九龍妖魔學園紀シリーズ

  祝  

 春一番が吹いたのは先週の事だというのに、今日はまた午後から雪になるらしい。
 僕は新宿の雑踏をすり抜け、渋谷のモヤイ像の前に立った。

(ハチ公じゃなくてモヤイ像ってのがはっちゃんらしいなぁ……)

 はっちゃんからの突然のメールは驚いたけれど、なぜかいつも通りな気がして嬉しかった。

(僕のメアド、残しておいてくれたんだね)

 学園を去るときに、全部消してしまったのだと思っていた。
 仕事に関わる情報は終了報告と同時に手元には残さないと聞いていたから。

「かっちゃ〜〜〜んっっ!」

 ほんわりと胸の奥で温かな気持ちになっていると、交差点の向こう側から大きな声が聞こえた。

 周囲の雑踏が色褪せて見えるほどの、強い光。
 僕の魂の拠り所。
 その光が僕に向かって駆けてくる瞬間の、至福。
 なんの躊躇いも無く飛び込んでくるその光を、僕は両腕で抱きとめる。
 その背後から、気だるい空気に少しのトゲを含んだ視線を投げてくる彼の前で。

「……やぁ」
「……おう」

 離れろと言わないのは、はっちゃんが笑っているから。

「ごめんね、かっちゃん! 随分待たせちゃった?」
「ううん。今、来たところだから…大丈夫。時間通りだよ?」
「あれ? この黒い筒って……もしかして……」
「うん。卒業証書。キミたち二人分のね」
「うそっ!? 卒業式って3月の終り頃なんじゃないのっっ????」

 はっちゃんが勢いよく振り返り、背後でそっぽを向いている彼に詰め寄っていく。
 僕の腕の中は、あっという間に空っぽになった。
 吹き抜ける風が、少しだけ寂しい。

「なんだお前、出たかったのか?」
「俺じゃなくて、お前! 授業さぼるのとは、違うだろっ!」
「授業より不毛だろう」
「けじめだろ! けじめ!」
「……俺のけじめは、とっくについてる。今更何も知らずにのほほんと学生生活を送った奴らと一緒につけるようなけじめはない」

 彼の言葉に、それでもと食い下がるはっちゃんは、きっと、その日は仕事だったのだろうと思う。はっちゃんが間に合わない事を知っていたから、気にせず仕事に集中できるように、嘘の日付を教えておいたんだろう。

 もしも今日、僕と会うことになっていなかったなら、彼は、自分が代わりに出ておいたからと、嘘を重ねてこの卒業証書をはっちゃんに渡すつもりだったはず。

 はっちゃんのいない卒業式に、キミが出るわけなんてないくせにね。

「はっちゃん。いつ日本に着いたの?」
「え? 今朝1番の飛行機で……」

 ほうら、やっぱり。

「卒業式は、一昨日だったんだ」
「え”〜〜〜〜っ!? 知ってたらとっとと片付けたのに」
「それってかなり無茶しないと出来ない事だったんじゃないのかな?」
「う”。そ、それは……」
「一緒に卒業式に出られなかったのは残念だけど、そのためにキミが無茶をして怪我したりする方が、僕は悲しいよ?」
「かっちゃん……」
「皆守君もそう思ったから、はっちゃんに本当の日付は知らせなかったんじゃないかな?」

 小さな舌打ちが、肯定の意思を伝える。でも嘘は駄目だよ? 特にキミはね。

「ちぇ〜。初めッから知ってたら、お祝いメールくらい打てたのに」
「大丈夫。みんなはっちゃんが忙しいの判ってるから。なんなら、今から出してあげれば?」
「あ! そうだよな! うん。そうする!」

 はっちゃんはいそいそと見慣れたHANTを取り出してメールを打ち始めた。
 きっとひとりひとりに心を込めて、制限字数いっぱいまで言葉を詰めて送るんだろう。

「おい」
「あとで謝るつもりでも、嘘はいけないよ」
「……どういう意味だ」
「他の誰を騙しても、キミは、はっちゃんだけには隠し事はしちゃいけない。判ってるよね」
「………」
「キミがはっちゃんに隠し事をするたびに、はっちゃんはきっと僕のところにくるよ。僕はうれしいし、いつだって歓迎するけど、キミにとってはあまり面白くない事なんじゃないかな」

 返す言葉なんてないよね。
 キミははっちゃんを傷つけた。
 会長の生き死になんて本当はどうでもよかったくせに。
 自分が楽になりたくて一緒に逝くなんて言って。
 あの時のはっちゃんの涙の意味を、キミはちゃんと受け止めているの?

「……行かせねェよ」
「義務とか償いとか、はっちゃんが欲しいのはそんな気持ちじゃないって判ってるのかな」
「……さんざん泣かれたし、殴られたし、噛みつかれたし引っかかれた」
「そう。判っているなら、それでいいんだ」
「お前はいいのか? お前だって九ちゃんの事……」
「はっちゃんが選んだのはキミだからね。キミと居る事ではっちゃんが幸せならそれでいいんだ」
「そういうもんなのか? 俺にはその感覚が理解できねぇ」

 できる事なら僕だって一緒に居たい。
 でも、想いはいつでもそこにあるから。
 僕はそのことを思い出したから。
 はっちゃんが、取り戻してくれたから。

 だから僕は大丈夫なんだよ。
 僕が欲しいのは、はっちゃんの幸せ。
 キミが側に居る事ではっちゃんが幸せになれるなら、僕はそれを応援するよ。

「ほんの少し、悔しい気持ちはあるけど」
「九ちゃんの笑顔の方が大事だってわけか?」
「キミだってその気持ちは同じだろう?」

 さっき、はっちゃんが僕に抱きついてきた時、とてもとても嫌そうな顔をしてたくせに、結局何も言わなかったのは、はっちゃんが僕と会うのを楽しみにしてたからだよね。
そういう気持ちも本当は全部はっちゃんに見せてあげた方がいいんだけど、それは言わない。

「よし! 送信完了!」
「終わったのか。だったら場所変えようぜ」
「そうだね、少し寒くなってきたしそろそろお店も混む時間だから」
「うん、じゃ、どっかでメシ食ってそれから……っと!」

 はっちゃんの携帯が景気よく会話を中断させた。
 ここは渋谷。学園のある新宿とは目と鼻の先。

「うわっ! やっちー達、今こっち向かってるって!」
「……九ちゃん。俺たちがここにいるってことまで知らせたのか?」
「ここじゃなくてホールの方」
「ホールって……。はっちゃん?」

 この後の予定を、僕は何も聞いていなかった。

「今日ってかっちゃんの誕生日だろ? だからお祝いのピアノリサイタル開こうと思って貸り切った」

 ピアノリサイタル?
 ホールひとつまるまる貸切にして?
 僕が思い切りピアノの演奏ができるように?

「皆守君も、知ってたのかい?」
「ホールの予約の交渉したのは俺だ。急だし異例の事だから現金前払いって言われてな。支払い期限が卒業式の日までだったんだよ」
「それは……ごめん。僕はてっきり……」
「まぁ、いいさ。卒業式をさぼったのは事実だ。千貫さんや亀急便に頼んだって用事は済んだんだからな」

 そうしなかった気持ちは僕にだって判る。
 僕だってはっちゃんに頼まれたなら、それが誰の為であってもきっと同じ事をするだろうから。

「……支払いの日が卒業式と重なったのは…偶然?」
「ああ。時差の関係で依頼人からの入金が28日中には処理されなかったんでな」
「そのことはっちゃんには……」
「隠さず正直に言った方がいいと思うか?」
「……ううん」
「ま、そういうことだ。いくら待っても九ちゃんがお前のところに行く事はないと思うぜ?」

 キミは今、自分がどんな表情をしているのか判っているんだろうか。

「甲ちゃん! ホールの近くでみんなでご飯食べられるとこってないっ?」
「ああ? ったくお前はどうしていつもいつも……」

 はっちゃんの助けを呼ぶ声には、全身で振り返るんだね。
 キミに文句を言われてるはっちゃんは、すごく幸せそうに僕には見えるよ。
 僕に駆け寄ってきた来たときよりも、キミが駆け寄ってくるのを待ってる今の方が、ずっと。

 はっちゃんを傷つけたあの時の行動は、今も許せないけれど。
 光の中で、幸せそうに笑い合うキミたちは、とても素敵だから。
 その笑顔は、僕を幸せな気持ちにしてくれるから。

 だから僕はいつまでもキミたち二人が幸せでいられるように、祝福の曲を贈ろうと思う。
 今日のこの日が、僕の誕生日であると同時に、キミたち二人の記念すべき日になるように。

 僕は二人に気付かれないようにそっと八千穂さんにメールを送った。



 ――― はっちゃんに持たせるブーケをよろしく―――



(結婚行進曲は、どっちがいいかな……)



END





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かまちーお誕生日おめでとー! な気分で書いていたんだけど、なんでしょうこれ(汗)
かまちーは、九龍が幸せであればそれだけで自分も幸せになれてしまう人だと思うので。
途中の皆守VS取手なやりとりが書いてて一番楽しかったvv
とにかく今日中に間に合って良かった……。

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