星祭り


 丈夫さだけが取り得の3階建ての古びたアパート。
 居住区の外れにあって普段は人通りも少なく閑静な佇まいなのだが、今夜は珍しく、賑やかな声が道路にまで漏れ聞こえていた。 
 1階の住人の特権である小さな庭に大きな笹飾りが立てられ、その周囲では、ちょっとしたガーデンパーティのようなものが催されていた。

「願い事ってのは、ひとりひとつじゃなかったか?」

 笹にびっしりと吊るされた短冊を見上げて、コウは呆れたように呟いた。
 
「えー?何も書かないで飾りで吊るしたのもあるはず……っっとと」

 浴衣姿のサキが、慣れない下駄にバランスを崩す。
 コウはポケットに手を突っ込んだままの姿勢で一歩下がり、よろけるサキを背中で受け止めてやった。

 とん、とサキの額が肩口にあたり、甘い香りがコウの鼻先をふわりと掠めた。
 洗いたての髪から香る、シャンプーの匂いだった。

「ほら」

 すい、と肘を差し出すと、サキの腕がするりと絡まってきた。
 下駄で底上げされたせいで、いつもより近くにサキの顔がある。
 風呂上りのせいか、ほんのりと薄桃色に色づいた頬が、間近に寄り添ってくる。
 キスの間合いにも近いその距離に気付かない振りをしたコウは、手近な短冊を手に取った。


――『ビール』 『枝豆』――


「居酒屋か、ここは……」
「うわ、こっちはなんかの機種名が書いてある」
「笹飾りはサンタ宛ての伝言板でもないぞ」

 願い事というよりも、欲しいものを書き連ねたような短冊がそこかしこに吊るされていた。

「考古学者の自宅の笹飾りがこんなんでいいのか?」
「そこは、ほら、ジャンルが違うから……」
「いいんですよ。みんなが楽しめればそれで」

 穏やかな笑みを浮かべたセキエイが、花火の袋を配りながらやってきて言った。

「いいじゃないですか。本来の意味を知ってて参加してるのなんて、君達くらいですよ?」
「え? そうなの?」
「親子ですよねぇ。タキも相当アニバーサリーな男でしたけど、コウ君もなかなか……」
「……親父と一緒にするのはやめてください」

 心底嫌そうな顔で抗議するコウを、思わせぶりな笑顔で見つめるセキエイ。
 訪れた沈黙の意味を聞いてはいけないような気がしたサキは、話題を変えようと試みた。

「お、俺、この花火にしよーっと」

 とりあえず、真っ先に目に付いた花火を手に取ってみる。
 導火線が手前にあるのを不思議に思いつつもそのまま点火した。

「ばっ! そりゃロケット花火だっ!」
「サキ君っ! すぐに手を離しなさい!」
「え? え?」

 大人二人の剣幕に押されたサキは、半ば反射的に花火を握っていた手をぱっと開く。

 空に向けて垂直に握られていたロケット花火は地面に落下する前に着火し、空気を切り裂くような甲高い音を立てながら上昇し、大きな放物線を描いて庭の隅の植え込み目掛けて飛んでいった。
 
「うわぁ……」
「うわぁ、じゃないだろ」
「でも、あっちなら誰も居ないから……」

『あちっ!』

 無人と思われた植え込みの奥から、声が聞こえた。

「……え?」
「……あの馬鹿」

植え込みが大きく揺れ動いたが、人が現れる様子はない。

「サカキ!」
「っ! お、おう!」

 点呼をとるような凛とした声でコウが名を呼ぶと、植え込みを突き破らんばかりの勢いで大きな影が立ち上がり、直立の姿勢をとった。

「シグ、お前も出て来い」
「……」
「シグ?まさか、当たったのか?」

 コウの呼びかけにも姿を見せないシグに、サキとセキエイが慌てて植え込みへと駆け寄った。

「シグ、ごめんっ! 大丈夫っ?」
「火傷はすぐに冷やさないと、『レプリカ』でも直るのに時間がかかってしまいますよっ」

「うわっ! ちょっ! 待て! 違う!」

「どいて!」
「邪魔です! どきなさい!」

 慌てて止めようとするサカキを押しのけるというよりはどつき倒す勢いで排除した二人は、迷わず植え込みの奥へと踏み込み、そこで固まった。
 
「す、すみません……慌てたら結び方、わからなくなってしまって……」

 そこには、浴衣の前を必死で合わせて、座り込んだままで帯と格闘しているシグがいた。
 くるりとシグに背を向けた二人は、サカキの両側を挟み込むように歩み寄ると、冷ややかに言った。

「サイッテー」
「僕の家の庭は、ハッテン場ではないんですよ?」

 殺気すら感じる二人の視線に、サカキは思わずコウに助けを求めた。
 が、返ってきた言葉は、何の救いにもならなかった。

「外でヤるのに帯まで解くな、馬鹿」
「……そっちかよ」
「早く直してやれよ」
「自分で着るのしかできん」
「着せられないのに脱がしたのか……」

 仕方が無いと肩で息をしたコウは、シグの側に行くと、彼をしゃんと立たせ、手際よく着付け直してやった。膝を付いて帯を結んでやっていると、横で見ていたサキがすいと視線を外した。

「ほら、いいぞ」
「あ、ありがとうございました」
「花火の後片付けはお前とサカキでやっておけ」

 結び終えた帯をぽんと軽く叩いて立ち上がったコウは、その手でサキの髪を撫でた。
 一瞬何か言いたそうな顔を見せたサキであったが、ほんの少し頬を染めて俯いただけだった。

「帰るぞ」
「うん」

 肩を抱かれ、促されるまま皆に挨拶をして庭を抜ける。
 笹飾りの脇を通り過ぎる瞬間、サキは自分の書いた短冊にちらりと視線を向けた。


 ――『ずっと一緒にいられますように』――


 風が、色とりどりの短冊を天に向かって吹き上げ、窓辺に吊るした風鈴を、ちりん、と鳴らして通り過ぎていった。それはまるで、願いは確かに天に届けたと、風が告げていったようにも聞こえた。

 部屋へと戻る階段を昇りながら、サキは小さく呟いた。

「着付けなんて、教わるんじゃなかったな」

 コウに浴衣を直してもらっていたシグがうらやましかった。

 袂から鍵を取り出しドアを開ける。
 玄関の明かりをつける前に、唇を塞がれた。
 
「お前の浴衣は、脱がしてやるよ」

 耳元で囁かれた言葉の意味を理解した時には、コウの手はすでに胸元に滑り込んでいた。


END



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おまけ・その後の会話


「ちょっ! ここ(玄関)でなの!?」
「下駄履いたまんまのほうが丁度いいんだよ」
「何が!」
「キスが」
「!」
「……(にっこり)」
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「…………鍵、閉めた?」

サキちゃん玄関ぷれい承認。ちゃんちゃんv



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