小高い山の中腹に位置する村の、隠された場所にその大きな樹はあった。
「聖なる樹」とも「いのちの樹」とも呼ばれる大樹の幹の中には、来る日の災厄を受け入れ鎮める「礎(いしずえ)」となるべく生み出された命が育まれていた。
少年の姿をしたその命は、心を持たぬ空の器として目覚めるはずであったが、一人のヒトの子の涙が少年の目覚めを早め、その子の笑顔が、少年に心を与えた。
「ぼくはコウだよ。コ・ウ。わかる?」
出逢った時、ヒトの子は少年に自分の名を告げた。
その時から「コウ」が、少年にとって守るべき世界になった。
樹の幹が壁となり、少年の声が外へ届く事は無かったが、コウの言葉は、壁を伝わる波となって少年の耳に届いていた。
コウは自分の身の回りの出来事や、伝え聞いた物語を語った。
少年は、語られる言葉のすべてを理解できたわけではなかったが、自分を見つめ、一生懸命に話すコウの仕草がうれしくて、微笑みながら聞いていた。
密やかに季節は移り、空から時折白いものが落ちてくるようになった頃、コウはしきりに「クリスマス」や「サンタクロース」の話をするようになった。
「あのね、クリスマスには美味しい物がたくさん食べられるんだよ」
「大きなツリーにいっぱい飾りをつけるんだ」
「夜にはサンタクロースが来てプレゼントをくれるんだよ」
早口で次々と話が飛ぶので詳しくは判らなかったが、「クリスマス」は楽しくて、「サンタクロース」というものが来ると、コウは嬉しいのだと言う事だけはなんとなく判った。
「サンタクロース」は「クリスマス」と一緒に来るらしい。
「サンタクロース」は「プレゼント」というものをくれるらしい。
「プレゼント」をもらうとコウはとてもうれしくなる。
だからコウは「サンタクロース」が大好きらしい。
(「サンタクロース」っていいなぁ……)
少年はコウの笑顔が好きだった。
言っている事は判らなくても、コウが笑うと胸の奥がほんわりと暖かくなった。
少年は、コウに笑顔を与える「サンタクロース」がうらやましいと思った。
けれど、
「サンタクロースはね、クリスマスの夜にしか現れないんだよ」
「サンタクロースは子供が寝てから来るんだよ。だから誰も見た事ないんだって」
「サンタクロースは子供だけにプレゼントをくれるんだ」
「クリスマス」というのが1年のうちの1日だけで、「サンタクロース」はその日の夜、コウが寝てからこっそりやってきて「プレゼント」だけを置いていくらしいと聞いて、少年は不思議に思った。しかも「プレゼント」が貰えるのは子供の時だけらしいのだ。
(「サンタクロース」って……けちんぼ????)
それでは、大きくなったコウはどうするのだろう。
「クリスマス」も「サンタクロース」も無くなってしまったら、
大人になったコウには誰も「プレゼント」をくれないのだろうか。
『オトナ……ニ……ナッタラ……さんたくろーす……アエナイ?』
少年は、ゆっくりと唇を動かして、聞いてみた。
声は届かなくともこうすれば、コウは、唇の動きで少年の言いたい事を判ってくれた。
「えー? 大人になったら? そんなの……ぼく知らないよ……」
コウの表情が曇ってしまったのを見て、聞いてはいけない事だったのだろうかと少年は慌てた。
おろおろとコウの機嫌をうかがう少年をよそに、しばらく考え込んでいたコウは、何かを思いついたのか、ぱっと明るい表情になると少年に告げた。
「ぼく、とうさまやサクヤに聞いてくる! こんど来たときに教えてあげるねっ!」
それだけ言うとコウは元気よく立ち上がり、くるりと背を向けて駆け出していった。
(今度……か。……あと何回、会えるかな……)
コウの背中が見えなくなると、少年はコウが触れていた辺りの壁に手を添えて溜息をついた。
少年は自分が生まれた理由を知っていた。
時がくればここを出て、つくべき役目がある事を。
役目につけば、それまでの自分は消えてしまうと言う事も。
(会えなくなったら、コウはどうするかな……。泣いちゃうのは……嫌だな。
……俺の事、忘れていいから…笑ってて欲しいな)
その日の夜から雪が降り、重く垂れ込めた雲の隙間からどうにか太陽が顔を見せたのは、クリスマスの当日であった。
雪がやんだといっても、明け方近くまでに降り積もった雪は、子供の背丈ほどにもなっていた。
この雪が融けるまでは、コウはここへは来られないだろう。
そう思いながらぼんやりと辺りを眺めていると、ちらちらと赤い何かが動いているのが見えた。
先端に白いぼんぼんのついた真っ赤な三角の帽子をかぶったコウであった。
手になにやら握り締めているせいで、うまく雪を掻き分けられないらしい。
何度か雪に突っ伏しながら、どうにか少年のいる樹の根元まで辿り着いた時には雪まみれであった。
「あのね、大人になったら、自分だけのサンタクロースが来るんだって!!」
身体についた雪を払おうともせず、コウは幹に張り付くようにして声を上げた。
「でね、そのサンタクロースは、昼も、夜も、ずーっとずーっと一緒にいてくれて、
クリスマスじゃなくっても、プレゼントくれたりするんだって!!とうさまが教えてくれたんだ!」
大人になったコウには今の「サンタクロース」とは違う、コウだけの「サンタクロース」が来るらしい。
『ドコ……ニ……イル……ノ?』
「ぼくだけのサンタクロース? 今はいないよー。だってぼく、まだコドモだもん。
大人になったら会えるんだって。会えばちゃんとわかるんだって」
(それなら……俺にもなれるかな……?)
コウだけのサンタクロースになれば。
コウと一緒に居ることが出来る。
昼も、夜も。
自分がコウを忘れても、コウが自分を忘れても。
コウだけのサンタクロースになれば、判ってもらえる。
ちゃんと会える。
コウの寿命が尽きる前に、自分の役目が終わるのならば。
(間に合うといいな)
少年の心に「希望」が宿る。
それはあふれ出る災厄のあとに残ると言われる小さな光と同じ物。
はじめは小さな光でも、強く願えば奇跡を起こす事もあるという。
「あ! 忘れてた! これ!」
コウは手に握り締めたままのそれを、少年の目の前にかざしてみせた。 木の枝であった。
冬の最中でも緑の葉をつけたその小枝には、赤い実が一粒だけついていた。
「ヤドリギっていうんだって。クリスマスにはこの枝の下でなら、誰とでもキスできるんだって」
『きす…?』
「知らない? こうするんだよ」
(!)
コウはヤドリギを持った手を少年の頭の上にかざし、せいいっぱい背伸びをして、樹の幹越しに少年の唇のあたりに、自分の唇を重ね合わせた。
「へへっ。おしまい」
直接触れたわけではないのに、少年はその瞬間、確かにぬくもりを感じていた。
「枝についた実の数だけキスできるんだけど、いっぱい実のついた枝は
大人がもっていっちゃったから、これしか残ってなかったんだ」
コウは実を枝から取ると、樹の根元にそっと置いた。
「今日はクリスマスだから、早く帰らなくちゃいけないんだ」
そう言ったコウは、名残惜しそうに樹の幹に抱きついた。
「もっと一緒にいたいのに……」
僅かに射していた日差しが再び厚い雲に覆われはじめている。
雪が降り始めたら、コウが埋もれてしまう。
『……マ……タ……ネ?』
少年は、寂しさを隠してにっこりと笑い、コウに帰宅を促した。
「うん……。来年は、もっといっぱい実のついたヤドリギ持ってくるから!」
少年の笑顔に安心したコウは、来年のクリスマスを夢見て帰っていった。
その笑顔の奥の翳りに気付かないままで。
(ごめんね……。春にはもう、きっと俺はキミを思い出せない)
コウが自分の家に帰り着いた丁度その頃、再び雪が降り始めた。
夜になり、コウがサンタクロースの訪れを待ちわびながら眠りについた頃、少年もまた最後の眠りにつこうとしていた。
次に目覚めるのは役目につくときだと判っていた。
(役目が終わったら、サンタクロースになろう)
間に合わないかもしれない。
サンタクロースにはなれないかもしれない。
それでも。
夢を見るのもきっとこれが最後だから。
(コウだけのサンタクロースになって、いっぱい実のついたヤドリギの下で、たくさんのキスをしよう)
少年はコウの笑顔を思い浮かべながら目を閉じた。
◆◆◆◆◆
「コ ・ ウ」
「あん?」
「じゃ〜んっ!」
「……なんだその格好は……」
「サンタクロースだよ。似合う?」
「……なんでお前がサンタになってる」
ナギの店恒例のクリスマスイベントであった。
挑発的なアレンジをほどこしたサンタクロースの衣装を身につけた『レプリカ』や魔族の血を引く少年たちが、カクテルや料理を運んでいる。
胸にナンバープレートをつけた彼らは、食事の後、そのまま同じ番号を引いた客へのクリスマスプレゼントとなるという趣向であった。
コウは警備、サキは調理担当としての強制参加であった。
サキが身につけているのは、ごく普通のサンタクロースの衣装であったが、この会場では、番号無しのサンタは先着順でお持ち帰り可のフリー扱いである。
「料理全部出し終わったからさ。ナギがクリスマスなんだから着て帰れって」
仕事が片付けば、サキは真っ直ぐコウのところへ行くと見越してのナギのいたずらであろう。
「〜〜〜〜帰るぞっ」
「うん。あっ! コウ、ちょっと待って!」
「なん……っ!?」
コウを呼び止めたサキは、背伸びをしてコウの顔を引き寄せると、その唇をふさいだ。
「♪」
「おい」
「だってコウ、ヤドリギの下にいるんだもん」
くすくすと笑いながらコウの頭上を指差すサキにつられて見上げれば、そこには確かにいくつもの実をつけたヤドリギがあった。
「ったく……。それもナギか?」
「えー。これはコウが教えてくれたろ?」
「俺が?」
「そうだよ? いつだったか忘れちゃったけど、ヤドリギと自分だけのサンタクロースの話、してくれたよね?」
「自分だけの……サンタクロース? ……あ」
「思い出した?」
「まぁ……な」
うれしそうに笑うサキに、コウは言葉を濁した。
代わりに頭上のヤドリギから実を2つ取り、サキの手のひらに載せると、自分から2度目のキスをした。
「で? 俺のサンタがくれるのは、ヤドリギの下でのキスだけ……ん?」
「へへっ」
「! ……お前……この下……」
サキは、素肌に直接サンタクロースの衣装をつけていた。
――― 役目が終わったら、サンタクロースになろう ―――
「コウだけのサンタクロース。……もらってくれる?」
コウは無言でヤドリギを枝ごと取ると、サキの頭にぽんと載せた。
――― 『来年は、もっといっぱい実のついたヤドリギ持ってくるから!』 ―――
「ほら」
――― コウだけのサンタクロースになって ―――
「わぁっ! 実がこんなについてる!」
――― いっぱい実のついたヤドリギの下で ―――
「ベッドの上の壁にでも吊るっとけ」
「うんっ!」
――― たくさんのキスをしよう。 ―――
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