰ろっ…か?」
「ああ」

 在るべき場所にどっかりと居座った皆守は、自分と九龍に向けられる周囲の視線に、不敵な笑みで応戦を開始した。

Copyright (c) 2009 Chika Akatuki All rights reserved.